ミネルバの翼 「23.青空に誓う明日」
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「シミュレーションを終了します……」 膨大な量のチェックリストを簡易テーブルの上へと無造作に投げ出し、僕はどさりとその場に腰を降ろした。 目を閉じて、眉間の辺りを指でマッサージする。ひどく喉が渇く、体が少し熱っぽい。 大きな音を立てて高圧のエアが排出され、シミュレーション用コクピットのハッチが開く。しばらくすると、長い黒髪をポニーテールにまとめた美鈴さんが姿を現した。 純白のパイロットスーツに身を包む美鈴さんは、颯爽とした姿だったが、 「う、気持ち悪い……」 青い顔でつぶやいてコクピットから這い出ると、ぐったりとその場に座り込んでしまった。お互い、疲労はピークに達していた。 僕と美鈴さんは、何とか飛べる程度にブレイバーを修理した後、エスペランゼが放った『神の光槍』に灼かれた廃墟へと向かった。 そこは、僕と美鈴さんが初めて出会った場所だった。機人兵に追われる僕を助けてくれた美鈴さん。 命拾いをしたものの、恐怖に腰が抜けて立ち上がる事が出来ない僕を見下ろす、黒曜石の瞳は冷たい輝きを放っていた。 ……最悪の出会い、そんな思い出がある場所だ。 地下の開発プラントは大量の瓦礫に埋もれていたものの、僕が密かに装甲兵の開発を進めていた消滅を免れていたのだ。 それはまさに幸運だった。気が遠くなるような大量の瓦礫の山から、苦労してプラントの入り口を掘り出し、祈るような気持ちで中へと足を踏み入れた。 未完成の機体は、まだそこにあった。 しかし、その姿は無事とはいえない状態だった。 装甲材を固定する内部フレームはバラバラ、繊細な動きを要求されるマニュピレーターは全壊、カメラ類のレンズなど一枚残らず割れている状態。 深刻なのは、機体各部への指示を伝達する中枢系の歪みだった。 人間で喩えると、神経が集中している脊椎にあたる部分が壊滅的な被害を受けていた。 どんな障害が起きるか見当もつかないので、ダメージを受けた部品を流用することなど出来ないのだ。 最初から作り直すしかない。僕は機体の製造に専念し、美鈴さんには機体コントロールのシミュレーションをこなして貰っているのだが……。 出力、装甲、機動性及び兵装と、新しい機体には僕が考え得る限りの性能を持たせてある。そして、海上都市から命懸けで回収したディスクに収められていたプログラム、『思考制御システム』を組み込んだ。 操縦桿を使っての操作ではなく、専用のヘルメットと感応機と呼ばれる機器を使用する。 直接的に人間の思考信号で指示を出し、機体側で受け取った信号を変換、機体動作に必要な指示を与えるというシステムだ。 このシステムならば、機体の反応速度を格段にレベルアップ出来る。 しかし、あくまでも理論的に。 システムが人を選んでしまうのだろうか。シミュレーション結果から、パイロットとしての熟練度が高い美鈴さんは、このシステムを受け容れ難いようだ。 「大丈夫ですか?」 「ええ。今のところね」 そう答えて、微かに浮かべる微笑みも弱々しい。ドリンクが入ったパックを差し出すと、頼りない手つきでパックを受け取った美鈴さんは、やっと返事をしてストローを咥えた。 「美鈴さん。何度も言いますが、自分の限界だけは決して超えないようにして下さい」 「何度も言わなくたって、分かってるわよ」 そうだ、この機体と思考制御システムを組み合わせた欠点がここにある。 確かにこのシステムは、機体性能を最大限に引き出せる、興奮した状態とでも言おうか、精神的に高ぶればそれだけ機体の反応速度も上がるのだ。 しかし機体を制御する人間、つまりパイロットの安全性に関してはまったく保証していない。新型のフローティングシートなどの安全装置を装備したが、下手をすれば想像もつかない加速の衝撃がパイロットに襲いかかる。 戦闘中に、血肉の塊と化してしまう場合だって起こりうるのだ。 性能低下は致し方ない、僕はリミッターを作動させることで安全を確保しようとしたのだが、当の美鈴さんにあっさりと却下されてしまった。 「そんな底力の無い機体で、あの黒い奴には敵わないでしょう?」 そう言われれば、返す言葉が無い。 パイロットの安全を考慮に入れる必要のない、無人機のエスペランゼと比べればこれでやっと互角という性能だ。出来ればこの機体も無人機に仕立てたいのだが、セラフィムやエスペランゼの例もある。いつコントロールを失うか分かったものではない。 もう僕には、美鈴さんを信じる事しか出来ない。 