花つれづれ
●今回の花
アガパンサス アフリカ南部原産のユリ科多年草植物。
英名 コモン・アガパンサス。アフリカンリリー(African
lily)。
学名 africanus
和名 ムラサキクンシラン(紫君子蘭)
花言葉 「恋の季節」「恋の便り」「恋の訪れ」等々。
花期 6月下旬〜7月上旬
場所 県道沿い観音さま前
祥雲寺裏、県道沿いにたてられた「観世音菩薩」。この時期、紫色の綺麗なお花が周りを彩る。アガパンサスだ。
アガパンサスという名の由来は、ギリシャ語で愛の意味をもつ「アガペー
agape」と、 花の意味をもつ「アンサス anthos」との結合語で、「愛らしい花」といった意味だそうです。
ギリシャ語では愛という言葉に、異なるもの四つのものがある。「エロス」「ストルゲ」「フィレオ」「アガペ−」というものがあります。
「エロス」は、男女の愛、体が中心となった愛、自分満足の愛で、 相手の美しさや善に左右される自己中心的な愛。 本能的な愛であり、物扱いの愛でもある。
「ストルゲ」は親愛、若い愛というような意味で、家族や肉親に働く愛。
「フィレオ」は「友愛、兄弟愛」とも呼ばれ、友達、同士、故郷、国等の間に存在する精神的な愛。
「アガペー」は無条件な愛を示す言葉なのである。
「エロス」と「アガペ−」が合体して「カリタス」になった。
「カリタス」は英語の「チャリティ−」の語源となった言葉。
このアガパンサに囲まれた「観音さま」建立されたのは、私が小学6年の頃だったように記憶している。そして、その頃に起きた様々な出来事が忘れられないものになっている。
私が小さい頃、近所に住んでいたお兄さんが就職するまで、お寺に手伝いに来られていた。朝から晩までお寺で暮らし、いたずらっ子である私を厳しい父親からよく守ってくれたものだ。まるで、本当の弟のように私をかわいがってくださいました。
そのお兄さんは英会話や野球など多くのことを私に教えてくれた。釣りやドライブにもよく連れて行ってくれた。そのお兄さん就職しても、しばらく家に顔を出し、「てっちゃん・テッチャン」と随分かわいがってくださった。兄のいない私には本当の兄のように思えた。
就職されて半年経った頃だろうかお寺に一本の電話がかかってきた。「○○ですけど、うちの息子が事故で亡くなりました・・・」そのお兄さんの母親からの電話だった。お兄さんは事故で感電死された。
小さい頃から葬儀を見てきたが、実際に葬儀で読経したのは、この時が初めてだった。つい最近まで遊んでもらっていたお兄さんが今、棺の中で無表情にいる。その顔を見ていると、こどもながらに死というもの、無常というものが、心に染み渡り、自然と涙が出た。
父は涙を堪えて読経し、御詠歌をあげた。しかし、御詠歌の頃になると、耐え切れず嗚咽しながら、お唱えをした。
葬儀が終わって父が「哲元悲しいような。涙が出るよな。お父さんも悲しい。みんな家族や身近な人が死んだら悲しいんだよ。でも、悲しみを超えて、仏さまとしてお送りしてあげる。心の底から愛情を贈り、最後送ってあげよう。それが僧侶の役目だよ。僧侶も人間、悲しむこともある。でも、悲しむと同時に心の底から冥福を祈ってあげよう。読経しよう。哲元の心の中にある思い出はきっといい思い出になるはず。いい思い出になるように、お兄さんの分まで生きていこう。それが一番大切なことだよ。」
葬儀も終り、49日のお勤めも半分過ぎた頃だろうか。このお兄さんの祖母がお寺の裏の県道でバイクに跳ねられて事故で亡くなられた。お寺の裏の県道は緩やかなカーブになっていて、昔から死亡事故の多い所だった。お兄さんに続き、お寺にもよくお手伝いに来られたお婆さんも49日を立たないうちに、事故で亡くなられた。身内が2人も続けて亡くなられた家族の心中を察すると、言葉にならない。
49日過ぎた頃、お兄さんの祖父と両親がお寺の裏に「観音さま」を建立したいと、開眼供養が行われた。死亡事故が多くあったこの場所で、もう2度と自分達のように悲しむ人が出ないようにという思いを込めて、全ての人の交通安全を願い、そして自分の息子・自分の母親に無条件な愛を送って。
この観音さまの前には2本の柱が立てられている。
そこにはこう書かれている。
「父に慈恩あり」
「母に慈恩あり」。
私はこの言葉を自分に言い聞かせ、生きている。両親の愛、そして多くのお檀家さん、多くの人・・・。
私は「無条件なる愛」を注がれ、生きてきた。その愛に甘え、生きてきた。今でもそうだろう。その愛というものを私はなくしてはならない。今度は私がその愛を注いでいきたい。僧侶として生きる中で、私はこのお兄さんを目標としている。優しい眼差し・優しさ。まだ、到底追いつけもしない・・・。
観音さまの前の柱にはこうも書かれている。
雲のように身軽に生きていこう
水のように素直に流れていこう
鳥のように一途に飛んでいこう
僧侶として生きる自分。この言葉を心に刻み込み、目標としている。
今でも私の部屋にこのお兄さんの写真をまつっている。そして、カッとなりやすい自分自身を反省し、お兄さんにいつもちかっている。「お兄さんが楽しみにし、早くなってほしいと思ってくれた僧侶として僕は生きてますよ。お兄さんや多くの人が僕に贈ってくれた「無条件なる愛」に育てられて。囲まれて。今日も生きていきますよ。」と。
気がつけば、亡くなったこのお兄さんと変わらぬ年となった。
こどもの頃から咲いていたアガパンサス。今も変わらずこの時期に多くの花を咲かせる。この花を見る度に「愛」の素晴らしさと大切さを振り返る。
多くの人の苦しみをなくし、幸せを与えるという「観音菩薩さま」。そこには、大いなる愛というものがある。観音さまと共に、お兄さんやお婆さんも今でもそっと愛を送り続けてくれているように私は思う。私もそっと自然に、身軽に、素直に、一途に送りつづけたい。
観音さまを囲んでいる多くのアガパンサスのように、しっかりと根をはり、力強く。