ミネルバの翼 「5.ランディルアの機械工(前編)」
 目次
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 ガディさんに教えて貰った腕利きという職人の名は、ブランディ・ブレード。
 駐車した大型トレーラーから降りた僕は、街の様子に目を奪われた。
 大小様々な工場が数多く建ち並ぶランディルアの街には、朝早くから大きな騒音が響いている。エア・ハンマーの音、金属を切断するカッターの音、工作機械が鉄を削る音などがうるさいくらいだ。
 髪を撫でる風から感じるのは、微かに焼けたオイルの匂い。
 それは、僕が好きな匂いだ。
「さぁ、急いで紹介して貰った工場を探さないと!」
 ガディさんお手製の、おおざっぱであまり当てになりそうにない地図。
 その見にくい地図を片手にきょろきょろしながら道を歩き始めた僕は、いきなり何か大きな塊に正面からぶつかった。
「いてて……」
「おう! 痛ぇじゃねぇか、このガキ!」
 道へとへたり込んで痛む鼻をさすっていると、頭上から響く不機嫌そうな声。
 見上げた僕は、正直大きなドラム缶か何かかと思った。運悪く僕がぶつかったのは、まさに鋼のような筋肉を包む作業着姿で髭面という、見るからに強面の大男だった。
 僕は瞬く間にその仲間らしい数人に取り囲まれてしまった。
 昨夜の酒でも残っているのか、それとも二日酔いで仕事に出る途中なのか、男達は皆一様に機嫌が悪い。
「す、すみません!よそ見していました」
 僕は大男に太い腕で軽々と襟首を掴まれ、ぶらんと吊された。
 こういう場合は、下手に逆らわないに限る。どうにも情けないが、僕の貧弱な体はとても荒事に向いていない。しかし今回はどう下手に出ても、ただでは済みそうもない雰囲気だ。
 だらだらと、冷や汗を流していたその時。
「あんた達、朝っぱらから何をやっているのさ!」
 張りのある大きな声に、僕に絡んでいる男達の表情が一変した。
 ぶら下げられたまま下を見ると、手を腰に当てて男達に凄んでいるのは、まだ十五歳位の女の子だった。怒りに揺れているポニーテール。デニム地のエプロンをきりりと締め、両手を腰に当て凜とした表情で怯むことなく大男達を見上げている。
「その人を、早く放しなよ!」
 少女が発したのは、可愛らしい顔に似合わぬドスの利いた命令口調。
 しかし驚くべき事に男達は簡単に従い、僕はどさりと地面に放り出された。
「そうそう。この街を訪ねる人は、大切なお客様かもしれないんだ。失礼なんてもっての他だなんだって、みんな分かっているよね?」
 仁王立ちの少女は男達にひとしきり説教した後、急ににっこりと微笑んだ。
「さぁ、仕事仕事! 今日もみんなで、怪我しないように頑張ろうね!」
 男達を励ます少女の表情はまるで、天使のような笑顔だった。
「おう兄ちゃん、悪かった。朝はどうにも苦手でな、虫の居所が悪かったんだよ」
「やれやれ、格好悪いところを見せちまったな、チェイニー。行ってくるぜ!」
 どうやら男達は少女に一目置いているのか、口々に詫びながら荷物を担いで歩き出す。男達の後ろ姿へ大きく手を振って見送った後、少女は僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 朝っぱらから災難だったね。みんないつも深酒するから朝は苦手なの。気を悪くしただろうけど、許してあげてね」
「ぜんぜん気にしてないよ、助けてくれてありがとう」
 かなり怖かったけどって言いたいのを我慢して、赤くなった鼻を撫でながら少女にお礼を言った僕は、ふと思いついた。
「僕の名前はリスティ。この街で“ブランディ・ブレード”っていう人の機械工場を探しているんだ、知らないかな?」
「あたしはチェイニーっていうの。ブランディ・ブレードは私のおじいちゃんよ。お兄ちゃん、おじいちゃんに仕事の依頼なの?」
「え、君のおじいさんだって?」
 僕は、大きなブルーの瞳を丸くした少女と顔を見合わせた。

