ミネルバの翼 「6.ランディルアの機械工(後編)」
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 事務所の通用口を開けて、工場内に足を踏み入れる。
 高い天井からぶら下がっている、いくつもの照明のスイッチを入れた僕は思わず歩み寄った。小さな作業用の機械工具、大小の工作機械、大きな重機の作業用アームなどが、無造作に転がっている。
 どの機械も皆一様に、どこかが壊れていた。
 僕はそんな傷を負った機械類の山を見ていると、とてももの悲しく感じてしま
う。
 壊れた機械類は、ブランディさんに依頼された修理品なのだろうか?
 しかし長い間放置されてでもいるのか、機械に染みついたオイルには埃がからみついていた。
「どれも、そんなに難しい修理じゃないのに」
 動かない工作機械に手を触れて、僕は首を傾げた。
 どうしてなのだろう?ガディ船長の話では、ブランディさんは腕の良い職人だという事だったのに。
 そんな腕利きの職人が修理の依頼をされた品を、壊れたままの機械をこんなに粗末に扱うような事はしないはずだ。
「ええい!」
 考えているのがもどかしい。
 僕は勢い良く腕まくりをすると工具を握った。手近にある油圧ポンプの前に座り込む。
 やはり難しい修理ではない、僕は黙々と修理品の山に挑みかかる。
 そして、ほぼすべての品の修理を終える頃には朝になっていた。

 ☆★☆

 昨日からの雨が、止むことなく降り続いていた――。
 雨に煙る街の喧噪。相変わらず、硬質な機械音が止むことなく響いている。
「どういうつもりだ、この野郎!」
 ブランディさんの鋼鉄のような拳に吹き飛ばされ、僕は工場から転がり出た。
 表通りで伸びるのはこれで2回目だ。
 降り続く雨に打たれながら、ようやく体を起こした僕は拳で口元の血を拭った。
「お前の両手は、装甲兵をいじっている血まみれの手だろうが。そんな汚れた手で、俺の工場の機械に手を触れやがって!」
 僕を睨み付ける、ブランディさんは憤怒の形相だ。
「俺の仲間もみんな死んだ!装甲兵なんて兵器が存在しなけりゃあ、誰も死ななかったんだ。チェイニーが、どれほどの涙を流したと思っていやがる!」
「おじいちゃん。お願いだからもうやめて!」
 ブランディさんが、声を上げるチェイニーに耳を貸す様子はない。
 重く頑丈な作業用の安全靴で蹴り倒され、振り下ろされた踵が腹に深くめり込む。
 激しい衝撃に胃液が逆流した。
「装甲兵は人の生き血を啜り、命を喰らう呪われた兵器なんだよ!」
「それは違う! 装甲兵だってただの機械なんです。この世界で危険にさらされた、たくさんの命を守る事だって出来るんです……だから僕は!」
 泥水の中で悶絶しながら、声の限りに叫ぶ。
 歯を食いしばって立ち上がった僕は、ブランディさんの襟首を掴み大声で叫んでいた。
「たかが兵器をいじっているだけで、命懸けで戦争している気になるな。てめぇみたいな輩がいちばん気にくわねぇ! このクソ生意気なガキが、知ったふうな口をきくな!」
 ブランディさんが再び拳を振り上げる。でも、ここで屈服してしまうわけにはいかない。何度殴り倒されても、蹴り飛ばされても僕は起き上がり、ブランディさんの襟首へと掴みかかった。
「僕にはもう、こんなやり方しか残されていない。この世界に撒き散らされる、理不尽な破壊と死の恐怖から人々を救うには、他に頼れるものが無いんです!」
 僕は顔を打つ激しい雨に負けず、ブランディさんの襟を握ってがくがくと揺さぶりながら叫んでいた。
 「この荒んだ世界で、人の優しさや暖かい心を掻き集めたって……今はほんの小さな盾一枚分にもならないんだ!」
 胸が締め付けられ、頭の中がじんじんと響いている。
 いつ絶望に飲み込まれてしまうのかも分からない自分の心。
 認めたくない事実、気付かぬように避けていた真実に僕の全身から力が抜け落ちた。
 雨に打ちつけられるままに力なくうなだれると、激しい雨粒が弾ける地面に膝をつき両手を握りしめる。
「あなたの言うとおり、みんな死んでしまった。こんなはずじゃなかった! この世界で人々がもっとお互いを大切にして、信じ合えていたなら……こんな事にはならなかったんだ!」
 僕の脳裏に甦る、恐ろしい光景が刻み込まれた記憶。
 信じていたものに裏切られ、死と隣り合わせの恐怖を抱えて僕はずっと脅え続けていた。
 泣くまいとしてどんなに歯を食いしばっても、もう嗚咽を堪える事が出来ない。
 泥水に握った両手を何度も何度も打ち付け、僕は大きな声を上げて泣いた。
「小僧、お前……」
 頭上から、ブランディさんの声が聞こえる。
「チェイニー、こいつを風呂に入れてやれ。あと修理品の依頼主に連絡しておいてくれ、長い間ご迷惑おかけしましたってな」
 それから僕の前にしゃがんだブランディさんは、真顔で僕の襟をぐいっと掴み、
「おい小僧、男ならいつまでも情けない顔してるんじゃねぇ。落ち着いたら工場へ来い、話を聞いてやる」
 そう言い捨てると、さっさと工場へと歩き去ってしまった。
「お兄ちゃん、大丈夫?!」
「ありがとうチェイニー。大丈夫、もう大丈夫だから」
 心配そうな顔で駆け寄ってくるチェイニーに、ぼんやりとしていた僕は体中の痛みを堪えながら無理矢理に笑顔を作った。
 降り続く激しい雨のおかげで、ありがたいことに涙でぐしゃぐしゃの顔はごまかせている。視点も定まらなくて顎もガタガタだけど、あまり痛そうな顔をしていたらチェイニーが心配してしまうと思ったんだ。

