岩国教会礼拝メッセージ

2019年9月15日(日)
礼拝メッセージ
わたしの救い、わたしの主よ、すぐにわたしを助けてください。
                     詩編38:23
 
 詩編38は悔い改めの詩編です。詩人はこの時、重い病にかかっていました。「疫病にかかったわたしを愛する者も友も避けて立ち、遠く離れて立ちます。(12節)」と語られています。家族も友人も病の姿を見ることが忍びなかったのでしょう。しかし、詩人はこの病気が神様による刑罰と考えていました。「あなたの矢は私を射抜き、見てはわたしを押さえつけています。3節」苦しみの中で、詩人は天の神様に目を上げて救いを待ち望みます。本当の意味で自分を救うことが出来るお方は神様以外にはおられない事を詩人は知らされていました。神様を信じる者として、天の父なる神様を仰ぎ見て、忍耐強く祈り続ける事が出来るように助けを求めて行きたいと願わされます。
2019年9月8日(日)
礼拝メッセージ
「神よ、慈しみはいかに貴いことか。
あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せる」
                     詩編36:8

 私たちの信じる神様の恵みについて、詩人は賛美して教えています。不信仰の闘い、罪との闘いの中で傷つき、疲れてしまう者たちにとって、一番安心できる場所は、神様の家であり神様の御翼の陰であると詩人はこの詩を読む者に教えています。「あなたの家に滴る恵みに潤いあなたの甘美な流れに渇きを癒す」(9節)。放蕩息子は空腹の中、父の家には食べる物がたくさんあった事を異国で思い出しました(ルカ15:17)。私たちも疲れた時、思い悩むときに、天の父なる神様が、どんなに大きな愛と恵みによって信じる者たちを待っていてくださることを思い起こして、父の家に安心して帰る事が出来ることを覚えたいと思います。
2019年9月1日(日)
礼拝メッセージ
命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。
                     詩編23:6

 詩編の記者は、自分の生涯を思い起して、主なる神様を賛美しています。あらゆる危険の中から救い出し命を守って下さる主なる神様の御業を見るとき、それは神様の恵みと慈しみがいつも自分の事を追いかけていたとしか考えることができなかったのです。この神様の恵みに感謝し「主の家にわたしは帰る」と答えています。そして、「この主の家にとどまりつつけるであろう」と告白します。主の家こそ人間が本当に帰るべきところだと教えています。私たちもこの地上の家を離れて、心から安心出来る主の家、天の栄光の都、神の神殿を目指して旅を続ける旅人であることを覚えたいとおもいます。
2019年8月25日(日)
礼拝メッセージ
主は助けを求める人の叫びを聞き
苦難から常に彼らを助け出される。
                     詩編34:18

 この詩編は、知恵ある教師のように「わたしに聞き従え。」(12)と呼びかけています。詩人は、自分の歩んできた生涯を振り返りながら、主なる神様が力強い御腕によって自分を苦難から救い出して下さった事を証言します。そして、この神様は今も生きて働いてくださる事を教えています。主を信頼し、主に従う歩みが人間の生涯を幸福にする事を教えます。「主を畏れる人を主は守って下さり、主を避けどころとする人は罪に定められることがない。」と教えています。人生の最後の敵である死に対しても勝利を約束してくださる主を賛美して、この暑さの厳しい夏を歩み続けたいと思います。
2019年8月18日(日)
礼拝メッセージ
我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。
                     詩編33:20

 この詩編は、私たちに主を待ち望む事を教えています。私たち人間は目の前にある、見えている事が全てであると考えてしまいます。けれども詩編の記者は、目に見えない真の神様を信頼することを教えています。詩人は自分の通ってきた人生の中で、確かに神様が守り助けて下さるお方であることを教えられました。その経験から、苦しみの中にある仲間を励まします。試練の時にこそ真の神である主が御目を注いで下さっていることを信じるように励まします。私たちはこの詩編を読みながら真の主であるイエス・キリストが私たちの大牧者として私たちを死から命を救い、み言葉のパンをもって豊かに生かしてくださることを共に喜ぶことを教えられます。
2019年8月11日(日)
礼拝メッセージ
あなたはわたしの砦。まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます
。                    詩編31:5b〜6a

 この詩編は、ダビデの詩とされています。ダビデの生涯を思い起こさせる詩編です。ダビデ王は神様に祝福された王様でしたが、人間的に彼の歩みを見るなら、それは決して平坦な道ではありませんでした。若い時にはサウル王に命を狙われ、年を取ってからは、息子のアブサロムによって王位を奪われるという事件が彼を襲います。彼は命を狙われる度に荒野に逃れて、そこで神様に助けを祈り求めています。ダビデはこの時の経験から、自分が信じている神様がどのように憐れみ豊かなお方であるか、確かな救い主であるかを学びました。そのことがこの詩編にも表現されています。「苦悩のゆえに衰えていきます。罪のゆえに力はうせ、骨は衰えていきます。」と告白しています。しかし、この苦しみの中で詩人は天の神様に目を上げて祈る事によって、自分の声に耳を傾けて下さるお方がある事を教えられました。そして、確かな助けが既に備えられている事を学びます。私たちも祈りの生活の中でこの声に耳を傾け、聴いていてくださるお方であることを教えられます。
2019年8月4日(日)
礼拝メッセージ
しかし、アブラハムは言った。「お前の兄弟たちには、モーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。」
                 ルカによる福音書16:29

 主イエス様は、ファリサイ派の人々に対してこの話をなさいました。「どんな召使も二人の主人に仕える事はできない。神と富とに仕える事はできない。」と語られた主イエス様の事をパリサイ派の人々はあざ笑って聞いていました。人間は、この世の朽ちてなくなる物に目を奪われ、まことの神様の御心を求め、神の言葉と戒めに生きる事を忘れてしまう者たちです。この世の富が、神様の恵みの具体的な表れだと思っている人々に自分たちの姿を教えています。「モーセと預言者の言葉に耳を傾ける」ということは、神の戒めと教えに耳を傾ける事です。「モーセと預言者、聖書全体は」イエス・キリストを証言するものです。イエス様の救いの御業を証言しない聖書の聞き方は、正しい信仰ということができません。ただ神様のだけがわたしを救いに導かれるお方であることを私たちはいつも注意深く聞くことが大切であることを教えられます。
2019年7月28日(日)
礼拝メッセージ
最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
                 エフェソの信徒への手紙6:10

 パウロはこの手紙の最後に彼の遺言のようにして、教会に集まる人々に信仰生活の大切な事を語っています。異教の神々が祭られているエフェソの町で真の神様を信じて礼拝する事がどんなに大変な事であったかを想像する事が出来ます。信仰生活の最も大切な事は、どんな状況の中にあっても主を依り頼み、主の力によって強くされる必要があるということです。自分たちの力と知恵によって、死と罪の支配から自由になる事はできません。神様が与えて下さる、神の完全な武具に身を固めて勝利する事しか、私たちは立つことができない存在であることを教えられます。そのために、絶えず神様を見上げて、賛美し、お祈りする事が大切です。この世の力に支配されてしまう、私たちの為に主こそ真の主であることを毎週御言葉を通して教えて下さる恵みに感謝を捧げましょう。
2019年7月21日(日)
礼拝メッセージ
人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
                 エフェソの信徒への手紙6:7

 パウロは信仰生活について記しています。イエス・キリストを救い主として信じる者は、「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」(5:12)と教えています。親しい家族の間柄でも互いを思いやり、良き交わりが求められています。お互いを大切にする人格的な関係が作られることが神の家族の基本的な姿であることが教えられています。クリスチャンはいつも、主なる神様を見上げながら、主の救いを喜び、共に生きることを励まし合う群れであることを教えられます。
2019年7月14日(日)
礼拝メッセージ
キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
                 エフェソの信徒への手紙5:21

