ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 67.クリステリア |
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「あ、あなたは……クレア様っ!」 フリードの声が裏返っている。 琥珀色の瞳が映すその姿に、思わず声に出てしまったのだが。その名を気易く呼んでしまったのではないかと口元をひきつらせた。昼間に見た飛行服姿とは全く違う印象だ、静かに佇む気品高き聖王国の女王クレア。 「驚かせてしまったようですね」 フリードの驚きように、クレアは両の手を胸元にあてて目をぱちぱちとさせていたが、両肩をすぼめるようにして申し訳無さそうに詫びた。 「ど、どうかお気になさらないで下さい!」 そんなクレアに恐縮したフリードが、大慌てで突き出した両手をぶんぶんと振る。 穢れなき純白のドレスが眩しい。闇の中でも尚、柔らかな光を弾くようなクレアの姿。華奢で可憐な姿からは全く想像が出来ないが、女王は無骨な飛行服を着込み颯爽とウインドシップを操ってしまうのだ。内面は激しい……いや、お転婆なのかもしれない。 「もう一度、きちんとお詫びをしておきたかったのです」 そう言って、深々と頭を垂れた女王が体を起こした。 フリードの緊張を見て取ったのか、遠慮がちに歩みを進めるクレアの長い黒絹のような髪が、さらさらと揺れる。 「ぼ、僕は大丈夫ですから」 「ありがとうございます」 自分の数歩先で聖王国の女王が優しく微笑んでいる。フリードはクレアの顔を正面から見ることが出来ず、あさっての方を向いて返事をした。極度の緊張で固まっているフリードを観察するように見つめていたクレアは、興味を惹かれたように、ふとその瞳をシルフィードへと向ける。 「綺麗な機体ですね」 形の良い唇をわずかに開き、感嘆の吐息を漏らす。 「激しいレースを争う船には、とても見えません」 シルフィードの製造元であるブロウニング・カンパニーは、長く軍需産業を手がけていたことで有名だ。その主たる得意分野は戦闘艇の開発、製造であった。バトルシップという表現を用いなかったのは、クレアの心遣いであるのかもしれない。 興味津々という表情をしたクレアは、ゆっくりとした足取りでシルフィードを眺めながら歩く。 「小柄な機体でありながら、その力強い加速力には驚きました。業界にその名を轟かせるブロウニング・カンパニーには、優れた技師の方々がいらっしゃると聞き及んでいます。新しい試みが幾つも見られますね」 一般的に、発せられる出力が大きい程、動力炉は大型化してしまうものだ。シルフィードを見定めるクレアの言葉は世辞ではない。一時でもシルフィードと共に空を駆けたのだ、偽りのない感想なのだろう。装甲を綺麗な指先でなぞりながら何度も頷いている。 そんなクレアが、シルフィードの右舷側に回った時だった。 シルフィードの右舷を見たクレアは一瞬、表情を強ばらせて瞳を見開き息を呑んだ。眉をひそめ装甲から手を離して喉元に触れる、何かを言おうとした女王は我慢するように言葉を飲み込むと、背筋を伸ばした。 「鮮やかで美しい翼の青色は、自由の象徴。高い加速性能は長所なのでしょうが、やや小回りが利かない事に難があるようですね。非常に稀な姿をした機体、光の刃として翼を自在に扱うには、それなりの熟練度が必要であると見受けます」 「クレア様……」 フリードは女王の眼力に驚かずにはいられない。またクレアはウインドシップに関する豊富な知識を持っているようだ、そして自身の経験などを加えての鋭い考察を導き出してしまう。 クレアの意見は、正すことも補うことも必要がない。 シルフィードをじっと見つめ、何事か思案していた様子のクレアは数回小さく頷くと、フリードに視線を向けた。微笑みをおさめたクレアの瞳の奥深くには、 力を帯びた光が宿っているように感じられる。女王の強い視線を受けたフリードが気圧されたように、我知らず僅かに足を退いた。 「フリード・ブロウニング、貴方に見せたい物があるのです。私についておいでなさい」 「え?」 女王の言葉に、つい間抜けな答えを返してしまう。踵を返して歩き出したクレアがわずかに振り返り、肩越しにぼけっとしているフリードを見遣る。 「穏やかな夜であるとて、時間の流れは変わりません」 「は、はい!」 女王の存在に圧倒されて、立ちすくんでいたフリードは慌ててクレアの背を追った。 闇の中を歩くクレアは、人が寝静まったあと静かな夜に姿を見せる妖精のようだ。二人は回廊を横切り柔らかな芝生を踏む、丁寧に剪定された樹木が並ぶ広い広い中庭をしばし歩いてゆく。