ミネルバの翼 「7.翼に託した想い」
 目次
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 翌日、僕はブランディさんに呼ばれて工場内にいた。 
 ブランディさんに殴られてボロボロの顔には、チェイニーがサービスとばかりにたくさん絆創膏を貼ってくれている。どうやら殴られた甲斐はあったようだけど。
 外気温は今日も朝から高く、荒れた大地はひどく乾燥している。かつてこの世界に広がっていた眩しい緑は、果たしてどれくらい残っているのだろう?
 その上特殊な溶接用のトーチが発する熱で、工場内はとても暑い。
 軍手をはめた手で何度も額を拭うけど、すぐに玉のような汗が浮いてくる。
「こいつは……左腕と首をやられていたみたいだな」
 ブランディさんには、ブレイバーの破損状況が手に取るように分かるらしい。
 溶接トーチを肩に担ぎ、タオルで汗を拭うブランディさんは、大きな溜息をついた。
「フレームの歪みは元に戻したが、ぶった切られて無くなった場所は新造するしかねぇ。マテリアルは充分にある、必要な量を計算してくれ……お前なら出来るな?」
「はい」
 僕は返事をして、すぐに設計図と計算機を手に取った。
「……ところでリスティよ」
 ブランディさんの静かな声。
 僕は計算機のキーを叩き続ける手を止めて、思わず顔を上げた。
「お前は、いつから装甲兵なんぞに関わっているんだ?」
 ブランディさんの質問に答えようとして口籠もり、困った僕は視線を足下へと落とす。
「まぁいい、少し話を聞け」
 ブランディさんは椅子へ深く沈み込むように背を預け、天井をじっと見つめる。
「俺も若い頃は、装甲兵の改造なんかを請け負っていたのさ。レジスタンスに依頼されたりしてな、主に動力部のチューン、武装と装甲の強化だ。そうでなけりゃあ、あの憎らしい羽根付き野郎にはとてもじゃないが敵わねぇ」
 顔に深く刻まれた皺が急に深くなった、ブランディさんの苦悩が僕にも伝わってくる。
「腕自慢ってのもあった。俺が心血を注いだ機体達がこの混沌とした世界を変えられるなんて自惚れていた。戦い続ける事で未来を切り開ける、すべて解決するなんて思い上がっていた。だけどな、それは間違いだった、そんな簡単な事じゃなかった。みんな死んでいったよ……俺は大切な者達を死地へと送り込んでしまった」
 後悔が呻くような声となって漏れ出した、それはどれほどの苦しみだったのだろう。いや、ブランディさんは今でもその苦しみを背負っているのだ。
 死んでいった仲間達、もう取り戻す事など出来ぬかけがえのない絆。
 その心の傷は、癒える事など無い。
「今でも俺の昔話を聞いて、機体を持ち込んでくる馬鹿野郎がいやがる。だがな、そんな奴らの目には装甲兵しか映っちゃいねぇ……悔しいがあの頃の俺と同じだ。そんな野郎は力任せにぶん殴って、目を覚まさせてやるのさ」
 ブランディさんは忌々しそうに、固い安全靴の踵を力任せに机の天板へ叩き付けた。
 それは、過去の自分に対する苛立ちなのだろう。
「ただの腕自慢、撃墜数自慢ばかりさ。世界を覆う悲しみや苦しみなんぞ、塵ほどにも感じていやしねぇ。ふざけやがって、くそっ! くだらねぇ」
 ブランディさんが怒りにまかせて鋼鉄の拳を振るう、やるせない気持ちが僕にも初めて分かった。
 少し熱を持って腫れている頬を撫でながら、おとなしく話に耳を傾ける。
「リスティ、お前の所属は何処の部隊だ? それとも自営のレジスタンスにいるのか?」
 ブランディさんと真剣に向き合うためには、すべてを語らねばならないのだろう。しかし真実を語ろうとした僕の喉には鉛でも詰まっているようで、上手く言葉が出てこない。
「僕は連合正規軍に所属しているわけではありません。独自に活動しているレジスタンスでもない、運搬船で整備士として働いているんです」
「運搬船だと? 船名は何て言うんだ!?」
「ジュエル号です。ガディ船長に、ブランディさんの機械工場を教えて貰ったんです」
 僕が今の現状のみを話すと、ブランディさんは驚いたようにがばっと跳ね起きた。
「お前は、ガディんところの小僧か!」
 薄くなっている白髪をばりばりと掻きむしり、ブランディさんは「ばん!」と膝を叩いた。
「そうか、ガディか……。そりゃあ、ますます悪い事をしちまったな。あいつが俺の処に、くだらねぇ馬鹿野郎を寄越すはずは無いからな」
 ブランディさんの口元に浮かぶ微かな笑み。
「ガディとは旧知でな、以前熱心に請われてジュエル号で旅をした事がある。もっとも、俺は地に足が付いていないと落ち着かねぇから、すぐに船を降りちまったけどな」
 懐かしそうに目を細めるブランディさんの厳しい表情がふっと和らいだ。
 まるでそこに思い出が綴られてでもいるように、机上のファイルを意味もなくぱらぱらとめくる。ガディさんとの旅は、その傷んだ心を癒してもくれたのだろう。ブランディさんの遠い目は、過ぎ去った日の出来事を見つめているようだ。
「すまねぇ、喋り過ぎたら色々思い出しちまった。しばらく休憩だ、お前も休め」
 ブランディさんは僕を横目で見てそう言った後、再び椅子に深く背を預けタオルを畳んで顔の上へと載せた。
 僕はあまり音を立てないように、計算結果だけ紙に書き写すとそっと工場を後にした。

