岩国教会礼拝メッセージ

2018年10月14日(日)
礼拝メッセージ
万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔
                      詩編46:8

 この詩編の歴史的な背景として紀元前701年に起こったアッシリアのセンナケリブによるエルサレムの包囲とそれからの救いの出来事が考えられている。この詩編はコラの歌と言われているので神殿礼拝の中で歌われたものであろうと思われる。神様による救いの御業が賛美されている。信仰者にとって、主なる神様が共にいて下さる事こそが本当の平安であり、安全の保証となる事を教えられる。神様は、万物の創造者であり、今もその御腕によって、この世界を導かれるお方です。このお方だ「知れ。わたしは神」と民に対して宣言してくださいます。私たちは日曜日ごとにこの神様を深く知るために、神の家である教会に招かれていることを覚えたいと思います。
2018年10月7日(日)
礼拝メッセージ
涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。
                      詩編42:2

 詩人はこの時、異邦人の町に連れ去れエルサレムの神の神殿から遠くにいたようです。彼はかつてイスラエルの仲間たちと共に神殿に於いて神さまを礼拝していたことを懐かしく思い浮かべながら祈ります。神様の祝福から遠くにいると思われる今の状況を嘆き神様を求めています。水を飲まなければ人間は生きる事はできません。同様に神様との交わりを失った人間は本当の意味で人間らしく生きる事はできないのです。そのことを知っている詩人は、「わたしの魂はあなたを求める。」と告白しています。神様から力を得る事が出来ない人間は苦しみと悩みの中でうなだれ、呻く事しかできないのです。このような苦しみの中から人間を救い出すために主イエス・キリストは来てくださいました。人間が追いきれない負債を主イエス様が身代わりになり、支払ってくださいました。そのために私たちは感謝を献ことができるようになりました。この喜びを私たちは毎週、感謝しています。
2018年9月30日(日)
礼拝メッセージ
貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
                      詩編37:11

 主イエス・キリストは、弟子たちを見て教えておられます。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」ルカ6:20。この世界で生きる人々は、自分の属する組織や、経済的な豊かさの中に自分の生きる確かさを求めています。また、将来の保証を持ちたいと願っています。しかし、聖書はそれらは「青草のようにすぐにしおれてしまう」決して頼りにならないものだと教えています。私たち人間が本当に頼りとすべきものは神の言葉にほかなりません。「主に信頼し、善を行え、この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」と詩人は民に呼びかけ教えています。真の神様が与えて下さる信仰に生きる者たちを神様は祝福し、御国の子供としてその地を継ぐものとして下さるのです。「神の国はあなたがたのものである」と教えて下さるイエス・キリストの言葉を学び続けたいと願うのです。
2018年9月23日(日)
礼拝メッセージ
味わい、見よ、主の恵深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
                      詩編34:9

 「主の恵みを味わう」というのは、主に仕える為に自分の誇り、プライドを捨てる事にほかなりません。ダビデは自分の命を守るため、信仰に生きる為に気が変になったように振る舞い、窮地を逃れました。パウロは命の危機的な状況の中で「弱さを誇る」(Uコリント12:9−10と告白しています。私たちも自分の誇りを捨てて、心から主イエス・キリストの御業に信頼するときに主の恵の豊かさを味わい知る事ができる事を教えられます。主イエス・キリストの贖いの恵は、自分を捨てて主に従う者たちに与えられる究極の祝福であることを覚えたいと思います。
2018年9月16日(日)
礼拝メッセージ
ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。
                      詩編27:4

 この詩編は、主である神様の臨在される幕屋の中に入れられ、とどまる時に与えられる恵みを喜び賛美をしています。「必ず、あなたたちの神、主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい。・・・・あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。」(申命記12:7)と記されています。神様を礼拝する場所を神様は祝福し、そこに集まる礼拝者を豊かに祝福し、必要を満たしてくださいます。私たちの礼拝においても神様は同様に祝福してくださいます。神様からの豊かな祝福を受け取り、それぞれの生活の場に出てゆく事ができる恵みを感謝いたします。
2018年9月9日(日)
礼拝メッセージ
主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。
                      詩編24:2