 パウロはクリスチャンの生活の中で何が大切な事かを具体的な家族の関係に置き換えて教えています。この手紙の中で救い主であるキリストとの関係を中心として生きる事が信仰生活の土台であることを教会に人々に教えています。この事を生活の中心にすることによって、人間同士の関係においても正しく、神様のみ旨に従って信仰によって互いに仕え合う生活を築いていくことができるようになることを教えられます。
2019年7月7日(日)
礼拝メッセージ
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。
                 エフェソの信徒への手紙5:8

 この手紙を書いた、パウロはエフェソの教会の人々にキリストによって与えられる恵みを教えています。この世の中にある空しい言葉に惑わされてはなりませんと注意を与えています。神様を信じて神様に感謝を捧げ生活するキリスト者を惑わせる誘惑がありました。それは、今の時代も変わりません。そのような言葉に惑わされることなく生きるように彼は、教会の人々を励ましています。神様を知らず生きていた時、私たちも暗闇に生きる事しかできませんでした。しかし、今イエス・キリストに出会い、主の救いを信じて、洗礼を受ける事によって新しい命に生きる道が開かれました。神様は憐みによってキリストと共に生きる道を与えてくださいます。希望の光に照らされて生きる道があることを感謝いたしましょう。
2019年6月30日(日)
礼拝メッセージ
あなたがたは神に愛されている子どもですから、神に倣う者になりなさい。
                 エフェソの信徒への手紙5:1

 パウロはここで、クリスチャンがこの世界でどのような立場にあるかを思い起こさせます。それは「神様に愛されている子供であるという事実です」真の神様を知らず、イエス・キリストによる救いを受ける以前は、「自分の罪と過ちの為に死んでいた」者を神様は恵みによって愛によって救いへと導き、天の国の希望に生きることができるように変えて下さったことをもう一度ここで思い起こさせています。そして、この神様の愛に学びながら、神に倣う者になりなさいと教えています。「倣う」という意味は「応答する」神様の与えて下さる愛の恵みにお答えして感謝を表す事です。私たちはこのことの為に神様に召され、愛されていることを教えられます。
2019年6月23日(日)
礼拝メッセージ
神の聖霊を悲しませてはなりません。あなたがたは聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
                 エフェソの信徒への手紙4:30

 パウロはここで、クリスチャンの言葉について教えています。真実を語りなさい(4:25)。また、悪い言葉を一切口にしてはなりません(29節)。それは、聖霊が悲しまれる事だと教えています。クリスチャンは「聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」と記しています。神様の愛を学ぶ者たちはキリストの十字架の赦しに生きる事によって、神の恵みの言葉に支配され、恵みの言葉を語る者に成長することを教えられます。私たちも聞く人を造り上げるのに役立つ言葉を語る事が出来るように祈り求めたいと願うのです。
2019年6月16日(日)
礼拝メッセージ
神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
                 エフェソの信徒への手紙4:24

 パウロは4章からクリスチャンの生き方に信仰生活について書き記しています。17節から24節では、以前の生活とキリストの救いを知った後の生活を対比して、新しい人を身に着けたものとして古い人を脱ぎ捨てなさいと勧めています。教会の中に、古い以前の生活を捨てることができない人達がいたのです。真の神様を教えられながら、神様を信頼する生活を離れ、神様以外のものに心を奪われてしまう人間の罪を教えられます。神様は偶像礼を厳しく戒めるのです。私たちも主イエス・キリストによって、神様を仰ぎ望み、祈りをささげる者でありたいと願わされます。
2019年6月9日(日)
礼拝メッセージ
キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかりと組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。
                  エフェソの信徒への手紙4:16

 この手紙を書いたパウロは、教会に集まる一人一人をキリストの体の部分と呼んでいます。それぞれの役割に違いがありますが、しかし、体は一つです。各々はそれぞれに与えられた働きを守ることで体全体は健全に成長することができます。キリストが愛と平和によって私たちを結び合わせ成長させてくださるのです。「パウロは植え、アポロは水を注いだ、しかし、成長させてくださったのは神です」(Tコリント3:6)と教えています。私たちも神様の御業を喜び、主を礼拝する群れとして歩みたいと願います。
2019年6月2日(日)
礼拝メッセージ
平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。
                  エフェソの信徒への手紙4:3

 神様はイエス・キリストの十字架の死によって、信仰者の中に神の平和を与えられました。それは、神様と敵対していた人間にたいして平和が与えられたことを意味しています。この神様の与えて下さった平和の絆によって、教会の中において、人間同士の間に平和の絆が結ばれることをパウロは教えています。民族と文化と習慣の違いから分裂を起こしてしまう人間関係の修復の為にパウロは神様の愛によって、一致をもって生きることを教えます。キリストの愛は私たちを一つにする絆であることを学びたいと思います。
2019年5月26日(日)
礼拝メッセージ
信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
                  エフェソの信徒への手紙3:17

 使徒パウロは3章の終わりにもう一度エフェソの教会に集まる一人一人を思いながら神様に祈りを捧げています。彼が教会に集まる人々に願っていることは、内なる人が強くなり、神様の愛にしっかりと立つ者になる事でした。信仰者が強く生きるためには、神様の愛の力が必要です。この愛は神様がどのように私たち一人一人を愛し、大切にしてくださっていることを知る事から生れます。神様の救いの御業は、天地創造の前からのご計画によって定められていたことを彼は1章5節で教えていました。私たち人間が思う以上に神様は、イエス・キリストを信じる人々を大切な神の子たちとして守り導いて下さるお方であることを教えられます。神様を礼拝するごとにこの神様の愛の大きさを知る喜びで満たされるように祈り求めていきましょう。
2019年5月19日(日)
礼拝メッセージ
この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知られていませんでしたが、今や、霊によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。
                  エフェソの信徒への手紙3:5

 使徒パウロは2章で述べた事をもう一度確認するようにして、3章の前半で、異邦人の救いについて教えています。これは秘められた計画であり主イエス・キリストが来られる時まで人々には知らされていないことです。ユダヤ人にとっては、異邦人が救いにあずかる事は想像することもできない事でした。しかし、キリストの十字架による罪の赦しはユダヤ人だけに与えられたものではなく、全人類の救いのためであったことをパウロは聖霊によって教えられ、異邦人の使徒として異邦人に福音を伝える使命を与えられたことを証詞しています。このパウロの働きによって私たちもまた、キリストの体に属する者、同じ約束にあずかる者としてくださった神様の恵みに感謝を捧げましょう。
2019年5月12日(日)
礼拝メッセージ
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
                  マタイによる福音書28:18

 甦られたイエス様は、弟子たちをガリラヤで待っておられました。弟子たちは復活されたイエス様を目の前にしながら疑う者もあった事を福音書は率直に認めて伝えています。しかし、この不信仰な弟子たちに主イエス様は近寄って語りかけて下さるお方です。そして、これから果たすべき役割について教えて下さいました。弟子たちはイエス様が持っておられる権能のゆえに伝道に押し出されて行きました。弟子たちは罪の支配、死の支配が終わり新しい時代の到来を伝えるのです。平成の時代が終わり令和の時代が始まったように、イエス様によって神の子供たちとして永遠の命に生きることができる時代が始まっていることを聞きながらわたしたちも喜びをもって礼拝したいと思います。
2019年5月5日(日)
礼拝メッセージ
兵士たちはお金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
                  マタイによる福音書28:15

 数人の兵士たちは、総督ピラトのもとに報告することを恐れ、ユダヤ人指導者たちに復活の出来事を伝えました。しかし報告を聞いた彼らは、多くのお金を兵士たちに与えて、この出来事が民衆の間に広がることが無いように策を講じました。イエスの復活は天の父なる神様の全能の力によって成就したことを私たちに教えています。この出来事は、天使を用いて婦人たちに伝えられ、兵士たちによって、ユダヤ人指導者に伝えられました。今日のキリスト教会は、この婦人たちの知らせを聞いた者たち、信じた者たちによって、主イエスの復活を信じ、また伝える者になるように神様が用いて下さる事を私たちは学ぶことができます。
2019年4月28日(日)
礼拝メッセージ
婦人たちは恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
                  マタイによる福音書28:8