 ☆★☆

「チェイニー?」
 僕は事務所へ戻ったが、チェイニーの姿が見えない。
 首を傾げた僕は、もう一度彼女の名を呼んでみた。
「呼んだー?」
 チェイニーの声がキッチンから声が聞こえる。キッチンをひょいと覗くと、エプロン姿のチェイニーが振り向いて、ポニーテールが大きく揺れた。
 僕を見てにっこりと笑ったチェイニーは、大きな鍋を慎重に掻き回している。
 良い匂いが僕の鼻腔をくすぐり、お腹がぐう!と大きく鳴った。
「美味しそうな匂いだね!」
 僕のお腹の音に、チェイニーはぷっと吹き出すと、
「ポトフを作っているの。もうちょっとだから、出来たら味見してね」
 真剣な顔でコンロの火加減を見て、また鍋に向かった。
 僕は椅子に腰掛けるとチェイニーの後ろ姿を眺めながら、腫れぼったい頬やら顎をさすった。ブレイバーの内部フレームは、ブランディさんに任せておけば心配ないだろう。
 僕に引っかかっている疑問が、ぼんやりと頭をもたげてくる。ブランディさんに言われて、フレームの破損部分の修復に使う材料の必要量を計算した。簡単にとはいかないものの、僕には図面に記載されている強度計算式を扱う事が出来る。
 普通の人間には、到底理解出来ない計算式だと、ブランディさんは確かにそう言った。
 それはいったい、どういう事なのだろう?
「はい、召し上がれ!」
 チェイニーの明るい声に、僕は思考はあっさりと掻き消えた。
 目の前には、湯気を上げる美味しそうなポトフが皿に盛りつけられてい
る。
 チェイニーからスプーンを手渡され、ポトフを一口すすった僕は思わず声を上げた。
「うん、美味しい! 美味しいよ!」
 舌に優しい塩加減、透き通ったスープには野菜と肉のエキスがたくさん溶け込んでいる。
 心から元気になれる、そんな力が湧いてくる味だ。
「凄いよ、チェイニーは料理上手だなぁ!」
「えへへ」
 チェイニーは照れたように、もじもじとお玉で顔を隠した。ブランディさんの工場に滞在している間、食事はすべてチェイニーが作ってくれる。
 どの料理も、驚くほど美味しい。
「あのね。私、この街に大きな食堂を作りたいの。この街で働いているみんなに、私が作った料理を食べさせてあげたいの、だからたくさん練習しているのよ!」
 そう言って、チェイニーは頬を染めてはにかんだ。
 僕は驚き、そして言葉を失った。
 混沌とした荒れた大地で過ぎて行く日々、やるせない毎日が果てしなく続く。
 しかし、そんな絶望と隣り合わせの世界で、大きな夢を胸に生きている少女の姿。
 僕には、チェイニーの笑顔がとても眩しく見える。
 身に降りかかった不幸などものともしない、それはチェイニーが秘めている強い魂の力だ。 
 チェイニーの料理は、この街では有名らしい。皆、そのあたたかで優しい味に励まされ、癒されるのだ。これから先どんな事があっても、チェイニーはきっとその夢を実現させるだろう。彼女にはそれこそ、無限の可能性がある。
