ミネルバの翼 Another story IRREGULAR ENCOUNTER 「イレギュラー・エンカウンター」 SS INDEX HOME |
白い天使の両翼が力強く羽ばたき、戦場の暗雲たる魔風を切り裂く。 その機体の優雅で流麗なシルエットは、「セラフィム」の名を冠するに相応しい。掃討戦に投入されたのは甚だ遺憾だが、そんな事を言ってはいられない。少しでも多くの戦場をデータとして蓄積、機体に経験させておかなければならないからだ。 『中尉! 被弾箇所に消化剤を散布します。着艦後、すぐに駐機姿勢を取って下さ い!』 「あれが被弾だと? 笑わせるな、少し掠っただけじゃないか」 ブリッジ要員である通信士ルーニー曹長からの通信に顔をしかめ、不機嫌そうに呟いて操縦桿を操作する。 帰投する先『旗艦アークフォレスト』は超弩級の戦闘艦、リアウィールズ国、最終の切り札だ。 近づいてくる着艦用の後部デッキから発せられる、誘導用の信号を受信した。後は眠っていても、機体は勝手に艦へと戻ってくれる。 「また、大佐殿から大目玉だろうな」 振動に機体が揺れた、着艦は上手くいったらしい。 消化剤を散布しようと、慌ただしく緊急用の車両が近づいてくる。その様子をモニターで確認してニヤリと笑うと、純白の翼を畳んだ機体をそのまま格納デッキへと移動させる。 今頃、ブリッジは大騒ぎになっているだろう。 まぁいいか。俺は疲れているんだ、早く息が詰まるコクピットから解放してくれ。 息苦しいヘルメットを脱ぐと、明るい色合いの金髪がふわりと広がる。緊張から解放される碧の瞳を瞬かせて、リスティアードは大きく息を付いた。 「リスティアード中尉! 待ちたまえ。おいコラ待たないか! リスティアードっ!」 (ウェールズの奴、総指揮官自らご苦労な事だ。帰投したらさっそく小言か) 大型の旗艦とはいえ、狭い艦内の通路を歩くリスティアードは、面倒臭そうに立ち止まった。 早く窮屈なパイロットスーツを脱いで、熱いシャワーを浴びたいのだが。仕方がない、しばらく我慢してやるさ。 「これは大佐殿、私に何かご用でしょうか?」 振り向いて白々しく言った後、右手を胸に当ててすかさず一礼する。 「ふざけるな、この馬鹿者がっ! 命令違反だ、通信が聞こえなかったのか!?」 旗艦アークフォレストの艦長、指揮官を勤めるウェールズ大佐が、眉を吊り上げてこちらを睨んでいる。幼い子が泣き出しそうな形相だ。 「通信機の具合は良好でした。耳にも異常はありませんが、何か不都合でも?」 「被弾した機体の安全も確認せずに、格納デッキへと移動させただろう!」 「その件でありますか。しかし被弾と呼ばれる程の損傷は、確認する事が出来ませんでしたので。機体のシステムもチェックしましたが、特に異常は認められませんでし た」 リスティアードは、にやけているであろう自分の顔を引き締める。 「つべこべ言うな、貴公の命令違反はこのところ目に余る。これ以上繰り返すようならば、懲罰会議ものだぞ! だから貴様は、空気が読めないマイペースの技術士官上がりだって言われるんだ」 やれやれ、またそれか。リスティアードは肩を竦める。 「おい、今日はやけに不機嫌だな、リスティ。どうしたんだよ」 怒るだけ怒ったら落ち着いたのか、ウェールズが困ったような顔をした。 階級は大きく離れているが、リスティアードとウェールズは幼なじみだ。 「不機嫌も何も、掃討戦から帰還したばかりなんだ、勘弁してくれ」 「それは、お前も承知していた事だろう?」 「ああ、確かにそうだ。しかし戦場に出ればやはりな……気が滅入る」 散り散りに撤退していく、敵軍の戦闘能力を奪う。圧倒的な力の差を誇示したいのだろうが、旗艦まで引っ張り出して行う戦闘でもないと思う。 自軍上層部のやり方には、開いた口が塞がらない。 「それで、どうなんだ? お前が開発主任を勤めた機体『セラフィム』の戦果は」 リスティアードは腕を組み、碧色の瞳を伏せて顎の先を撫でた。 