 週の初めの日の明け方の出来事をマタイは二人の婦人たちが見たこと、聞いたこととして証しします。出来事の真実を証言するためには2人以上の証言が一致しなければなりません。この婦人たちはそのために用いられました。主イエス様のよみがえりを弟子たちは遺体のあった墓の中で見届ける事はありませんでしたが、主はその知らせを聞いて信じる信仰を与えて下さいます。主イエス様の復活の知らせを聞いて喜んだ婦人たちのように、私たちも共に主イエス様の復活の知らせを聞いて喜ぶ信仰が与えられる事を教えられます。
2019年4月21日(日)
礼拝メッセージ
そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
                マタイによる福音書27:51-52

 マタイによる福音書は、主イエス様の十字架の出来事を「昼の12時に全地は暗くなりそれが3時まで続いた。」と伝えています。昼間の一番明るいはずの時間が暗くなったことは、義の太陽である主イエスが地上から取り去られたことが意味されています。光を失った世界は暗くなるしかなかったのです。しかし、マタイはこの十字架の出来事を復活に結びつけて記しています。それが神殿の垂れ幕が裂ける出来事でした。旧約聖書の中で、神様を礼拝する大切は役割が神殿にはありました。人間は神様の前に出ることができない罪深い者です。しかし、罪深い者が主イエス様を信じる時、神様の前に出ることができる者に変えられたのです。主イエスの十字架を知る喜びは、この事にかかっています。
2019年4月14日(日)
礼拝メッセージ
わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではないとはどういう意味か、行って学びなさい。
                   マタイ福音書9:13

 イエス様はファリサイ派の人々の問いに答えて教えて下さいました。自分たちが正しい信仰生活を送っていると考える者たちに、もう一度、自分たちの姿を教えながら、聖書の正しい読み方を学ぶようにと告げられます。私たちは主イエス様の十字架のもとに毎週招かれ、そこで神様の愛と憐れみを教えられます。この神様の愛から離れて生きる事はできないからです。イエス様の与えて下さる命に生かされることを共に喜び感謝を捧げましょう。
2019年4月7日(日)
礼拝メッセージ
人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
                   マタイ福音書8:27

 主イエス様は、弟子たちをカファルナウムの対岸の町、ガダラへと導いて湖を渡らせてくださいます。主イエスが船に乗り込まれると弟子たちも後に従って、主と一緒の船に乗りました。弟子たちは主と共に旅をし、主の背中を見つつ、その歩みの後について行く者たちです。それは、弟子たちの努力の賜物ではありません。主が与えてくださる恵みであり、主がそのような生き方を作って下さるのです。聖霊の御業です。しかし、弟子たちは嵐の中でイエス様の背中を見ることを忘れてしまいました。自分の経験と自分の技術を頼みとしてこの問題を解決しようとしました。しかし、死の支配する力は人間の力に及びませんでした。そこで、弟子たちは「主よお助け下さい。溺れそうです。」と主に助けを求めました。これは、弟子たちに与えられた特別な恵みです。私たちも、困難な時、苦しみの時に、素直な心で「主よ、お助け下さい」とイエス様を呼び求めることが許されているのです。そのように呼ぶことが出来る恵みを受けているのです。主は弟子たちの声に答えてくださいました。私たちの祈りも主は聞いて答えてくださるお方であることを覚えたいと思います。
2019年3月31日(日)
礼拝メッセージ
そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
                   マタイ福音書7:24

 主イエス様は、山上の説教を終える時になり、そこに集まっていた人々を祝福してくださいました。人々はイエス様の話を聞いて、権威ある者として教えられた言葉に非常に感動し驚いていました。これまでの律法学者が教える聖書の教えとはまるで違がっていたからです。主イエス様は、譬え話によって天国での裁きについて教えて下さいました。主は私たちにイエス様の言葉を聞いて行う信仰を与えて下さいます。神様が与えて下さった十字架の御業を感謝して生きる者にしてくださるのです。それが確かな岩の上に家を建てた賢い人の生き方です。しっかりとしたイエス・キリストという土台の上に私たちの人生は置かれていることを感謝いたしましょう。
2019年3月24日(日)
礼拝メッセージ
そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
                   マタイ福音書7:24

 主イエス様は、山上の説教を終える時になり、そこに集まっていた人々を祝福してくださいました。人々はイエス様の話を聞いて、権威ある者として教えられた言葉に非常に感動し驚いていました。これまでの律法学者が教える聖書の教えとはまるで違がっていたからです。主イエス様は、譬え話によって天国での裁きについて教えて下さいました。主は私たちにイエス様の言葉を聞いて行う信仰を与えて下さいます。神様が与えて下さった十字架の御業を感謝して生きる者にしてくださるのです。それが確かな岩の上に家を建てた賢い人の生き方です。しっかりとしたイエス・キリストという土台の上に私たちの人生は置かれていることを感謝いたしましょう。
2019年3月17日(日)
礼拝メッセージ
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
                  マタイ福音書7:8

 イエス様は弟子たちを祝福して神の国に生きることを教えて下さいました。そして、祝福された人生を送るために、父なる神さまを信頼して祈る事を教えてくださいました。主は、神様は天の父として主イエス・キリストを信じる者に、良いものを下さると約束されました。私たちがどんなに悪い者であったとしても、自分の子どもには、良いものを与えるように、神様は、人間の父親以上に、良いものを準備して与えてくださるお方です。私たちはあきらめることなく、この父なる神様に祈る事を教えられます。
2019年3月10日(日)
礼拝メッセージ
だから、言っておく。自分の命のことで何をたべようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
                  マタイ福音書6:25

 主イエス様は、地上の事に思い悩む弟子たちの目を天の父なる神様の方へ導き教えて下さいます。現代に生きる私たちも弟子たちと同じように地上の目に見えるものに安心を求め、救いの確かさを求めてしまいます。経済的に豊かになれば安心して生きることができると考えてしまうのです。しかしそれらは、無くなってしまう虚しいものに過ぎないことをイエス様は教えて下さいました。現代は聖書が書かれた時代よりも、さらに物質が豊かにあふれている時代です。その中で、豊すぎる時代だからこそ、私たちの悩みも多くなっています。イエス様は私たちにもっとシンプルな生活、ただ神様だけを信頼した生活へ「神の国を求める」ことに目を向けさせてくださいます。
2019年3月3日(日)
礼拝メッセージ
富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
                  マタイ福音書6:20

 イエス様は、弟子たちの目を天の父なる神様の方へと向けされて、地上の富に心を支配される事が無いように教えて行かれます。私たちは地上の目に見えるものに信仰の、救いの確かさを求めてしまいます。経済的に豊かになれば安心して生きることができると考えてしまうのです。しかしそれらは、無くなってしまう虚しいものに過ぎないことをイエス様は教えて下さいました。イエス様を信じる者にとっては父なる神様に対する信頼が人生の基盤であることを教えて下さいます。イエス様は心を天に向け、神様に感謝をする生活が、天に富を積む生活であることを教えて下さいます。
2019年2月24日(日)
礼拝メッセージ
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
                  マタイ福音書5:48

 主イエス様は、弟子たちに「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義に勝っていなければ、決して天の国に入ることはできない」(20節)と教え、具体的に旧約聖書の戒めを挙げながら律法学者やファリサイ派の人々にまさる信仰生活について教えて下さいました。しかし、これらの教えは弟子たちを驚かせ、困惑するものでした。どうしたら私たち人間が天の父なる神様のように完全な者になることができるでしょうか。イエス様は弟子たちに無理な注文をされたわけではありません。主イエス・キリストを信じて生きる者たちをイエス様ご自身が完全であったように、神様の目からは完全は者たちとして見て頂ける、特権をイエス様が与えて下さったのです。それが、イエス様が成し遂げて下さった十字架の贖いです。私たちはもちろん完全は者ではありません。けれども、神様が裁きの時にイエス様の完全さによって、主イエス様を信じる者たちも同じように見てくださることを教えられます。
2019年2月17日(日)
礼拝メッセージ
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは、決して天の国に入ることができない。」
                  マタイ福音書5:20