「うん、チェイニーの料理ならみんな大喜びさ、大繁盛だよ!」
 おだてたりなんてしていない、僕にはそんな確信が持てる。
 それほどに、チェイニーの料理は美味しい。
「ありがとう。褒めてくれるのも、ケイイチお兄ちゃんと一緒ね」
「え?」
 チェイニーはコンロの火を止めて、キッチンの一角に置かれていた小さな写真立てを手に取った。エプロンを外して椅子に座ると、その写真立てを僕に差し出す。
 古い写真なのか、写っているのは幾分幼いチェイニーと、まだ白髪が今ほども間引かれていないブランディさん。
 そして、チェイニーが“ケイイチ”と呼んだ青年の姿。
 写真の中で笑っている青年は、僕と同じ金色の髪で、同じ碧い色の瞳をしている。
 羨ましい事に、どうやら僕よりも背が高い。
「チェイニーのお兄さんなの?」
「ううん。おじいちゃんの一番弟子って自分で言ってたわ。装甲兵を持って、おじいちゃんに仕事の依頼に来たの。リスティみたいに、たくさん殴られたりしなかったけど」
 気の毒そうなチェイニーの視線に、僕はがっくりと肩を落とした。
 それを言わないでくれないかな。
 え? 装甲兵だって!?
 驚いた僕は、写真にトレーラーの荷台部分が一部分だけ写っている事に気が付いた。
 横たわっているのは間違いなく「VX−4F型」だ。
 しかも左腕に装備されているシールドのエンブレムには、ブレイバーと同じ「剣を携えた女神」の姿が描かれている。
 機体のナンバーも同じ“MINERVA02”間違いなく、荷台に載せられているのはブレイバーだ。
「チェイニー、この写真の人は!?」
「分からないわ。おじいちゃんが止めるのも聞かずに、出て行っちゃったもの。でも、会いたいな……ケイイチお兄ちゃんも美味しいって、あたしの作ったお料理をたくさん食べてくれるの、リスティみたいにね」
「……そうなんだ」
 その時突然、僕の中で気になっているいくつかの事が繋がった。
 ブレイバーのメンテナンスハッチに記されている名前、美鈴さんが機体整備を誰にも任せない理由、内部フレームを目にした瞬間のブランディさんの取り乱した姿。
 プレイバーの内部フレームの強度計算をして図面を書き起こしたのは、ブランディさんと共にブレイバーを改造したのは、美鈴さんのブレイバーを整備していたのは。
 そうだ、間違いなくこの人だ。
 しかし、おそらく彼はもう、生きてはいない。心苦しいが、大破したブレイバーのコクピットでうずくまる美鈴さんの姿を思い出した。
「チェイニー」
「なに? おかわり?」
「う、うん」
 とても話せない。
 もうチェイニーの美味しいポトフが、しょっぱく感じてしまうだろう。
 僕はチェイニーの前で涙なんか流さないように、血が滲むほど強く唇を噛んだ。