 チェイニーの案内で、ブレイバーの内部フレームを載せた大型のトレーラーを工場脇の空き地へと停める。
 壁にオイルが染みついていたり、あちこち欠けていたり。
 ブランディさんの工場は、こぢんまりとした外見の古い建物だ。
 トレーラーのキャビンから、ぴょんと飛び降りたチェイニーが工場の事務所へと駆け込んでいく。
 僕は慌ててトレーラーを降りると、元気な少女の後を追った。
「あぁ? なんだ、お前は……」
 チェイニーに手を引っ張られ、作業服姿のブランディさんが事務所から姿を現した。
 ぼさぼさの白髪で痩せてはいるが眼光は鋭く、年齢を感じさせぬほどの真っ直ぐな姿勢。
そして何より驚くのは、チェイニーの可愛い手が引いている、ごつごつで大きい働き者の手。
「初めまして、僕はリスティ・マフィンといいます」
 丁寧にお辞儀をしたが、ブランディさんは迷惑そうな顔で僕を一瞥した。チェイニーに引っ張られて、仕方なく顔を出しただけという様子だ。
「お前さんの名前なんぞ、どうでもいいさ。俺に仕事の依頼なのか?」
「はい!」
 僕は待っていましたとばかりに、声を張り上げた。
「実は被弾して、破損してしまった装甲兵の……」
 勢い込んでそこまで説明した瞬間。脳が揺れるほどの衝撃に、目から火花が散った。
「失せやがれ、このクソ野郎が!」
 いきなり視界に映った青い空が目にしみる、そこへブランディさんの罵声が飛んできた。
 左の顎がじんじんと痛い、どうやら思い切り殴り倒されたらしい。
「いてて……」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 のろのろと身体を起こした僕に、心配そうな顔をしたチェイニーが駆け寄ってきた。
「チェイニー。そんな野郎、ほっとけ!」
 僕を一睨みしたブランディさんはそう言い捨てて、さっさと事務所へ入ってしまった。
「う、うん」
 僕の傍らで、困ったようにブランディさんと僕を交互に見ていたチェイニーだったが、頷いて立ち上がると、ブランディさんの後を追った。
 ぱたんと、事務所の扉が閉まる。

 往来に置き去りにされて座り込んだ僕は、痺れる顎を撫でながら閉ざされた扉をじっと見つめた。
 感じ慣れた錆びた鉄の味が、口の中全体に広がっている。
 ガディさんに教えて貰ったとおり、ブランディさんはとても気難しい人らしい。
 さっきの様子から、決してそれだけではない何かを感じたが、僕はここで諦めるわけにはいかない。ふらつく頭を二、三度振って立ち上がった。
 周りに立ち並ぶ大小の工場からは、機械の大きな音が響いている。
 部品を積んだトラックや運搬車がひっきりなしに走り、オイルまみれの作業服を着た人々が道を行き交う。
 僕はそんな流れの中でただじっと立っている。ブランディさんが、話を聞いてくれるまで待つつもりだった。
 どのくらいの時間が経ったのか。
 それまで晴れていた空がにわかに曇り始め、僕の前髪を水滴が揺らした。
 滴は大粒の雨となり、砂利道の泥を勢い良く跳ね上げる。
 あっという間にずぶ濡れになった僕は、立ちつくしたまま大泣きしている空を振り仰いだ。
 顔を強く打つ雨。
 今頃、美鈴さんはどうしているんだろう……。
 きちんと食べていてくれればいいんだけど。
 僕はあの時、死の淵へ身を投げようとしていた美鈴さんの腕を掴んだのだろう。
 しかし、彼女の命をかろうじてつなぎ止めた僕のその行為は、美鈴さんの本意ではなかったのかも知れない。
 そんな事を考えていると、がくがくと膝が震えてくる。
 メンテナンスハッチに記されたサイン、同じ形式の機体性能を遙かに凌駕するほどに改造されたブレイバー。
 そしてその愛機を他の整備士に触れられることを、彼女は極端に拒んだ。
 いくら鈍感な僕にも、美鈴さんの想いは理解出来た。
 雨が降りしきる空を真っ直ぐに睨み付ける。 
 そして忘れてはならない、もうひとつの想いも。
「あなたの想いは!」
「どうしたの? お兄ちゃん」
「え?」
 ふと気が付くと、傘を差したチェイニーが不思議そうな顔で、僕を見上げている。
「い、いや、あははははは。たっ大したことじゃないから。うん、ほんとに!」
 一瞬で赤面した僕は、裏返った声でまくしたてた。