 主イエスは、弟子たちを祝福して天国の喜びを教えてくださいます。主イエスの弟子たちは、地の塩、世の光として生きる道が与えられていることを教えられたその後で、弟子たちの信仰生活が、律法学者やファリサイ派の人々の生活にまさる正しい歩みでなければならないとお語りになりました。神様の前に義とされる正しい生活を求めておられます。律法学者やファリサイ派の人々は、律法を研究し、自分たちの生活がどうすれば神様の求めておられる正しさの基準に到達することができるか、一生懸命に努力していた人々です。この人たちの義にまさっていなければ「あなたがたは決して天の国に入ることはできない」と教えておられるのです。神様のお求めになる義の基準・正しさの目標に到達できる人間はいませんでした。「義人は一人のいない」とパウロが語るように、神の御子だけがこの基準に生きることができました。主イエスはご自分の義を信じる者たちに与えて救いを成し遂げて下さいました。私たちは信仰によって主イエスを信じることによって、イエス・キリストをとおって天の国に入ることができる喜びを教えられています。
2019年2月10日(日)
礼拝メッセージ
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」
                  マタイ福音書5:14

 主イエスは、弟子たちを祝福し主の前で神の言葉を聞くことのすばらしさ、喜びを教えて下さいます。イエス・キリストはこの罪深い世に来てくださり、十字架の御業によって、この世界を贖い清くしてくださいました。地の塩としての働きを成し遂げて下さいました。また、主イエスは、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)と教えて下さいます。主イエスの与えて下さる命の光によって弟子たちも世の光として生きることができるように恵みを与えて下さいました。この主の与えて下さった贈物を喜び、感謝して生きることを、神様はわたしたちに求めておられることを教えられます。この神様の招きにお答えして礼拝をささげましょう。
2019年2月3日(日)
礼拝メッセージ
「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」
                  マタイ福音書5:4

 主イエスは、山に登られ人々を前にして、神の国の祝福を教えて下さいました。そして、この祝福の中に招いて下さいます。「悲しむ」という字はギリシャ語の「ペンドウテンス」という字です。これは死に対する悲しみ、嘆きが意味されています。人間は例外なくこの死の悲しみ、嘆きの中に生きる者たちです。主イエスはこの死の悲しみから人間を解放してくださいました。それがキリストの十字架の出来事でした。キリストの死によって、神様は人間を縛り付ける死の鎖を砕いて下さいました。死に対する悲しみの道は、主イエスの十字架と復活により慰めを受ける道に変えられました。主イエスを信じる時、神様は人間をこの道を歩む者に変えて下さる、そこに神様の御業が示されます。神様が信じる者に与えられる新たな命によって、私たちの新しい生活が始まることを教えられます。
2019年1月27日(日)
礼拝メッセージ
心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
                  マタイ福音書5:3

 主イエスは、弟子たちを山に導かれ教えて下さいました。ここで語られたイエス様の教えは神様の御国について語られたものです。それは神様のご支配の中で生きる幸いを教えて下さいます。主イエス様の教えはこの世の価値観を根柢からくつがえすものでした。世の価値観が神様の御力によって変えられるところに真の神様の救いの恵みが示されています。ここに私たちが人間として生きる本当の自由と解放の道が開かれている事を教えられます。
2019年1月20日(日)
礼拝メッセージ
イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。                 マタイ福音書4:19

 イエス様は、生まれ育ったナザレの村を離れて、ガリラヤの町カファルナウムに来て、住まわれ伝道を開始されました。それは預言者イザヤによって告げられていた(イザヤ9:1)、神様のご計画の成就でした。イエス様は神様のみ旨に従って、預言者の告げた通り、異邦人の地と呼ばれた、ガリラヤの町から救いを告げ知らせて下さいます。福音宣教は、華やかな都会の町からではなく、小さな町から始まりました。そして、この救いの知らせは、私たちの町にも届いています。そして、この町から主イエスは「わたしについて来なさい」と呼びかけ招いて下さいます。この招きに応えて私たちは日曜日ごとに、イエス様のもとに集められていることを教えられます。
2019年1月13日(日)
礼拝メッセージ
さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
                   マタイ福音書4:1

 主イエス様は、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた後に荒れ野に導かれ、悪魔から誘惑を受けられました。この荒野での出来事は、私たち主イエスを信じる者にとっては、慰めと励ましを受ける出来事です。ヘブライ人への手紙では、「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯さなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(4:15)と記されています。神の御子であるお方は、悪魔から誘惑を受けるお方ではありません。そのお方が、私たちの代表として、悪魔の誘惑に勝利してくださったことを、マタイは喜び感謝して、私たちに教えています。
2019年1月6日(日)
礼拝メッセージ
イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うには、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われる通りにした。
                   マタイ福音書3:15

 主イエス様は、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていたヨハネのもとに来て、ヨハネから洗礼をお受けになりました。主イエス様はここから宣教活動に向かわれます。イエス様は「正しい事をすべて行うことは、我々にふさわしい事です」とお語りくださいます。ヨハネの行っている事と同じように、罪のないイエス様が罪人の一人として数えられることが、神様のご計画であるので、この神様のご計画に従ってイエス様は「正しいことをすべて行う」と教えて行かれます。イエス様は、神様の御子として、どこまでも神様の御心に従い御業の為に行動してくださいました。私たちはこのイエス様の神様に対する従順のゆえに神の子と呼ばれる恵みにあずかることができることを喜びたいと思います。
2018年12月30日(日)
礼拝メッセージ
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリヤを迎えなさい。マリヤの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」              マタイ福音書1:20

 ヨセフは婚約者のマリヤが身ごもっている事を知ってどんなに困惑し驚いたことでしょうか。自分が知らない所でマリヤが妊娠してしまったのです。律法に従って正しく裁きを行うならば、姦淫の罪で、石打の刑罰を受けなければならない所です。ヨセフはマリヤをどのようにしたらよいか考えました。マリヤを愛していたヨセフはひそかに離縁することが最も良い方法ではないかと思いました。その時天使が「恐れるな」と語りかけました。人間には解決できない問題に直面するとき神様は主を信頼する者たちに答えを与えてくださいます。恐れず主の言葉に従うことを教えられます。
2018年12月23日(日)
礼拝メッセージ
「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
                   マタイ福音書1:23

 マタイは預言者イザヤの言葉を引用して、救い主の誕生の知らせをここに記しています。イエス様の誕生によって主なる神様が目に見えるお姿でわたしたちと共に生きる者となって下さった事を証ししました。
 この喜びをわたしたちはクリスマスの出来事を通して教えられます。この世における多くの苦しみ、悩みの中でも、神様が共に生きるお方である事を知る時に、その苦しみを乗り越える力をわたしたちは得る事ができます。主イエス様を信じる時に、神様は新たな力を与えて下さるお方である事を教えられます。
2018年12月16日(日)
礼拝メッセージ
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
                   イザヤ書53:1

 預言者イザヤは、自分たちの経験したことがない事、人間の知恵と知識によっては信じる事が出来ない言葉を主なる神様から聞きました。その言葉に驚くようにこの時の事を53章に記しています。私たちが思いもしない事、考える事も出来ない事、想像することもできなかったことを、神様は行ってくださいました。このクリスマスの出来事を信じるように、私たちを神様の前に招いて下さいます。
2018年12月9日(日)
礼拝メッセージ
わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。
                   イザヤ書11:9

 イザヤは「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、私の民は見分けない。」(1:3)と預言しました。しかし、神様の癒しの業、救いの業が行われる時、大地は主を知る知識で満たされると教えられます。そして、そこには、もはや獰猛な獣のような強国はありません。アッシリアもバビロンも羊を襲う牙をもちません。幼子を襲うものもなくなることが告げられます。神様が与えてくださる安心が完全なものであることが告げられます。私たちは主イエス様を知ることによって、この様な新しい世界を知る者に変えられます。そして、このような世界があることを教えられます。
2018年12月2日(日)
礼拝メッセージ
「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」
                   イザヤ書9:6