「俺は完成の域に近いとの見解を出すね。ただ、この戦争が終結すればすぐにガイア・プロジェクトの草案作成に取りかかるんだろう? それまでには、機体の無人化を実現しなきゃならない」 「そこだ、分かっているじゃないか。プロジェクト上層部が最も注目しているところ だよ」 「まあ、せいぜい精進するさ、期待していてくれ」 ウェールズと軽く拳を突き合わせ、リスティアードは踵を返す。 「おーい、リスティアード! 貴公が命令違反を犯した事には変わりないからな、何かしらの処分は覚悟しろよ!」 どうやら、生真面目な指揮官殿を煙に撒く事が出来なかったようだ。背中から浴びせられるウェールズの一言に、リスティアードは肩を落とした。 ウェールズが言った「何かしらの処分」というのが気に掛かるが、今はシャワーを浴びるのが先だ。 「まぁ、命までは取られないだろう」 この馬鹿げた戦争を早く終わらせなければならない。そうだ、この世界の事だけを考えていれば良い訳ではないのだから。 リスティアードはヘルメットを肩に担ぐようにして、通路を歩き出した。 「ご苦労様です、中尉!」 「ああ、みんなご苦労」 着替えてさっぱりとしたリスティアードが、軍服に白衣を纏って格納庫を訪れると、ばたばたと整備員達が駆け寄ってきた。 「中尉、聞きましたよ。また命令違反ですか!」 「あれくらいの被害、セラフィムにはどうって事ないですよ!」 「さすがですっ! なんたって中尉自らが開発した機体ですからね」 どうやら整備員達は皆、味方でいてくれるようだ。 「すまん。煽てられても酒は付き合えない、俺は下戸だから。あまり大きな声を出さないでくれ、指揮官殿の耳に入ればただではすまないぞ」 「そんな事分かってますって!」 整備班長のスティーブが、黄色い作業用のヘルメットを叩きながら笑った。整備箇所の指示データをまとめたファイルを渡し、リスティアードは大きく息を吸った。 「ルシア! 聞こえているか? ルシア、ルシア・アレイスト少尉!」 「え? ああっ! 私をお呼びになりましたか?」 長い黒髪を分けて、頭の両脇で結んだ女性技術士官が、ひょっこりと装甲兵のコクピットから顔を出した。 ルシア・アレイスト少尉、リスティアードと同じ技術屋畑の人間だ。 そばかすが残る顔には、まだ少女の面影。こんな少女までが戦艦に乗艦せねばならない事態とは正気の沙汰ではない。 彼女は軍と契約を交わしている企業から派遣されている。それだけで士官扱いとは破格の待遇だ、まったく理解が出来ない。 しかしリスティアードも認める優秀な彼女は、その能力を買われての事なのかも知れない。 作業用のツナギを着込んだルシアは、真紅の機体から乗降用リフトを使って降り立った。 ルシアが調整していたその赤いセラフィムは、リスティアードが持ち込んだテスト専用の機体だ。 「調子はどうだ?」 「悪くありません。いえ、否定の語句を最初に持ってくるのは、後ろ向きの思想です ね。申し訳ありません、好調です」 まぁ、ルシアが几帳面なのは認めよう。 この赤い機体は、試作一号機である。 わざわざ目立つ色に塗った自身の専用機ならば、他の者を危険にさらす心配もないし、存分にデータ収集が行える。 しかし、その機体はその後に「紅蓮の翼」と呼ばれ、戦場で敵軍に脅威と認識される事になる。 「中尉の方はいかがでしたか? 掃討戦ではデータ収集も物足りなかったのではないのですか?」 リスティアードは、ルシアの意見に頭痛を覚える。 データ収集といっても、そこには命のやり取りも想定されるのだ。物足りないとは、不謹慎な感想ではないのか。 この世界の人間は麻痺しているな……。リスティアードはそう思う。 いや、そうでなければ生き残れないのか。 (ならば、俺は死ぬかな?) そんな考えが頭を過ぎった。 そうなれば、ミュルフラウゼが悲しむだろう。心優しい妹は、終わり無き戦乱にその胸を痛めているに違いない。 