 それからの数日、僕は黙々とブランディさんと共に作業に取り組んだ。
 全てを語る事が出来ない、その切なさとやるせなさを忘れたかった。

 ☆★☆

 ――そして。
「ようやく終わったな、リスティ。土産も用意しておいたぜ」
 ブランディさんはそう言うと工場奥に歩いていき、シャッターのボタンを押した。
 シャッターが大き音を立てて軋み、ゆっくりと上がっていく。
 久しぶりに姿を見た大型トレーラーの荷台には、修理を終えたブレイバーの内部フレームとともに、何か別の物が積まれている。
 天井からの照明に照らされたそれを見た僕は、息を飲んだ。
「こっ、これは?」
「この機体の左腕に装備させる、大型の接近戦用ブレードだ。シールドと併用の上にあまりに長大でな。重量の問題もあるし、ノーマル仕様のVX−4F型じゃあバランスがうまく取れなくて、直立する事も出来やしねぇ。以前、俺の処に居た若い奴が作ってたものだ。未完成だったんだが、俺が仕上げておいた」
 ブランディさんはその長大なブレードに、そっとゴツゴツで大きな手を触れた。
「あの頃は、こんな武器には触れたくもなかったが、あいつが残して行った想いも無駄にはしたくねぇからな。それにリスティ、こんな世界を変えられるなんて夢を、また見てみたくなったのさ。だから、俺に出来る事を俺なりにってな」
 ブランディさんの瞳から感じる強い光に、この街から立ち去らなければならない僕は安堵した。
「ブランディさん。ほんとうにありがとうございました」
 僕は姿勢を正すと、ブランディさんへ深々とお辞儀した。
「馬鹿野郎、何をかしこまっていやがる。しかしリスティよ、あまり装甲兵のパイロットなんぞに入れ込むんじゃねぇぞ?」
「え?」
「覚えておけ、あいつらは死に一番近い場所にいる。ぼんやりしていたら引っ張られるからな。まぁ心配かけるなって事だ! ほら、急がねぇとジュエル号が出航しちまうぞ!」
 もう少し話を聞きたいが、ブランディさんに急かされた。
 名残が惜しい。僕はチェイニーと握手を交わし、後ろ髪を引かれる思いを苦労してねじ伏せトレーラーに乗り込んだ。
「リスティ、ガディによろしくな。それから運搬船の整備士に飽きたら、ここへ戻って来い。俺が一人前の職人に仕込んでやるからよ!」
 トレーラーの大きなエンジン音に負けない大声を出したブランディさんが、精悍な顔に浮かべたのはガディさんと同じ不敵な笑み。
「気を付けてね、リスティ。また、たくさん美味しい料理を作ってあげるから!」
「ありがとう、楽しみにしているよ。僕もチェイニーの夢が叶うように祈っているからね!」
 涙声のチェイニーに大きく手を振ってお礼を言った僕は、勢い良くアクセルを踏み込んだ。

 ☆★☆

 大型トレーラーを疾走させて、街外れにある運搬船の係留スペースへと急ぐ。
 ジュエル号がもし出発していたら、追いつくのが大変だと思ったけれど。遠目にも目立つ他の運搬船よりも背が高いブリッジが見える。
 良かった! まだジュエル号は停泊中だ。
 数週間離れていただけで懐かしさを感じる。巨大な船体の後部、荷物便用の車両搬入口から勢いよく滑り込んだ。
「おう、帰ったか坊主。ほほう! ここ数週間で、いい面構えになったじゃねえか」
 トレーラーから飛び降りると、顎でざらつく無精髭を撫でながらガディさんが出迎えてくれた。
「遅くなりました! 話は後で、すぐにブレイバーの修理にかかります!」
 ジュエル号へと戻ると挨拶もそこそこに、僕は作業に取りかかった。トレーラーから内部フレームをクレーンで吊り降ろしていると、ジュエル号の整備クルー達が待ってましたとばかりに駆け寄って来る。
 
 手始めに、メインの動力とその伝達部や関節などの内部機関を、修理を終えた内部フレーム各部に組み付けていく作業だ。
 内部機関を取り付ける際、部品がうまくフレームに組み付けられるのだろうかと思ったが、それはどうやら杞憂だったようだ。
 固定用ステーの微調整などまったく行う必要が無く、すべての部品が綺麗にフレームへと収まっていく。さすがブランディさんだ、このあたりが職人の確かな仕事なのだろう。

 大破したブレイバーの修理作業は、幾日も深夜にまで及んだ。
 厨房係のスイフリーさんが作ってくれた差し入れを、パメラおばさんが運んできてくれる。それを作業の合間に手を止めて、まるでむさぼるように食べてまた作業に戻る。
 頭部メインカメラを取り付け、火器管制などコクピットから機体各部への集中制御の調整。耐熱樹脂塗料を使って塗装した装甲板の取り付け、マニュピレーターの動作テスト、フライト・ユニットの装着。
 疲労で体が動かなくなれば、壁際で床に倒れ込んでしばらく眠る。
 目が覚めると熱いシャワーでぼんやりとした頭を叩き起こし、また作業服に身を包む。
 そして修理作業の大詰めは、ブランディさんが持たせてくれたお土産だ。
 ブレイバーの左腕へ、シールド一体型の大型接近戦用ブレードを装備させる。このとんでもない装備を初めて見たとき、クルー達は揃って目を丸くした。