 主なる神様は、預言者イザヤを用いて、ご自身の計画を告げられます。イザヤの時代、イスラエルはアッシリヤによって脅かされ、人々は暗い未来しか見ることができませんでした。外国の脅威にさらされ、自分たちはこのまま滅ぼされてしまうと思える状態でした。しかし、そのような中で、預言者は神様から希望の光を与えられ預言しました。それは、新しい王の誕生でした。主の言葉は、人々に「深い喜び」「大きな楽しみ」を与えるものでした。この新しい王の誕生によって、絶えることのない平和が訪れること、正義と恵みの業が行われるようになることが告げられます。この預言が主イエス・キリストによって成就していることを私たちは教えられます。
2018年11月25日(日)
礼拝メッセージ
しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。
                  ルカによる福音書21:36

 イエス様は弟子たちにこの世の裁きの時について教えて下さいました。主イエス様を信じる者たちは、この世の裁きの時を恐れる事はありません。「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ(28)。」と言われています。神様は主の救いを信じる者たちを死の支配、罪の支配から解放し、本当の自由を与えて下さいます。そのためにいつも信仰に目覚め、神様に目を上げて祈る事が求められています。主の救いを求め続ける者たちに神様は目を留めて、祈る心を与えて下さることを教えられます。
2018年11月18日(日)
礼拝メッセージ
以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
                    ヨハネの黙示録22:20

 この黙示録を書き記したヨハネは、多くの幻を見せられた後、「これらの言葉は、信頼でき、また真実である」と教えられました。「預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、ご自分の僕たちに示されたのである(6節)。」主の御業がどのようにして行われるのか、そのことをヨハネは教えられました。神様は主を信じる者たちの為に希望と喜びを与えて下さいました。私たちも、この希望に生きるように神様は御国の民として招いて下さる事を教えられます。
2018年11月11日(日)
礼拝メッセージ
この天使が“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れ、天から下って来るのを見せた。
                    ヨハネの黙示録21:10

 ヨハネは天使に「小羊の妻である花嫁を見せてあげよう」と告げられて、この新しいエルサレムの幻を見せられました。この新しいエルサレムは地上に存在していたイスラエルの都であるエルサレムとは全く違うものでした。その違いが町の大きさからもわかります。この都は未来の永遠における聖なる者たちが住まう事になる家であり、小羊なるイエス・キリストとの親しい関係が花嫁に譬えられています。
 この都には「神殿を見る事はなかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである」(22)と記されています。この親しい主なる神様の招きに応えてわたしたちは礼拝をお捧げしたいと願うのです。
2018年11月4日(日)
礼拝メッセージ
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。
                    ヨハネの黙示録7:17

 私たちは、この世の終わりの時、神様の審判が行われる事を知らなければなりません。しかし、それは恐れるためのものではありません。神様は裁きから救い出すために、主を信じる者たちにしるしを与えて下さいました。神様を信じる者たちは、この世にあって、様々な苦しみを体験する事があっても終わりの時には、イエス・キリストの血潮によって清められた白い衣が与えられ、神様のみ前に立って神様を礼拝し、神様から救いと慰めに与ることができる事を教えられます。この希望をわたしたちは日曜日の礼拝で確認する事になります。神様からのお言葉によって希望が与えられている事を感謝いたしましょう。
2018年10月28日(日)
礼拝メッセージ
天から遣わしてください。神よ、遣わしてください、慈しみとまことを。わたしを踏みにじる者の嘲りから、わたしを救ってください。
                      詩編57:4

 この詩編は、「ダビデがサウルを逃れて洞窟にいたとき」と表題に記されています。ですからサムエル記上24章の出来事を背景にして歌われたものだと思われます。詩人であるダビデは、この時の経験から神様がいつも、どんな時でも、神様を信じ、信頼する者を守って下さり、その祈りに応えて下さる事を教えられていました。私たちは神様が天からイエス・キリストをお遣わし下さった事によって神様の慈しみとまことが確かにこの地上に表されたことを知る事が出来ます。私たちが神様を信じる根拠はこの救い主、キリストの到来によって確かにされています。この確かさによって神様を賛美したいと思います。
2018年10月21日(日)
礼拝メッセージ
告白を神へのいけにえとしてささげ、いと高き神に満願の献げ物をせよ。それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって、お前はわたしの栄光を輝かすであろう。
                      詩編50:14〜15

 詩編50は教育的な訓戒の歌になっています。神様を愛する事、隣人を愛することを教えています。「神様を愛する」ということは、神様を正しく礼拝する事によって表される。旧約の民は、神様を礼拝する時、儀式的、形式的な礼拝行為が重要になっていました。その中で、詩人は動物の犠牲を神様が喜んでおられるのではなく、心からの悔い改めと、真心からの礼拝を求めていることを教えます。預言者ホセアも「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神の知る事であって焼き尽くす献げ物ではない」(6:6)と教えています。神様の救いを感謝して神様のお名前を呼ぶことがわたしたちに求められていることです。神様は今も変わることなく「わたしはお前を救おう」と約束してくださいます。この約束のゆえに私たちは天を見上げて神様をお呼びする事が出来ることを感謝したいと思います。
2018年10月14日(日)
礼拝メッセージ
万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔
                      詩編46:8

 この詩編の歴史的な背景として紀元前701年に起こったアッシリアのセンナケリブによるエルサレムの包囲とそれからの救いの出来事が考えられている。この詩編はコラの歌と言われているので神殿礼拝の中で歌われたものであろうと思われる。神様による救いの御業が賛美されている。信仰者にとって、主なる神様が共にいて下さる事こそが本当の平安であり、安全の保証となる事を教えられる。神様は、万物の創造者であり、今もその御腕によって、この世界を導かれるお方です。このお方だ「知れ。わたしは神」と民に対して宣言してくださいます。私たちは日曜日ごとにこの神様を深く知るために、神の家である教会に招かれていることを覚えたいと思います。
2018年10月7日(日)
礼拝メッセージ
涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。
                      詩編42:2

 詩人はこの時、異邦人の町に連れ去れエルサレムの神の神殿から遠くにいたようです。彼はかつてイスラエルの仲間たちと共に神殿に於いて神さまを礼拝していたことを懐かしく思い浮かべながら祈ります。神様の祝福から遠くにいると思われる今の状況を嘆き神様を求めています。水を飲まなければ人間は生きる事はできません。同様に神様との交わりを失った人間は本当の意味で人間らしく生きる事はできないのです。そのことを知っている詩人は、「わたしの魂はあなたを求める。」と告白しています。神様から力を得る事が出来ない人間は苦しみと悩みの中でうなだれ、呻く事しかできないのです。このような苦しみの中から人間を救い出すために主イエス・キリストは来てくださいました。人間が追いきれない負債を主イエス様が身代わりになり、支払ってくださいました。そのために私たちは感謝を献ことができるようになりました。この喜びを私たちは毎週、感謝しています。
2018年9月30日(日)
礼拝メッセージ
貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
                      詩編37:11

 主イエス・キリストは、弟子たちを見て教えておられます。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」ルカ6:20。この世界で生きる人々は、自分の属する組織や、経済的な豊かさの中に自分の生きる確かさを求めています。また、将来の保証を持ちたいと願っています。しかし、聖書はそれらは「青草のようにすぐにしおれてしまう」決して頼りにならないものだと教えています。私たち人間が本当に頼りとすべきものは神の言葉にほかなりません。「主に信頼し、善を行え、この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」と詩人は民に呼びかけ教えています。真の神様が与えて下さる信仰に生きる者たちを神様は祝福し、御国の子供としてその地を継ぐものとして下さるのです。「神の国はあなたがたのものである」と教えて下さるイエス・キリストの言葉を学び続けたいと願うのです。
2018年9月23日(日)
礼拝メッセージ
味わい、見よ、主の恵深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
                      詩編34:9