 詩人は、神様の天地創造の御業を賛美して、この詩編を書き始めています。これはイスラエルの民にとって、モーセ五書が教えている大切な信仰です。この世界は、偶然や運命が支配しているのではなく、天の真の神さまが創造し支配し、守り導いておられるのです。私たちが生きるこの世界も例外ではありません。神様はイスラエルだけの神さまではありません。今を生きる私たちをも神様は祝福し、御国の民として導いて下さるお方です。このお方を私たちの父としてくださる為に御子であるイエス様はこの地に来てくださいました。イエス様は贖いの御業をなして下さり、信じる者たちに御国の世継ぎとしての望みを与えて下さいました。私たちはこの信仰に生きる者です。
2018年9月2日(日)
礼拝メッセージ
栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。
                      詩編24:10

 ダビデの詩、讃歌と表題にある通り、この詩の背景には、ダビデの人生があります。特に、歴代上15章の出来事を思い起こさせる詩です。神の契約の箱がダビデの家、エルサレムの都に運びいれられたその時にダビデは喜び祝ったことが記されています。ダビデの生涯の中で、この時以上にの王ダビデが喜び祝う姿を聖書は記していません。神の言葉、戒め、十戒が収められた箱を自分の所に迎え入れたダビデは、神様の祝福を迎え入れたと信じました。この出来事は、神の言葉を心の中に迎え入れた時の喜びを教えています。私たちにも、この喜びが今も与えられていることを覚えたいと思います。
2018年8月26日(日)
礼拝メッセージ
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
                      詩編23:1

 ダビデは。その生涯の中で過去を振り返るようにして、この詩編を書いたとおもわれます。彼の人生は、平坦なものではなく山あり谷ありの生涯でした。その中でも、人生の後半に息子のアブサロムの反乱によって息子と戦う事になった事は父親としてどんなに大きな試練だったことでしょうか。彼は、エルサレムの都を離れマハナイムに逃れました。彼はそこで神様の恵みを経験します。荒野を逃げる生活の中でも神様はいつも共にいて下さり養い守って下さるお方であることを教えられました。私たちの歩みも決して平らな道ばかりではありません。けれども、主イエスの父なる神様が祝福を約束してくださる時、私たちは困難の中にあっても主を求め、安心して生きる道があることを覚えたいと思います。
2018年8月19日(日)
礼拝メッセージ
どうか、わたしの口の言葉がみ旨にかない。心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。
                      詩編19:15

 詩人は神の御業と主の律法を賛美して主の言葉が与えられた事を心から喜び歌います。主の定め、主の命令、主の戒め、主の裁きを心に留めて熟慮する事ができる事が幸いであると告白しています。主の戒めを学ぶ時に人間は神様の前にどんなに罪深い者なのかを知る事ができるようになります。そして、詩人がここで祈っているように、神様に助けを求める以外に人間の生きる道は残されていないことが分かるようになります。それは、聖霊の導きです。神の霊に導かれ、私たちも贖い主であるイエス・キリストに救いを助け求めつつ、み言葉を学び続けたいと願うのです。
2018年8月12日(日)
礼拝メッセージ
「神よ、守って下さい。あなたを避けどころとするわたしを。」
                      詩編16:1

 この詩編はダビデの詩と表題に記されています。イスラエルの王ダビデの生涯を思い起こさせる詩編です。ダビデは青年の時から王のサウルに用いられ、王の婿として王宮に招き入れられました。しかし、悪霊に苦しむサウル王は、ダビデを憎しみ殺そうと計画します。そのためにダビデは王の宮殿を出て、荒野で逃亡の生活を余儀なくされます。しかし、荒野での生活の中で、彼は神様の恵みを教えられ、神様に対する信頼を確かにしてゆきます。主なる神様は幼い時にダビデを見つけて、油を注いだ時の祝福をお忘れになりません。命をかけた荒野での生活の中でも、祈り求めるダビデの言葉を主なる神様は聞いてくださるお方です。そのお方の臨在を教えられ、彼は死の支配から自由になり、神様を喜び賛美しました。
2018年8月5日(日)
>礼拝メッセージ
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。」
                  ヨハネ福音書14:1

 主イエスは弟子たちの恐れと不安を取り除くように、教えて下さいます。弟子たちは主イエス様との別れの時が近づいている事を知り恐れと不安の中でこの話を聞いていました。この漠然とした不安の中にいる弟子たちを主イエスは励まし、力付けるように神を信じ私をも信じるようにと語られます。人間が持つ多くの不安は本当の意味で心から神様を信じていないから起こる事です。主イエスはこのような不安に生きる者に心を騒がせるなと命じてこの揺れ動く心に平安を与えて下さいます。私たちの心にも主イエス様はこの平安を持たせてくださいます。
2018年7月29日(日)
礼拝メッセージ
こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは・・・。
               エフェソの信徒への手紙3:1

