The Story of Art Gallery Coffee shop Memories 30 .Artist Brand (2) |
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穏やかな昼下がり。 木陰に配置された丸テーブルの上で、木漏れ日が揺れている。 微かな風が、柔らかな美咲の長い黒髪を優しく撫でて行った。長い睫毛が、彼女が瞬きをする度に揺れる。整ったその顔立ち、形の良い唇、雑誌の紙面を見つめる黒い瞳。その姿はまるで、優美な芸術品のようだ。 テーブルに広げられた、同年代の女の子が好むファッション雑誌。つまらなそうにページを繰る美咲は、ぼんやりと記事を眺めている。それも無理からぬ事、彼女が身に付けている洋服、生地の質や仕立ての良さ。胸元にはさりげないが、ひと目で上質と分かるアクセサリー。 美咲が普通の家庭に育った娘でないことは、誰にでも容易に想像出来るだろう。 彼女の横を通り過ぎる男子学生の多くが、溜息混じりにちらちらと美咲へ視線を送る。 しかし当の美咲は、彼等のそんな視線をまったく気にしていない。 「お、お願い、ち、ちょっと休ませてぇ」 情けない声と共に、美咲の緩やかな時間の流れを乱してくれる珍客が現れた。 向かいの席へ座ったのは 小柄な娘だが、いつも元気一杯だ。 緑は椅子に座るやいなや、ぺたーっとテーブルへ突っ伏した。 「あら、久しぶりね、緑」 「え? あ! あーっ、美咲だっ!」 緑が大げさに驚く、今頃気が付いたのだろうかと美咲は苦笑した。 美咲はここのところ、重要な用件でずっと講義を欠席していたのだ。 「久しぶりだけど、そんなに休んで大丈夫なの? それとも具合が悪かったの?」 「ありがとう、私は元気。ちょっと大切な用件でね……。大丈夫よ、単位を落とすような失態はしないわ」 心配そうな顔をしている緑へ、美咲は上品に微笑んでみせた。 「緑こそお疲れみたい。でも、あなたはいつも忙しそうね」 人付き合いが多い緑は人気者だ。 友達思いで面倒見が良く、いつも人の輪の中心にいる。 「うん、実はね……」 ぴょこん! と、顔を上げた緑だったが、いきなり「喉が渇いちゃった」と言って席を立った。 まったく慌ただしい、美咲はぽかんと緑の背中を見送る。 学生達の動きも次第に忙しなくなってきた、午後からの講義が始まるのだろう。 しばらくすると、緑がアイスティーを持ってテーブルへ戻って来た。ストローを取り出してアイスティーをひとくち飲んで、少し元気になったのか緑がほうっと息をついた。 ☆★☆ 「合コン?」 浮かぬ顔の緑から話を聞いた美咲は、呆れた表情でテーブルに頬杖をつく。 色気づいてきた友人に、以前から美咲もしきりに誘われている。 「美咲は興味がなさそうねー」 緑がそう言って笑った。 興味がなさそうではなく、まったく興味がない。美咲は素知らぬ顔で雑誌の紙面に目を落とす。 ……何処へ行ってもその話ね、みんな飽きないのかしら。 学生として、先にやらなければならないことがあるはずだけど。 美咲は形の良い眉を微かにひそめた。別に優等生を気取るわけではないが、美咲はとても友人達の浮ついた話題についていけないでいる。 「緑はどうなの?」 「私? うん、私も興味ない。それどころじゃないもんね」 緑は苦笑いをしながら、ぱたぱたと手を振って見せた。 学業の方についてはどうなのかと、尋ねた事がないが。サークル活動にアルバイト……緑のキャンパスライフは密度が濃く、充実しているようだ。 「あのね、美咲は高橋君って知らないかな? 学内でも有名な遊び人。あいつ、綾乃に楓……それから、ほのかを狙ってるの。話をつけてくれって、もうしつこいったら!」 憤慨した緑が、こつこつと水滴が浮かぶアイスティーのグラスを指で弾いている。 美咲は、こんなに苛々した様子の緑を見た事がない。話を聞きながら、何の気無しに雑誌の記事を目で追う。 緑の話はちゃんと聞いているが、大真面目に相手をしなければならない事でもないだろう。 実を言うと、美咲はその高橋という男子学生を知らない。 まぁ、遊び人と称される男子学生など、美咲は全く興味も湧いてこない。 「気にせずに、放っておけばいいわ」 「ところが、そうもいかないのよね」 緑が、かくんと肩を落とす。 表情がある明るい色をした髪が、心なしかしんなりとしている。 「私の知り合いの子と、高橋君の知り合いの子……。仲を取り持つのに協力させちゃったからなぁ」 「あはは……」と、緑は力なく笑った。 「合コンに顔だけ出してって、綾乃達には了解取ったんだけど。もうひとつ頭痛のタネがあるのよ」 「頭痛のタネって?」 「彩人の馬鹿が、出るって言ってるらしいから」 緑の一言に、雑誌のページを繰る美咲の手が止まった。 馬鹿はこの際どうでもいい、気になるのは馬鹿と呼ばれた者の名前だ。 「彩人って、ひょっとして沢渡君の事? 