 「主の恵みを味わう」というのは、主に仕える為に自分の誇り、プライドを捨てる事にほかなりません。ダビデは自分の命を守るため、信仰に生きる為に気が変になったように振る舞い、窮地を逃れました。パウロは命の危機的な状況の中で「弱さを誇る」(Uコリント12:9−10と告白しています。私たちも自分の誇りを捨てて、心から主イエス・キリストの御業に信頼するときに主の恵の豊かさを味わい知る事ができる事を教えられます。主イエス・キリストの贖いの恵は、自分を捨てて主に従う者たちに与えられる究極の祝福であることを覚えたいと思います。
2018年9月16日(日)
礼拝メッセージ
ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。
                      詩編27:4

 この詩編は、主である神様の臨在される幕屋の中に入れられ、とどまる時に与えられる恵みを喜び賛美をしています。「必ず、あなたたちの神、主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい。・・・・あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。」(申命記12:7)と記されています。神様を礼拝する場所を神様は祝福し、そこに集まる礼拝者を豊かに祝福し、必要を満たしてくださいます。私たちの礼拝においても神様は同様に祝福してくださいます。神様からの豊かな祝福を受け取り、それぞれの生活の場に出てゆく事ができる恵みを感謝いたします。
2018年9月9日(日)
礼拝メッセージ
主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。
                      詩編24:2

 詩人は、神様の天地創造の御業を賛美して、この詩編を書き始めています。これはイスラエルの民にとって、モーセ五書が教えている大切な信仰です。この世界は、偶然や運命が支配しているのではなく、天の真の神さまが創造し支配し、守り導いておられるのです。私たちが生きるこの世界も例外ではありません。神様はイスラエルだけの神さまではありません。今を生きる私たちをも神様は祝福し、御国の民として導いて下さるお方です。このお方を私たちの父としてくださる為に御子であるイエス様はこの地に来てくださいました。イエス様は贖いの御業をなして下さり、信じる者たちに御国の世継ぎとしての望みを与えて下さいました。私たちはこの信仰に生きる者です。
2018年9月2日(日)
礼拝メッセージ
栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。
                      詩編24:10

 ダビデの詩、讃歌と表題にある通り、この詩の背景には、ダビデの人生があります。特に、歴代上15章の出来事を思い起こさせる詩です。神の契約の箱がダビデの家、エルサレムの都に運びいれられたその時にダビデは喜び祝ったことが記されています。ダビデの生涯の中で、この時以上にの王ダビデが喜び祝う姿を聖書は記していません。神の言葉、戒め、十戒が収められた箱を自分の所に迎え入れたダビデは、神様の祝福を迎え入れたと信じました。この出来事は、神の言葉を心の中に迎え入れた時の喜びを教えています。私たちにも、この喜びが今も与えられていることを覚えたいと思います。
2018年8月26日(日)
礼拝メッセージ
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
                      詩編23:1

 ダビデは。その生涯の中で過去を振り返るようにして、この詩編を書いたとおもわれます。彼の人生は、平坦なものではなく山あり谷ありの生涯でした。その中でも、人生の後半に息子のアブサロムの反乱によって息子と戦う事になった事は父親としてどんなに大きな試練だったことでしょうか。彼は、エルサレムの都を離れマハナイムに逃れました。彼はそこで神様の恵みを経験します。荒野を逃げる生活の中でも神様はいつも共にいて下さり養い守って下さるお方であることを教えられました。私たちの歩みも決して平らな道ばかりではありません。けれども、主イエスの父なる神様が祝福を約束してくださる時、私たちは困難の中にあっても主を求め、安心して生きる道があることを覚えたいと思います。
2018年8月19日(日)
礼拝メッセージ
どうか、わたしの口の言葉がみ旨にかない。心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。
                      詩編19:15

 詩人は神の御業と主の律法を賛美して主の言葉が与えられた事を心から喜び歌います。主の定め、主の命令、主の戒め、主の裁きを心に留めて熟慮する事ができる事が幸いであると告白しています。主の戒めを学ぶ時に人間は神様の前にどんなに罪深い者なのかを知る事ができるようになります。そして、詩人がここで祈っているように、神様に助けを求める以外に人間の生きる道は残されていないことが分かるようになります。それは、聖霊の導きです。神の霊に導かれ、私たちも贖い主であるイエス・キリストに救いを助け求めつつ、み言葉を学び続けたいと願うのです。
2018年8月12日(日)
礼拝メッセージ
「神よ、守って下さい。あなたを避けどころとするわたしを。」
                      詩編16:1

 この詩編はダビデの詩と表題に記されています。イスラエルの王ダビデの生涯を思い起こさせる詩編です。ダビデは青年の時から王のサウルに用いられ、王の婿として王宮に招き入れられました。しかし、悪霊に苦しむサウル王は、ダビデを憎しみ殺そうと計画します。そのためにダビデは王の宮殿を出て、荒野で逃亡の生活を余儀なくされます。しかし、荒野での生活の中で、彼は神様の恵みを教えられ、神様に対する信頼を確かにしてゆきます。主なる神様は幼い時にダビデを見つけて、油を注いだ時の祝福をお忘れになりません。命をかけた荒野での生活の中でも、祈り求めるダビデの言葉を主なる神様は聞いてくださるお方です。そのお方の臨在を教えられ、彼は死の支配から自由になり、神様を喜び賛美しました。
2018年8月5日(日)
>礼拝メッセージ
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。」
                  ヨハネ福音書14:1

 主イエスは弟子たちの恐れと不安を取り除くように、教えて下さいます。弟子たちは主イエス様との別れの時が近づいている事を知り恐れと不安の中でこの話を聞いていました。この漠然とした不安の中にいる弟子たちを主イエスは励まし、力付けるように神を信じ私をも信じるようにと語られます。人間が持つ多くの不安は本当の意味で心から神様を信じていないから起こる事です。主イエスはこのような不安に生きる者に心を騒がせるなと命じてこの揺れ動く心に平安を与えて下さいます。私たちの心にも主イエス様はこの平安を持たせてくださいます。
2018年7月29日(日)
礼拝メッセージ
こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは・・・。
               エフェソの信徒への手紙3:1

 パウロは自分の召命の出来事について、人々の前で繰り返し語りました。イエス・キリストを信じる事がなかった時に、よみがえられたイエス様はその復活を信じるように、パウロに現れて下さり、復活の証人として用いて下さいました。イエス様が与えて下さった福音によって救いにあずかる者、神の家族とそして御国の相続者とされた喜び、神様の約束の確かさを知る者として下さった恵みを私たちも教えられ、感謝を捧げましょう。
2018年7月22日(日)
礼拝メッセージ
キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
               エフェソの信徒への手紙2:22

 パウロは教会が建物にたとえられ、また、偉大な神殿にたとえられ、そこに神ご自身が住まわれることを教えています。また、私たちはその土台が何であるかをパウロの言葉から学びました。使徒たち、預言者たちが教えているイエス・キリストがその中心でした。教会に集まる人々は、このお方と正しい関係に結び合わされて成長することができるように神様が恵みを注いでくださいます。私たちはこの恵みの力に支えられキリストと共に、この世の働きに派遣されている幸いを感謝したいと思います。
2018年7月15日(日)
礼拝メッセージ
十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
               エフェソの信徒への手紙2:16

 パウロは教会に集まる人々に対して、キリストの十字架の死がどんなに信じる者たちに大切な事かを教えています。イエス様は十字架によってイスラエルの民と異邦人との間にあった敵意の壁を取り壊して下さったことが14節に告げられています。旧約時代に於いてはイスラエル人と異邦人との間には人間の力では取り除く事ができない隔ての壁が存在しました。人間的な交わりを築くことはできませんでした。イスラエル人は律法によって、自分が罪に汚されることを恐れていました。それゆえに律法を知らない外国人を異邦人と呼んで自分から遠ざけていました。イエス・キリストの十字架はこの壁を取り除き、両者を一つの体として神の和解を得させてくださったと教えています。
2018年7月8日(日)
礼拝メッセージ
しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
               エフェソの信徒への手紙2:13