 パウロは自分の召命の出来事について、人々の前で繰り返し語りました。イエス・キリストを信じる事がなかった時に、よみがえられたイエス様はその復活を信じるように、パウロに現れて下さり、復活の証人として用いて下さいました。イエス様が与えて下さった福音によって救いにあずかる者、神の家族とそして御国の相続者とされた喜び、神様の約束の確かさを知る者として下さった恵みを私たちも教えられ、感謝を捧げましょう。
2018年7月22日(日)
礼拝メッセージ
キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
               エフェソの信徒への手紙2:22

 パウロは教会が建物にたとえられ、また、偉大な神殿にたとえられ、そこに神ご自身が住まわれることを教えています。また、私たちはその土台が何であるかをパウロの言葉から学びました。使徒たち、預言者たちが教えているイエス・キリストがその中心でした。教会に集まる人々は、このお方と正しい関係に結び合わされて成長することができるように神様が恵みを注いでくださいます。私たちはこの恵みの力に支えられキリストと共に、この世の働きに派遣されている幸いを感謝したいと思います。
2018年7月15日(日)
礼拝メッセージ
十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
               エフェソの信徒への手紙2:16

 パウロは教会に集まる人々に対して、キリストの十字架の死がどんなに信じる者たちに大切な事かを教えています。イエス様は十字架によってイスラエルの民と異邦人との間にあった敵意の壁を取り壊して下さったことが14節に告げられています。旧約時代に於いてはイスラエル人と異邦人との間には人間の力では取り除く事ができない隔ての壁が存在しました。人間的な交わりを築くことはできませんでした。イスラエル人は律法によって、自分が罪に汚されることを恐れていました。それゆえに律法を知らない外国人を異邦人と呼んで自分から遠ざけていました。イエス・キリストの十字架はこの壁を取り除き、両者を一つの体として神の和解を得させてくださったと教えています。
2018年7月8日(日)
礼拝メッセージ
しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
               エフェソの信徒への手紙2:13

 わたしたちは肉によれば以前は割礼の無い者、律法を持たない異邦人と呼ばれていた者です。しかし神様の憐れみによってキリストの血潮によって神の民とされ、神様を知るもとへと変えられました。神様はわたしたちを新たに造り清めて、神様の近くに集め神様を礼拝する者として下さったとパウロは教えています。わたしたちはキリストの血による清めを毎週思い出すために神の家に招かれていることを教えられます。
2018年7月1日(日)
礼拝メッセージ
わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
                エフェソの信徒への手紙2:10

 主イエスは、富める青年の「永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいでしょうか」という質問に対して、「隣人を自分のように愛しなさい」と語ってくださいました(マタイ19:19)。また、律法の専門家がイエス様を試そうとして訪ねた時は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39)とお語りくださいました。わたしたちが第一になすべき善い業は主イエス様が教えてくださる通り、神様を愛し、隣人を愛することです。そのことのために、神様はわたしたちを造って下さり、神様は、前もって準備して下さったとパウロは教えています。わたしたちは毎週この神様が準備して下さった神様を愛する礼拝への道が与えられていることを感謝します。
2018年6月24日(日)
礼拝メッセージ
わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
                エフェソの信徒への手紙2:3

 使徒パウロはエフェソの教会の人々を「以前は自分の過ちと罪の為に死んでいた」と呼び、また、私たちユダヤ人も異邦人であるあなた方同様に、神様の目には、死んでいた者たちであったと教えています。けれど、神様はこの様な過ちと罪の中で死んでいた者を憐れに思い、救いの道を与えて下さいました。それが主イエス・キリストを信じることによって与えられるいのちの道でした。神様は信じる者をキリストと共に生きる者にしてくださいます。「憐み豊かな神が、私たちを愛してくださった」からです。この神様の愛を学びつつ神様を礼拝いたしましょう。
2018年6月17日(日)
礼拝メッセージ
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすてべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
                エフェソの信徒への手紙1:22

 パウロはここでキリストと教会の関係を教えています。この関係を説明するために「頭とからだ」という言葉で表現しています。頭と体は一体として存在するものです。しかし、体には多くの部分があります。それぞれの部分はその働きに違いがあります。しかし、働きに違いがあっても一つの体であることは変わりません。キリストとその体である教会は血のつながりを持つ生きた関係にあります。教会はキリストの支配の内に働く存在であり、その権威はキリストのものです。その働きの中に私たちは招かれ、参与することを神様は求めておられます。この神様の求めに従って教会生活を送ることが私たちの喜びでもあります。
2018年6月10日(日)
礼拝メッセージ
心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
                エフェソの信徒への手紙1:18

