The Story of Art Gallery Coffee shop Memories 44.キャンバスを訪ねた風(2) |
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自己顕示欲が強い声の主は、知らん顔をしているとたちまち不機嫌になる。彩人を呼び止めた青年の名は結城和馬。頭のてっぺんから爪先まで、メンズファッション誌でお目に掛かるような洒落たスタイル、胸元でシルバーネックレスが揺れている。 彩人と同じ学生である和馬は、グラフィックデザイン科での高い評価を受けている。美咲にアーティスト・ブランドへ誘われたのが嬉しくてしょうがないの か、少々張り切り過ぎだ。しかし本人にその自覚はないようで、尊大な態度と物言いは仲間内でもトラブルの火種になっていた。 どうやら和馬は一方的に彩人をライバル視しているらしく、事あらば噛みついてくるのだ。 「和馬……。俺に何か用か?」 「お前、相変わらずダセぇ格好だな。俺達は仮にもアーティストだぜ?」 「だから、それがどうしたんだ?」 和馬の皮肉は十分に分かっているが、相手にする気もないのでわざとすっとぼけてやった。 服装についてとやかく言われる筋合いはない。彩人は特に着飾る方ではないが、普通の男子学生らしく清潔な印象のファッションを心掛けている。 「いいか、沢渡。お前のそのナリには、センスの欠片も無いって言いたいんだよ。俺達にとって、センスは大切な実力だぜ」 「ああ、悪かった。よく覚えておくよ」 彩人は素っ気なく答えた。ファッションモデルならともかく、お前は描く方じゃなくて描かれる方か? 一介の学生が、もうアーティスト気取りか……冗談じゃない。彩人は心の中で肩をすくめた。 同行してくれる営業社員から協力を受けなければ、仕事の話ひとつ満足に出来ない。そうだ、自分達は試されている段階なのだ、小さな仕事をコツコツと地道 にこなさなくてはならない。一通りの事を誰にも頼らずに、きちんとこなせるようにならなければ大きな顔など出来ないはずだ。 それに、彩人自身も服装には出来る限り気を配っている。そうでなければあの厳しい貴子がうるさいだろう、それにだらしない格好では先方に失礼だ。 アーティスト・ブランドのメンバーは定期的に事務所へと集められ、ミーティングに参加する事が義務付けられている。そこで指揮を取る美咲は、まず彩人に 活動方針を示して意見を求める。彩人の意見は行動の骨格として尊重され、他のメンバーも続いて意見を出し合い、最終的に行動の指針が決定される。 つまり彩人は、アーティスト・ブランドという組織のリーダーと認識されている。和馬自身もデザイン学科において、かなり優秀な学生である。和馬にしてみれば、それが気に入らないのだ。 プライド……和馬の不遜な態度は、剥き出しにした彩人へのライバル心そのものなのだろう。彩人には、これほど迷惑な話はない。和馬がその気で美咲が了承したのなら、リーダーなどいつでも代わってやるのだが。 「ちっ! まぁせいぜい努力しな、アーティスト・ブランドの名に傷を付けないようにな!」 「待てよ、和馬……」 彩人は、くるりと背を向けた和馬を呼び止めた。 「センス自慢も良いさ、ファッションもお前の趣味だけどな。依頼人の意向を無視するのは、商業デザイナーを目指す者としては失格だろう。先方から断りの連絡が来たそうじゃないか」 「なっ!」 彩人の痛烈な一言に、振り返った和馬の顔色が変わった。何故それを知っていると言わんばかりの表情、思っている事がすぐ顔に出るヤツだ。 「お前こそ、美咲を失望させないようにな」 「そ、それをどこで……。まさか、ほ、本城さんに聞いたのか!?」 「さあ、どうかな? 俺達はそれぞれの感性で、依頼主のイメージを創出する手助けをするんだ。将来、アーティスト・ブランドを引っ張って行く気があるなら、それを覚えておけよ」 ポケットの中の携帯電話を意識しながら彩人は言った、先ほど届いた美咲からのメールには、そんな懸念が書き記されていたのだ。青い顔で何も言えずに凝固している和馬をその場に残し、彩人はさっさと社屋に向かって歩き出した。 人生で出会う、すべての人間と仲良くなれる訳ではない。顔形が違う様に、主義主張などの思想も異なるからだ。 アーティスト・ブランドというひとつの組織の元に、皆の意識をひとつに集めたい。 メンバー同士の意思疎通を円滑にするために、彩人はその溝を少しでも埋めようと努力しているつもりだが、まったくその気が無い者もいる。アーティスト・ブランドで活動を始めて、彩人はそれを嫌と言うほど思い知った。 