 わたしたちは肉によれば以前は割礼の無い者、律法を持たない異邦人と呼ばれていた者です。しかし神様の憐れみによってキリストの血潮によって神の民とされ、神様を知るもとへと変えられました。神様はわたしたちを新たに造り清めて、神様の近くに集め神様を礼拝する者として下さったとパウロは教えています。わたしたちはキリストの血による清めを毎週思い出すために神の家に招かれていることを教えられます。
2018年7月1日(日)
礼拝メッセージ
わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
                エフェソの信徒への手紙2:10

 主イエスは、富める青年の「永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいでしょうか」という質問に対して、「隣人を自分のように愛しなさい」と語ってくださいました(マタイ19:19)。また、律法の専門家がイエス様を試そうとして訪ねた時は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39)とお語りくださいました。わたしたちが第一になすべき善い業は主イエス様が教えてくださる通り、神様を愛し、隣人を愛することです。そのことのために、神様はわたしたちを造って下さり、神様は、前もって準備して下さったとパウロは教えています。わたしたちは毎週この神様が準備して下さった神様を愛する礼拝への道が与えられていることを感謝します。
2018年6月24日(日)
礼拝メッセージ
わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
                エフェソの信徒への手紙2:3

 使徒パウロはエフェソの教会の人々を「以前は自分の過ちと罪の為に死んでいた」と呼び、また、私たちユダヤ人も異邦人であるあなた方同様に、神様の目には、死んでいた者たちであったと教えています。けれど、神様はこの様な過ちと罪の中で死んでいた者を憐れに思い、救いの道を与えて下さいました。それが主イエス・キリストを信じることによって与えられるいのちの道でした。神様は信じる者をキリストと共に生きる者にしてくださいます。「憐み豊かな神が、私たちを愛してくださった」からです。この神様の愛を学びつつ神様を礼拝いたしましょう。
2018年6月17日(日)
礼拝メッセージ
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすてべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
                エフェソの信徒への手紙1:22

 パウロはここでキリストと教会の関係を教えています。この関係を説明するために「頭とからだ」という言葉で表現しています。頭と体は一体として存在するものです。しかし、体には多くの部分があります。それぞれの部分はその働きに違いがあります。しかし、働きに違いがあっても一つの体であることは変わりません。キリストとその体である教会は血のつながりを持つ生きた関係にあります。教会はキリストの支配の内に働く存在であり、その権威はキリストのものです。その働きの中に私たちは招かれ、参与することを神様は求めておられます。この神様の求めに従って教会生活を送ることが私たちの喜びでもあります。
2018年6月10日(日)
礼拝メッセージ
心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
                エフェソの信徒への手紙1:18

 パウロは「心の目を開いてくださるように」と祈る時に、自分自身の目が開かれた時の事を思い起こしていたと思います。アナニヤはパウロの上に手を置いて祈りました「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」と語りました。するとたちまち目からうろこのようなものが落ち、見えるようになったのです。人間は神様の力によって目を開いて頂かなければ神様を知ることはできません。私たちは恵みを与えられ、神様を知る者とされたことを感謝いたします。
2018年6月3日(日)
礼拝メッセージ
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
                エフェソの信徒への手紙1:13

 パウロは教会の人々に、神様の与えて下さる恵みを教えるように神様を賛美しています。神様の選びと招きによって、救いの恵みに入れられた人々は、神の言葉であるイエス・キリストの言葉を学び、救いをもたらす福音を聞いている人々です。福音を聞いて信じた時、神様はその救いの確かさを持つために聖霊によってしるしを持たせてくださった事をパウロは教えています。私たちが受けた洗礼は悔い改めのしるしですが、同時に神の子ともとして神様の者と見て下さるしるしでもあります。この恵みによって私たちの信仰は強く確かにされるのです。
2018年5月27日(日)
礼拝メッセージ
秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
                エフェソの信徒への手紙1:9

 使徒パウロは教会の人々に神様の与えて下さる恵みの数々を教えています。神様は主を信じる者たちに信仰の「知恵と理解と」を与えて下さり、私たちが幸せに生きることを願っておられます。この神様が与えて下さる知恵と理解する力によって神様は私たちを新たに生まれさせ、神様の御心を訪ね求めて悟る者に変えて下さいます。「前もってキリストにおいてお決めになった」と言われています。この言葉は5節の「前もってお決めになった」と言われていることをさらに説明するためのものです。私たちの救い主である主イエス様との関係が告げられます。私たちの救いはイエス・キリストを抜きにしては成立しないものです。改めて主の御業を感謝したいと思うのです。
2018年5月20日(日)
礼拝メッセージ
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
                エフェソの信徒への手紙1:4

 この手紙は驚くことを記しています。それは、神様が天地の造られる前からキリストにおいて私たちを愛して下さり、選びに入れられていたということです。この神様の選びの恵みがどんなに偉大なものかを示してくれます。そしてこの選びの目的は人間の罪の赦しを与えるためであり、私たちの救いのために神様は選び取って下さったことを書き記しています。私たちは取るに足らない人間です。人間は神の言葉に反して勝手に罪を犯し神様との関係を壊してしまいました。しかしそれにも関わらず、神様はその人間を救うことを決意して、そのためにキリストを遣わしてくださいました。この神様の愛を感謝したいと思います。
2018年5月13日(日)
礼拝メッセージ
神はわたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
                エフェソの信徒への手紙1:3

 パウロは教会に集まる人々を祝福して「父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和があなたがたにあるように」と祈った後に、神様が与えて下さる恵みについて記しています。「神の恵み」とは、神様が与えて下さる愛と憐みであり、慈しみの心からあふれ出る一方的な賜物です。
 この賜物を「天のあらゆる霊的な祝福」という言葉で言い換えて彼は教会に人々に教えています。その最初に挙げられているのが「神様の選び」です。旧約の時代に神様はアブラハムを選び、イスラエルの民を選んで救いの約束を与え、神様の祝福へと導いて下さいました。そして、救いの完成のためにイエス・キリストを遣わしてくださいました。
2018年5月6日(日)
礼拝メッセージ
神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信じる人たちへ。
                エフェソの信徒への手紙1:1

 この手紙を書いたパウロは、この手紙の最初に教会に集められている一人一人の事を思いながら、キリストを信じる者がどんなに大きな恵みを受けているのかを教えています。その最初に彼は、キリストを信じる者を聖なる者たちと呼んでいます。教会に集まる人々は「聖なる者」であり、それは神様が「聖」として下さった人々です。神様がこの世から選び分かち、神の者として下さり、神の子どもたちとして集めて下さっている者という意味で、聖なる者なのです。ですから、私たちが自分の力と努力で清くなったわけではないのです。この恵みをさらにパウロは後で、教会の人々に詳しく説明します。私たちも、この手紙を読みながら、神様の恵みがさらに深められる事を求めて礼拝いたしましょう。
2018年4月29日(日)
礼拝メッセージ
「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」
                エフェソの信徒への手紙 5:1

 パウロは小アジアのエフェソの教会の人々にキリストを信じる者たちの生活について教えています。罪と過ちの中で、死に閉じ込められていた者たちが神様の恵みと憐れみによって、神のいのちの中に入れられ、神の子供とされた祝福について教えています。なぜ、罪人が神の子供となることができたのか、それはキリストがご自分を香りのよい供え物となって下さり、神に対するいけにえとなって下さったからだと、ここで教えています。
 このキリストの愛に教えられ、この愛に生きるようにパウロは教えています。私たちも、この愛を学びながら、この愛の中を歩み続ける者たちでありたいと願うのです。
2018年4月22日(日)
礼拝メッセージ
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
                ガラテヤ書5:16