 ☆★☆

 とっぷりと日が暮れて、ランディルアの街は昼間の喧噪など微塵も感じさせぬ静寂に包まれている。一日中忙しなく働いた機械達も静かに疲れを癒やし、やがて訪れる明日の朝を待っているのだろう。
「暖まった?」
「うん、ありがとうチェイニー。それより僕を工場に入れたりしたら怒られないかい?」
「おじいちゃんは、お酒飲んで寝ちゃったから朝まで起きないの。お兄ちゃん、シチューは好き?」
 片づいたキッチン、テーブルには一輪挿しに花が飾られている、チェイニーは綺麗好きで働き者らしい。
 暖かいシャワーを浴び、生き返った心地になった。
 ごわごわだけど油染みも無く、綺麗に洗濯された作業用のつなぎを借りてテーブルに座った僕の前に、チェイニーが湯気が立ち上る美味しそうなシチューを盛りつけた皿を置いてくれた。
 ああ、何て食欲をそそる、美味しそうな匂いなんだろう!
「美味しそうだね、いただきます!」
 恥ずかしいけど、丁寧なのはそこまでだった。
 土砂降りの中で空を仰いで柄にもなく力んでいた僕は、とてもお腹が空いていた。
 あちあちと舌をかばいながら、もう夢中でがつがつと美味しいシチューをむさぼり食べた。そんな僕を、テーブルの向かい側に座っているチェイニーは、にこにこしながら見つめている。
「どうしたの?」
「ううん、えへへ」
 皿が空になると、チェイニーは皿に二杯目のシチューを満たしてくれる。
 チェイニーの様子が何となく気になったのだが、食欲を刺激してやまないシチューの香に抗えない僕は、とりあえず疑問を置いておくことにした。
「ごちそうさま。ああ、美味しかった……」
 思う存分に胃袋を満たし、僕は大きなため息をつく。
「お兄ちゃん、凄い食べっぷりだったわね」
 嬉しそうに皿を片づけ始めるチェイニーに、僕は何の気無しにふと思いついた疑問が口をついた。
「チェイニーはブランディさんと二人暮らしなの?お父さんやお母さんは?」
 僕の不用意な問い掛けに、彼女の大きな瞳が微かに揺れた。
「お父さんもお母さんも、戦争で死んじゃったから」
 しまった!
 これが僕の憎むべき鈍さだ、また軽はずみに大変な事を聞いてしまった。
「あの、ごめんチェイニー!」
 テーブルに手をつき、頭をこすりつける程に下げた僕に、チェイニーはまた笑顔で手を振った。
「ううん、いいの。おじちゃんもいてくれるし、機械工のみんなが友達だもの」
 そう言って微笑むチェイニー。
 この世界を蹂躙した忌むべき戦火は、こんな少女の心にも影を落としている。
 理不尽な別離に悲しんでいるのは、チェイニーだけではない。
 家族、恋人、愛する人を失った人々が、この世界にどれほどいるのだろうか。
「ほんとうは客間のベッドを用意してあげたいけど、今夜は事務所で我慢してね」
 手際よく後片付けを済ませたチェイニーは、僕に柔らかな毛布を渡してくれた。
「僕は外だってかまわないんだよ、野宿には慣れているから」
「そんな訳にはいかないもの。お休みなさい、お兄ちゃん」
「ありがとう。おやすみ、チェイニー」
 はにかんだチェイニーが、パタンとドアを閉める。
 チェイニーに深く感謝した僕は、満腹のお腹をさすりながら事務所へと戻り椅子に腰を下ろした。
 これからが大変だ。何とかブランディさんに、ブレイバーの内部フレームを見てもらわなければならない。
 でも、昼間の様子ではとても頼む事なんて出来ない。僕は目の前に立ちふさがるその難問に鈍く痛む頭を抱えた。
 良い方法も思いつかず頭を抱えて身悶えしていた僕は、ふと事務所の窓から見える工場の奥に目を向ける。
 光を落とされた広い工場の奥に、、何かが山と積まれている。
「あれは?」
 僕は何かの声に呼ばれるように、椅子から腰を浮かせた。


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