ミネルバの翼 「9.蒼い稲妻 後編」
 目次
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 「伏せなさい、リスティ!」
「も、もう伏せてますっ!」
 思い切り地面に顔を打ち付けた僕が、美鈴さんに抗議しようとした次の瞬間、数発の銃声が轟いた。
 弾丸が地面に弾け、僕は驚いて頭を抱えて首をすくめる。
「早く建物の陰へ隠れるのよ!」
 何処に隠していたのか、美鈴さんの右手には銀色の拳銃が握られている。シリンダーは六連装で長い銃身を持つ、とても古い型のリボルバーだ。
 僕は頭を抱えたまま、這うようにして壊れかけの建物の陰へと転がり込んだ。散発的に銃声が響き、朽ちてボロボロの建物が銃弾に削られて弾け飛ぶ。
 険しい表情で数発反撃した美鈴さんが、建物の壁を背にして相手の様子を窺う。
「そ、そんな大きな拳銃、何処に隠していたんです?
「腰、ブラウスの下よ。丸腰でこんな街を歩けるもんですか!」
 美鈴さんはそう言うと銃声が止んだ瞬間、壁の陰から腕だけを出したて続けに数発撃ち返す。
 銃声が響く度に背中に電気が走る、火薬のカスがばちばちと顔に当たって痛い。
 手に余るほど大型の銃をいとも簡単に扱う美鈴さんは、掌で大型の銃を器用に回し、シリンダーを外すと親指でイジェクションロッドを押し込む。
 彼女の足下へ、ばらばらと空薬莢が散らばった。 
「予備の弾も少ないのに」
 美鈴さんは舌打ちしながら、シリンダーへと弾を込めていく。
「あの、美鈴さん!」
 壊れかけの木箱に隠れていた僕が、顔を上げた瞬間。
「この馬鹿、頭を上げるなっ!」
 叫んだ美鈴さんに蹴り飛ばされて、僕はまた地面に転がった。
 さっきまで僕の頭があった場所の木箱が爆ぜて、木片と粉塵が派手に散らばる。
「屋根の上!?」
 着弾地点から射手の位置を予想したのか、美鈴さんは建物の屋根へと銃口を向けたが、それらしい姿はない。
 しかし、確実に射手はこちらを見ているらしい。
 次々と撃ち込まれる弾丸が、壁にいくつもの穴を穿つ。
「リスティ、路地の奥へ走りなさい!」
「は、はい!」
 僕と美鈴さんは狭い路地を縫うように、目に見えぬ追っ手の銃弾に追い立てられるままに走った。
 弾丸が建物の壁や足下で弾け、体のすぐ横を掠める。
 僕はこの恐怖をよく知っている、しかしこの感覚に慣れるなんて僕には無理だ。
 走り続けて辿り着いた先は、朽ち果てた何かの工場跡だった。
 見渡す限り、目に映るのは赤茶色。工場の外壁は所々無くなり、剥き出しの鉄骨は錆び放題。元の建物の姿など、もう想像する事も出来ない程に荒れた様が酷く痛々しくて寂しい。
 僕と美鈴さんは、そんな時間の流れに置き去りにされたような場所で佇んでいた。 
「追い込まれたのかしら?」
 気が付くと、銃声が止んでいる。
 銃を構えたままで、美鈴さんがつぶやいた。
「何? 背筋が凍るような、殺気を感じない……」
 僕なんかと比べられないくらい、そんな感覚が鋭敏なのだろう。美鈴さんはそれでも油断無く、鋭い視線で辺りを窺っている。
 その時、僕と美鈴さんの遙頭上から大きな声が響いた。
「いやぁ、まったくイイ女だ。惚れ惚れするぜ!」
 その声に反応し、素早く銃口を向ける美鈴さん。
 二十メートルほど離れた建物の残骸の屋根で右手の銃を肩に担ぐように持ち、油断ならない笑顔を浮かべているのは、金色の長い髪、深い青色の瞳をした秀麗な顔の優男。 