だから奔放で我が強いという印象を受ける、芸術家肌の人間をまとめてしまう美咲の人望に驚くばかりだ。彼女の才能が、彼等を惹き付ける魅力となっているのだろうか。 いや、メンバーに自分の名前を売りたいという思惑も感じるのだが。そんな嫌らしい考えすらも、美咲はその懐の広さであっさりと受け入れてしまう……。彩人には、とても真似が出来ない。 そんな考えを巡らせながら、置き忘れていた資料を無造作にバッグへと詰め込んで、彩人は事務所を出た。和馬とのニアミスのせいか気分が悪い。 エレベーターで一階に下りて、不機嫌な表情で廊下を歩いていると、 「沢渡君、沢渡君……」 背後から、小さな声で呼び止められた。 今日はあちこちから声を掛けられる、今度は何ですか……。げんなりとした彩人がゆっくりと振り返ると、開いたドアに隠れる様にしている白衣姿の女性が、ちょいちょいと手招きをしている。 「あれ、和佳子先生?」 彩人を呼び止めたのは、小泉 和佳子女医……心療内科医師だ。 昨今、心因性のストレスは現代病として、大きな社会問題となっている。仕事から受けるプレッシャー、職場の人間関係、家庭の問題等々。それぞれが抱えた様々な悩みは次第に心を蝕んでゆく。 ここ本城グループの本社でも、社員達の心の健康にも気を配っている。心理カウンセラーとして委託を受けた心療内科医師の和佳子が、週に何度か社員達の相談を受けているのだ。 部署の課長、部長など上司が相談相手では、職場の人間関係などとても話せないからだ。 「彩人君、ちょっと寄って行ってよ。お茶でもどう?」 和佳子は何か話がある素振りだ。少し考えた彩人は、ショルダーバッグを肩から降ろして相談室に入った。 相談室は診察室のような雰囲気はないが、それでも落ち着いて話が出来る様に気を配られている。……少々、和佳子の私物が多い事が気にはなるのだが。和佳子がこの部屋に居る日は、数名の相談者が訪れるらしい。 「お気に入りのお饅頭があるの。お茶を淹れるから、そこに座って待ってて」 「あの、先生。俺に何か?」 「えー? なにー?」 急須を準備しながら、眼鏡を掛け直した和佳子が間の抜けた声を出した。彩人は「まるで保健室ですね」という突っ込みを思い浮かべる、診察用の椅子に座って待つのは気分が良いものではない。 肩までの髪を背中でひとつに纏めた和佳子は清潔な印象だ、自己申告では三十歳を少々過ぎた辺りだったはずだが、実年齢よりも若く見える。 「はい、お待たせ」 「はぁ、いただきます」 目の前に置かれた、可愛い花が描かれた艶やかでまあるい茶碗。 丁寧に茶碗を持ち上げて煎茶の良い香りを楽しみ、一口すすった彩人は、ほーっと体の力を抜いた。お茶の一服は山盛りに積み上げられたモヤモヤを忘れさせてくれる。 「なによ、老け込んじゃって。その様子じゃ、あなたも私に話したい事があるんじゃないの?」 「いいえ。俺の悩みなんてほんの小さなものです、先生を煩わせられません。それに、これくらいで弱音を吐いていたら、本当に辛い思いしている人に申し訳ないです」 「こらこら、そんな言い方する人が危ないのよ」 静かに茶碗を置いた彩人に、和佳子は真面目な顔で眉を顰めた。 「沢渡君、実はちょっと危なそうに見えるんだけどな。責任感が強くて、周囲の事を放っておけないの。それでもってみんな一人で抱え込んで奮戦して、疲れ果ててずぶずぶと沈んでいっちゃうタイプ」 「……先生、俺を呪ってるんですか」 「馬鹿を言わないの。心療内科医としての的確な分析よ、自身があるわ。あなたを心配してあげているのよ?」 和佳子はうろんな目の彩人を、まなじりを吊り上げた視線で牽制した。テーブルに置かれている饅頭を手に取ってぱかりと半分に割り「はい」と、片方を彩人に差し出す。自分の前にも饅頭は置かれているのだが、断るのも何なので彩人は和佳子から半分の饅頭を受け取った。 ダイエットでもしているのだろうか? 彩人はそう思ったが、まさか和佳子に尋ねる訳にもいかない。 「ほら。沢渡君には、いつも貴子さんが同行しているでしょう、彼女とうまくやっているの?」 「んぐっ!」 貴子の名が出たその瞬間、頬張った饅頭を喉に詰まらせた彩人は、むーむーと言いながら目を白黒させた。急いで茶碗を引っ掴み、お茶を口に流し込んだが、もちろんまだ冷めていなかった。 「うわっちゃ!」 猫舌の彩人は派手に踊りながら、ポケットからハンカチを取り出して口を押さえた。 「大丈夫? ほらね、彼女にストレスを感じているでしょう」 気の毒そうな表情の和佳子は、ふうふうと冷ましたお茶をくぴっと飲んだ。 「ストレスになっていないと言えば、嘘になりますけど」 「うんうん。正直で宜しい、私の前で格好つけなくてもいいの。