 使徒パウロは、ガラテヤ教会の人々の顔を思い出すようにして、この手紙を書きました。イエス・キリストの福音を聞いて信じた人々が、間違ったユダヤ主義の教えに従って生きるようになったことを聞いて、急いでそのような教えに従うことが無いようにこの手紙を書きました。
 キリストを信じて生きる人は、自分の欲望を満足させる生き方、律法主義に生きる事から自由になり、キリストの霊によって生きる自由を与えられたことをもう一度教えなおしています。それが霊に従って生きる事であり、キリストの教えと戒めに従って生きる事でもあることを私たちは学びます。
2018年4月15日(日)
礼拝メッセージ
誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。
                Uコリント11:30

 使徒パウロはイエス・キリストを述べ伝え、イエス様から与えられた使命を果たすために多くの苦難を通りました。しかし、それらの苦難はイエスキリストの愛にお答えするしるしでした。キリストの福音を信じ主に従う生き方が始まる時、信仰者はこの世の歩みから離れる必要があります。そこで起こるのことが、信仰による苦難です。しかし、イエス様は復活の恵みによって、この苦難に耐え忍ぶ力を与えて下さいます。パウロが苦しみに耐えることができたように、私たちを守り導いて下さるお方があることを感謝いたしましょう。
2018年4月8日(日)
礼拝メッセージ
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
                Tコリント書15:20

 パウロがコリントの教会の人々に最も大切な事として伝えたのはキリストの復活でした。それは「聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」と教えています。「聖書に書いてある通り」というのは神様の約束の通りという事です。神様は預言者を通して民に救いの約束をして下さいましたが、それは、イエス・キリストによって完成され、実現していることを主イエス様の復活を知ることによって教えられました。
2018年4月1日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」              ヨハネ福音書20:15

 マグダラのマリアに復活された主イエスが名を呼び、声をかけて下さったように今も復活され天の父のもとに上げられた主は、聖霊によって私たち一人一人の名を呼んで、主のもとに集めて下さり、主との出会いと慰めを与え続けて下さるお方である事を教えられます。
2018年3月25日(日)
礼拝メッセージ
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。」
                 ルカ福音書19:42

 イエス様はエルサレムの都を見上げて涙を流されたとルカはここに記しています。その涙の理由は「平和への道をわきまえていない」ということでした。イエス様の到来によって救いが訪れていることを認めることが出来ない人間の罪の深さを教えられます。それは神様との和解である平和の道が見えていない。分からないということでもあります。主イエス様ご自身を救い主として受け入れることが出来ない人間のために主イエスは涙を流してくださいました。そして、罪の赦しのために苦しみに耐えて十字架への道を進まれたことを教えられます。
2018年3月18日(日)
礼拝メッセージ
イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
                 ルカ福音書19:37

 この福音書を書いたルカは、イエス様のエルサレム入場を喜ぶ人々の姿を「弟子たちの群れ」と呼んでいます。それは、すべての者たちがこの出来事を喜ぶわけではないからです。ファリサイ派の人の中には「弟子たちを叱ってください」という人もいます。主を救い主メシヤとしてお迎えし喜ぶことが出来るのは、主イエスを信じる者たちに与えられた恵みの賜物です。私たちは、日曜日のたびに主をお迎えする喜びを学び、イエス様との交わりに入れられるにことを喜ぶ信仰に生きる者であることを教えられます。
2018年3月11日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国に旅立つことになった。」
                 ルカ福音書19:12

 主イエスはエルサレムの都に入る前に人々に王の即位とそれを待つ僕たちのことを譬えによって教えてくださいます。王の位を受けて帰ってくるというのは、これからイエス様が、十字架によって栄光を受けることによって天の御国において真の王の座にお着きになること、そして、再び帰ってくるとは、この世界に再臨するときのことが教えられます。主イエスの再臨は裁きの時です。しかし、主イエスを信じる者たちにはその裁きは栄光に変えられる喜びを教えられます。
2018年3月4日(日)
礼拝メッセージ
人の子は失われたものを捜して救うために来たのである。
                 ルカ福音書19:10

 主イエスはエリコの町に入られ、徴税人のザアカイの家を訪れました。彼は「金持ちであった」と記されています。ルカは18章で「財産のある者が神の国に入るは、なんと難しいことか(24節)。」というイエス様の言葉を記していました。「人間にはできないことも、神にはできる」ことを、イエス様はこの出来事によって弟子たちに見せて下さいました。エリコの町に於いて、イエス様は人々から嫌われ、見下されて者に対しても救いの道が確かに与えられることを弟子たちに示してくださいました。イエス様は一人の人を救われるだけでなく、この家に連なる人々も救いに導いて下さるお方です。「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言してくださるイエス様によって、私たちも神の子たちとして、新しい生き方に変えて頂きたいと願うのです。
2018年2月25日(日)
礼拝メッセージ
そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
                 ルカ福音書18:42

 主イエスが、エリコの町に近づかれた時に、盲人が座って物乞いをしていました。その時、群衆がイエスの後に従っていました。盲人はいつもと違う町の様子に気づき何事かと尋ねます。そこで「ナザレのイエスのお通りである」と知らされました。彼は、この時自分の目を開いて下さるお方はこの方以外にないと確信し、大声で叫びます。人々は彼を押さえつけ黙らせようとしましたが、彼は、その力に屈する事はありませんでした。そして、ついにイエス様とお話する機会を得ました。この出会いによって彼は変えられ、主イエスの後に従う者になりました。
2018年2月18日(日)
礼拝メッセージ
12人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。
                 ルカ福音書18:34

 イエス様は、エルサレムに向かう旅の中で「今、私たちはエルサレムに上って行く」と宣言されます。イエス様にとって、十字架の死が待っているエルサレムの町が、そぐ目の前に迫っている時に、都に上ることを弟子たちの前に宣言しておられます。この時、いよいよ神様の御心に従って十字架の刑罰を受ける事を主ご自身、覚悟を決められた言葉として響いています。イエス様はエルサレムで起こる、受難の事を弟子たちに教えて行かれます。この意味を弟子たちをはじめ人間は理解できませんでした。神様の愛を理解しないものたちのために、十字架への道を進まれたイエス様の恵みを教えられます。
2018年2月11日(日)
礼拝メッセージ
「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
                 ルカ福音書18:24、25

 イエス様は議員が非常に悲しむのを見て言われます。この言葉は、この悲しむ議員に語られた言葉として、ここでは読むことが出来ます。自分の力によって神の国に入ろうとする者たちにイエス様は悔い改めを求め、自分の力、人間の業によっては永遠の命を受ける事が出来ないことを教えておられます。人は神の恵みによる以外、神の国に入る事はできません。そのために、イエス様は十字架の死を受けられたことを私たちは教えられます。私たちはこの主が成し遂げて下さった救いを共に喜び、感謝をささげましょう。
2018年2月4日(日)
礼拝メッセージ
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。
                 ルカ福音書18:17

 主イエスは、とても強い言葉で弟子たちに教えておられます。イエス様は神の国は大人と子供たちが共に生きる世界としてお語りになりません。「神の国はこのような者たちのものである(16)。」と語られています。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる(14)。」と告げられています。主イエスのもとに集まる者は、だれでも、高ぶる者からへりくだる者へと変えられます。自分が立派な大人だと思っている者も神様の前では、幼子に等しい者であると認める者へと変えられます。神の国においては、全ての人々が幼子として父なる神様から祝福を受ける事になるのです。
2018年1月28日(日)
礼拝メッセージ
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は、低くされ、へりくだる者は、は高められる。
                 ルカ福音書18:14

 この譬え話ではファリサイ派の人と徴税人の二人の祈りの姿が示されています。神様は高ぶる者を低くし、「思い上がる者を打ち散らし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし」(1:51〜53)て下さるお方です。自分を正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人について主イエスは教えて行かれます。神様の恵は、自分を低くして神の前に罪を悔い改める事を教えます。御霊の導きによって神様に救いと憐みを求めて祈る者へと変えて下さることを教えられます。