ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


39.誘いの炎

 目次
 穏やかな陽差し、テラスに投げかける柔らかな光。
 木々の枝葉を揺らすこともなく訪れた風の精が挨拶をしたのだろうか、ブレンディアの体にふわりとまとわりついた微風が過ぎ去った。
 気配り心配りが行き届いている優秀な執事、カリナが淹れる紅茶は香り高く、ひと口飲む度に気持ちが和らいでくる。その落ち着いた静かな心に何やら気配が引っかかる、ブレンディアはティーカップをゆっくりと皿に戻した。
「そこに居るのは分かっている、その歳で隠れんぼなどでもあるまい」
 重々しい口調でそう言うと、トムとカナックの手で綺麗に整えられた庭木の茂みが、がさりと音を立てた。
「見つかっちまったか」
 ぽりぽりと頬を掻きながら、苦笑いしたアルフレッドが茂みから姿を現す。
「へへ。昔から隠れんぼじゃ、兄貴にかなわねぇな」
「ふん。何の用だ?」
「いや、あのよ……」
 気まずげな表情で口ごもるアルフレッド。大柄な体を縮める弟をじろりと睨んだブレンディアは、自分の前に置かれている椅子を指差した。
「突っ立っていないで、座ったらどうだ」
「あ、ああ……」
 言われるままに椅子に座った真顔のアルフレッドは、ぐっと眉を寄せるといきなり左右に開いた両膝に手を突いて、がばっと頭を下げた。
「すまねぇ、兄貴!」
 そう言ったまま頭を上げないアルフレッドを見遣り、ブレンディアは訝しげな表情をした。
「頭を上げろ、馬鹿者が。何か知らんが、謝らねばならぬ事でもしでかしたのか? 自分で始末をつけろ、私は知らんぞ」
「おいおい、兄貴……」
 肩を窄めたアルフレッドは、心底すまなさそうな顔をしている。無理もない、フリードとアレリアーネの婚約を発表する予定だった、その重大な意味を持つ夜会を派手にぶち壊したのだ。
 しかしブレンディアは怒りを爆発させることもなく、椅子の背もたれに背中を預けた。
「……フリードの事を言っているのならば、気にする事はない。お前は、愚息の尻を蹴り飛ばしてくれたのだからな」
 やれやれといった表情で顎を撫でたブレンディアは、どこかしら安堵しているようでもある。その遠くを見つめるような瞳。
 兄の腹の中にどれほどの怒りが溜まっているのだろうかと、内心でびくびくしていたアルフレッドは背広のボタンを外して、ようやくつろいだように椅子へ座り直した。
「そう思うなら、一大決心をした息子の旅立ちを見送ってやればよかったんだ。どうして来なかったんだよ?」
「謂わば私は、あいつの敵なのだ」
 アルフレッドの問いに、ブレンディアは険しい表情で背筋を伸ばし両腕を組んだ。
「格好つけるなよ、兄貴」
「ば、馬鹿者がっ! 私とフリードとの真剣勝負なのだ。それに、そんな親馬鹿な姿を世間に晒す事など、出来る訳がないだろう!」
 茶化されて憤慨したブレンディアが、大きな手でテーブル叩いたのでカップが皿の上で跳ね、がちゃりと音を立てた。
「くだらねぇよ。世間体なんて、気にしなくてもいいじゃねぇか」
「そうはいかん。お前と私では、立場が違うのだ」
「相変わらず固ぇよなぁ、兄貴の頭は……」
「お前が柔らか過ぎるんだっ! 領主たるもの、民達の規範でなくてはならん」
「へいへい」
 肯きながら語るブレンディア。堅苦しい兄の言葉に首を竦めたアルフレッドだが、もういつもの調子だ。
「……アルフレッド、お前には感謝している」
 気持ちを静めるように、やや背を丸めたブレンディアがひとつため息を付いた。
「何だよ、あらたまって」
 テーブルに頬杖を突くアルフレッドが、片方の眉を器用に上げてみせた。
「ひょっとして、ニーナのことか?」
「うむ」
 肯いたブレンディアの表情は、どこか苦い。
「あの馬鹿息子には、ニーナを連れて駆け落ちでもしてくれぬかと期待していたのだがな……」
「おいおい兄貴。自分が何を言っているのか、分かっているのかよ?」
「結局、セディア家に多大な迷惑を掛けてしまった。アレリアーネには生涯をかけて償わねばならん」
 軽く手を挙げてアルフレッドの言葉を制し、ブレンディアは続けて口を開く。