「中尉、どうなさったのです?」 「ああ、すまない。贅沢は言っていられないな、まだまだデータが足りないんだ」 「でも、旗艦はこのまま、首都へ後退するのでしょう?」 「今回は救われたが、戦況は均衡していると言っていい。いつ、悪い方へと転がるか見当もつかんが、軍上層部の命令だからな」 リスティアードの話を聞いているかいないのか、ルシアは手に持ったファイルへ目を落とし、熱心に読んでいる。 「君は戦況など、どうでも良さそうだな? 少尉」 「そんな事はありません。万が一首都ドリアーネが陥落するような事態になれば、私は失業です。エレミアテクノロジー技研は首都ドリアーネが本社、最大拠点なんで すっ!」 ファイルから、ばっ! と顔を上げて憤慨してみせるルシアだが、そんな話を振った覚えはない、間違いなく論点がずれている。 「勤務先の会社が心配か、全くお気楽な事だな」リスティアードは呆れた。 「ところで中尉、お伺いしたい事があるんです」 ルシアが人目をはばかるようにして声を潜め、リスティアードに話しかけた。 「どうした? 少尉」 「ひとつだけ、お答え頂けますか?」 ルシアの真剣な表情、これは面倒な質問だろうな。リスティアードは訝しみながらも頷いた。 「俺に話せる事ならな」 そのリスティアードの言葉に、ルシアは躊躇したようだったが、一度視線を落として爪先を見つめた後、思い切ったように顔を上げた。 「この世界の裏側に存在するという平行世界の話は、事実なのですか? 軍の中枢はひた隠しにしているようですが、我が社の一部でも静かな噂になっています」 静かな噂だと? リスティアードは頭を抱えた。やれやれいったいどこから、そんな極秘事項が漏れるんだ。 おそらく、隠し通せるものでもないが。 しかし――。 だからといって、独断で口外してはならぬ情報だ。 『ガイア・プロジェクト』 互いに影響を与え合う二つの世界……。その裏側の世界で続く戦乱、破壊される環境と荒廃してゆく人の心は、リスティアードが存在する世界に深刻な影響を与え始めている。 滅び行く世界に救いの手を差し伸べなければならない、それは慈愛というおおらかな心からではない。裏の世界が滅びれば、二つの世界はどちらも成り立たなくなるのだ。 世迷い事などと誤魔化しても、ルシアは納得しないだろう。おそらくルシアも、ガイア・プロジェクトに参加するのは確定だからだ。 「それは事実だよ、少尉。しかし、取りあえずこの戦乱を乗り切る方が先決だ、あまり遠くを見つめるな。転ばないように、足下を見ていろ」 少し脅かしておく。 「はっ、はい!」 「それから、口外しないようにな。無用な混乱は人の心を惑わせる」 ルシアは神妙な面持ちで、大きく頷いた。 機体の整備も終わり、自室でくつろいでいたリスティアードは、ひとつの妙案を思い付いた。旗艦が首都へ到着する前に、もう一度機体のチェックをしておこう。 基地へと帰投してしまえば、また許可を取るために、煩雑な書類が必要になる。どれだけの苦労をしなければならない事か。 そうだな、大佐殿に掛け合ってみるか。 掛け合う? いや、納得させる……だな。 リスティアードは、机の上に放り出してある白衣をひったくって、ウェールズの部屋へと向かう。技術士官上がりは、この格好をしていないと様にならない。それこそ、空気を読めないと言われるのだろうが。 リスティアードの顔を見るなり、ウェールズは苦虫を噛み潰したような表情になった。 素知らぬ顔で書類を彼のデスクに置く。 「俺が止めてもやるんだろうが、この馬鹿が」 ウェールズはもはや、書類に目を通す事もない。 「馬鹿とは聞き捨てならないな、何のためにこうして身を粉にして頑張っていると思っているんだ?」 「お前、いい加減にしておかないと僻地へと左遷されるぞ?」 「望むところだ。俺を僻地になんて飛ばしてみろ、この戦には勝てんぞ?」 「ああ、分かった分かった、好きにしろ」 「分かった、好きにする」 にやりと笑ったリスティアードは、白衣を脱いだ。 