
本日昼には室温7度でした。昨晩からの深夜と言うような、午前2時頃の室温5度でした。起き出した時に手先、足先がやや冷たいなと感じましたが、体の方はそれ程には感じ無いのは、良く眠れて爽やかな気分の為だろうと思いましたが、さすがに天気予報でも冷え込むと聞いていた通りだなと、思いながらパソコンの所に来たのでした。昨日夕方には室温9度でしたが、午後には6度でしたので、暫くの間暖房を付けて私がいたのですが、離れて1時間以上とは言うものの、外に出てみると結構冷たい風でした。朝は8度で日付変更になった午前0時過ぎは9度でした。毎日夕食と入浴がおわり、直ぐに眠ると言う事が出来るのは良い事なのですが、いつも3時間以内に眼醒めますものでじっとしていてとても退屈になるのも、ラジオ放送にそれ程じっと聞きたいと言う内容が無い場合ですので、ついつい起き出してパソコンの有る所に来るようになるのでした。
2月 4日。 気ままな私の雑談。 CQこちらはJA4AIB.
現在の内容は、ライブハウスでの録音に関しての考えなど、私が子供の頃から、ハーモニカの独学方で「スタジオでのハーモニカを用いての遊びの様子で数曲。ハーモニカアンサンブル。ピアニカを用いての音遊び。」その他の話題です。
上のリンクの内容は、私の喋りや録音実験などが連続ファイルになっていますので「ウインドーズメディアプレーヤー」での操作は(CTRL+F)で一つ先へ進み。(CTRL+B)で、一つ前へ戻るようになっています。その他の再生環境ではこのような動作が出来る操作をして下さい。私が若い頃からの体験でよく思って来た事。二十歳前後の頃から毎日のようにマイクを持っての「アマチュア無線通信」で、喋っていたように気軽い思いで話しています。
今年もどうぞ宜しく御願いします。本日は3時前頃に居間に行き一眠りしまして、実に気分良く朝を迎えました。そんな事でしたが昨晩から日付変更になりまして、パソコンの所に来ましたが、さすがに本日は「アイスコーヒー」と一緒に、湯飲みに「日本酒」を入れたのも持って来まして、楽しい気分で日付変更の時にはこれを書いています。「大晦日」は、家内と二人で特に変わり無いとは言いながら、私はビールと日本酒を飲みながらの夕食。それが終わりゆっくりした気分で「NHK紅白歌合戦」を、私は聞くだけとは言え、二人での「アットホーム」な気分でいました。私はそのまましっかりと2時間くらいは眠りましたもので、実に爽やかに眼醒めました。23時過ぎでしたので、日付前に「蕎麦」を食べている頃に「新年を迎えた。」と、言う事でした。今年は家内が元日に休日を頂けたもので、ゆっくり出来る事が最も私に良い正月になりました。子供達も元気で自分の好きな事をしっかりとやって呉れているもので、今年もまた良い事が沢山有るものと、期待出来る思いなのです。そのような事で暫くパソコンの所での、データ処理をしていましたら、湯飲み一杯くらいでそんなにアルコールを飲んだと言う程の気分になる程にまだ弱くは無いのですが、色々考えていましたらとても幸せな気分になりまして、二十歳前後の頃から、自分の立場をそれなりに身の程心得ての希望が適っている人生に改めて感謝の思いが強くなれた幸せを噛み締めている年明けなのです。
昨晩からとても良く眠れまして爽やかに起き出したのでした。家人は出勤の為に、いつものように出て行きましたので私は一人、これまたいつもと変り無い日の始まりです。ただ、明日迄は、日中好きなビールを飲んでも全くお咎め頂く事は無いようとは言うものの、私は単に「酒さえ飲めれば、ちょいとほろ酔いかげんになれて良いと言うのでは無いものですから、スタジオに行き音楽を聞きながらと言う事をするかも判らないなと言う思いで朝、これを書いているのでした。しかし私は、やはり時間が過ぎましても朝書いたようにはならず、それ程に「ビールや酒が飲みたい。」なんて気分になりませんでした。昼食には350ミリの缶ビール一つを飲んだだけでの、美味しい煮物を食べながらで他は、普通と変り無いような気分での食事をしまして、スタジオには行きましたが、ちょいとした模様替えをするなどしたくらいでした。私はあれこれするような場合、特に自分中心の部屋ですので自分の考えで、余程の重量物で無い限りは、一人であれこれやってみるのがこれまた楽しみの一つなので、そんな事をしまして、後は夕方迄テレビのやや賑やかな話を聞きながら家内の帰宅を待ちました。そして夕食はやはり、正月らしい物を食べながら、いつもよりはやや多い、ビールと日本酒を飲みながら、毎日のように家内と話しての夕食を終わり、入浴後寝たのでした。
本日はもう、正月気分と言うような感じでは無いものですから前の日からの深夜と言うような時間に気分良く眼醒めまして、特にラジオを聞いていても自分好みでも無いもので、起き出してパソコンの所に来ると言う事になります。日中は、特に尋ねて来られるような人も無いので、久しぶりにゆっくりと時間をかけての自分の色々な実験などして楽しんでいました。例え僅かな事でも、自分で考えてやってみた事や、ちょっとした事でも発見してそれらを自分の考えで処理して上手く出来た時は、やはり嬉しいもので、これももう、子供の頃から自分であれこれ物作りなどを基本にしての事がとても楽しく思うようになり、それを諦める事無く、身の程心得ながらやって来たなればこそと、よく思うところなのです。