「私なりに追いつめてやったが、思うようにはいかぬものだな。あいつは、私に対する憎しみをため込むだけだった。まったく、我が子ながら情けない」
「兄貴の追いつめ方は尋常じゃねぇよ、カリナがどれだけ気を揉んだと思っているんだ? いや、カリナだけじゃねぇ、屋敷のみんながだぜ。それになぁ、あいつは……」
「分かっている。だがな、あれくらいで参っていては耐えられんよ。貴族社会の風は強く、決して甘くはない。弱い心では私のようになってしまう。愛する者を守ることなど出来ぬ」
 その言葉の端に感情の揺らぎを感じたアルフレッドは、はっとしてテーブルの上に身を乗り出した。
「だから兄貴。もう、セーラの事は……」
「馬鹿を言うな、決して忘れる訳にはいかん。彼女は私がこの人生で愛した、ただ一人の女性なのだからな」
 ブレンディアの沈痛な面持ち。兄へ掛ける言葉を見付られぬアルフレッドは、両手を組み合わせて静かに息を吐いた。
「確かに領主としての務めは重要だ。しかし必ずしも、ブロウニング家がカーネリアを治める必要もないのだ」
「兄貴……」
「まったく。こうして見ていれば、お前の方が父親として相応しいようだな」
「兄貴こそ馬鹿を言うなよ。あの石頭をよく一人で育てたもんだ、セーラも喜んでいると思うぜ。フリードなら、全部ひっくるめて大丈夫だよ」
 力を込めてそう言ったアルフレッドは椅子から立ち上がり、背広のボタンを留めた。腰を伸ばし、肩を揉みながら体をほぐすように首をぐるんと回す。
「アルフレッド、もう帰るのか? カリナに茶でも淹れさせるが」
「いや、長居はしないつもりだったしな、ここに来る前にカリナに会ったから遠慮しといた。俺はしばらくアンディオーレ領に行く。連絡が取れなくなるから、それを言いに来たんだよ」
「むう、あの辺境の地か……。何かあったのか?」
 表情を引き締めたブレンディアが、低く探るような声を出した。
「いや。あったと言うよりは、これからあるんだろうさ」
 アルフレッドがその瞳に映すのは、闇に蠢く不気味な姿だ。
「アンディオーレの領主、セシル殿とはちょっとした知り合いなんだ。色々と調べ物に付き合って貰っている」
「アルフレッドよ。いつも言っているが、危険があるなら迷わず軍に届ける事だ」
「そりゃあ駄目だ。今は事情が違う、じゃじゃ馬皇女が居ないんだ。軍に接触する方が危険なんだよ。それに俺は、竜騎士隊の隊長殿に嫌われているからな」
 懐から煙草を取り出そうとしたアルフレッドは、硬い表情でぽつりと呟いた。
「この世界を形作った創世戦争や、それ以後も続いた長い長い戦い。揺れる揺れる……この不安定な世界を乗せた小舟は、何処へ向かうんだろうな?」
 肩を竦めたアルフレッドは苦笑を閃かせて踵を返すと、軽く右手を挙げた。

☆★☆

 輝く蒼い翼が正面から向かい来る風を鋭く切り裂く、やや低い高度で巡航に移ったシルフィードは順調に航行していた。
「しばらくの間お別れだ、カーネリア……」
 つぶやいたフリードは操舵室から地表を見下ろす、眼下に広がるのは黄金色に輝く広大な麦畑。シルフィードが巻き起こす轟音に、作業の手を止めて眩しそうに空を見上げる人々。そう言えば、屋敷の周囲の麦畑もそろそろ収穫期だ。
 「今年は手伝えないな……」ぽつりとつぶやいたフリードは、それをとても残念に思う。大変な作業が終われば、その後は収穫祭が待っている。人々は豊かな実りに神へ感謝を捧げ、 作業に精を出してきた互いの努力を労い讃え合うのだ。賑やかなお祭りではたくさんのご馳走が並び、酒を満たした杯を掲げて陽気に笑い合う。フリードも毎日 泥だらけになって農作業の手伝いをした。だから収穫祭でみんなと喜び合いたいのだが、レースに出場する身では参加する事が叶わない。
「どうか、豊かな実りを……」
 農作業の辛さを知っているフリードは、大地を見守る豊穣の神に心からの祈りを捧げた。
「ヴァンデミエール、航路は?」
「問題ありません。高度、方角ともに、現状を維持して下さい」
「了解」
 相変わらず、抑揚のない声で答えるヴァンデミエール。