パイロットスーツに身を包み紅のセラフィム、そのコクピットに収まったリスティアードは通信機のスイッチを入れた。 「ルシア、データの収拾を頼む」 『了解です、中尉。ですが、その……。まだ機体は我が社の所有です、どうぞお手柔らかにっ!』 リスティアードは通信機を、軽く叩いた。 馬鹿な事を言うな、機体の性能試験でお手柔らかになどしていられるか。戦場では、いったいどれほどの負荷が機体に掛かると思っているんだ。 『ブリッジよりセラフィムへ。中尉、発進シークエンスを実行します、よろしいですか?』 「セラフィム、リスティアードよりブリッジへ。動力、各機関及び各武装異常なし! 発進シークエンスの実行願う!」 『ブリッジ、了解。格納デッキ作業要員の退避完了。各種武装の装備完了。セラフィム、これよりカタパルトに移動します。背部動力機関臨界確認』 コクピットに振動が伝わって来る、リスティアードは碧い瞳で計器の数値を確認していく。 『ハッチ開きます。セラフィム、カタパルト固定完了!』 ルーシーの返事が届いた後しばし、暗闇に少しずつ光が差し大きく広がっていく。 見据える前方、アークフォレストの艦中央に設置されたカタパルトのハッチが、ゆっくりと開いていく。リスティアードはセラフィムの翼をたたみ、姿勢を低くする。 「ハッチ全開確認。進路及びカタパルト、クリアー、コンディション・オールグリーン! 中尉、セラフィム発進ですっ!』 カタパルトに誘導灯が灯った。 「セラフィム、発進する!」 その瞬間、カタパルトが矢を放つように、セラフィムの機体を押し出す。 身体がシートへと押しつけられる。この感覚にはいつまで経っても慣れない。 そして、リスティアードが駆る真紅のセラフィムが、蒼穹に射出された。 「ここまでは、特に問題ないはずだ」 真紅に輝く翼を開閉し各所のバーニアを噴射、鋭角な旋回を試みる。 『中尉、データ収集を開始しました』 ルシアからの通信後、訓練用の射撃目標がアークフォレストから次々と射出され る。 リスティアードは、セラフィムに装備されたライフルを構えた、メインモニターに映し出された目標が瞬時に捕捉されて、照準がロックされる。一射も外すことなく 目標を撃ち抜くと、ライフルを腰のアタッチメントに固定、接近戦用のブレードを抜いた。紅の翼を閉じて目標に向かって最大加速。マニュピレーターとの相性 と、細密な動作を確かめながら、自由落下する的を両断する。 「これは、絶好調だな」 リスティアードはフライト・ユニットの性能試験に移った。背部のバーニアが燃え尽きるほどに加速する。 今頃きっと、機体をモニターしているルシアが悲鳴を上げている事だろう。 加速するほどに、振動が大きくなる機体。 これまでの最高速度を更新する、急激に視界が狭まって来た。 「うおおおっ!」 思わず雄叫びを上げる。 ……その瞬間だった。 眼前に広がった、プリズムを通り分解された目映い光。勢い良く身体を貫通していく光の粒子。 「何だ?」 一瞬、途切れそうになる意識。 視界がブラックアウトし、暗闇が襲いかかる。 不測の事態に抗う事も叶わず、リスティアードが恐慌に陥りかけた時、視界が正常に戻った。 「加速の衝撃で、失神でもしかけたか?」 それにしても、此処はどこだ? レーダーは全く機能していない、マップも開かない。側に見えていた旗艦の巨体が消えるなど、常識では到底考えられない。 己の存在する位置を見失った。混乱するリスティアードは眼前に広がる光景に、我が目を疑った。 上空から見下ろす街は、全く記憶にない姿だ。 そして。 「あの機体は、見た事がない」 ぼんやりとモニターを見つめていた、リスティアードの混濁した意識が危険を知らせる。 「……あれは、敵機かっ!」 次の瞬間、シールドを前面に押し立てて全速で後退する。 凄まじい勢いで風を切り、急接近する白い機体。リスティアードは、そのスピードに驚愕した。 