 ☆★☆

「来たか小僧、早く荷台のシートを外しな」
 工場で待っていたブランディさんに急かされ、僕はあちこち痛む体をかばいながら慌てて大型トレーラーの荷台へ飛び乗る。雨に濡れたシートをはぐったその時、荷台に乗せられているブレイバーのフレームを見たブランディさんの動きが止まった。
「こいつは……」
 ブランディさんはするどく息を飲み、呻くような声を出した。
「小僧! この機体をどこで手に入れた! こいつを仕上げた奴は、今どうしている!?」
「ちょっと、待って下さい!」
 鬼気迫る表情で、ブランディさんが僕に詰め寄る。
 がっちりと両腕を掴まれ、がくがくと身体を揺さぶられても僕には何も分からない。
 考えてみれば、僕は美鈴さんの事もブレイバーの事も何も知らないのだ。ただひとつ知っているのは、美鈴さんの頑なな想い。彼女は量産機VX−4F型を「ブレイバー」と呼び、その機体整備を誰にも任せなかった。
 僕は自分が知っている事を、出来るだけ丁寧にブランディさんへ伝えた。
 話を聞いたブランディさんはひどく落胆したようだったが、深いため息をひとつ付くと作業台に置かれていたファイルの山から、一冊の分厚いファイルを僕へと放って寄越した。
「お前は、そのファイルに記された計算式が理解出来るか?」
 これは、設計図?
 ぱらぱらとファイルをめくり図面と数式を目で追った僕は驚いた、これはこのフレームを改造した際の強度計算だ。分厚いファイルはそれだけで、綿密に張り巡らされたフレームの強度計算の結果だ。しかし戦闘兵器のフレームに、こんなにも高精度で細やかな寸法公差の加工を要求するなんて。
 それにどうしてブレイバーの内部フレームの設計図がここにあるのだろう? 
「どうなんだ?」
「分かります」
「そうか。お前には、分かるのか……」
 ブランディさんは意味ありげに頷くと、僕が見た事もないような溶接機のトーチを持ち上げて見せた。
「このフレームはな、普通の人間には到底理解出来ない計算の上に成り立っている。実際にその加工をするとなれば、素人が逆立ちしたってどうにもならん。気が散るから向こうへ行っていろ、チェイニーの相手をしてやってくれ」
「ブランディさん! どうしてこの内部フレームの設計図がここにあるんです?」
 僕の問い掛けに、ブランディさんはふと寂しそうな笑みを浮かべた。
「いいから、さっさと行け。しっかりしているようでも、チェイニーは寂しがり屋でな……」
 その言葉からは、チェイニーを気遣う優しさが滲み出ている。
「分かりました、よろしくお願いします」
 僕はそれ以上言葉を続ける事が出来ず、深々と頭を下げると工場を出た。


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