暗がりの中でぽつりと芝生に佇む白いベンチが寂しそうだ。 どのくらい歩いたのだろうか。フリードの前に現れたのは、地面から突き出している半球状の形をした建物だった。 「これは温室?」 呟いたフリードは小首を傾げた。 全体をガラスに覆われたその大きな建物の中から、ぼんやりとした青い光が漏れ出ている、それはとても不思議な光景だ。 「お入りなさい」 クレアはフリードを手で招くと、 さっと扉をくぐった。 クレアの背を追って建物の中に足を踏み入れたフリードは、目の前に広がる光景に絶句する。 建物の中を照らす光源が何なのか分からない。陶器のようにすべすべとした硬質な床一面は、朧な青い光を反射している。どんな現象なのか想像もつかないが、時折儚げな燐光がふわりふわりと天井へと向かって昇っていく。 幻想的なその光景に見とれていると、視線の先に何かが見えた。 「ウインドシップだ……」 しばし目を凝らしていたフリードがぽつりと呟く。青い光に照らされた見覚えがあるそのシルエットは間違いなく女王の愛機、白き竜と喩えられる『クリステリア』だと気がついた。 信じられぬ光景を目の当たりにして、口をぱくぱくさせているフリードをその場に置いて、クレアが愛機へと歩み寄る。 「ここは私の愛機、クリステリアの寝室です」 「し、寝室……?」 フリードはクレアの言葉が指す意味が分からない。ウインドシップの寝室であると、格納庫とは呼ばないのであろうか。 「この子は柔らかな光に包まれていると、落ち着いて眠れるようです」 そう言いながら、クレアは静かに愛機の元へと歩み寄った。 「ウインドシップが眠るのですか?」 女王の姿を目で追うフリードは、思わずそう問い掛ける。 「ええ」 そう答えたクレアは「何かおかしいのでしょうか?」と呟くと整った指先を頬に当て、思案するような表情を見せた。だがそれもほんの僅かな間のこと、女王は悪戯っぽい笑みを浮かべる。 「貴方も、自らの愛機を無機質な機械の塊とは思っていないでしょう?」 「は、はい」 じっと見つめられて頬が熱くなる、女王はどれほど魅力的な表情を持っているのだろう。 「この子と共に空を駆ければ、私は様々な想いを感じます。上空からの美しい景色を眺めた時、大きな黒雲と遭遇し雷光に威嚇された時、燃えるような茜色の空に抱かれた時。驚き、恐れ、喜びに胸が震えます。そう、この子とたくさんの感情を重ね合わせるのです」 「はい」 フリードは素直に返事をした、女王の言葉に強い共感を覚えずにはいられない。操舵主は愛機と様々な感激を共にし、心をひとつにしているといえるのだ。 優しく優しく愛機を撫でていたクレアは、再び視線をフリードへと向けた。青い光を映している、やはり落ち着かぬように揺れる琥珀色の瞳をしばらく見つめた後で、ふと視線を戻す。 間近で見るクリステリアの姿に、思わず吐息が漏れる。滑らかな曲線で構成された美しい機体は、『船』というよりも『生き物』という表現の方が似合うのかもしれない。 クレアは愛おしげに、人差し指でそっと愛機の装甲に触れた。 「この子の内部には、動力炉という内部機関が存在しません」 「ど、動力炉が? そんな事が……」 発せられた硬い声音。 女王の唇からこぼれ出た言葉を頭の中で反芻したフリードは、その意味が浸透するまで時間が掛かり、やや間を開けて驚いた。 クリステリアは、フリードにあれほど優れた性能を見せ付けたというのに。 ウインドシップの心臓部である動力炉が搭載されていなければ、大空を駆けることなど出来はしない。クレアは自分をからかっているのだろうか、女王の戯れに付き合わされているのだけなのかもしれない。 フリードが、訝しげな表情でクリステリアに目を向けると突然、機体の背面を覆う装甲板が硬質な音を立てて開き始めた。 「フリード、こちらへ」 「あ、ああっ!」 恐る恐るクレアの傍らに立つ。そして琥珀色の瞳に映ったものに、フリードは思わず声を上げた。 クリステリアの機体内部には、本来存在しているはずの動力炉が無く、なんとその空間には一振りの長剣が収められていたのだ。クリステリアの機体内に収められている長剣は、内部機関の一部になっている。 「この剣の銘は、聖剣エターナル。大陸を揺るがせた幾多の戦いにおいて英雄達の手にあった五振りの聖剣、その頂点である剣です」 「これが、聖剣エターナル……」 この大陸へ生を受けたものであれば、知らぬはずはない。 大陸史とともに語られる、五振りの聖剣とその使い手が織りなす数多の物語を。主の為にその力を開放し、戦い続けた聖剣。 聖王国アリアレーテルでの大規模な決戦に於いて、エターナル以外の聖剣は皆、その力を失ったという。