「おいおい、悪い事は言わないから止めとけよ。俺だけじゃねぇ、仲間が狙ってるんだ、トリガーへ掛けてる指にちょっとでも力を入れてみな? あっという間に蜂の巣だぜ」
 痩せてはいるが鍛えられた均整の取れた体、屋根の上で悠然と構えている男は勝ち誇ったように言った。
 美鈴さんは男を睨み付け、渋々と男に向けていた銃を下ろす。
「煙と何とかは、高いところが好きって言うわよ? ああ、分からないといけないから教えてあげるわ、何とかっていうのは馬鹿よ、馬鹿!」
「うるせぇ、黙って話を聞けっ! 言っておくが、お前達の命を握っているのは俺なんだからな、そこんとこよく理解しろよ!」
 簡単に美鈴さんの挑発に乗って抗議する男、どうやらあっという間にメッキが剥がれたようだ。 男はひとつ咳払いをすると、金色の前髪を気取った仕草でかき上げる。
「俺の名は“ロアン・ヴェルヌコート”いずれこの、ロードウィーバーを手に入れる男さ」
「は?」
 “ロードウィーバーを手に入れる男”だって? えらくちっちゃな目標だけど、何を偉そうに言ってるんだ。
 僕と美鈴さんは、揃って口をぽかんと開けた。
 この男は居住コアなんかを手中に収めて、どうするつもりなのだろう。
「あんた、自分の状況が分かって言ってる? この居住コアで生活してる以上、保護された避難民なのよ!?」
 げんなりとした表情で指摘する美鈴さんの意見は正しい。
 居住コアに規模の大小はあれど、頼りなく不安定な逃げ場所のひとつである事にかわりはない。 
「ひょっとして世界をどうのなんて、大口叩くつもりがあるの?それなら軍に志願するか、レジスタンスの一員に加わったらどうなの!?」
「馬鹿野郎! 物事には順序ってものがあるんだよ! それにな……」
 ロアンは呆れたように、ひらひらと手を振った。
「俺には、どちらもまともな組織に思えないぜ。連合軍は旧体制からの支配者に飼われている犬っころだ。レジスタンスはどの組織も、セラフィムの撃墜だけに至福を感じている勘違い集団だ、そんなオンボロ組織の歯車になるのはご免だぜ!」
 僕は、ロアンという男の言葉にはっとした。
 少し歪んではいるものの、現状の情勢を考えれば彼が間違っていると言えない。
「あなたの言いたい事は分かります、だからって……」
「黙ってろや、モヤシ野郎! お前に用事はねぇ!」
 声を上げた僕は、みなまで言う前にぴしゃりとロアンに釘を刺された。
 どうやら僕の存在は眼中にないらしい。何だよ、せっかく同意してやったって言うのに。
「お前、真っ赤な装甲兵に乗ってるだろう。あの馬鹿でかい運搬船の用心棒だよな? お前の赤い装甲兵は、盗賊の間じゃ有名だぜ?」
「盗賊連中の間で有名になったって、嬉しくもなんともないわよ」
 つんとそっぽを向いたまま、半眼でぼやく美鈴さん。
「俺もお前の大層な噂は聞いてはいたが、お笑いだぜ。この間は、俺に一撃も浴びせられなかったよなぁ?」
 その言葉に、美鈴さんの眉がぴくりとひくついた。
「へええ……そう。あのふざけたセラフィムは、あんたが乗っていたの」
 美鈴さんがその綺麗な顔に、凄絶な笑みを浮かべる。
 そのあまりの迫力に、僕は一瞬で凍り付いた。
「俺の通り名は蒼い稲妻さ。どうだ女。お前、俺と組まないか? 隣に生えてる自分の身すら守れねぇような、ひょろひょろのモヤシ野郎なんかに構っているなよ。俺の処に来い、二人でこの世界を牛耳ってやろうぜ!」
