ミネルバの翼 「4.翼の欠片」
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美鈴さんに怪我がなかったのは、不幸中の幸いだった。 しかしそれ以来彼女は膝を抱えたまま、まるで魂が抜けたように自室で毛布にくるまっている。 彼女の部屋へ毎日食事を届けてあげるのだが、料理には手をつけようともしない。うつろな瞳で虚空を見つめ続ける美鈴さんは、酷くやつれて見えた。 美鈴さんのことは気がかりだったが、今はそっとしておくしかない。 僕は無理矢理に自分を納得させると、美鈴さんの部屋を後にして格納庫へと向かった。 格納庫には、大破して回収されたブレイバーが横たえられている。 その残骸ともいえる機体を調べた僕は驚いた。 今までまったく気が付かなかった。人間で言えば骨格に当たる内部フレームの構造や装甲の固定方法、全てが量産機VX−4F型と異なっている。 つまり外見上はVX−4F型でも、中身はまったくの別物ということだ。 そして、残された内部の改造フレームの強度を調べてみたが、軽量なのに驚異的な剛性強度で組み上げられている。 美鈴さんの奔放で激しい操縦に、ブレイバーが耐えられる訳がやっと分かった。 そして、胸部のメンテナンスハッチの裏側に記されているサイン。 機体の改造を施したエンジニア、もしくは整備士のサインなのだろう。 焼け焦げた痕が付いてしまっている、僕には読めない文字。 歪んだメンテナンスハッチを静かに閉じると、僕は真っ直ぐに船長室へと向かった。 「ぼうずか、お嬢の様子はどうだ?」 船長室といっても他の船室と取り立てて変わりのない質素な部屋だ。 ガディさんは窓際に置かれた机で、愛用しているパイプを磨く手を休めずに言った。 「あのままです」 「そうか」 言葉少なに僕が答えると、ガディさんはそっとパイプを机の上に置いた。 「お嬢には、すまねぇ事をしたと思ってる。随分と無理をさせちまったからな」 その表情は疲労の色が濃い。いや、それとも自責の念か……。 だが今は、そんな思いに暮れている暇はない。 「お願いがあります」 僕は机の前まで進み出ると、ガディさんに深々と頭を下げた。 「VX−4F型のパーツを手に入れたいんです。お金は一生働いてでも、必ずお支払いします!」 目を固く閉じて、そこまで一気に言った僕は、恐る恐る頭を上げた。 ガディさんが、僕の顔をドングリ眼でじろりと睨む。 僕はその視線に怯まず、睨み返した。 「このご時世にまともな装甲兵を一機組み上げるパーツが、どれほどの金額になるか分かって言っているのか?」 知らない訳がない、僕は唇を噛むと力なく視線を落とした。 きつく拳を握りしめる、力の無い自分に腹が立った。 「お嬢にえらく入れ込んでるようだな、そんな義理はお前にはねぇ筈だが。ふん、お嬢に惚れましたって訳か?」 まるで嘲笑するようなガディさんの口調に、僕はかっとなって勢いよく顔を上げた。 「そんなんじゃありません!」 固めた拳で、使い込まれた机の天板を力一杯叩いた。 「そんなんじゃないんです……僕は」 力任せに叩き付けた拳から、伝わってくるのは鈍い痛み。言葉を続けられない、自分の気持ちをどう表現していいか分からない。 混乱したまま血が滲むほどに唇を噛んだ僕を一瞥した後、ガディさんは軽く肩をすくめた。 「すまねぇ、言葉が悪かった。からかうつもりなんざ無かったんだよ」 そう言って机の引き出しを開けると、何か光る物を僕へと放った。 受け止めた手の平で光るのは、ひとつの鍵。 「倉庫の二十四番コンテナを開けてみな」 「え?」 僕は手のひらに鍵を載せたまま、訳が分からずぽかんと口を開けた。 「もう用はねぇ、邪魔をするな。さっさと行け……」 ガディさんは、それきりパイプ磨きに没頭してしまった。 どうやら理由は教えてくれそうにもない、仕方なくガディさんに深々と一礼した僕は船長室を後にした。 ジュエル号の最後尾部にある倉庫ブロックで、ガディさんに教えて貰った二十四番コンテナを探す。 荷物を積んで居住コア間を行き来する、運搬船の倉庫はとてつもなく広い。 