さて、私は元日と2日の二日間、幸いにも午前4時からのNHKのラジオ放送を聞く事が出来まして、とても楽しい思いが出来たのでした。それは、〔インタビュー・スペシャル〕ジャンルをこえた音楽”格闘”人生。ジャズピアニスト「山下洋輔さん」の話を聞く事が出来たからでした。勿論この方は世界的にも有名な方なのですが、私は音楽の世界での、歴史的な事や、有名なアーティストの方の御活躍の様子などは殆ど知りません。名前はラジオなどからでしょう、聞いた事が有るような気がすると、言うような程度でした。その話題のなかで、当然この方は専門家としてやって来られた方なのですが、その基本内容としての考えとその実践は、私が自分でやれる範囲での思いで、自由にやれる「音楽」を、その道の方として実践されている。詰まり、私はその道に入っての専門家として社会活動こそ全く不可能でしたが、身の程心得ての自分でやれる範囲の方法は「山下さん」の話される内容そのものだったからでした。ただ、私がそれらの基本を話題にしたところで、誰も関心を示す人なんて無いのは当然で、寧ろ「素人さん程」に、私の考えやしている事に対して強く私に直接遠慮も何も無く、軽んじての批判や時に誹謗とも言える表現される事さえ有るくらいの事も体験しているからでした。でも、正に私も「音楽している。」と、これ迄時に表現して来た事を実践で高度にやられている方が有る事にとても喜びを感じたのでした。
このような立場にしか私がやれ無かったその、最もな理由は10歳代で「ラジオ製作」などしましたが、技術的には判っていても、レコードプレーヤーなどを買い求めたりましてや「レコード」を買い求める事なんて、殆ど不可能だったからです。その為にラジオから聞こえて来る音楽などを単に聞き流す程度で殆ど、記憶に残らず、そのサウンドを偶然に聞いて楽しむ。と、言う程度で過ごさなければならない環境だったからです。唯一、電子工学を学び、そして自分の欲しいと思う範囲でも最低の価格と言えるような「ステレオを揃える。」と、言う事しか出来無かったからでした。
ラジオ放送で聞いた「山下さん」が音楽を始められた、最もな切欠は、お母様がピアノの先生で有られるにも関わらず、誰もが通る方法のようにお母様からは直接楽譜道理に習われず、私が体験適に学び始め、身に付けたほうほうとその基本が共通しているからでした。それは当然私の場合は全く環境に恵まれ無いままに、しかも視覚障害者で楽譜が読め無いので、自分が「楽器を扱いたい」と、言う一心から、楽器の構造と音を頼りに少しずつ見に付けたのでした。それに対して「山下さんの場合は、音楽するのに最も恵まれておいでです。」それなのに私が全てに不自由な中から学び、身に付けたのと同じやり方をスタートとして、音楽を身に付けられての方法でやられていたと言う事でした。
視覚障害者で無い方は敗戦後の60年間と言うもの、その気になればどのようにでも学べるので、やはり「音楽」なのですから、最も大切な幼少の頃に「音から身に付けられた。」と、言う事が、現在の「山下さん」の、あのように、音さえ聞けば自由な発想でどのようなジャンル的な音楽も直ぐに演奏出来、オリジナルから、既存の「クラシックの曲」まで、自由にやられるようになられた。正に私がはっきりと周囲へはそれ程に表現出来ませんでしたが、そのような感覚で諦めずに学んで来れたからこそ私も、60歳代後半にして、貧乏しながらも、知識技術感覚的に類似した事を基本として身に付ける事が出来ているもので、現在スタジオでの方法がやれている。と、言う事になった事を証明して頂いたように感じたのでした。
今朝も午前4時頃にパソコンの所に来ましたが、とても爽やかでコーヒーの口当たりも良いものです。正月と言う事ですが、昨日迄の三日間、私は特に違いを感じ無いのは既に書いてもいる事で、来訪客も無いので一人でゆっくり色々と音実験など、オーディオ機器や楽器などを用いての実験が出来ました。特に珍しいような事とは思え無い範囲ですが、音作りには大切な事で、やはり私は電気的な事も含め、このような技術関係を実験するのが最も楽しいと思える時なのです。
この寒い季節にあれこれやっている時にもう、そろそろ終りと言う頃に暖房が少しでも無駄にならないようにと思い、スイッチを切ってしまった時に、新たな事を発見して「まあ、ちょいとこれくらいだから。」なんて暖房機を止めたままで仕事を続けていると結構寒いと感じるようになり、それを「もう少しだから。」なんて我慢すると直ぐに「風邪を惹きそうに。」と、言う感覚が有ります。小さな我慢は大きな失敗になる可能性を持っていると言えます。こんな事を思いながらもついつい油断しがちな時にはよく注意して「暖房機のスイッチ」を、入れる事が本来大切な事です。何をしても「自分の心を戒める習慣を持つ。」と、言う事は、物事の大小に関わらず日頃から大切な事だと言えます。