「美鈴さん、少し休みましょう」 唐突に……僕自身でも驚くほどに、そんな言葉が口をついて出た。 「馬鹿言うんじゃないの! 休むって、どこにそんな時間があるの?」 「ありますよ……ほら、行きましょう!」 僕は半ば強引に、美鈴さんの手を引いた。 何日ぶりにプラントの外へ出たのだろうか、見上げる空は見事に晴れ上がっている。異常気象の影響だろう。やはり気温は高く、肌を焦がすように照りつける苛烈な太陽。 昨夜珍しく雨でも降ったのか、足下の傷んだ灰色の地面には、小さな水溜まりが幾つか出来ていた。 「いい天気ですね!」 「そうね」 日陰に立って不機嫌そうに腕を組んでいる美鈴さんは、投げやりな声で答えた。 そんな彼女に構うことなく、僕は体をう〜んと伸ばした。 肺の中の澱んだ空気を入れ替えるように、めいいっぱい深呼吸をする。容赦なく照りつける陽差しに熱せられた大気を吸い込むと、肺が焼けつくようだ。 優しい姿を見せてくれなくなった自然。柔らかな木漏れ日も微風も、心を和ませる草花も。どんなに切望したとて、遠い彼方に失われた光景だ。 荒れ果てて、目を覆うばかりの姿を晒す世界の姿。 海上都市ヴィラノーヴァは、人々を救えるものならばと手を差し伸べた、しかし……。 疲れているのだろう、美鈴さんの物憂げな表情。透き通る白い肌に、艶のある長い黒髪。そして髪の色と同じ、深みある光を湛えた黒曜石の瞳。 僕は、ふと美鈴さんと初めて会った時の事を思い出した。 その出逢いを足掛かりに、ジュエル号で旅をした間の美鈴さんとの思い出が、僕の脳裏に次々と甦って来る。 現れては消え、現れては消え……。悲しみ、悔しさ、怒り、そして喜び。様々な感情が溢れ出して鼻がむずむずする。美鈴さんに涙ぐんだのを悟られないように、振り返る時に白衣の袖でぐいっと目尻を拭った。 「美鈴さん、覚えてますか?」 「何を?」 精一杯、明るい声を出す。そんなに面倒臭そうに答えなくてもいいのに。 「ルテリマで食べた色々な果物、美味しかったですね。レンディーティアの、山盛りにした山賊料理も良かったなぁ……あと、フレイシュリカの肉料理も美味しかった」 でも一番美味しかったのは、チェイニーが作ってくれた料理だ。この戦いが終わったら、もう一度、美味しいシチューを食べに行こうと心に決めている。 美味しい物を食べている人の笑顔を見ていると、何だか幸せな気持ちになってくる。 「呆れた、食べ物ばかりじゃないの」 そんな言葉で、僕の思い出を一蹴した美鈴さん。美味しい物を食べる事って、案外、大切な事かもしれないのに。 足下の石ころを蹴り飛ばし、僕はちらりと美鈴さんを睨んだ。こめかみに指を当て溜息をついてい美鈴さんは、ふと何か考えるように眉根を寄せた。 「うん。葡萄酒だったら、フォンドワーヌのものよね。あれ、樽ごと空けたかったな。ランディルアで分けて貰ったウイスキー……大事に取ってあるの。そうそう、シュヴァルウィアのエクスカリバーあれは最っ高!」 お酒の名前ばかり、人のこと言えないじゃないか。きらきらと目を輝かせて力説する美鈴さんをジト目で見ていると、彼女は僕の視線に気付いたようだ。 僕と美鈴さんは、見つめ合ったまましばらく固まっていたが、同時にぷっと吹き出した。 笑い出したらもう止まらない。僕達が置かれている状況を考えれば、笑っている余裕なんて少しも無いのに。 ……どのくらい笑っていたのだろう。 僕は妙にすっきりとした気分になった、それはどうやら美鈴さんも同じらしい。 乱れた長い黒髪を整えながら、目尻の涙を拭った美鈴さんは柔らかい微笑を見せてくれた。 「覚えているわ。ガディ船長に、パメラおばちゃん!」 「厨房のスイフリーさん、注射の痛いテロップ先生!」 「メノアとリオネルは、どうしているのかしらね。ロードウィバーのロアンは相変わらずかしら?」 「ブレイバーがお世話になったブランディさんに、僕がお世話になったチェイニー。エアンは元気かな? あ、そう言えば!」 「レイチェルさんの幸せな笑顔、忘れないわ!」 僕と美鈴さんの気持ちは同じだった。 ジュエル号での旅路で、沢山の人々との様々な出会いがあった。 「みんな一生懸命に生きてるんですよね、この空の下で」 「そうね……」 優しい笑顔、美鈴さんが目を細める。 僕は、その美鈴さんの微笑みを忘れないだろう。 みんなの明日を守りたい、輝く明日を手に入れたい。 そう、だから絶対に負けられない。 見上げた青空に誓いをたてて、僕は力強く頷いた。 |
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