ミネルバの翼 「10.風に舞う少女の声(前編)」
 目次
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 大きな氷をアイスピックで砕き、コック姿が似合う厨房係のスイフリーさんが手際良く氷嚢を用意してくれた。
 スイフリーさんは、こんな世の中でも精力的に探求を続けている逞しい料理人だ。様々な土地で修業をしていたという、スイフリーさんの料理はとても美味しい。彼の手による料理の味は懐かしくもあり、また新しくもあり長い旅をするクルー達の心を癒し、元気付けている。
「よし、氷嚢はこれくらいでいいだろ。それから、ほい! 出来立てだよ」
「あっ! 有り難うございます」
 ぽん!と、大きめの保温ケースを受け取る。
「しっかし、お前さんも大変だねぇ」
 スイフリーさんが、からからと笑った。
「はぁ……」
 僕はどう答えていいのか分からず、曖昧な返事をした。
 スイフリーさんに用意して貰った氷嚢と保温ケース、それからテロップ船医に渡された薬を持って、ジュエル号の通路を歩く。
 美鈴さんの部屋の前で、扉をノックをしようと手を挙げると、
『はっ……くしょん!』
 部屋の中から、大きなくしゃみがひとつ聞こえた。
 鬼の霍乱か? いやいや、本人に聞こえたらそれこそぶん殴られるので言えない。
 なんと美鈴さんは、風邪をひいて床についてしまったのだ。
 こんこん。
『どうろ〜』
 扉を遠慮がちにノックすると、やや鼻詰まりの声がした。
 どうやら美鈴さんは「どうぞ」と、言っているらしい。
「入りますよ、美鈴さん」
 何しろ女性の部屋へ入らなければならないのだ。
 どうしても緊張してしまう僕は、ぎこちない動作で扉を開けた。
「あ〜りすてぃ〜」
 ベッドに横になっている美鈴さんが、赤い顔で苦笑いをした。
「気分はどうですか?」
「ちょっとは、ましになったみたいね」
 僕は美鈴さんの額へ乗せられていた氷嚢を取り替えると、ベッド脇に椅子を寄せて腰掛けた。クルー達がこぞって美鈴さんの看病役に立候補したのだが、ジュエル号の発言権第二位、パメラおばちゃんの鶴の一声で、僕がその看病を受け持つことになったのだ。
 そのおかげであちこちから浴びせられる羨望の眼差しが、船内を歩く僕の体には容赦なく突き刺さってくる。
「体温計、見せて下さいね」
 三十七度六分。まだ少し熱があるみたいだ。
「大人しくしていれば、熱も下がりますよ。ところでお腹、空いてませんか?」
「あ〜またミルク粥なの? あたし、あれは嫌いなのよ〜」
 ここ数日ミルク粥しか口にしていない美鈴さんは、情けない声を出して毛布の中に潜り込んでしまった。
 ああ、氷嚢が外れちゃったじゃないですか。
 食事をきちんと摂らないと、風邪も早く治らない。 
「ミルク粥じゃありませんよ」
 取りあえず吊ってあった氷嚢を外して置き、僕がちょっと得意げに保温ケースを取り出して言うと、美鈴さんは何やら疑り深そうに毛布からちょっとだけ顔を出した。
「ほんと?」
「ほんとですよ」
 保温ケースを開けると、中には蒸し上がったばかりの大きな肉饅頭がふたつと、温かいお茶のパックが入っていた。
「わぁ! 美味しそう!」
 歓声を上げ、嬉しそうに飛び起きた美鈴さんは乱れているパジャマの胸元に気付き、真っ赤に頬を染めると、慌てて布団を掻き抱いた。
「う〜まだ頭がふらつくわね。あ、リスティ。あんまりこっち見ないで、汗くさいから」
「は、はいっ!」
 カーディガンを渡し、慌ててそっぽを向く僕。
「あの、スイフリーさんに頼んで作って貰ったんです。冷めないうちに食べて下さい」
「ありがとう、いただきます」
 美鈴さんは大きな肉饅頭を手に取り、勢いよくはむ!と頬張った。
「ん〜おいひい!」
 喉の調子が悪いのか、ちょっと声が荒れている。もふもふと、幸せそうに肉饅頭を食べている美鈴さん。テロップ船医にも心配ないって言われているし、ミルク粥でなければ大丈夫。どうやら食欲もあるみたいだ。
 僕はここ数日美鈴さんの看病をしながら、彼女の普段の姿を感じていた。
 パイロットスーツに身を包んでいる時とは、全く違う。
 抜き身の剣のような、そんな冷たい雰囲気が全く感じられない。その仕草や笑顔は、どこにでもいるごく普通の女の人と何ら変わりはないのだ。
「あで?」
 お茶のパックにストローを挿そうとした取ろうとした美鈴さんが、変な声を出した。
「どうしたんですか?」
「今、揺れなかった?」
「そうですか?船はまだ停泊中ですよ……あれ? ほんとだ、揺れてる」
 ジュエル号は今、『エディフィス』という小さな居住コアに停泊しており、まだ朝方だというのに、クルー達は荷物の搬入出で忙しく働いている。
 『エディフィス』は少数派の民族の人達が力を合わせて作り上げた居住コアだ。遠い昔から脈々と受け継がれる歴史や文化を護り続けている、今ではとても貴重な街だ。