そこで私は「危ないな」と、感じたような時には、誰でも心得ているように嗽「うがい」をするのです。これも時にマスコミなどで言われているのを聞きますが「鼻嗽」も、するのですが、この時普通の嗽用「イソジン液」を用いて用意します。それを日頃「少量の調味料用」の、入れ物を用いて、コップに準備した「嗽液」を、小さな調味料用の入れ物で吸い取ります。それを鼻に充てて、片方ずつ入れ、喉から吐き出す。と、言う事をします。最初の内はちょいと慣れる迄大変ですが直ぐにやれるようになります。そしてその後にコップの嗽液で普通の嗽をします。これらの事は毎日のようにするのは良く無いのです。日頃は水分を十分に摂取するようにして、自ら持っている防衛力をしっかり使うように日頃から心がけておく事が大切です。いつも薬品などに頼っていますと「不用制萎縮」と言って、本来体に備わっている機能が衰えるからなのです。だから私は日頃から折角健康体ですので、自らの防衛力や快復力を活用するように心がけているつもりなのです。
本日、昨日からの深夜と言えるような午前2時頃は、この冬記録の6度でした。やはり爽やかに眼醒めて、いつものように、パソコンの所に来たのでした。勿論このような時間にはパジャマの上に沢山着込んでの事なのですが、椅子の直ぐ後ろに「灯油ファンヒーター」を置いていて、設定は最低の10度にしていますので、さすがに「強弱」を時に繰り返していますので熱いと思う前にちゃんと弱状態になるので室温はそれ程に上がりませんが私の体はちゃんと温度保護されていて無駄に灯油を燃やして無いと言う事です。3時過ぎには居間に行きましたが、ラジオを聞いていて眠れ無いままに6時頃起き出したのでした。
さて、昨年6月30日に買い換えた携帯電話が元日の朝から動作しなくなり、本日「保証交換」して貰ったのです。そこで予て思っていたように「16ギガバイツ」のメモリーを求めて入れたのです。勿論自分でやりましたが、幸いにも家内にマニュアルを読んで貰ったり、本体の開き方などはこれまた家内に見て貰いながら自分で開けて、実際に「メモリーの取り付け」をしたのでした。いつもこのような時に思うのは、電機メーカーなどは、実に上手く製作していて、基本知識さえ有れば道具を使う事無く、ちゃんと手探りだけでも、それらの事がやり易く設計されているのに感心するのです。それに対して「時計メーカー」などは、実際に私が手出触れて判っているのですが、電池交換で蓋を開きますと、本来固定されていても良いと思えるような「小さなピンのような部品」などが、ばらばらと取れるような作り方をしているのには、本当に困ると思うところなのです。本来その為に300円くらいで求められる電池を2,000円も負担して電池交換をして貰わなければならないのは、私が一定の知識を持っているだけに悔しい思いをするのです。そのような部品を扱う構造になっていると言う事は、眼で見て「ピンセットのような道具を用いて」その作業をしなければならないからです。これは可也色々な作業が出来る私だから、このような判断が出来ると言う事なのです。
この頃は寒いとは言いながら数度の変化では、体感的にそれ程に大きく違いを感じ無いもので、寧ろ自分の体調しだいと言う感じで、何にしても毎日のように深夜と言うような時間にさえも爽やかに起き出せる程に元気だと言う事は先ず有り難いと思うところなのです。
私は子供の頃に創造していた事が特に現在の電子機器での「デジタル技術」によって、その望みが適っている事が有るものなのです。先ずそれは「録音機」の事です。昭和29年「1954年」に私は初めて「録音機による自分の声を始めて学校で聞いたのです。」その時ただ、自分の声を聞いて驚いたと言うよりも、それ以後自分の声を録音する事が出来る物があれば。なんて事を思うようになりました。それも忘れない事なのですが、現在の「携帯電話くらいの箱」で、ちょっとしたマッチ棒のような物を指し込めば自分の声が入るような物。などを創造していました。それが現代の技術での「録音機」は、基本的にその目的と形が適っていてしかも、マッチ棒みたいな物どころか、携帯電話のメモリーのように、大容量で取替えなどもせずに便利に使えるのですものね。昨日その携帯電話に(16GB)の、メモリーを求めて自分で取り付けたのでした。このように小さな録音機と言うのは、当然「カセットテープレコーダー」から適ってもいたもので、メモリーレコーダーにしてももう、20年前の頃からそのような商品は手に入る時代になっていましたものね。
さらに、私は10歳代半ばからラジオ製作に始まり、無線通信機なども自作して来ましたがその頃二十歳前後の頃からは、30年前にはもう、当たり前のようになった、手の平で持てる程の「トランシーバー」が、当然のように手に入る時代になりましたがまだ20歳代半ばの頃「45年前の頃」には、夢物語みたいな物で、私の年齢が進む程に現在のような、あの頃創造していた遥かにそれを超える程のしかも、最も自分が憧れたような電子機器を持てる時代になっていますものね。しかも私はそれらを設計するその基本的原理を現代のデジタル技術も含めて理解出来た事は、実に恵まれていると言えます。それと同時に、視力障害者の為に、進んだ技術が「ディスプレーの進歩」により、それを見なければ操作不可能な作りになっている事への悔しさも強く体験していると言う事でも有ります。正に私にしてみればその技術の進歩は「過ぎたるは、及ばざるが如し。」と、言う結果になってもいるのです。30年前頃の出始めのコンピュータは正に、私みたいな者の為に作られたと考える事が出来る程の構造だったと言う体験を持てているのでした。