 世界を牛耳るだって? あまりにも馬鹿げている妄言だ。しかし、男の高圧的だが熱心な誘い。沈黙している美鈴さんの姿に、僕は急に不安になったのだが。
「笑わせないで。四方八方から突きつけた銃で脅しておいて、手を組もうも何もあったもんじゃないでしょう!」
 男の誘いを、氷の微笑を湛えた美鈴さんが思いっきり突っぱねた。
「リスティ、ごめん!」
「え?」
 いきなり美鈴さんが振り上げた長い足が、まるで鞭のようにしなり、ぼんやりしていた僕の首に巻き付く。思いっきり蹴り飛ばされた僕は地面に倒れながら、スローモーションのように美鈴さんの姿を見ていた。
 彼女は僕を蹴り倒した勢いのまま、素早く銃を構えるとトリガーを引き絞った。
 
 目にも留まらぬ、速射の五連射。 
 茜色の空に銃声と、金属を打ち付けるような音が響く。
 僕が地面に倒れ、再び顔面を地面に打ち付けた瞬間。
 ライフルを持った五体の機械人形達が、廃工場の屋根から転げ落ち、壁の陰からヨタヨタと現れては地面に倒れ込んだ。 
「き、機人兵!」
 ずきずきと痛む顔を押さえて立ち上がった僕は息を飲む、美鈴さんが撃ち抜いたのは五体の機人兵だったのだ。おそらく、スクラップを回収して改造したものだろう。所々パーツの形状は異なるが間違いない、ヴィラノーヴァが運用する機械仕掛けの歩兵だ。
 美鈴さんが放った銃弾を、目ともいえる二つ並んだ血のように赤いモニターレンズの間に受け、稼働不能になった機人兵はぴくりとも動かない。
「あいつ……。逃げたようね」
 舌打ちした美鈴さんがため息をつく。
 僕は男が立っていた廃屋を見上げたが、そこにロアンの姿はもう跡形もなかった。
「機人兵じゃ、殺気なんて感じない訳よね」
 つぶやく美鈴さんは機械仕掛け故に殺気など放出しない殺戮者、機人兵が隠れている場所をすべて見抜いていた。
 そして機人兵が発砲したライフル弾が僕に当たらないように、とっさに蹴り倒したのだ。
 しかし美鈴さんの鋭い射撃は、僕と美鈴さんを照準に収めていた機人兵にライフルのトリガーを引かせる事を許さなかった。
「機械人形を従えて、王を夢見る馬鹿な奴……か」
「何です? それ」
「あの馬鹿の事。さ、帰るわよ」
 スクラップになった機人兵の残骸をその場に残し、僕達が立ち去ろうとしたその時、
『いやいや、おっかねえ女だな。しかし良い度胸だ、肝が座ってやがる。ますます気に入ったぜ!』
 幾方向からも、ロアンの声が響いてくる。
 声が響いてくる方向を特定することが出来ない。
『また会おうぜ、今度は逃げねぇから覚悟しな。“紅の天使”と噂に名高い、お前の装甲兵を地上に叩き落としてやる、この空に王は二人もいらねぇからな』
 ロアンが叩き付けたのは美鈴さんへの挑戦状だ。その言葉を最後にロアンの気配が消えた、暮れなずむ空に静寂が訪れる。
「迷惑な話よね。私は別に、王を気取っている訳でもないのに……」
 再び構えていた銃を下ろした美鈴さんの、黒曜石の瞳は笑っていない。
「かかって来なさい」……そう言わんばかりの美鈴さん。
 静かに揺らぐ炎を映す美鈴さんの瞳に、僕の背筋は凍り付いた。

 ☆★☆

『ジュエル号、出航の時刻です。それでは貴船の旅路に幸運を!』
 三日後。管理官の笑顔に見送られて、ジュエル号はロードウィーバーを後にした。
 ハメを外しすぎたのか、クルー達の顔は疲労の色が濃い。
 二日酔いで寝込んでいる者も多数居るようだ。
 そして意気消沈しているクルー達に反して、キャプテンシートに座っているガディさんは嬉々としている。