 端的に事実だけを述べ、余計な憶測や感想は一切付け加える事がない。それはそれで正しい態度だ、不確定な要素が皆無である報告は迅速な判断に繋がる。
 しかし、長い行程の旅路には砕けた雰囲気も欲しいところだ。フリードは色々と話しかけてみるが、どんな種類の問い掛けにもヴァンデミエールの答えは変わ らない。答えに窮する問いには、まるで貝のように口を閉ざしてしまうのだ。気まずさ……と、まではいかないが。時折感じるそんな空気にフリードは肩がこっ て仕方がない。
 フリードは思う。ヴァンデミエールはこのレースに、何らかの目的を持って参加しているのではないのかと。それが何であるかは皆目見当がつかないが、引き結ばれた小さな唇と黒い瞳から伝わる、強い意志を感じるのだ。
「当機は現在、再後尾を航行中ですが。キャンプ地到着までの時間的余裕は十分にあります」
「分かった」
 フリードは焦るまいと思う。

 出発の後、カーネリア領から出る前に、出場者達は一度キャンプと呼ばれる宿営施設に集まる事になっている。出場者が集い、レース開始を祝しての盛大な酒宴が開かれるのだ。
 麦畑を眺めるために傾けていた機体の水平を保とうとしたフリードは、ふと地上の異変に気が付いた。一機のウインドシップが、地面にめり込むように不時着している。
「いけないっ!」
 フリードは慌てて高度を落としながら、シルフィードを左旋回させた。不時着したウインドシップは、動力炉のトラブルでも起こしたのだろうか。火災を起こしている様子はないが、早く繰舵手を救助しなければならない。
「警告します。予定航路を逸脱、速やかに軌道修正して下さい」
「何を言っているんだ、ヴァンデミエール! 君にも不時着している機体が確認出来るだろう!」 
 シルフィードを降下させようとしていたフリードは、背中越しに聞こえたヴァンデミエールの声に驚いた。
「当該機から、シルフィードへ救難信号は発信されていません」
「だったら、見捨てるって言うのか!」
 後方確認用のミラーに映る少女と視線がぶつかる。黒い瞳が湛える強い光に、フリードは一瞬たじろいだ。
「そうではありません、下を見て下さい」
「え?」
 ヴァンデミエールは怒っていないようだ。
 不時着した機体の側に立っている繰舵手と思われる青年が、こちらへ向かって拳を突き上げて大声を出している。
「シルフィードへの激励です。俺はここまでだ……健闘を祈る。彼はそう言っています」
「しかし、機体の状態を調べてみないと分からない。まだレースに復帰出来る可能性だって……」
 ヴァンデミエールは、微かな吐息を漏らした。
「それは甘い考えです。なぜ国境付近で一度レースに参加する機体を集めるのか、理由が分かりますか?」
「それは……」
 答えられないフリードは唇を噛んで旋回を繰り返す、答えを待っていたヴァンデミエールは、小さな唇を開けて息を吸い込んだ。
「グランウェーバー国の領土は国境の内側まで、これは当然です。その先は隣国、その先も首都中心街の上空を飛行する場面が想定されます」
「それは分かるよ、分かるけど」
 本当に分かっているのかと言わんばかりに、瞳を閉じて小さく頭を振るヴァンデミエール。固く感情がない声音が、繰舵室へと静かに響く。
「レース開始初期にトラブルを起こすような機体は、ふるい落とさなければなりません。トラブル要因を抱えた脆弱で危険な機体を、他国へ進入させる訳にはいかないからです」
 レースに参加する機体は、様々に改造を施され高速で航行する事が出来る。しかし、実際に飛んでみなければ発生しない事態もある。 
「修理すれば良いというものではありません。この短い距離でトラブルを起こすなど、レースの全行程を見据えた機体設計が出来ていない証拠です」
 安全な運行を第一とする輸送機とは使い勝手が違うのだ。
 厳しい……いや、ヴァンデミエールの意見は正しい事なのだろう。
「レースに参加する以上、皆その事はよく分かっているはずです、それは私達も同じ事」
 ヴァンデミエールの言葉はとても苦い、だがシルフィードとてスタート時に失格したかもしれないのだ。
