The Story of Art Gallery Coffee shop Memories 36.恵子さんの野望 |
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中央通り商店街に、砂埃を巻き上げるがごとく強い風がひゅうひゅうと吹いている。 「昨日はすっかりやられちまったが、今日はそういう訳にいかないぜ?」 「ふん。まだそんな事を言っているのか、もういい加減に負けを認めたらどうなんだ」 静かに睨み会う、二人の中年男。 まるで、西部劇のワンシーンを想像させるかのようなその光景。 一人はTシャツ姿で前掛けを締め、白い長靴、頭にはきりりと捻り鉢巻を締めている。 短く刈り込んだ頭髪、鼻筋がすっと通った、なかなか良い男。 橋田征二は『征ちゃん』と呼ばれる、橋田鮮魚店の三代目。 そして一人は白い調理衣にちょっと太めの身を包み、きちんと整えた髪にちょこんと白い帽子を乗せている。ふっくらとして愛嬌がある顔をした彼の名前は森谷健太、愛称は『健ちゃん』で、こちらは森谷精肉店のこれまた三代目。 橋田鮮魚店と森谷精肉店は、商店街の中央通りを挟んでお向かいさん。 二軒のお店から駅と反対方向へ、ずっと歩いた先には「画廊茶館」が建っている。 征二と健太は、幼なじみの腐れ縁。 生まれた家はそれぞれ魚屋と肉屋、同じタンパク質でも異なる存在。 よせばいいのに、それが宿命とばかり事あるごとに張り合う二人。 征二が「黒」を選べば、必ず健太が「白」を取る。 「いい気になるなよ征二。今日はいつもの俺と違うぜ」 「ほう、どう違うんだ?」 「なかなかの豚ヒレだ、仕入れるのに苦労したぜ」 「笑わせるなよ。何度も言うがヘルシーって事に関しちゃ、魚の方にちょいと分があるぜ」 「くっ!」 勝ち誇った征二の不敵な笑みに、健太がぐっと唇を噛んだ。 食材として肉も魚も、それぞれに良いところがある。しかしやはり食べ過ぎは良くない、バランスを大事にすることが重要だろう。そして野菜や根菜類、穀物類など、様々な食材と組み合わせれば、料理の栄養価も高まるのだ。 健康志向が定着したこの頃、誰もがちゃんと分かっている事なのだが、この二人はプライドばかりが前に出る。 「仕入れた魚はどれもとれとれ。お前が何を仕入れたかか知らねえが、俺は午前三時から市場へ出向いてたんだ、こちとら正攻法よぉ!」 誇らしげに胸を張る征二を睨み、健太は歯をきしらせていたが、不意ににやりと不気味な笑みを浮かべた。 「ふっ! 瞳子ちゃんだって、にゃあ〜って鳴く猫じゃあるめえし、そうそう毎日魚もないだろう。柔らかな肉質は煮ても焼いても味わい深いぜ。なんたって、あの有名な豚だからな!」 「あ、あの有名な豚だとっ!?」 征二の顔が、驚愕に歪んだ。 「ふふふ、いくら頭をひねっても、お前にゃ到底理解出来ないだろう、ええ?どうだ、コラ、魚屋!」 「あっ、てめえまた! 俺を魚屋って呼ぶなって言ってるだろ!?」 「あ、そうか。ごめん」 征二は子供の頃から「魚屋」とからかわれるのが大嫌いなのだ。それをよく知っている健太はすまなさそうに頭を掻いた。 「まぁいい。瞳子ちゃんが買い物に来たら決着が付くんだからな」 「おう!望むところだ」 二人の視線が真っ向から衝突し、目に見えない激しい火花が散る。 「今日十八時三十分ジャスト、タイムサービスが勝負だぜ」 「ああ、望むところだ!」 再び二人が睨み会っていると、 「二人とも、何をやっているんですか?」 やれやれといった表情で二人を交互に見やる恵子が、腰に手を当てて立っていた。 一時休戦。 征二と健太が揃って恵子へ振り向く。 そのタイミングはばっちりで、とても仲が良く見えるのだが。 「おう!恵子ちゃん」 「買い物かい?」 「お二人ともお店を放っておいて、しかも往来の真ん中で大声で騒いでっ! 中央通りは商店街の顔です、お客様に失礼があったら大変だって、商店会長さんがいつもお話されるじゃないですか」 恵子は呆れたように、首を左右に振った。 「奥さんに怒られても知りませんよ?」 その恵子の言葉に、可笑しいくらいにびくりと震えた二人が、恐る恐るそれぞれの店先へと目をやった。 しかし、店先に妻の姿が無いことを確認し、これまた同じタイミングで大きく溜息を付いた。 その様子が可笑しいのか、恵子が「ぷっ!」と吹き出す。 「ところで、何を睨みあっていたんです?」 「いや、瞳子ちゃんが毎日のように、買い物に来てくれるんだけど」 「肉と魚、どっちが多いかなって話になって」 その理由を聞いて、恵子は鈍く痛むこめかみを押さえて深い溜息を吐き出した。 