 しかし、ジュエル号が居住コアの管理区域を出てしばらくした時だった。
 いきなり空の一点が煌めき、一条の火線がジュエル号のブリッジを掠めた。エネルギー弾に照らされたブリッジの風防がびりびりと震え、ブリッジ内が一瞬パニックに陥る。
「落ち着け、馬鹿野郎ども! ミホロ、すぐにロードウィーバーの守備隊に出動要請をしろ!」
 ガディさんの指示に、ロードウィーバーと交信した女性通信士、ミホロさんが悲鳴のような声を上げる。
「駄目です! 当居住コアの管理区域外の戦闘に、守備隊は出動しないそうです!」
 ガディさんがぎりぎりと歯ぎしりをして、キャプテンシートの肘掛けを力任せに殴りつけた。
「だから俺は、この街が好かねぇんだ!」
『おい、早く出てこいよ、赤いの!』
 ジュエル号の通信器に強制的に割り込んだのだろう、ブリッジ内に男の声が響いた。
 通信器越しでややくぐもっているものの、間違いないあの男……。ロアン・ヴェルヌコートの声だ。そして、ジュエル号の前に立ちはだかった一機の装甲兵。僕はその機体をよく見ようと、ブリッジの風防へと駆け寄った。
 晴れ渡る青空のような色の、耐熱樹脂塗料で塗装された機体。
 見た目は何となく美鈴さんのブレイバーに似ているが……。いや、僕は大きく目を見開いた。メインカメラの形状と、胸部と脚部の装甲の形状が決定的に違う。大きく膨らんだ脚部は、大型のバーニアを内蔵しているに違いない。
 そして『F型』が標準的に装備しているフライト・ユニットのシルエットも違う。
 僕の脳裏に、閃くものがあった。
「あれはVX−5F型!? そんな、開発は設計段階で頓挫していたはずだ。まさか実際に製造された機体があったなんて!」
 目の前に現れた幻の新型機に、僕は息を飲んだ。
「あの馬鹿、ほんとに出て来たの?」
 相手がどんな機体を使っているかなんて、些細な事らしい。黒髪をさっと束ねてブリッジを後にしようとする美鈴さん。
 僕は慌てて彼女の前に走り出ると両手を広げて立ち塞がった。
「待って下さい、あの機体は新型です。形式名はVX−5F型、いわばブレイバーの後継機ですよ! とにかく危険だ、相手の武装も機体性能もまったく予測出来ない!」
 ロアンって男は、あの機体をどこから手に入れたのだろう、実機は存在しないはずなのに。
「大丈夫よ。そこをどきなさい、リスティ」
「駄目です、どきません! 試作機レベルでもVX−4F型より、いやブレイバーよりも機動力や装甲材が格段に向上していたらどうするんですか!」
 そうだ。そんな賭け事のような戦闘を、認めるわけにはいかない。
『おいおい、やるのかやらねぇのかはっきりしろ! このまま黙ってるなら、ブリッジを撃ち抜くぞー?』
 こちらの混乱を見透かしてでもいるのか、へらへらと神経を逆撫でするようにロアンが挑発してくる。しかし相手のどんな挑発でも、美鈴さんの安全を考えれば安易に乗るわけにはいかない。
「どきなさい、リスティ!」
「絶対に駄目です!」
 美鈴さんの強い口調に怯むことなく、僕は何度も首を横に振った。 
「しょうがないわね」
 呆れたように肩をすくめた美鈴さんが、僕の額にすっと人差し指を当てた。
 僕は反射的に硬く目を瞑る、しかしテコでも動くつもりなんて無い。
「私を信じられるって聞いた時に、あなたははっきりと答えたわよね、あれは嘘だったの?」
「いいえ、嘘じゃありません! ……でも」
 僕は口籠もった。