 ☆★☆

「美鈴さん」
 ノックをして、少し遠慮がちに声を掛けてみたが、やはり部屋の中から彼女の返事はない。
 ドアの向こうで、美鈴さんはどうしているのだろう。それ以上声を掛ける事が出来ず、僕が固く閉ざされたドアから離れようとした時、僕を呼ぶ微かな声が聞こえた。
「美鈴さん!」
 叫んだ僕が勢いよくドアのノブへ手を掛けると、
『駄目、人に見せられるような顔じゃない』
 ドアの向こうから聞こえる美鈴さんの言葉に、僕は今にも回しそうだったノブからそっと手を離すと、ドアへ背を預けた。
『遅かったわね』
「すみません」
 僕は、ぽりぽりと頬を掻きながら素直に謝る。
「時間が掛かりましたけど、あなたの翼の欠片を拾い集めました」
 僕はそっと、ドア越しに語りかける。
「この荒れ果てた世界の空を、恐れることなく駆ける強くてしなやかな翼。その翼をあなたに託した彼は、美鈴さんの姿に希望の光を見ていたんでしょう。心に強い想いがあるからこそ、自分が望む未来を美鈴さんの姿に重ねていたんだと思います」
 ドア越しに美鈴さんの存在を感じながら、精一杯の勇気を振り絞る。
「僕に、彼と同じ事が出来るとは言いません。いえ、そんな事は言えません。でも彼の想いは僕も同じなんです。あなたの機体に、ブレイバーに僕が持っている全ての力を注ぎます。だから……」
 僕は胸一杯に大きく息を吸って、両手をぎゅっと握りしめる。
「あなたの翼を、僕に任せて下さい!」
 叫んだ瞬間、早鐘を打つ僕の臆病な心臓。
 ややあって、ドア越しに感じていた美鈴さんの気配が揺れたような気がした。
『リスティ。あなたは、私を信じられる?』
「はい」
 やっと聞こえた美鈴さんの返事に、僕は大きく息を吐いて力強く返事をした。
『それなら戦闘中に、カタパルトの上なんかでちょろちょろしないのよ? まったく、気が散ってしょうがないんだから』
「……はい」
 僕には、美鈴さんにいつもの調子が戻った気がした。
『疲れたでしょう、早く休みなさい』
 そして以前よりちょっとだけ、美鈴さんの声が柔らかくなった様に聞こえたんだ。

 ランディルアの街を旅立ってから数日後――。
 鳴り響く接近警報は、いつでも突然に心臓を鷲掴みにする。
 怒号が飛び交うブリッジだが、今日は様子が違う。張り詰めた空気、しかしクルー達の心にはひとつの確信がある。
「状況はどうなの?」
 ブリッジへと響いた、凜とした声。
 振り返ると、真紅を基調としたパイロットスーツに身を包んだ美鈴さんが、長い黒髪を後ろで束ねていた。
「セラフィム・タイプで武装した盗賊です。数は十機、積み荷を渡せって要求しています」
 僕が状況を告げる。彼女は予想通り、全く動じたりしない。
「分かった、五分ほどで片づけるわ」
 真っ直ぐに僕を見つめる、美鈴さんの強い光を湛えた黒曜石の瞳。
「リスティ!」
 僕を呼んだ赤いルージュを引いた唇がふっと和らぎ、彼女は素早く手を伸ばすと、いきなり僕の額を人差し指で力一杯に弾いた。
「あ痛っ!」
「じゃ、行って来るから」
 額を抑えてうずくまる僕にそう言って、決まり悪そうにそっぽを向く美鈴さん。
 新しいヘルメットを抱えてブリッジを後にする彼女。僕は涙がにじむ目で、ひとつに束ねた黒髪が踊る背中を見送った。
「お嬢が出るぞ。三十秒の援護だ、景気良くやれ!」
 間髪を入れずガディさんの指示が飛び、慌ただしくなるブリッジ。
 ジュエル号の大型砲塔がゆっくりと回頭し、轟音が立て続けに響き渡る。心に負った過去の傷が癒えるためには、時間に任せるしか方法がないのだろう。
 僕はそんな事を考えながら、びりびりと震えるブリッジの風防越しにカタパルトをじっと見つめる。
 次の瞬間、陽光を弾く真紅のブレイバーがその翼を広げ、赤い閃光となって大空へと羽ばたいた。

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