「来るかっ!」 身構えるが、しかし。 白い機体は、リスティアードの赤いセラフィムを掠めて過ぎ去る。 「馬鹿にしてやがるのか、こいつっ!」 その時、リスティアードは気が付いた。あれは、今までに見た事も遭遇した事もない機体だ。 「新型か、いや」 追撃に移ろうとしたその瞬間、通信機がコールを伝えてきた。 『未確認機に告ぐ、我が軍の領空を侵犯している。速やかに武装解除し、投降せよ! 聞こえるか、速やかに投降せよ!』 「お、女の……声?」 『私は連合軍所属ミネルバ隊 李 美鈴少尉! 武装解除に応じ、投降するならば悪いようにはしない、聞こえているか!』 「連合軍だと? 何の事だ、そんな軍は聞いた事がないぞ」 リスティアードは自分の耳を疑った、いや頭がおかしくなったのかと自分を疑った。 しかし不意に、ある事実に気付いた。 「ここは、平行世界……裏側の世界かっ!」 偶然、あの空域に存在していた裏側の世界へのゲートを、通ってしまったのかもしれない。ゲートを通過したのが、旗艦アークフォレストではなくて良かったが。 別世界の通信機同士が交信可能だと? まるでお伽話の世界じゃないか。 焦りが防衛行動に出てしまった、リスティアードのセラフィムがライフルを構える。 『抵抗するか、ならば撃墜するっ!』 短い通信の後、白い装甲兵が戦闘態勢に移行した。 「しくじった。それにしても短絡的な奴め、ええい鬱陶しいっ!」 浴びせ掛けられる、ライフルのエネルギー弾を回避する。 「やる気満々か、このっ!」 出来ればパイロットを死なせたくはないが。 リスティアードは、白い機体のフライト・ユニットの翼を狙い、ライフルを斉射する。 白い機体は、フライト・ユニットが別のパーツになっているようだ。しかし、それにしても反応が良い。セラフィムが放つエネルギー弾を、踊るように回避する白い機体。 「信じられん機動力だ、これは本気を出さないと駄目か?」 急旋回をした白い機体が、ライフルで牽制しながら突進してくる。 回避を続けるリスティアードが押し立てたシールドに、急接近した白い機体が放った強烈な蹴りが叩き込まれた。 「初対面で失礼なヤツだ、足蹴にしやがったな!」 激しい振動に舌打ちする。蹴り付けられてのけぞった機体、リスティアードの脳裏に危険を知らせる勘が閃いた。とっさに機体の姿勢を立て直す事を止め、機体が落下するに任せる。 次の瞬間、接近戦用なのだろう。左腕のシールドから、白熱するブレードを引き抜いた白い機体がその剣を振り抜いた。 まさに、間一髪。 機体を起こしていたなら、間違いなくセラフィムの上半身が両断されていただろう。失速する手前、機体を制御したリスティアードも接近戦用のブレードを抜く。 『なかなかやるじゃない、見た事もない機体ね。答えなさい、何者なの?』 「無駄口が多いな、そんな事では生き残れないぞ?」 『へぇ、あなたに、私が殺せるかしら?』 「怪我させないように、優しく墜としてやるさ」 言語までが共通である事に、リスティアードは心底驚いていた。 平行世界については、様々な角度からの調査が進んでいる。セラフィムはその平行世界で運用されるのだ。リスティアードも環境予想及び、様々な調査報告や物理法則などの情報を受け取っているものの、見るのと聞くのでは大違いだ。 実際に平行世界に来てしまった、あれこれと考えている余裕など微塵もない。 リスティアードの意識が揺らいだ隙をつくように、突出してきた白い機体の腰部で微かな光が瞬く。次の瞬間、セラフィムの右腕にワイヤーとおぼしき物が巻き付いた。 ぐん! と、機体が引き摺られて、セラフィムのバランスが崩れる。 「ワイヤーだと、お前は正気かっ!」 双方の接近戦用ブレードが激突する。しばし力比べの後、シールドで思い切り殴られた。 怯んだその瞬間に、振動で白熱化するブレードが、セラフィムのライフルを切断す る。 「こっちは、部品ひとつ落とす訳にもいかないからな! 