 可能ならば全ての情報や状況を的確に把握、分析した上で出撃をして貰いたい。美鈴さんが心配な事には変わりないからだ。
「あれが新型か何か知らないけど、あなたはブレイバーに全ての力を注いでくれているのでしょう?」
 そう言った美鈴さんの黒曜石の瞳が微笑んだ。
 それは、僕に全幅の信頼を寄せてくれている証。
「違うの?」
「いいえ」
 僕は広げていた手を下ろして、つぶやくように答える。
「ああいう男は一度思いっ切りぶん殴って、鼻っ柱をへし折ってやらなきゃならないのよ」
「あ痛っ!」
 美鈴さんはそう言って、やっぱり僕の額を人差し指で弾いた。
 額を抑えてうずくまる僕を見下ろして、満足げに頷いた美鈴さんがヘルメットも持たずにブリッジを出て行ってしまった。
 そしてしばらくの後、あろう事か左腕の大型接近戦用ブレードのみを装備したブレイバーがジュエル号から飛び立ったのだ。
「美鈴さん。なっ、何をしているんですか!」
 驚いた僕は慌てて、ミホロさんに通信機を借りようとしたが、ガディさんに首根っこを掴まれた。
「お前は、お嬢を信じてるんだろ? ここでしっかりと見てろ!決着は一瞬だぜ?」
 僕の首に太い腕を巻き付けて、ごつい歯をむき出したガディさんが、にやりと笑った。

 ☆★☆

 向かい合う二機、「紅の天使」そして「蒼い稲妻」と喩えられる装甲兵。
 その姿は、あまりにも対照的だ。
「さっさと始めましょう、賭にもなりはしないから」
『この野郎、とことん馬鹿にしやがって』
 美鈴の気のない台詞に、通信機のスピーカーから聞こえるロアンの声が怒りに震えている。しかし長いため息が聞こえた後、その口調がやや変化していた。
『なぁ、ひとつ聞かせてくれよ。お前、名前は何て言うんだ?』
「美鈴よ、李 美鈴」
『じゃあ美鈴、お前にも分かるだろう。世界が間違った方向に向いている事に違いはない、人間がこのままちりぢりのばらばらじゃあ、あの海上都市の羽根付き野郎に根絶やしにされちまう。奴らに対抗するには有能な統率者が必要なんだよ』
 ロアンの声が、真剣みを帯びてくる。
『俺は本気で言ってるんだぜ? 俺とお前が組めば居住コアばかりじゃない、連合軍だってひとつにまとめられるだろう。新しい組織を起ち上げるんだ、近隣に陣を張っているレジスタンスへも協力を打診している。相手が了解するのは時間の問題さ!』
 馬鹿げているが、どうやらこの男は本気のようだ。
 開発が頓挫した新型の装甲兵を手に入れているなど、どういった身分なのかは薄々想像はつく、相当な人脈も持っているのだろう。
 しかし、美鈴はそれが気に入らない。
 この男は、運が良いのだ。
 生まれながらに恵まれた環境や能力を持ち、自分を担ぎ上げてくれている取り巻きも多いかもしれない。わずかばかりの苦労はしているだろうが、その立ち居振る舞いや言葉から感じる。
 この男は本当の苦しみや悲しみ、そして恐怖を知らない。
「興味が無いって言ったでしょう! それにあんたが言うモヤシ野郎のほうが、真剣に生きているように見えるわよ?」
『はっ! あのモヤシ野郎が真剣だと? おい美鈴、お前の目は節穴かよ』
「さぁね、まだ分からないけど」
 思わず口をついて出た言葉、しかし美鈴はリスティにそんな何かを感じるのだ。
 体の線が細い割に頑丈なのは確かだが、居住コアの片隅で震えているのがよく似合うほど、弱々しい男に見えるのに。
「あんたはリスティなんて眼中に無いようね、でもあたしは違うのよ」