通路の所々に掲げられている、倉庫内の案内図をよく見て歩かなければ目的地へと辿り着けないどころか遭難してしまいそうだ。 倉庫内に一杯に積まれた大切な荷物、武装した盗賊達が運搬船を狙う理由もよく分かる。 「よう! 来たか、リスティ」 コンテナを探してきょろきょろしている僕に声を掛けてきたリュウジさんが片方の眉を上げてにっと笑った。 リュウジさんはジュエル号の倉庫番、様々な荷物や資材の管理を任されている。 元気なのだが頬がこけるほどに痩せていて、膨大な荷物のデータファイルを睨む真剣な顔がちょっと怖い。 「船長から聞いてる。二十四番コンテナを前に出しておいた、開けてみな」 「あ、はい。ありがとうございます」 こんなに近くに置かれていたなんて。 僕は自分の隣にあるコンテナの、遙頭上のナンバーを見て肩にのしかかった疲労感にがっくりと肩を落とした。 ガディさんに渡されたキーを使って、巨大なコンテナを解錠する。 ゆっくりとした動きで巨大な扉が開き、薄暗いコンテナ内にぼんやりとした灯りが点る。コンテナの中を覗き込んだ僕は驚いた。 「こっ、これは!」 「どうだ、すげえだろ?」 胸を張ったリュウジさんが、得意げに鼻を鳴らす。 「壊滅していた軍施設の倉庫から、こっそり失敬してきたんだけどよ。物が物だけにおいそれと売っちまう事も出来やしねぇ」 開かれたコンテナの中には、VX−4F型を三機は組み立てられるほどの新品のパーツが収められていた。 僕はコンテナに添付された、部品のリストを食い入るように見つめて息を呑んだ。 これだけのパーツが揃っていれば、大破したブレイバーを完全に修理出来る。 「あっ、有り難うございますっ!」 感極まった僕は興奮を抑えきれず、リュウジさんの両手を握ってぶんぶんと振っ た。 「好きに使え、代金なんか要らねえって伝言だ。礼なら船長に言いな!」 リュウジさんは、そう言って笑った。良かった、笑顔はぜんぜん怖くないんだ。 僕は早速、勢い込んでブレイバーの修理作業に取りかかったものの、作業はすぐに行き詰まってしまった。 修理を終えた部分を含め、内部機構などはそっくり移植出来るのだが。 問題は改造されたフレームの構造だった、こればかりはオリジナルのフレームをそのまま使うことが出来ない。 僕は、オリジナルのフレームを改造しようと試みた。 しかしブレイバーに使用されている内部フレームの強靱な剛性強度は、綿密な強度計算と各部品の高精度な工作と、組み上げによるものなのだ。 あらゆる工作方法を繰り返しても、この船に積載されている設備では高い精度でのフレームの組み上げが不可能だった。 「くそっ!」 三日間かけて試行錯誤を続けたが、結果は芳しくない。夜通しの作業で苛立ちが頂点に達した僕は、能力が低い溶接機を殴りつける。 薄暗い格納庫の作業場で僕は打開策を見いだせず、閉塞感に息苦しさを感じていた。 組んだ両手に力を込めて握りしめる、手の平に食い込んだ爪が痛い。 「苦労しているようだな、ぼうず」 静寂の中へと響いた、太くて低い声。 「ガディさん」 うなだれていた僕は、のろのろと顔を上げた。 綺麗に手入れされたパイプをくわえたガディさんが、にっと笑った。 「パーツを有り難うございます。でも、笑っている場合じゃないんです」 「おお、そいつは悪かったな」 ガディさんはパイプを大事そうに撫でながら、大破したままのブレイバーを眺めている。 僕の脳裏には美鈴さんが駆る無敵の機体というイメージしか無く、横たえられたその痛々しい姿に正直目を向けるのがつらい。 「それこそヘコんでいる場合じゃねぇぞ?ぼうず。この船の設備じゃあ、どうあがいたって高精度の金属加工と組み上げなんざ不可能だ」 その事実は今までの作業で嫌と言うほど感じている。そう、現状ではブレイバーの完全な再生は逆立ちしたって不可能なのだ。 「それは分かっています、でも!」 「慌てるな、まぁ聞けよ」 ガディさんは片方の眉を上げて、にやりと笑った。 「ジュエル号は間もなく居住コア“ランディルア”に到着する。ランディルアは重機やら工作機械やら何やらが、なんでも揃う便利な街だ。俺の知り合いで腕の良いヤツを紹介してやる。