本日来訪された方は、1年半ぶりでした。この方は30年近く前から私のパソコン技術に関して直接的に学問的なレベルからの情報を貰ったり、出始めのパソコンで私が「晴眼者」の方と変わり無い操作が出来る為の「ボイスディスプレー」とでも言うような私の発想に対して大きな力で協力して貰えた同じ歳の人なのです。このような事ですからここ30年近くは私の所に来訪して貰えますとコンピュータに限らず電子機器のあらゆる技術面での話題に学びながら楽しく過ごせる人なのです。
それは2006年に現在用いているパソコンを新品で求めてからと言うもの、私なりにシンプルな用い方をしているもので、特に技術的に助けて貰わなければならないと言うようなトラブルは無く、私も基本的な考え方にその知識的に困る事も無くなり、会えば「四方山話適な内容」を、基にしての話題が私も話せるようになり、特に2008年に「スタジオを確保」してからと言うもの、これ迄可也話題的にと言う事が主だった事を、特に音楽、オーディオ機器関係を私もいくらか実践して設備出来た事により、私が単に「理屈屋」と言う事で「机上の空論」を言っているのでは無く、それどころか私はよく表現しますように「実用電子工学」と、言える考え方でのノーハウを身に付けている事を実践出来ている事になっているからなのです。そのような電子理論の基本に関しては幸いにコンピュータを扱うようになる昭和54年「1979年」の頃には、電子光学理論に関して特に実用面でその考え方に困る事は無くなっていたからなのでした。
このような私の事を最も専門的に理解して貰えるのが本日久しぶりに会えた友人なのでした。この方との出会いは私達がまだ10歳代後半の頃「アマチュア無線」の免許を取りたいと言う事で昭和33年「1958年」に、出会ってからのご縁でした。彼はその後「電子工学の無線技士関係の専門化」として、私も人生に最も憧れた道へ自らの強い努力で進まれた人なのでした。このような方ですから、年齢が進みコンピュータが世間に普及した、我々が40歳代になった頃でも、一般に働いている人は、1日の仕事が終わりますと、ちょっとしたレジャー関係の方で楽しまれると言う誰もが疲れているような、夕方の時間に、退社後私の所に来て、電子工学やそれに伴なってのコンピュータ技術の情報などを私に届けて下さり、私が努力してもやれ無い、ディスプレーを見ての事などは、その操作をしながら全てを「まるで奇跡が起こり私が見えるようになったら直ぐに役立つ。」と、言える程の、その場の状態を説明しながらのメンテナンスなどして貰えたのでした。それは、私が単に見え無いだけで、内容を知識的に理解出来ている事を「正しく理解して貰えていればこそ。」と、言う事なのでした。
なかなか一般には「視力障害者と言う立場」では、普通私みたいな者は、物事が判る人として真に、認めて貰える事は先ず不可能な事なのです。ましてや、電子工学などに関しての学問的内容ですのでなおの事、真に理解され無い事は常識的に当然だと解釈される事は、多く。それは「電子工学を基本にしての技術内容は図面が見えずして理解出来ているとは言え無いと、言われる世界。」と、言う事なのですから私の人生、それらを学ぶ事に真の苦しみが多く有ると言う事なのでした。しかし、この方は単に高い技術を持たれていると言うだけで無く、私を真に理解して貰えたと言う事に私は最も理想的で素晴らしい人なのだ。と、私も理解出来、心から感謝しているのです。そのような事で真に技術的レベルを中心にしての、私の人生を助けて貰えた方3人の内の一人なのでした。私は自分の事なのですからどのようにでもやれるならそれらの努力するのは当然の事ですが、私のそのような学問的知識的な事を直接理解して貰えればこそ私を全面的に学問的なレベルから助けて貰えたと言う事の方が大切で大きく尊い事なのだと言う事です。
本日早朝3時過ぎに起き出した時にやや寒いなと思ったのは、昨日同じような頃より気温が2度も低く、9度の為で、やはり僅かでも楽をするとそれに直ぐ慣れると言う事なのだなと思いながら、いつもの如く、パソコンの所に来たのでした。私はよく言われる血液型や、他人の干支「えと」で、ひとの性格などを色々と創造して言う人が有るのを聞きますが、私は先ずこのような事には全くこだわりを持たないのです。しかし、長い間の歴史の間に色々言い伝えられている事などにはそれなりに何がしかの体験を持っての事が基本的な根拠となり「諺」なども伝えられ、数百年前の頃から言われてきた内容には現代社会にこそぴったりと言うような内容も有ると言う事くらいは私も知っています。
さて、私が子供の頃からよく聞いた話題で、私の干支は蛇なのですが「蛇年はお金に不自由をし無い。」と、言われる事でした。この事を若い頃から聞いていて割りに早く知ったのは「何も有り余った大金持ちになる。」と、言う事では無くそれは「本当に必要ならそれは何とかなる事だ。」とも聞いたのを覚えています。この事を思い出す時、私は子供の頃からの体験を考えてみると、これまでも「身の程心得て考えるなら」と、言う事を表現して来ましたが、この事がなんだか当っているようにも感じるのでした。