クリステリアの動力を産み出しているのは、まさにその最後に残された一振りである聖剣に他 ならないというのだ。 「クリステリアの命の源など、人には見せぬものなのですよ」 今宵はどれほど驚かされることだろう。 表情を改めたクレアは、聖剣の姿を目の当たりにして言葉を失っているフリードを真正面から見つめる。今までとは違う、その力ある瞳に射抜かれたフリードは我知らず姿勢を正した。 「貴方は……」 クレアは一度口を噤んで言葉を切る、女王の姿は己の感情に流されぬように、気持ちを強く律しているように見えた。 「フリード・ブロウニング。グランウェーバー国の、カーネリア領を治める領主の嫡子よ。貴方は冒険者ではないのでしょう。なれば、どんな想いを胸にレースに挑むのですか?」 クレアの瞳が、フリードの心の内を推し量るかのように細められた。女王は理由を問うているのだ、風の精と共にレースへ挑む地方領主の息子に対して。 フリードはクレアに向ける言葉を選ぼうとして沈黙する。どうやら、クレアは自分の事をよく知っているらしいと気付いたが、その理由など些末な事だと思った。そうだ。自らの決意を語る時に、言葉をもって飾り立てるなど無意味だ。そして、それはクレアに対しても失礼であろう。自分が心に打ちたてた誓いを、そのまま言葉にすればいいだけだ。 「僕には大切な人がいるんです」 フリードは、故郷カーネリアで自分の帰りを待ってくれている、ニーナの青玉石の瞳を思い出していた。ニーナはいつもその澄んだ瞳でフリードを見つめ、微笑んでくれる。その存在は心を潤す、清らかな水が湧き出す泉のようである。 両親を失ったニーナを、父は使用人として引き取った。フリードは父の仕打ちに憤り、怒り続けた。ニーナのためにと想いだけが空回りを続けていた日々。 自分自身の力の無さに、気付きもしなかったのだ。 ……しかし。 私は幸せだと、ニーナははっきりと言った。 あの夜。星降る夜空を眺めながら、ニーナの歌を聞いた。優しく、それでいて強い魂を感じさせる美しい声に包まれ、教え諭され、励まされたのだ。 「彼女と共に、同じ道を歩んでいく為に……」 自分とニーナを心から案じてくれる幼馴染み、アレリアーネは夜会で自ら道化を演じてまで、その背を押してくれたのだ。必ずこのレースを制してカーネリアに帰らねばならない。 「僕は、必ず勝ってみせます」 聖王国の女王を前にして、勝利の宣言をするなどと。思わず言葉に熱がこもってしまったようだ。はっと我に返ったフリードは、それでも真っ直ぐにクレアを見つめた。自らの決意に偽りが無いことの証となるのだから。 「それが、貴方の誓いであると……」 力強く頷く。クレアに胸の内を語った、フリードの琥珀色をした瞳は真剣だ。 「ニーナの目は、確かであるようですね」 「え?」 フリードは驚いた。 この聖王国で、しかも女王の口からニーナの名前がでようとは。聞き間違いでは無いのだろうかと、琥珀色の瞳を瞬かせたフリードの表情が可笑しかったのだろう、クレアは口元に手を当てて鈴の音のような笑い声を響かせた。 「ニーナ・フランネルは、私の大切な友達です」 誇らしげな、そのクレアの口調。 友達という表現は一国を統べる女王には、やや似合わぬ幼い表現なのであろうが、クレアはより親愛の情を持ってそう言ったのかもしれない。 それにしてもと、フリードでは胸の中で幾つもの疑問符が浮かんでくる。 「クレア様、どうしてニーナをご存知なのです?」 「それは内緒です」 長い黒髪を手で梳いたクレアは、唇に人差し指をあてて花の蕾がほころんだような笑みを見せた。 どうやら、クレアはニーナと交流があるらしい。 『大切な友達』 ニーナとの絆を大切に胸へと抱くクレアの姿に、フリードは温かい感情が湧き上がり心を満たしてゆくのを感じた。 遠く離れた地で、お互いに身分や立場など自由にならない境遇の中でも尚、育まれてきた友情という名の絆だ。それは、お互いが求めなければあっさりと切れてしまう細い糸であったのだろうに。 クレアとニーナは、その頼りない糸を大切に縒り合わせ強い繋がりにしてきたのだろう。 そんな事を思うフリードを青い瞳で見つめていたクレアは、ふといたわるような表情を見せた。 「夜も更けました、そろそろおやすみなさい。明日はまた貴方が胸に抱く誓いのために、蒼き翼を広げるのですから」 「はい」 「貴方に光の女神、その加護があらんことを……」 真直ぐにクレアと向き合ったフリードは、背筋を伸ばして丁寧に一礼をした。 |
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