緑は知り合いなの?」 「うん。そうよ、沢渡彩人……。入学した頃からの友達」 「今まで知らなかったわ」 美咲は驚いた、彼が緑の友人だったとは。 たまに構内で姿を見掛けるのだが、物憂げな表情をしていつも一人で居るところしか見た事がない。 学内の噂で、彼が教授や講師陣から高い評価を受けていると耳にした事がある。 「一匹狼」そんな古典的な表現を思い浮かべるが……多分、それは違うと美咲は思う。 彼について、別の噂も耳に挟んでいる。 「イケメンってタイプじゃないけど可愛い系ね。そこいらの男みたいにみっともないほど、がつがつしていないし」 確かそんな事を言っていたように思うが、こちらは美咲にとって参考になる情報ではない。 彼に興味を持つ子達は、彼の人間性や思考に関しては興味が無いのだろうか。 そして彼も、喜んで合コンになどに参加するような、特別ではない普通の男なのだろうか? 「まさか出席するって言うなんて、ぜんぜん思わなかったからなぁ」 緑は眉根をきゅっと寄せる。 美咲は彼と友達だという緑に、話を聞いてみたくなった。 「私は沢渡君の噂しか聞いた事が無いけど、本当のところはどうなの?」 「本当のところって?」 「沢渡君って、学内でも結構名前が知られているでしょう? 噂の真偽よ……」 「ああ!」 緑はぽん!と、手を打った。 「真面目だからね、熱心に勉強しているわ。ん〜でも、真面目ってだけじゃないみたいだけどね……。彩人にも色々と、事情や思うところがあるみたいで」 何かを思い出すように、ほんの少し緑の視線が柔らかく優しくなった。 穏やかな口調は彼を思慕するほどではないが、それに近しい好意を抱いている事を想像させる。 そして彼も緑にそんな話をするほど、緑に心を開いているという事なのだろう。 「ねぇ、聞いてもいい? 緑は沢渡君が好きなの?」 「え? ストレートに聞くのね、美咲って。でも、私が彩人を?」 ストローから口を離した緑が吹き出しそうになるのを何とか堪えて、「あり得ない!」と笑いながらまた手を振る。 世話焼きの緑だから、それだけなのかなとも美咲は思うが。 彼の興味が他の女の子に向く事が気に入らない、それを緑が自分で気付いていないだけかも知れない。 いや、それは友人を安く見積もり過ぎなのか。 「ん〜あいつは弟みたいな感じよ、うん弟! 心配なのよね〜危なっかしくて。目が離せないって言うのかなぁ。生活費稼ぐのにアルバイトし過ぎて、過労死寸前になってた事だってあるし。描き始めたら、それこそ食べる事も寝る事も忘れちゃうし」 うって変わってやけに饒舌になった緑は、ことりとグラスをテーブルへと置く。 「そうなの? でも……」 「よく見ているわね」そう言いかけて、美咲は口をつぐんだ。 やっぱり、緑自身が気付いていないだけだろう。美咲は心の中で、くすりと笑う。 「今回は派手に人数を集めてるみたいだから。わたしが知らない女の子だって、たっくさん来るだろうしね」 ほら、やっぱり気にしている。 「何? じゃあ緑は、沢渡君のお目付役で出席するの?」 「私? いや〜どーしても休めないバイトが入ってて……出席出来ないんだ」 あははーと、緑は乾いた笑い声を漏らす。なるほど、物憂げな表情の理由が見え た。 そんな緑を見ていた美咲は、バッグから白い手帳を取り出す。 「じゃあ私が緑の代わりに、お目付役をしてあげるわ」 「代わりにって……ええっ、美咲が!? し、出席するの!?」 大きな目を、まん丸に見開いた緑が席を立った。 「あら、私が出席しちゃいけない? パーティの日にちを教えて、私も日程を調整するから。 あと、その高橋君に連絡しておいてくれないかしら?」 「それはいいけど。もしかして、美咲は彩人を狙っているの?」 「狙ってるだなんて、なんて事を言うの」 呆れたように言って、美咲はやや強くテーブルの上へと置いた手帳を叩いた。 「あはは、ごめんごめん」 緑はまた、手をぱたぱたと振って見せた。 テーブルへと頬杖をついてストローをくわえ、ぶくぶくとストローでアイスティーに息を吹き込む。 「ちょっと止めなさい、子供みたいに。行儀が悪いわよ!」 美咲がぴしゃりと注意すると、 「めんちゃい」 緑は両手で頭を押さえて、ぺこりと頭を下げる。 「あーあ、高橋君、きっと大喜びねー」 緑はやっぱり不満そうだ。 美咲は頭の中で、目まぐるしく思考を巡らせ始めた。手帳に予定を書き付けて、バッグにしまう。 緑のおかげで、彼について何となく分かった。 でも、やはり自分の目で確かめないといけない。 (……沢渡彩人か、楽しみね) 綺麗な指で手首に巻いた腕時計を、ついっと撫でると小さく微笑んだ。 美咲には、確かなひとつの目標……真っ直ぐに見据えた揺るぎない夢がある。 その夢を叶えた時にこそ、美咲は自らの力を真に評価されるのだ。 |
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