The Story of Art Gallery Coffee shop Memories

37 .「ラ・イ・バ・ル」宣言!
 目次
「ほらほら、瞳子ちゃん、瞳子ちゃんっ!」
 カウンターの内側、お客様からは見えない場所に身を潜めた遙さんが、押し殺した声で私を手招きされています。
 その表情はとても真剣で、私は思わず遙さんの背中に隠れるように、ぴったりと寄り添いました。お姿は黒いスーツにサングラス。帽子を目深に被り、丈の長 いコートを羽織って、張り込み中の探偵さんか刑事さんのおつもりなのでしょうか。耳には丁寧にイヤホンまで付けていらっしゃいます。
 遙さんはいつも、お客様がいらっしゃる時には姿を見せられないのですが。
 やっぱり、何か特別な事でもあるのでしょうか。
「あ、あの……遙さん、そのお姿はいったい……いえ、どうなさったのです?」
「気が付いてる? 瞳子ちゃん。あなた、狙われているわよ!」
「ええっ!」
 遙さんが、いきなり怖い話をなさいます。
「ね、狙われている……って、わ、私がですか?」
 サイフォンの様子を横目で見ながら、私もひそひそと小声で問い返しました。
 考えてみれば、そんな事をしている暇はないのですが。
 今日は午前中からお客様の姿も多く、私はテーブル間をひっきりなしに飛び回っている状態なのです。
 でもそんな話をされたら、気になって仕事が手に付きません。
 お客様の前で、カップでもひっくり返したら大変です。
 それにしても困りました……。
 わ、私は誰に、ど、どんな理由で狙われているというのでしょうか。不安が胸を締め付けます。
 でも。
 ちらちらと、しきりにお店の中の様子を窺っている遙さん。
 遙さんの姿が見えているのは多分、私だけなのでしょうけど……。どちらかというと、遙さんのそのお姿の方がとっても怪しいです。
「あ、あの、遙さん?」
「瞳子ちゃん! 静かにしてっ、危険よ!」
「危険って……ですから、遙さん」
「私達だけでは駄目ね、すぐに応援を要請しないと」
「何処に応援要請するんですかっ……もう、遙さんったら!」
 私は尚も後ろから、遙さんの肩を人差し指でちょんちょんとつつきます。
「あん、何よぅー」
 振り返った遙さんがサングラスをちょっとずらして、頬を膨らませました。
「別にこっそり覗いたりしなくても、いいんじゃありませんか? 遙さんの姿が見える人って、滅多にいらっしゃらないでしょう?」
 私が素朴な疑問を投げ掛けると。一瞬、きょとんとした遙さんでしたが。
「それがねぇ、見えなくても感じる人って、結構いるのよ。ほーら、あ・そ・こ」
 遙さんは黒い帽子を脱いで、ぺったんこになってしまった栗色の髪をふんわりさせた後、真っ黒なサングラスを外しました。
 人差し指で、くいくいと指さす先。
「窓際奥のテーブルに座っている彼女、あの子は要注意ね。さっき、私の視線を感じたみたいだもの、びびびーっ! て、睨み返されたわ」
 肩を竦めた遙さんは「危ない危ない」とつぶやいて、カウンターの奥へ身を隠されます。
 ええと……。びびびーっ! ですか?
 遙さんのような存在が、見えてしまう体質なのでしょうか。興味を覚えて、私もその彼女が座っているテーブルへと、そっと目を向けてみました。
「あ、そうそう! 言い忘れていたけど、あなたを狙っているのはその子なのよ」
「え゛!?」
 は、は、は、遙さん、教えて下さるのが遅いですっ。
 ばっちり、彼女と視線が合ってしまいました。
 ああっ、またやってしまいました。
 もう……私は馬鹿です。
 視線がぶつかったその瞬間、きっ! と彼女のきつい瞳に射抜かれ、私はびくりと体を硬直させます。私をターゲットにしているという彼女は、硬い表情のまま組んでいた足を下ろしました。
 そのまま席を立ってテーブルの間を縫うように歩いて来ると、カウンターを挟んで私の目の前で立ち止まりました。
 驚きました、私と同じくらいの背丈です。
 私は背が高いのがコンプレックスなのですが、胸を反らした彼女は堂々としています。
 少しきつめの眼差し、肩までの髪はメッシュが入れられてシャープなイメージ。赤いルージュの唇が目を引きます。
「あなた、さっきから私の事をちらちら見ていたでしょう、一体何なのよ!?」
 少し、いらいらしているその口調。
「それは誤解なんですっ!」と、弁解のしようもなくて。
 ちらりと責めるような視線を遙さんに送ると、手を合わせた格好で私を何度も拝みながら、すまなさそうな表情をしてらっしゃいます。
 その遙さんの姿に、私は思わず口元が緩んでしまいました。
 ……あ、いけません。
 目の前の彼女のこめかみに、大きな怒りマークが浮き上がります。
 彼女は、ばん! とカウンターを手で叩きました。
 私は驚いて目を固く瞑り、思わず首を竦めます。
 その音は思いのほか大きく響き、他のお客様のたくさんの視線が何事かと集中します。
 店内が静まり返り、漂う気まずい雰囲気に感情が少しトーンダウンしたのか、彼女は幾分落ち着いた声で思いがけない事を言いました。
「もういい、面倒だから短刀直入に聞くわ。あなた、慎吾の何っ!?」
「……はい?」
 一瞬、その言葉を理解する事が出来ず、私は間の抜けた返事をしてしまいました。
 そして、それはまた彼女の神経を逆撫でしたようです。
「だから、慎吾とどういう関係なのっ!」まなじりを吊り上げて、詰め寄ってくる彼女。
 どんな関係かと、問われましても……。彼女の言葉の意味が理解出来なくて、私はきゅっと小首を傾げます。そして上、右、下、左へぐるりと視線を移しながら、じ〜っと考えます。どう考えても、彼女に答えられる慎吾さんとの関係はひとつしかありません。
「沢渡さんは、当茶館のマスターですから。雇い主と従業員……ですね」
「あっ、あなた、私を馬鹿にしてるの!? それとも天然系!?」
 天然系という表現は分かりかねますが、私は決して馬鹿にしたりはしていません。
 でも怒りを顕わにしている彼女は、不満そうな表情で私を睨みます。何が悪いのか分かりません、私は何か間違っていたのでしょうか。
 ふと横目で遙さんを見ると、額に人差し指を当てて首を横に振っていらっしゃいます。
 あの、遙さん。後で責任の所在をはっきりとさせましょうね。生クリームをたっぷり巻いたロールケーキ、お預けにしちゃいますよっ!