気を使ってやっているんだ、お前も手加減しろよ」 それは無理な相談か。 肩部のビームバルカンを連射、投げ捨てたライフルを粉砕する。 「ならばこちらも、手加減無用でやらせてもらう」 唇を舐めたリスティアードの表情が、一変した。 抜き放ったブレードの出力を上げて構える、ただ一度の斬撃を放つために意識を集中した。 滞空していた白い機体もシールドを下げ、こちらとの距離を測っているようだ。 「いい覚悟だな、ならばっ!」 同時に加速する機体が唸りを上げ、あっという間に接近する。振り抜かれるブレードの凶刃、激しい衝撃と共にセラフィムのコクピット前面の装甲板が切り裂 かれ、モニター画面が粉々に砕け散った。そしてセラフィムが繰り出したブレードの切っ先も、白い機体のコクピットを守る装甲を横一文字に薙いでいた。 剣を振り抜いた無防備な姿勢、切断された装甲の隙間から、互いの姿を視認す る。 リスティアードの碧い瞳に映る、パイロットスーツを身に付けた細身の姿。 ヘルメットのバイザーに反射する光でよく見えないが、紅く彩られた唇の両端が僅かに上を向いたような気がした。 どうしてだろう。見える筈などないのに、リスティアードの脳裏に浮かぶその女性の姿。 黒く長い髪、白磁の肌、黒曜石の瞳。 名前は――。 しかしそれも一瞬の事、再び激突する双方の剣。激しい衝撃と共に、二機は大きく反対方向へと弾き飛ばされた。 「力の入れ所を間違えたかっ!」 ブレードを一振りし、リスティアードが再度斬り掛かろうとした瞬間だった。 セラフィムの機体が、陽炎のようにゆらりと揺れた。 「今度は何だっ!」 リスティアードは叫ぶが、瞬時に理解した。今の自分は、この世界を形作る理に反している有り得ない存在、イレギュラー・エンカウンターなのだ。リスティアードは、元の世界に帰らねばならない。 「勝負はお預けか……。仕方がない、もう一度会うまで生きていろよ」 再び光の粒子に包まれて、リスティアードは意識を失った。 「リスティ。起きなさい、リスティ!」 名前を呼ばれて目を覚ますと……。 「ん、ああ、あれ?」 揺り起こされて目を開けるが、意識がぼんやりとしている。 リスティはゆっくりと体を起こして、辺りを回した。 「ここは?」 見上げると真紅の機体……ブレイバーと腰に手を当てて、不機嫌そうな顔をした妻の顔が視界に映った。 思い出した、ここはジュエル号の整備デッキだ。昨夜、ブレイバーの足下でクルー達と盛大な酒盛りをしていて、つい眠ってしまったのだ。 ジュエル号は各地に散らばる難民達を、人類の新天地『ゆりかご』へと運ぶ仕事に就いている。 「ああ、美鈴さん」 「何で、今更『さん』付けで呼ぶのよ? 何か私に、後ろめたい事でもあるの?」 「な、無いよ、そんな事!」 怪訝な顔をする妻、リスティはぶんぶんと顔を激しく振ると、気まずい笑みを浮かべて頬を掻いた。何だったのだろうか、今の夢は。淡い記憶は現実にさらわれて、もう思い出せない。 しかし、脳裏に焼き付いている、忘れられないイメージ。 そう、黒曜石の瞳。 「わあっ!」 などと考えていたら夢で見たのとまったく同じ、妻の黒曜石の瞳がじっと見つめている。 「しっかりしなさい。お父さん?」 くすりと微笑む妻、少しふっくらしているその笑顔。 そうか……あの戦いは、終わったんだ。 今は二人で新しい命の誕生を待っている、こんなに幸せな時間を過ごせるなんて。 『飛鈴』 産まれたのが女の子なら、絶対にこの名前にすると美鈴は譲らない。 「そろそろ『ゆりかご』に着く頃ね。留守中に自治体発足の式典もあったって言うし、報告も受けなきゃならない、ぼんやりしてられないわ! ほら、早くっ!」 「分かった、分かったから!」 情けない声を上げるリスティは、美鈴に腕を捕まれてずるずると引きずられて行った。 |
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