ソシテさらにこのような実体験が出来て感じるのは、結果的に子供の頃からそれ程に甘やかされて育てられたと言うのでもなく、しかし親は「特に私が10歳の頃から家庭を離れての寮生活」の中から最も心配して呉れ、不憫だと思えばこそ、私も子供の頃から判っていたとは言え、両親は可也無理をして私に「栄養を取るように」と、言う事でそこそこに「小遣を持たせて呉れた。」と、言うような事に始まり、そのような事が子供の頃から寮生活の中で周囲の者が毎日のように美味しい物を買い求めて食べているような時に、私は「親から貰った小遣いを貯めて」最初の内は「親に内緒」で、玩具など買っていましたが13歳の頃には「模型」などを求めるようになり、14歳の頃から「ラジオ製作」に、強い感心を持つようになり、それが初めとしてこれ迄このページなどで喋ったり書いたりしたような人生になっていると言う事なのでした。
このようになんとか、自分にとって最も大切な事を実行出来た事はそれなりにその時代背景での環境を頂き、素晴らしい出会いをいただけた人生なればこそ色々と、基礎的なことを学び、身の程心得ての実行を体験で切ればこそとこれまでずっと感じてきたのでした。そのような事により、私は偶然にも結構前例の無いと言うような事を体験する事になりました。何事も1番手と言うのは、上手く幸運を掴めれば社会的にも人生の成功と言えるような状態になりますが、そうで無い場合には前例が無いだけにナカナカ理解されず認められなく、例えそれが大切な事で有っても発展させる事が不可能な上体になってしまうと言うような事は長い人生に多いものです。私はどちらかと言えば「視覚障害者として」だけと言うので無い範囲においても「その時代の先端の内容」と、言える電子技術関係の内容にも二十歳前後の頃から学び、実体験により個人的には実に恵まれた人生を過ごせていると言う事れは、現在もそれらに関する内容を続けることが出来ていると言うのは、本当に有り難い事なのです。
本日早朝午前3時過ぎの室温この冬最低の6どでした。天気予報では冬型気圧配置になるとの事でしたので今朝はこの冬最低気温になったのでしょう。起き出した時に今夜は寒いなと感じていたのですが、パソコンの所に来て、暖房機を働かせますと、だんだん良い気分になったのも、やはり爽やかに起き出す事が出来たからです。こんな日は空気の乾燥も強いのですが、お蔭様で私は日頃の生活のやり方では、よく言われる心配は無いように思っています。
本日ちょいとテレビの「ワイドショー」を聞いていましたら「冬の脱水症」と、言う話題を偶然にも聞きました。これに関係しての事は、私の場合このページで喋ったり、書くなどした事が有ります。それは先ず、冬の乾燥した空気では「インフルエンザ菌」が体内へ入りやすいと言う事は誰でも知っていまして、夏ではその危険度は少ないわけですね。そこで先ず自分自身が良く、水分摂取をする事が最も大切だと言えると思うのです。私はそのような事を考え、毎日のように水分補給をするようにしています。それは先ず、鼻や口の中をしっかりと潤しておく必要が有ると考えるからです。それを実行している事を書きましたが、本日偶然にもテレビでその話題を取り上げていたのですが、テレビでは血液が濃いクなり内臓の働きを低下させる事による脱水症状を発生するのでと、言う事が主体だったようでした。そしてこの時「室内での加湿器の利用」と、言う事も話題になっていましたが、私は以前から、加湿器の必要は特殊な目的で必要と言う場合以外は、普通の家庭での「加湿器の必要無い」と、考えるのです。
次にそれと一緒に話題になっていたのは、単に水ばかり飲んでいますと体内の、塩分が薄くなるのでいくらかの塩分と混ぜて飲むのが良いと言う事でした。これは確かに大切な事だと思います。しかし、この話題の最初で「夏には汗の為に水分不足となるのは誰も理解出来ていることで。」と、言う話題で、冬は「汗が出無いのでそれ程に喉の渇きを感じ無いうちに脱水症を発生する。」と、言う事でした。そこで気付けば塩分摂取も考えての事も良いですが、普通に食事が取れていれば、日常生活の中では、先ず食感でも意識的に水分を取るように先ず、気お付ける事だと言えるのではと思います。そのようにしますと、室内での「加湿器」の必要はそれ程に考えなくて良いと思います。私はこのように実行していますが、特に不都合を感じてませんし、寧ろ健康的で快適に過ごせていると感じています。
さらに私は日頃から考え、実行しているのは、室内こそ冬の乾いた空気で乾燥させる為に日中誰もいないときには建具を開け放し、換気扇を連続で動かしていますが、電力も30ワットくらいです。このようにしますと、冷蔵庫も無駄に動きませんので長い眼で見れば節電にも繋がります。難しく考えるより、今やれる事を先ず実行と言う事です。
本日はこのページにこれ迄載せていた古い内容の消去などしました。この頃では、趣味で音楽している人や、ミュージシャンなどのような方でも「ストリートライブ」をされる方が多く、私の子供達も関東地区、特に東京でよくやっているようなのです。私などもそれに変る方法として現在では、このようなページに載せてたまたま検索で見つけて頂いた皆様に聞いて頂くと言う事も可能なのですが、どうも私は野心的に、何とかして聞いて頂こうと言う強い、思いになれませんもので時に録音してはみるもののナカナカこのページに置く、事が出来ずにいます。そこで最近は、もう少し積極的な気分になろうと思いまして、昨年から置いているような音や文章ページなどをいくつか、カットしたのでした。と、言いましてもこれから何を載せてみようと言うような、予定している音はまだ何も無いのですけど、折角「スタジオ」なども有りますのでもう少し、自分を音で表現するような事に積極的にならなければならないなと思うこの頃なのです。