「あっきれた、そんな理由ですか……」 しかし何やら興味を覚える事ではある、なんたって瞳子ちゃんの事だし。 恵子は二人を見比べた。 「この一週間で、瞳子ちゃんは肉と魚、どっちを多く買ったんですか?」 恵子の問いに征二と健太は顔を見合わせた。 「俺の店が月、木、金曜日」 「俺の店は火、水と土曜日」 肉が三日で魚も三日。 偶然かもしれないが、これは面白い。 「どっちかがひとつ勝てば四だ対三だから、今日で決まるんだよ」 顎を撫でながら征二が言うと、健太も頷いた。 「あのですね、プロ野球の日本シリーズじゃないんだから」 しかし恵子は、ぽん! と手を打った。 (なるほど。肉も魚もバランス良くか、瞳子ちゃんらしいわね。ちゃんと毎日考えてるんだ。それにしても慎吾の奴はまるで馬車馬だものね、毎日いった いどれだけ食べるんだか。ちゃんと味わって食べているかしら、瞳子ちゃんに黙って『ふん!』とか言って茶碗を突き出したりしてたら、ぐーで思いっ切り殴っ てやるんだから。うわ、何かしらだんだん腹が立ってきたわ。あの慎吾の馬鹿野郎いったい何考えてるんだか、瞳子ちゃんに感謝してるのっ……) ぶつぶつこぼしはじめる恵子、完全に目が据わっている。 まるで魔物でも見るような顔をしている征二と健太。ふと我に返り、二人の視線に気付いた恵子は、「あははは」と笑いながら手を振った。 (瞳子ちゃんも、この二人に気を使っている訳でも無いだろうけど。偶然、偶然、いや瞳子ちゃんの事だから分からないわね) 恵子は心の中で、くすりと笑った。 「でも、瞳子ちゃんは今日、買い物をしないと思いますよ」 「ええっ!」 「そりゃまたどうして」 得意げな恵子の言葉に、二人が揃って疑問を口にした。 本当にタイミングぴったりだ。 「ふふ、じゃっじゃじゃ〜ん!」 恵子は肩に掛けていたバッグから、二枚のチケットを取り出した。 「ず〜っと観たかった、ミュージカルのチケットが手に入ったんですよ、ちゃ〜んと二枚! もう嬉しくて、今夜が公演初日だし、さっそく瞳子ちゃんを誘っちゃった!」 うきうきとした様子の恵子は、ぽん! と手を打ち合わせた。 「ミュージカルを観た後は、駅前にある知り合いのレストランで、豪華なコースを堪能するの。瞳子ちゃんったら、遠慮しちゃって。あ! 瞳子ちゃんはお酒弱 いから、いっそ飲ませちゃおうかしら? 酔ってふらふらになったところを口説き落として、私のお店で一緒に働いてもらう約束をして貰わなくちゃっ!」 (おいおい、さすがにそりゃまずいだろう……) (ま、まぁ、恵子ちゃんは瞳子ちゃんを気に入ってるからなぁ、瞳子ちゃんも気の毒に……) ぼそぼそと小声で話す征二と健太をよそに、浮かれまくった恵子は嬉しそうに、くるくるとダンスを踊っている。 ベージュ色の長いスカートが、ふわりと風をはらんだ。 「さあて、おめかしおめかしっ! じゃ、またね!」 恵子の足は、ふわふわとまるで地に付いていない。 弾むような足取りで去っていく、恵子の姿を眺めながらその場に取り残された征二と健太は、しばし呆然と立ち尽くしていた。 「あなた、なに油討ってるの!?」 「ほら、そろそろ客足が増えてくるよっ!」 買い物に訪れる主婦達で、賑わい始めた夕刻の商店街。 店先に顔を出した妻に、ハッパをかけられた。 「おう!」 「おうよ!」 勝負はお預けのようだ。 征二と健太は、互いに突き出した拳を軽く打ち合わせた。 「さあ、安いよ、安いよ!」 「おっと奥さん、お目が高いねぇ!」 二人はそれぞれに、次々とお客をさばいていく。 ほろ酔いでほんのり頬を染める、瞳子の艶姿を想像しながら……。 そして恵子は、念入りに今夜の作戦を練るのだった。 ☆★☆ 今夜は少し、おめかしをしてみました。 着慣れないよそ行きを着ている自分を鏡で見ると、恥ずかしくなってきます。 いつもより鮮やかな色のルージュで彩った唇。 それだけで華やかな気持ちになり、私は小さな鏡に映った自分の顔を見て、思わず微笑んでしまいました。 今夜は、恵子さんとお出掛け。 とても楽しみです。お芝居なんて、私は一度も観た事がありません。 五分ごとに壁の時計を見上げていると、 「と・う・こ・ちゃーん! 出掛けるわよーっ!」 勢い良く扉が開く音とともに、恵子さんの元気一杯の声が響きました。 「はーいっ!」 思わず私も大きな声で答えます。 あら、今夜は私も浮かれているみたいです。 では、行って来ますね。 |
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