「悔しい気持ちが、激しく胸で渦巻いているでしょう。ですが他の選手に、精一杯のエールを送ることが出来る気概。彼は立派なウインドシップ乗り、勇気ある冒険者だといえます」
「勇気ある……か」
「はい。安心して下さい、大会本部に連絡をしておきます」
 感情というものが見られないヴァンデミエールの返事。だがどうしてだろう? 少女が自分よりも、随分と大人びているように感じられる。
 その気持ちをしっかりと受け取り、己の力に変えよう。
 フリードは操縦桿を握る手に力を込め、地上で手を振り続ける青年に蒼い翼を振ると、シルフィードの姿勢を水平に移した。

 日暮れ時を迎えて、ほどなくキャンプの建物に灯る明かりがポツポツと見え始めた。ゆらゆらと輝く暖かな明かりを見ていると、フリードの口からほっとため息が漏れ出す。
 キャンプ地の横手に作られた滑走路に、道を示す誘導灯が列をなして迎えてくれている。シルフィードは旋回しながら車輪を出した。着陸姿勢を崩さぬよう徐々に高度を落とすと、滑走路へと綺麗に着陸する。その危なげない機体の挙動。
「お見事です」
 少しだけ柔らかな、ヴァンデミエールの声が労ってくれる。スタートでは肝を冷やしたが、キャンプまでは問題なく到着する事が出来た。
 ウインディと自由に空を駆けた時とは違う、張り詰めた緊張がほぐれて体が弛緩する。フリードは虚脱感に耐えながら、誘導に従って機体を駐機場へと移動させた。
 シルフィードの風防がゆっくりと開く。駆け寄って来た生真面目そうな係員の青年が、辺りを見回してにっこりと笑った。
「お疲れ様でした。ナンバー52、シルフィードですね。ええと、チームの方はいらっしゃますか?」
「いいえ、僕達は単独参加です」
「そうなんですか、凄いですね!」
 フリードの答えに、係員の青年は目を丸くした。チームを組むことなくレースに出場する選手は、とても珍しいのだ。
 青年はグランウェーバーの出身ではないのだろう。少々訛りがある共通語と彫りが深い顔の造作が、フリードとは異なる特徴を持っている。この先、様々な国の人と触れ合う事になるかもしれない。
「では運営委員会の方で、責任を持って機体をお預かりします!」
「お願いします」
「到着のチェックは済みました。今夜はエントリーナンバーと同じ番号の札が掛けられた、コテージでお休み下さい、湯も準備出来ていますから」
 軽く会釈をしたフリードに、青年はコテージの鍵と案内書を差し出した。
「ヴァンデミエール、行こう」
「はい」
 シルフィードの操舵室へロックを掛けた後、起動キーをフライトジャケットのポケットへと入れた。フリードとヴァンデミエールは、少しの手荷物を下げて用意されたコテージへと向かう。
 少々疲れた身体を引きずって歩いていると。ふと、ぱちぱちと火の粉がはぜる音が聞こえてきた。
 音が聞こえた方へ視線を向けると、たくさんの人々が、暗闇を焦がす大きな炎を囲んでいる。レースの参加者達なのだろう、手にした酒杯を掲げて陽気な笑い声を上げている。
「行きましょう、フリード」
「あ、ああ」
 しばしその光景に見入っていたフリードは、ヴァンデミエールの声で我に返った。
「ここだ……」
 丸太を組み合わせて作られた小屋、小さな扉には「52」と、シルフィードのエントリーナンバーが記されている。木の扉を開けて中に足を踏み入れる。大き めのランプに火をを灯すと、部屋の中が淡い光で満たされた。簡易のコテージなので質素な作りだが浴室もある。疲れを癒し明日への活力を蓄えられるだろう。
 荷物を置いたフリードは、はて? と首を傾げた。眉根を寄せて部屋を見回す。
「ええと」
 どこからどう見ても、同じ部屋にベッドが並んでいる。いくら子供だとはいえ、自分と女の子が同じ部屋というのは考えられない。こめかみの辺りに鈍い痛みを覚えたフリードが、係員を呼びに行こうとして振り返った時。
「わああ!」
 目の前で服を脱ぎかけているヴァンデミエールの姿が目に入り、驚いて大声を上げた。
「ヴァンデミエール! な、な、何をしているんだっ!」
 裏返った声が、ついでに上擦っている。瞬間的に顔を紅潮させたフリードは、慌ててヴァンデミエールに背を向けた。