私はこのようなページにあれこれ書くなどしていますが、今年になって書いた色々な事をチェックして、天候に関しての内容を中心にカットするなど、いくらか書いた内容の編集したのでした。本日も友人が来訪して呉れまして、1950年代の「クラシックオーケストラサウンド」の音を持って来て聞かせて貰えたのですが、このような時によく思うのは、あのような時代にとても良い音での録音がしかもステレオで出来ていて、ステレオレコードが出始めた頃なのですが、音質は実に素晴らしいものです。あのような時代には良い音で聞く為には、良いアンプやスピーカーさえ持てば良い。と、言われていたような時代ですが、それは全く、その通りで、個人で良い再生設備を持つと言うのはそれ程、特に経済的には大変な時代だったと言えるのでした。
ただ、温室としてはやはり、いくらか高音部分が実際の「今で言うライブ」に比べてやや、足り無い事が実際の楽器の音に比べての違いのように思えるのです。ところがこの事が私の世代前後の皆さんから年輩の方が「真空管アンプの方がやはり良い。」と、言う感想を持たれるのは、このような音質だからなのではと言う感じがするのです。その点ココ40年来に録音された音質は、それなりの設備と部屋の状態により、可也「生演奏、ライブ」の、雰囲気を再現出来る程と言う音を感じさせる程に、特に「デジタル録音」による時代になり、自分が録音してもそれを忠実に再生出来るようになったのは、本当に素晴らしい時代に過ごせていると思えるのです。
しかも私は昭和43年「1968年」に、オールトランジスター方式の、僅か10ワットのメインアンプでの「チューナーなども内蔵した、総合ステレオアンプ」での、セットを揃えたのですが、この時「もう、真空管で製作したアンプの時代では無い。」と、はっきり感じ取ったのでした。それで、価格も「真空管方式で製作するよりも安価で、しかも素晴らしい音質なので、オーディオ関係に関して、電子技術を学ぶだけで良い。」と、言う判断をしたのでした。それと共に当然の事ながら「無線機関係」も、同じくそれからの時代の技術内容ではやはり、1台の機器を自作出来る、時代では無いと言う事も判り、世の中はそのように素晴らしい機器が出回る時代になったのでした。
私は「視覚障害者」ですもので、オーディオ機器など最近の電子機器など全ての物は、特に「ディスプレーの文字を見て」の、文字や絵によっての指示で操作しなければならないような構造になっているもので、私は折角二十歳前後の頃から学び、現在のような機器の構造を理解しながらその操作が困難と言う状態なのです。それだけにどうしても必要とする物などは可能な限りの工夫をしながら、それらの機器を使いこなしています。
そんな時には、マニュアルには「これこれこのように操作すれば便利で、眼の見え無い皆さんにも扱えます。」なんて、書いて有るような機器は全く無い訳です。しかしその機器の機能の基本と必要とする、仕事内容の目的での考え方を理論的に検討しますと、思いがけなく実に素晴らしい機能が有るものです。その事により、買い求めた機器が当初思って期待していた以上に素晴らしい物だと言う事にわくわくする事もよく体験したものです。それは、当然普通に眼で見て操作出来る皆さんとしては何でも用いている内に当然の事では有るものの、それらの操作方法が私みたいに、眼で見無くても手探りで操作出来るような機能で有る場合を発見すると言うのは、私の場合は若い頃からよく体験した事なのでした。こんな時には本当に嬉しいものです。
本日ももう、10年近く用いている「多重録音用機器で」とても不自由しながらもなんとか用いていたのですが、可也複雑な事を今回やっている内に、もしや「これこれこのようにすれば上手く手探りでも楽に失敗無く録音操作出来ると言う事ではなかろうか。」なんて思ったもので、そのような操作をしますと、これからの複雑な録音の場合に、実に楽に切り替え操作が可能だと言う事に気付いたのでした。こんな時、最も嬉しく思うのは、やはり機器の構造から基礎を学んでいて、これこれの仕事をする場合にはこれこれの基本的考えで行なわなければならない。と、言う事を専門的に心得ていればこそと思うところなのです。
それにこのような場合にもっと大切だと思うのは、たちまち何とかやれているとそれ以上の努力をし無いと言う事で、今回のような場合も求めて10年にもなるのに「まあまあ何とかやれるので。」なんて事でこれ迄それ程の努力をし無かったと言う事でも有るのでした。私は若い頃からこのような経験も有るのでした。だから時に悔しい事を思う事は有り、それを表現すると隣人は批判しますが、やはりそのような人の悔しさ、苦しみ表現をした時にそれに対して「そうだね。」と、表現するのと「いつ迄も、くよくよと悔やんだりして。」なんて言うのと、自分ならどちらに言われたいかと言う事ですね。自分には優しく接して欲しいが、同じ人でも立場が違うとその優しさが他人へ出無い人にもよく出会ったものです。
表題の話題は、夕方NHKの19時のニュースを聞いていましたら「東京大学入学を9月からにする準備がなされている。」と、言う事を聞きまして本当に驚いたのでした。私は若い頃から色々と物作りをするのに創造を膨らませての方法で、まだ現実に現われて無いような事などを考えると言う事をしていたものです。