そいつは高い加工技術を持ってる腕の良い職人だ」 得意げに言ったガディさんは、そこで少し困ったように無精髭でざらつく顎を撫でた。 「かなりの頑固者だがな。まぁ、後はお前の頑張り次第だ」 「あっ、ありがとうございます!」 ぽかんとした顔でガディさんを見上げていた僕は、弾かれたように立ち上がり深々と頭を下げた。 次の日の未明――。 ガディさんに借りた大型トレーラーに、大破したブレイバーから取り外した内部フレームを積載すると、ワイヤーロープで丁寧に固定する。 はやる心を抑えて、僕は朝食のパンを無理矢理に胃袋へねじ込むと、トレーラーに乗り込むとジュエル号を後にした。 ☆★☆ 「おやおや。せっかく作ったのにって、スイフリーががっかりするよ!」 ブラインドをおろした暗い室内で、美鈴が手を付けた様子もない食事にパメラは溜息をついた。 ジュエル号での彼女の発言権は、ガディ船長に続く第二位。 背が低く少々太めだが気だての良いおばちゃんで、クルー全員のお袋的な存在である。 「ほらほら、いい加減にしゃきっとしな! たかが一回撃墜されたからって、それがなんだって言うんだい!」 パメラは美鈴がくるまっている毛布を勢いよく引き剥がすと、腰に手を当てて大声で笑った。 「よくお聞き、命あっての物種さ!」 暖かな毛布を剥ぎ取られ、無造作に床に転がされた美鈴は力なく床に座り込んだまま、やつれた顔に弱々しい笑みを浮かべた。 「違うわ……。そんな些細な事に、プライドを持っている訳じゃない」 流れ落ちる乱れた黒髪、美鈴はきつく両肩を抱いた。 「忘れられないのよ」 小刻みに震え出す体を、どうすることも出来ない。 「あいつ……あたしの機体を勝手にいじり回して、ブレイバーなんて名前を付けたくせに」 喉の奥から絞り出される、美鈴の声は弱々しい。 「戦闘中に、カタパルトになんか出てきちゃ駄目だって、私は何度も言ったわ。でも、俺のこの目でブレイバーの動きを確かめるんだって言って」 美鈴の心に浮かぶのは印象的な碧い瞳と、無邪気で自信に満ちた笑顔。 「直撃弾だった」 美鈴は震える声を絞り出す。 網膜に焼き付いたその光景を、美鈴は今でも覚えている。震える細い声が想い人の最期を語った。あの時モニターへと映った、カタパルト上でバイクに乗っているリスティの姿が目に入った瞬間に、美鈴の脳裏に恐ろしい記憶が甦ったのだ。 その心を縛り付ける錆びた鎖のような記憶は、どうしても忘れられない。 「あたしを好きだって言ったくせに、その返事も聞かないで勝手に遠くへ行っちゃうなんて。死の恐怖と暗い闇を受け入れさえすれば、またあいつに会えるって思ったのに……」 消え入りそうな美鈴の言葉に、パメラは全てを理解した。美鈴に近づくと、少し強引に小鳥のように震える体を抱きしめる。 「あいつに会いたかったの。……私はもう、ひとりぼっちなのよ」 癒される事のない空虚な心。 血が滲むほどにきつく噛んだ唇から、長い長い間押し殺していた嗚咽が漏れた。 「それはね、美鈴。あんたはまだ、会いに来ちゃいけないって言われたんだ」 パメラはまるで赤子をあやすように、震える美鈴の背を優しくぽんぽんと叩く。 「分かっているね。つらいけど、あんたはまだ生きなくちゃならないんだよ」 少々荒れている、太くて短い働き者の指で、美鈴の黒曜石のような瞳からこぼれ落ちる涙を拭う。 「それに、あんたはひとりぼっちなんかじゃないよ。あの坊やは、リスティはあんたの翼を甦らせようとしてるのさ」 「リスティが……?」 美鈴は驚いた。姿を見せなくなったリスティは自分を見限り、とっくに船を降りたと思っていたのだ。 「あんたにとって、あの機体はとても大切な翼なんだろう? あの坊やは、それをちゃんと知っているのさ」 パメラはそう言って、また美鈴を抱きしめる。 「いいかい、よく覚えておきな。この船に乗ってるみんなが、あんたの家族なんだ」 美鈴はとめどなく流れる涙をそのままに、抱きしめられた暖かな胸で静かに泣い た。 |
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