 そうだ、美鈴にはリスティの碧い瞳が映している物が、いったい何なのか興味がある。
『仕方ねぇ、それなら今すぐにお前を撃墜してやるまでさ。そうすれば考えも変わるだろうからな!』
 語気荒く叫んだロアンが、蒼い『VX−5F型』のフライト・ユニットを全開にした。
 弾けるように加速するその姿はまさに、暗雲を切り裂き紫電を伴って突き進む蒼い稲妻。
 新型の装備、そして高い機動力、迸る光剣を抜き放ち突進してくる。
 今頃ジュエル号のブリッジでは、リスティが肝を潰している事だろう。
 美鈴は赤い唇に微かな笑みを浮かべた後、一瞬で表情を引き締めた。
 大きく左腕を真上に振り上げた真紅のブレイバーが、勢いよくその腕を振り下ろすと同時にシールドから長大な接近戦用ブレードが姿を現し、刀身が唸りを上げて振動を始める。
 真っ向から突進する「蒼い稲妻」と「紅の天使」が一度すれ違い、旋回した双方が機体の体勢を整えて再び激突した。
 それは一瞬の出来事だった。
 ロアンの蒼い機体「VX−5F型」が振り抜いた光剣が、残像と共に虚しく空を斬る。
 信じられぬほどの速さで、機体を逆さまに捻ったブレイバーの長大なブレードが、ロアンの機体背部に装備されているフライト・ユニットの両翼を切断していた。
『美鈴、覚えてろよおぉ……』
 フライト・ユニットの揚力を失い、墜落していく蒼い機体が森の中へと消えていく。
 しぶとそうな男だ、おそらくかすり傷ひとつ負ったりしないだろう。
「顔を洗って出直して来なさい。しばらくは覚えていてあげるわよ」
 陽光を弾く真紅のブレイバーが、長大なブレードをシールドへと収める。
 しかしモヤシ野郎とは良い喩えだ。
 乱れた黒髪を手櫛で背中へと流し、ふとそう思った美鈴は苦笑を閃かせた。

 ☆★☆

 ブレイバーがジュエル号に戻るまで、僕は生きた心地がしなかった。
 美鈴さんは今、クルー達全員と酒宴の真っ最中だ。
 飲み過ぎていなきゃいいんだけど。
 夜の闇の中をジュエル号の巨体が進む、まるで本当に海の上にいるようだ。
 船の心臓ともいえる巨大なエンジンの重い振動が、甲板の上で両膝を抱えている僕の体に響く。
 流れる景色は闇夜に溶け込み、過ぎゆく時間のように留まることなく流れていく。
 すべてを包んでしまう、漆黒の闇。その闇に吸い込まれてしまいそうな、そんな不安を人は恐れるのだろう。僕は掌に包んでいる銀のペンダントを、ぐっと握りしめた。
 やはりいくら考えても、僕には自分自身の過去が思い出せない。
 記憶の所々に鍵が掛かっているような、そんな違和感を僕はどうする事も出来ないでいた。
 だが、僕自身の事で悩んでいる暇なんか何処にも無い。
 そうだ、僕に残されている時間はあまりにも少ないのだから。
 人々に救いの手を差し伸べた巨大な海上都市「ヴィラノーヴァ」の統率者、フレグランス・ウィスラー。
 彼は海上都市にそびえる尖塔から荒れ果てたこの世界を眺め、何を想い続けたのだろう。
 この星の痛みか、世界の行く末か、それとも愚かな人間達の末路なのか。
「あなたは、僕に何をさせようって言うんです?」
 膝を抱えた両腕に、顔を埋めてつぶやく。
 金色の髪を撫でる冷たい夜風は、耳元で笛のように悲しい音色を奏でる。
 僕が生きている限り、その嘆きの調べは心を責め続けるのかもしれない。

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