 パウロは「心の目を開いてくださるように」と祈る時に、自分自身の目が開かれた時の事を思い起こしていたと思います。アナニヤはパウロの上に手を置いて祈りました「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」と語りました。するとたちまち目からうろこのようなものが落ち、見えるようになったのです。人間は神様の力によって目を開いて頂かなければ神様を知ることはできません。私たちは恵みを与えられ、神様を知る者とされたことを感謝いたします。
2018年6月3日(日)
礼拝メッセージ
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
                エフェソの信徒への手紙1:13

 パウロは教会の人々に、神様の与えて下さる恵みを教えるように神様を賛美しています。神様の選びと招きによって、救いの恵みに入れられた人々は、神の言葉であるイエス・キリストの言葉を学び、救いをもたらす福音を聞いている人々です。福音を聞いて信じた時、神様はその救いの確かさを持つために聖霊によってしるしを持たせてくださった事をパウロは教えています。私たちが受けた洗礼は悔い改めのしるしですが、同時に神の子ともとして神様の者と見て下さるしるしでもあります。この恵みによって私たちの信仰は強く確かにされるのです。
2018年5月27日(日)
礼拝メッセージ
秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
                エフェソの信徒への手紙1:9

 使徒パウロは教会の人々に神様の与えて下さる恵みの数々を教えています。神様は主を信じる者たちに信仰の「知恵と理解と」を与えて下さり、私たちが幸せに生きることを願っておられます。この神様が与えて下さる知恵と理解する力によって神様は私たちを新たに生まれさせ、神様の御心を訪ね求めて悟る者に変えて下さいます。「前もってキリストにおいてお決めになった」と言われています。この言葉は5節の「前もってお決めになった」と言われていることをさらに説明するためのものです。私たちの救い主である主イエス様との関係が告げられます。私たちの救いはイエス・キリストを抜きにしては成立しないものです。改めて主の御業を感謝したいと思うのです。
2018年5月20日(日)
礼拝メッセージ
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
                エフェソの信徒への手紙1:4

 この手紙は驚くことを記しています。それは、神様が天地の造られる前からキリストにおいて私たちを愛して下さり、選びに入れられていたということです。この神様の選びの恵みがどんなに偉大なものかを示してくれます。そしてこの選びの目的は人間の罪の赦しを与えるためであり、私たちの救いのために神様は選び取って下さったことを書き記しています。私たちは取るに足らない人間です。人間は神の言葉に反して勝手に罪を犯し神様との関係を壊してしまいました。しかしそれにも関わらず、神様はその人間を救うことを決意して、そのためにキリストを遣わしてくださいました。この神様の愛を感謝したいと思います。
2018年5月13日(日)
礼拝メッセージ
神はわたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
                エフェソの信徒への手紙1:3

 パウロは教会に集まる人々を祝福して「父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和があなたがたにあるように」と祈った後に、神様が与えて下さる恵みについて記しています。「神の恵み」とは、神様が与えて下さる愛と憐みであり、慈しみの心からあふれ出る一方的な賜物です。
 この賜物を「天のあらゆる霊的な祝福」という言葉で言い換えて彼は教会に人々に教えています。その最初に挙げられているのが「神様の選び」です。旧約の時代に神様はアブラハムを選び、イスラエルの民を選んで救いの約束を与え、神様の祝福へと導いて下さいました。そして、救いの完成のためにイエス・キリストを遣わしてくださいました。
2018年5月6日(日)
礼拝メッセージ
神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信じる人たちへ。
                エフェソの信徒への手紙1:1

 この手紙を書いたパウロは、この手紙の最初に教会に集められている一人一人の事を思いながら、キリストを信じる者がどんなに大きな恵みを受けているのかを教えています。その最初に彼は、キリストを信じる者を聖なる者たちと呼んでいます。教会に集まる人々は「聖なる者」であり、それは神様が「聖」として下さった人々です。神様がこの世から選び分かち、神の者として下さり、神の子どもたちとして集めて下さっている者という意味で、聖なる者なのです。ですから、私たちが自分の力と努力で清くなったわけではないのです。この恵みをさらにパウロは後で、教会の人々に詳しく説明します。私たちも、この手紙を読みながら、神様の恵みがさらに深められる事を求めて礼拝いたしましょう。
2018年4月29日(日)
礼拝メッセージ
「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」
                エフェソの信徒への手紙 5:1