 ……と、そんな不満を喉の奥に押し込んで、私は表情を改めました。
「お客様。私に失礼がありました、深くお詫びいたします。ただ他のお客様もいらっしゃいますので……」
 私は目の前の彼女に向かって、深々と丁寧にお辞儀をします。
 どうにか怒りをおさめてもらえないでしょうか、他のお客様にもくつろいで頂く事が出来ません。
 ですがその瞬間、ちらりと周囲を見回した彼女の顔が、ぼっ! と音を立てて上気しました。
「な、何よっ!」
 顔を真っ赤にした彼女は、バッグからもどかしそうに財布を取り出しました。
「もういいわ、おいくら?」
 おいくらと、尋ねられても困ります。
「いいえ、お代など頂くわけにはまいりません。まだ注文された品をお出しした訳ではありませんから」
「……そう、分かったわ」
 財布をぽんとバッグへ投げ込むように入れた彼女は、真っ直ぐな視線を私に向けました。
 光を弾く瞳は琥珀色。凜とした表情、強い生命力を感じさせる女性です。
「麗香」
「え?」
「麗香よ、私の名前。片桐かたぎり 麗香れいか、よく覚えておいて!」
 彼女……麗香さんはバッグを肩に掛け直して、さっと身を翻し足早に出て行ってしまいました。
 そのとても綺麗な歩き方、後ろ姿に見とれてしまいます。
 彼女の姿が見えなくなると、少しざわついていた店内に穏やかな雰囲気が戻ってきました。
「あらあら、可愛いわねーあの子。なるほど、なるほど……」
 腕を組んで、うんうんと頷いている遙さん。
 私は息を大きく吸って、胸を反らせます。
「遙さんっ! さっき言い忘れたっておっしゃいましたけど、わざとですね!」
 絶対に間違いありません。酷いです、彼女がずっと私を見ている事を知っていらしたのでしょうに。睨まれて、とても怖かったんです。
 ちょっぴり浮かんだ涙を、指先で拭った私が恨めしそうに言うと、
「バレちゃった? ごめんなさいね」
 遙さんは、決まり悪そうに苦笑いをされました。
 それにしても凄い迫力でした。麗香さんは、慎吾さんのお知り合いなのでしょうか。
 それともひょっとして、い、今のは……。い、いいえ、そんな事はありませんよね。
「ひょっとしなくても、あれはライバル宣言ね!」
「ラ、ライバル宣言!?」
 遙さん……今、ひょっとした私の心を読みましたね?
 え、ええと、とっ、と、と、取り敢えず落ち着かないと。
「あの、遙さん?」
「何?」
「ええと、じゃ、じゃあ麗香さん……は、その、し、し、慎吾さんの……」
 もじもじしながら私が尻すぼみの声で問い掛けると、遙さんはじーっ私の顔を見つめます。
「うふふふふ、気になる? 気になる?」
 遙さんはとても楽しそうに、にんまりとした笑みを浮かべられています。
「き、気になんてなっていません。今日の遙さん、意地悪です。ロールケーキは、私がひとりで食べちゃいますからっ!」
「あ、あ〜っ、瞳子ちゃん、そんなのずるいっ!」
 食いしん坊の遙さんが、慌てて私のジャケットの袖を掴んでぶんぶんと振ります。
 食べ物の事になると、頼りになる大人っぽい姿は何処へやら? 遙さんはまるで子供になってしまいます。
 ツン! と、そっぽを向いた私は、静まりかえっている店内でお客様に注目されている事に、ふと気付きました。 
 ……そ、そうですよね。遙さんの姿が見えているのは、私だけのようですから。相手も居ないのに、ひとりでしゃべっているように見えますよね。
 だ、駄目です。顔が真っ赤になって、火照り出しました。
 私は恥ずかしさに耐えられずに、慌ててカウンターの奥へ逃げ込みます。
「ほらほら、イライラしないの。いつもの瞳子ちゃんらしくないわよ?」
 カウンターの奥には、相変わらず意地悪な笑みを浮かべている遙さん。
「もうっ! イライラなんて、していませんっ!」
 自然と声が大きくなってしまいます。
 麗香さんからの『ライバル宣言』に……私の心は、穏やかではいられないのでしょうか。
 
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