そのような感覚でずっと以前から「学校が3月卒業なので、アメリカのように9月入学ならとても合理的で良いのに」と、思っていたことを隣人に離しますと、殆どの方が否定的なご意見をされていました。
私がそのような事を思っていたのは、学生時代と言う物は学習を通しての色々な事を学ぶべきで、受験勉強などは卒業後にその目的に従って集中的に努力するべきだと言う考えを持っていたからでした。それは、小中学校では基本的に自然に上がって行くようなものですが、高校からは入学試験を受けての事。学生時代には、受検の為の勉強と言う準備的な学び方では無く、学問としての知識吸収として学び、卒業後にそれ迄学んだ事を未来の目的受験の為の準備的な学び方とその受検。と、言う環境が望ましいのではとよく思ったものでした。
それに、私がこのような事を考えながら全く知らなかったのですが、ニュースによりますと、明治15年から現在のような社会体制の中で9月入学と言う制度になっていて、90年前の頃の「大正時代」から、年度区切りに合わせる様になったのだとか。私は長い人生でその基本的な思いは、時代と共にその望みが適ったと言う思いが出来た事柄が結構有ったように感じる事が出来る恵まれた人生だったと意識出来るのは、本当に有り難い事だとよく思うのです。
本日は友人が遊びに来られるかもしれないと言う事でしたが、10時を過ぎても連絡が無いので、何かの都合で中止と言う事になったようです。1週間前に「風邪を惹かれて大分、快復したのでこのままなら22日には行ける。」との事でしたが、電話にも出られませんし、新たにこじらせておいでにならなければ良いがと心配な思いです。それで私は今、ページでハーモニカの話題を喋っていますが「ハンガリー舞曲5番」を改めて練習しています。すると、音楽活動を犠牲にしていた頃の方法より、やや演奏し易いやり方に気付いたもので、この方法で上手く練習が進めば、録音してみたいと考えているところなのです。やはり時が過ぎればそれだけ経験も多くなりしかも、現在のように遊び心で楽しくやっていたとは言う物の、雰囲気によって違うものだなあと、我ながら感心している思いです。しかし70歳と言うこの年齢なのに、練習していて「やはり若い頃とは違うな。」と、言うような衰えた感じが無いのは、現在迄も健康で過ごせておれるお蔭棚と思うのです。
昨日来訪される予定にしていた人から昼前に電話が有り、昨日迄は、風邪が酷くなり寝るようにしていたと言う事で本日も電話を頂く直前迄寝ていたそうでした。一昨日から昨日迄は何度も電話に出られず、本日も1度かけましたが出られ無いのでした。幸いに声も可也快復していたようですが、何にしても大変なことになっていると言うのでは無い事がはっきり判り安堵する思いでした。お互いにそこそこの年齢ですのでちょいと変った事が有りますと余り良い事は思えず心配になるものです。そのような事で昨日は、前の日から良く眠れたもので、深夜にパソコンの所に来る事は無かったので、実に爽やかな気分で起き出す事が出来たのでした。昨日のスケジュールは変更になったものの、するべき事は色々有る物で、1日中楽しんでいたので良く眠れたようでした。若い頃には寧ろ夕食後などはそのまま起きていて日付変更になり眠くなってと言う事のほうが多かったのですが、特に10年前の頃からは夕食や入浴後は先ず一眠りと言う事の方が多くなりました。
本日夕方には室温8度で、午後には9度迄上がりましたが、今朝は、この冬最低記録の5度でした。昨晩21時前には眠っていたもので、日付変更過ぎた頃にとても気分良く眼醒めまして、そのままじっとしているのは余りにも勿体無い程に退屈になりましたもので起き出しますとさすがに昨日から冷え込むと天気予報で言っていた通りにやや冷たいと思いながら、パソコンの所に来ましたら8度で、外は時おり突風の音も聞こえているようでした。色々データ処理などして3時過ぎに居間に行きまた一眠りしましたもので、朝は実に爽やかに気分良く起き出す事が出来ました。そのような事で来訪者はさすがに無く、看板を上げている方の仕事は暇でしたが、その文私はやりたい事は沢山有りますのでその中でも最近ここ数日やっている10歳代の時に3本一組として求めた、一般的によく知られている普通のハーモニカでの「ハンガリー舞曲5番」の練習を中心にあれこれとやっていました。
本日午後でも室温7度、外の風は冷たく室内にいても時おり突風の音が聞こえるくらいで、今朝は6度。昨日からの深夜と言えるような、日付変更になって間もない午前1時前にパソコンの所に来ましたら室温7度でした。天気予報ではさらに気温が下がると聞いていますので、昨日の同じような時間より1度下がっていました。
このように強く寒い日だからこそなおの事、作りおきの「アイスコーヒー」を飲んだり、お茶など飲みまして、体内の水分補給をしっかりする事により、最近マスコミ報道にも有りましたが、気付かない内の「脱水症」を防ぐようにする事が【鼻から気管支】や、口の中などの粘膜をしっかり潤す事により身体が本来持っている事故防衛力が、出易いように心がける事が最も大切だと言えます。この事は室内に「加湿器を設置する」と、言う事以上に大切な事だといえます。それは、外出時には結局空気は強く乾燥している訳ですので、それに十分耐えるだけの体力の為に十分な水分摂取が大切なのだと言える事になります。