 パウロは小アジアのエフェソの教会の人々にキリストを信じる者たちの生活について教えています。罪と過ちの中で、死に閉じ込められていた者たちが神様の恵みと憐れみによって、神のいのちの中に入れられ、神の子供とされた祝福について教えています。なぜ、罪人が神の子供となることができたのか、それはキリストがご自分を香りのよい供え物となって下さり、神に対するいけにえとなって下さったからだと、ここで教えています。
 このキリストの愛に教えられ、この愛に生きるようにパウロは教えています。私たちも、この愛を学びながら、この愛の中を歩み続ける者たちでありたいと願うのです。
2018年4月22日(日)
礼拝メッセージ
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
                ガラテヤ書5:16

 使徒パウロは、ガラテヤ教会の人々の顔を思い出すようにして、この手紙を書きました。イエス・キリストの福音を聞いて信じた人々が、間違ったユダヤ主義の教えに従って生きるようになったことを聞いて、急いでそのような教えに従うことが無いようにこの手紙を書きました。
 キリストを信じて生きる人は、自分の欲望を満足させる生き方、律法主義に生きる事から自由になり、キリストの霊によって生きる自由を与えられたことをもう一度教えなおしています。それが霊に従って生きる事であり、キリストの教えと戒めに従って生きる事でもあることを私たちは学びます。
2018年4月15日(日)
礼拝メッセージ
誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。
                Uコリント11:30

 使徒パウロはイエス・キリストを述べ伝え、イエス様から与えられた使命を果たすために多くの苦難を通りました。しかし、それらの苦難はイエスキリストの愛にお答えするしるしでした。キリストの福音を信じ主に従う生き方が始まる時、信仰者はこの世の歩みから離れる必要があります。そこで起こるのことが、信仰による苦難です。しかし、イエス様は復活の恵みによって、この苦難に耐え忍ぶ力を与えて下さいます。パウロが苦しみに耐えることができたように、私たちを守り導いて下さるお方があることを感謝いたしましょう。
2018年4月8日(日)
礼拝メッセージ
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
                Tコリント書15:20

 パウロがコリントの教会の人々に最も大切な事として伝えたのはキリストの復活でした。それは「聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」と教えています。「聖書に書いてある通り」というのは神様の約束の通りという事です。神様は預言者を通して民に救いの約束をして下さいましたが、それは、イエス・キリストによって完成され、実現していることを主イエス様の復活を知ることによって教えられました。
2018年4月1日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」              ヨハネ福音書20:15

 マグダラのマリアに復活された主イエスが名を呼び、声をかけて下さったように今も復活され天の父のもとに上げられた主は、聖霊によって私たち一人一人の名を呼んで、主のもとに集めて下さり、主との出会いと慰めを与え続けて下さるお方である事を教えられます。
2018年3月25日(日)
礼拝メッセージ
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。」
                 ルカ福音書19:42

 イエス様はエルサレムの都を見上げて涙を流されたとルカはここに記しています。その涙の理由は「平和への道をわきまえていない」ということでした。イエス様の到来によって救いが訪れていることを認めることが出来ない人間の罪の深さを教えられます。それは神様との和解である平和の道が見えていない。分からないということでもあります。主イエス様ご自身を救い主として受け入れることが出来ない人間のために主イエスは涙を流してくださいました。そして、罪の赦しのために苦しみに耐えて十字架への道を進まれたことを教えられます。
2018年3月18日(日)
礼拝メッセージ
イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
                 ルカ福音書19:37

 この福音書を書いたルカは、イエス様のエルサレム入場を喜ぶ人々の姿を「弟子たちの群れ」と呼んでいます。それは、すべての者たちがこの出来事を喜ぶわけではないからです。ファリサイ派の人の中には「弟子たちを叱ってください」という人もいます。主を救い主メシヤとしてお迎えし喜ぶことが出来るのは、主イエスを信じる者たちに与えられた恵みの賜物です。私たちは、日曜日のたびに主をお迎えする喜びを学び、イエス様との交わりに入れられるにことを喜ぶ信仰に生きる者であることを教えられます。
2018年3月11日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国に旅立つことになった。」
                 ルカ福音書19:12