端で見ていて痛々しいわよ」 「い、痛々しく見えていますか?」 涙目で呟いた彩人に、和佳子は気遣う様な微笑みを浮かべて見せた。 「アルバイトみたいなものだとは言っても、お仕事に変わりはないからね」 「そう……ですよね」 彩人は神妙な顔で肯く、手を貸しているのは他ならぬ美咲の大きな夢だ。メンバーの中で、どれくらいの者がそれを自覚しているのか知る由もないのだが。 「あのね、沢渡君……」 和佳子は少しの間口を噤み、逡巡していた様だがしっかりと彩人を見つめた。 「私が話してはいけない事かもしれないけど。沢渡君は貴子さんと一緒に居る時間が多いから……話しておいてあげる。彼女の印象が少し変わると思うし、沢渡君のためでもあるの」 「俺のため、ですか?」 「そう」 和佳子はどうして「貴子さん」と、親しげに彼女の名前を呼ぶのだろうか。 「貴子さんはね、本城家で美咲さんの姉として育てられたのよ」 「先生、それって……」 息を飲んだ彩人は話の続きを促すつもりでは無いが、反射的にそう問い掛けてしまった。大きな目を伏せる和佳子、頭に浮かんだ幾つかの事情を彩人は頭の中から追い出した。己の馬鹿さ加減と迂闊さを後悔する。慌てて椅子を立つとショルダーバッグを肩に掛けた。 「すみません先生。お茶、美味しかったです、ご馳走様でした」 「ごめんなさい、こんな話を聞かせて」 和佳子も椅子を立ち、ドアの取っ手に手を掛けた彩人に頭を下げた。 「貴子さんにとって、美咲さんは特別な存在。本城家への恩もある、美咲さんを守ろうと彼女なりに一生懸命なのよ……。だから沢渡君にも、あんな接し方をしてしまうの」 「よく……分かりました」 逃げ出すように相談室を出ようとした彩人は、和佳子に背を向けたままでそう答えるのが精一杯だった。何の力もない学生風情、社会の右左も理解していない自分が立ち入る事が出来る話だとは、とても思えない。 「貴子さんが持っている、美咲さんに対する強い忠誠心を何とかしなくちゃって思うんだけど。幼い頃から誓いを立てているようだしね。私も、まだどうする事も出来ないでいるの」 「あの、和佳子先生は……」 「うん。私と貴子さんは、何かと縁があってね」 答えを期待しない問いだと察したのだろう、背中越しに和佳子の気持ちが揺れているのを感じる。 「勝手に話すことは決して許されない、分かっているわ。でも、美咲さんを支えるためだけに生きている彼女を、その追い詰められた気持ちを痛いほど感じるから」 アーティスト・ブランドだけを見つめていた彩人は、貴子の心情を考える余裕などなかった。和佳子が告げた思いもよらぬ事実を心に重たく感じる。 「貴子さんにも分かっていると思うの。自分自身と、周囲の人間を傷付けながら生きているって……私は貴子さんの周囲の人に、本当の彼女を理解して貰えれば。ううん、少しでも彼女の人柄を知って貰えればって思うから」 真剣な和佳子の声が止んだ、彩人の答えを待つような間があく。ゆっくりと振り返った彩人は大きく息を吸い込んだ。 「信頼関係ですよね、先生。龍崎さんが側に居てくれるから、美咲は心強いんじゃないですか? 美咲の表情を見て、話を聞いているとそれを強く感じます。龍崎さんも美咲、美咲、美咲って……もう、耳にタコが出来ましたよ」 彩人の話を聞いていた和佳子は目を丸くして、それからひとつ肩をすくめてみせた。 「沢渡君って、やっぱり美咲さんが話していた通りね」 「え?」 「ん? ふふふ、何でもないわ。気にしないで」 和佳子のはぐらかすような答えに彩人は首を傾げたが、姿勢を正してぺこりとお辞儀をする。 「先生、お茶、美味しかったです。あと、お饅頭も」 「ん、いつでも来なさいね。美味しいお煎茶、また入れてあげる」 ほっとしたような笑顔の和佳子に微笑んだ彩人は、ぺこりとお辞儀をして相談室を後にした。 社屋から出た彩人は、ふと視界に映る狭い空を眺めた。 心に抱えている不安な気持ちを宥める。心の中のアトリエで、瑠璃子に出会ったあの日から……その扉を開く事が出来なくなってしまったのだ。 何が原因なのか一向に分からない。和佳子の話を聞いて、もしや心理的な要因かと思ったのだが。相談しようにも心の中にあるアトリエだなどと、そんな話をしても信じて貰えないだろう。 「先生は、何が言いたかったんだろう……?」 あの時出会った瑠璃子の怒り、彩人にはその理由が分からないのだ。焦りは不安を煽り立てるが答えは当分出そうもない、いや、このまま永遠に出ないかもしれない。 彩人は胸にわだかまる謎を持て余したまま、勇気を奮い起こして雑踏の中へ足を踏み出した。 |
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