 ベッドの上で革の塊と化しているフライトジャケット。オリーブグリーンの丈夫な上着を脱ぎ捨て、ブラウスのボタンに手を掛けているヴァンデミエールが不思議そうな顔をした。
「衛生面を考慮して、体の表面に付着している老廃物を洗い流しておこうと思っただけです」
 淡々と、自分の行動を説明するヴァンデミエール。つまり湯浴みをすると言っているのだが、目の前で服を脱がれては堪らない。
「わ、分かったよ。説明はいいから、服を脱ぐのをやめてくれ!」
「服を着たままでは、湯が使えません」
「とにかく! 僕の前で服を脱がないでくれ!」
「待って下さい、フリード」
 急いで部屋を出ようとするフリードの上着を、ヴァンデミエールが掴んだ。少女の細腕にしては強い力だ、ぐいっと後ろへ引っ張られる。足を踏ん張って耐えなければ、引き倒されていたかもしれない。
「まだ話は終わっていません、何処へ行くのですか?」
「ど、何処へって……」
 フリードは痛くなるくらい精一杯に首をねじ曲げ、ついでに固く目を瞑って答える。その狼狽した様子に、ヴァンデミエールは表情を険しくした。
「脈拍と血圧の上昇、感情の乱れを感じます。私に何か落ち度がありましたか?」
「い、いや、そんな事はないよ」
「では、何故私の目を見て話さないのですか?」
「い、いやそれは……」
「何かしら意見の相違が認められるならば、解決しておく必要があります」
 ヴァンデミエールの声には険がある。
 しかし顔を見たりしたら、その乱れた衣服が視界に入ってしまう。しどろもどろのフリードは、いよいよ顔を赤くする。
「フリード、私の質問に答えて下さい」
「ヴァンデミエール、いや、だから!」
 少女の一般常識は少しずれているらしい、気の利いた言葉でその場を収めることなど出来ないフリードは、ヴァンデミエールが裾を握っているフライトジャケットの襟を両手で掴むと、思い切って脱ぎ捨てた。
「ご、ごめん!」
 叫ぶように言うと、そのままの勢いでコテージから逃げるように駆け出す。
「……ああ、驚いた」
 ヴァンデミエールが追い掛けてくる気配はない、フリードはコテージを振り返って大きく息をついた。
 そのまま賑わっているキャンプの中心へと足を向ける。レースの参加者達が集い、ざわめきが聞こえてくる。立ち止まったフリードは、ぐるりと視線を巡らせて目を細めた。
 闇が支配する天空では、散りばめられた星々が羨ましそうに酒宴を見つめている。その夜空を焦がすほどに燃え盛る炎。くべられた薪がぱちぱちと音を立てて爆ぜ、その度に細かな火の粉が舞う。
 その熱い炎に照らされたどの顔も自信に満ちている。この先にどんな苦難が待ち受けているかもしれないが彼らは冒険者だ、そんな事を心配している者は一人もいないのだろう。
 そしてフリードは、彼等と同じ舞台に立っているのだ。誇らしい気持ちに心が高揚感に満たされていく。
「はぁい、どうぞっ!」
 感慨深げなフリードの目の前に、突然にゅっと酒を満たした杯を差し出された。一人の女性が、にこやかな笑みを浮かべている。
「あ、ありがとう」
 思わず礼を言って杯を受け取る、その時フリードは気付いた。確かこの女性は、スタート時に見事な離水を見せた機体に乗っていた選手ではないのか。しかしどうして参加選手が給仕などしているのだろう。
 フリードを見つめる美しい金色の瞳が、揺らめく炎を映し怪しく輝いている。
「お酒はいかがぁ〜」
 その瞳に見とれていたフリードは話し掛けようとしたが、女性はくるりくるりと舞うように、軽やかな足取りで行ってしまった。
 手渡された杯の中で揺れる酒を見つめる。酒など飲み慣れぬフリードには、どんな種類の酒か分からない。手にした杯とざわめきを見比べる。
 気になるのは彼等、冒険者の話だ……。どんな武勇伝を語り合っているのだろうか。酒の酔いも手伝って、少々話が大きくなっているかもしれないが、フリードにはとても興味がある。
 賑やかな雰囲気に誘われるように、フリードが足を踏み出したとき。
「よう!」
 背中から、軽い調子の声が聞こえてきた。
 
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