 主イエスはエルサレムの都に入る前に人々に王の即位とそれを待つ僕たちのことを譬えによって教えてくださいます。王の位を受けて帰ってくるというのは、これからイエス様が、十字架によって栄光を受けることによって天の御国において真の王の座にお着きになること、そして、再び帰ってくるとは、この世界に再臨するときのことが教えられます。主イエスの再臨は裁きの時です。しかし、主イエスを信じる者たちにはその裁きは栄光に変えられる喜びを教えられます。
2018年3月4日(日)
礼拝メッセージ
人の子は失われたものを捜して救うために来たのである。
                 ルカ福音書19:10

 主イエスはエリコの町に入られ、徴税人のザアカイの家を訪れました。彼は「金持ちであった」と記されています。ルカは18章で「財産のある者が神の国に入るは、なんと難しいことか(24節)。」というイエス様の言葉を記していました。「人間にはできないことも、神にはできる」ことを、イエス様はこの出来事によって弟子たちに見せて下さいました。エリコの町に於いて、イエス様は人々から嫌われ、見下されて者に対しても救いの道が確かに与えられることを弟子たちに示してくださいました。イエス様は一人の人を救われるだけでなく、この家に連なる人々も救いに導いて下さるお方です。「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言してくださるイエス様によって、私たちも神の子たちとして、新しい生き方に変えて頂きたいと願うのです。
2018年2月25日(日)
礼拝メッセージ
そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
                 ルカ福音書18:42

 主イエスが、エリコの町に近づかれた時に、盲人が座って物乞いをしていました。その時、群衆がイエスの後に従っていました。盲人はいつもと違う町の様子に気づき何事かと尋ねます。そこで「ナザレのイエスのお通りである」と知らされました。彼は、この時自分の目を開いて下さるお方はこの方以外にないと確信し、大声で叫びます。人々は彼を押さえつけ黙らせようとしましたが、彼は、その力に屈する事はありませんでした。そして、ついにイエス様とお話する機会を得ました。この出会いによって彼は変えられ、主イエスの後に従う者になりました。
2018年2月18日(日)
礼拝メッセージ
12人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。
                 ルカ福音書18:34

 イエス様は、エルサレムに向かう旅の中で「今、私たちはエルサレムに上って行く」と宣言されます。イエス様にとって、十字架の死が待っているエルサレムの町が、そぐ目の前に迫っている時に、都に上ることを弟子たちの前に宣言しておられます。この時、いよいよ神様の御心に従って十字架の刑罰を受ける事を主ご自身、覚悟を決められた言葉として響いています。イエス様はエルサレムで起こる、受難の事を弟子たちに教えて行かれます。この意味を弟子たちをはじめ人間は理解できませんでした。神様の愛を理解しないものたちのために、十字架への道を進まれたイエス様の恵みを教えられます。
2018年2月11日(日)
礼拝メッセージ
「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
                 ルカ福音書18:24、25

 イエス様は議員が非常に悲しむのを見て言われます。この言葉は、この悲しむ議員に語られた言葉として、ここでは読むことが出来ます。自分の力によって神の国に入ろうとする者たちにイエス様は悔い改めを求め、自分の力、人間の業によっては永遠の命を受ける事が出来ないことを教えておられます。人は神の恵みによる以外、神の国に入る事はできません。そのために、イエス様は十字架の死を受けられたことを私たちは教えられます。私たちはこの主が成し遂げて下さった救いを共に喜び、感謝をささげましょう。
2018年2月4日(日)
礼拝メッセージ
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。
                 ルカ福音書18:17

 主イエスは、とても強い言葉で弟子たちに教えておられます。イエス様は神の国は大人と子供たちが共に生きる世界としてお語りになりません。「神の国はこのような者たちのものである(16)。」と語られています。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる(14)。」と告げられています。主イエスのもとに集まる者は、だれでも、高ぶる者からへりくだる者へと変えられます。自分が立派な大人だと思っている者も神様の前では、幼子に等しい者であると認める者へと変えられます。神の国においては、全ての人々が幼子として父なる神様から祝福を受ける事になるのです。
2018年1月28日(日)
礼拝メッセージ
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は、低くされ、へりくだる者は、は高められる。
                 ルカ福音書18:14

 この譬え話ではファリサイ派の人と徴税人の二人の祈りの姿が示されています。神様は高ぶる者を低くし、「思い上がる者を打ち散らし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし」(1:51〜53)て下さるお方です。自分を正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人について主イエスは教えて行かれます。神様の恵は、自分を低くして神の前に罪を悔い改める事を教えます。御霊の導きによって神様に救いと憐みを求めて祈る者へと変えて下さることを教えられます。