そこで下着を1枚増やしましたが、とても暖かく感じ、灯油ファンヒーターが弱になった時に寒く感じるのが、以前程では無い分、セット温度を1度上げるタイミングが遅く出来るのでそれだけ灯油の節約になります。ファンヒーターで無い若い頃に比べれば熱量の割には遥かに灯油消費は少なくなっていますので、現在の値段との割合を昭和40年代と比較しますと、その経済負担と灯油消費量は遥かに現在の方が少ない事になっています。また、スタジオで、一人で用件をしている場合に、エアコンのセット温度調整を最低にしておれる、室内温度に対する割合も効率的になると言えます。
これらの事は、私が9歳から19歳迄の学生時代の頃と、現在とを比べれば、子供の頃の暖房機が無いに等しいような寮生活での事を思いますと、現在は着衣も暖かいもので、必要以上に室温を上げない事のほうが健康の為にも実に良いようです。これこそが真の節約だと私は考え、若い頃から実行している事なのです。その効果は、私が自営業を始めてから46年間の間に冷暖房機器の進歩のお蔭で、私が学んだ「実用物理学」とも言える程の技術力によりそれを生かせて来れたのは、現在のように、節電を言われるよりも日頃、人から聞く光熱費は遥かに私の方が低いので、私は現在に近い程に無駄な費用を使う事無く、実に快適に過ごせていると言えます。
私が色々な音実験をする事などは、よくこのような所に書いたり喋るなどしていますが、数種類の楽器を演奏して、多重録音で「一人バンド」とでも言うような音作りをするので、私は夫々の楽器奏者になれるのです。その時も、マイク調整なども、音を出しながらヘッドホンモニターをするのですが、実際に楽器での音を出して、それを同時に聞きますと、直接楽器の音も聞こえるので、調整に困る場合などは同時に録音してそれをプレーバックしての、確認調整と言う事になります。
さらにこれらの場合、楽器演奏が終れば、次に「ミキサー」での操作は、時に自分が数役の、多重録音をして、それを普通の左右の一般的な「ステレオ録音」にする場合には、自分は演奏者では無くなり、自分の拙い演奏とは言えそれは、数人の人がアンサンブル演奏している、詰まりバンド演奏のレコーディングの為の「ミキサー」と、言う役目になれるのです。このように物作りと言うのはなんでも素晴らしく楽しいものですから、例えたった一人であれこれやるにしても、それに没頭出来ると言うのは、実に楽しいもので、一定の技術を持てばこそで、10歳代から既にこのような事に気付き、地味ながらも諦める事無く、学んで来れたなればこそ70歳と言うような時でもこれ迄蓄積して来た事を実践出来ると言うのは、これ迄学んだ事が、単なる「机上の空論」では無い事を表せる幸せを最も自覚する時なのです。
本日午後には室温5度で、夕方には4度になっていました。そして今朝、8時前の室温この冬最低記録の3度で、昨晩からの深夜と言う午前1時前に起き出しまして、さすがにいつもより、パソコンの所に来る迄に、最も手の指先に冷たさをかんじましたが、この時4度で、この冬最低記録と言う事だったのでした。こんな日でも、やはり作り置きの「アイスコーヒー」を持って来まして、真後ろに置いて有る、灯油ファンヒーターが働き初めますと、先ず下半身が温かくなりますと、沢山着込んでますのでもう、体はぽかぽかしますので、飲み物も口当たり良く美味いものです。セット温度は10度以下には出来ませんので、本日程の気温ですと、弱運転になるまでには、いつもよりは、長い時間になると言う事でやや、熱いくらいにはなりますが、部屋が狭いので、暫くすると必ず「弱運転」になり、それからは「強、弱」を繰り返すようになり、実に気分良いものです。昨日夕方は7ど、午後は6度、天気予報道理に冷えまして、朝は8度でした。さらに午前2時過ぎには7度でした。
私はよくこのページに書いたり、喋るなどしていますように、音楽は「プレーヤー」としての技量は殆ど無いのですが、楽器をどのように操作すれば、どのような演奏になるかを考え、それに従っての練習をしたり、一定の音感は子供の「10歳代」の頃に、その基本が身に付いたものですから、即興演奏なども遊ぶ程度ならなんとかやれるのです。そんな事で、実際に自分で音を出しながらのレコーディング実験をするのですが、それにより、本日も「マイクレベル」に関してのちょいと思い付いた事など有りましたもので、それらは、眠れ無いような場合などには、色々な場合を考えながら一定の事を思い付きますと、早く実験してみたくなるのです。そのような事で、朝食が終わり、家内が出勤しましたら私は、その時に「階下のスタジオ」に行きまして、マイクレベルと、スピーカーから出力される音との関係を早速実験しましたら「トリム」の使い方で実にた易く上手くそのレベルを決定する場合に確実で良い方法に気付き、実に嬉しくなるものです。基本的な理屈は知っているようでも、時に閃かなかったりするような場合が有りますが、今回は音の直線性をよくする為の録音にも大切な事に繋がる事にも気付く事が出来たのでした。こんな時には本当に嬉しくて、70歳にもなった今、現在でも、二十歳前後の頃に、思いが適った時のような、わくわく感が有ると言うのは、お蔭様で心身共に健康なればこそと認識する事が出来大きな幸せを意識するのです。