 巨大な運搬船が揺れるほどの大きな荷物の搬出は無かったはずだけど、確かにジュエル号の船体が揺れている。
 僕と美鈴さんが、互いに怪訝な表情で顔を見合わせたとき、部屋のインターフォンが鳴った。
「おいリスティ! 居るか?」
 切羽詰まった声は、機関士のモッズさんだ。
「そんなに慌てて、どうしたんです?まさか船のエンジンに火でもついたとか」
「馬鹿野郎、そんなヘマするかよ!いいから格納庫に来い!いいか?すぐにだぞ!」
 冗談など言っていられる場合ではないようだ。そう早口でまくし立てて、モッズさんはインターフォンを切ってしまった。
「どうしたんだろう?」
 船の揺れは、まだ続いている。
「美鈴さん。食べ終わったら薬を飲んで、ひと眠りして下さい」
「そうね、そうするわ。何か分かったら教えて」
 素直な返事、美鈴さんも事態が気になるようだ。しかし、今の自分の体の状態では何も出来ないのが分かっているのだろう。
 僕は椅子を立つと、急いで部屋を出た。

 ☆★☆

「うわっ!」
 格納庫へやって来た僕は思わず声を上げる、揺れの正体が分かった。
 振り回される鋼鉄の拳が、格納庫の内壁を叩く。
 なんと、ブレイバーが動いていたのだ。
「おお、リスティ。来たか!」
「も、も、も、モッズさん。こっこれは一体!?」
「ドモってるんじゃねえよ。何とか止める方法を考えろ!」
 頭にげんこつを落とされた。
 どうしてこの船のクルーは、口より手が先に出るのだろう? 涙目の僕が頭を抱えて呻いていると、ブレイバーが頭をキャットウォークへと思い切りぶっつけた。
 ああっ! 塗装が剥げるっ!
 じゃない! 駄目だ。あれではそのうち壊れてしまう。
 ふと気が付けば、格納庫で右往左往しているクルー達に混じって、五,六人の子供達が歓声を上げている。
「?」
 あの子達は何だ?僕は不審に思いながらも、乗降用リフトへ向けて走った。
「近寄るな。リスティ、危ねぇぞ!」
「大丈夫です! とにかく僕に任せて、皆さんは離れていて下さい!」
 機体乗降用のリフトへ乗り込むと、アームを伸ばしてキャットウォークへと飛び移る。横目で眼下のブレイバーを見ると、酔っぱらいのようによたよたと足踏 みする足下がおぼつかない。美鈴さんはブレイバーの姿勢制御を、コンピュータ任せにしてはいない。だから素人には、まともに歩かせる事など出来ないだろ う。
 ブレイバーはまるで酔っぱらいのようにふらふらしているだけで、ライフルなどの武装を取る気配はない。今のうちだ、僕はさっと天井へ目を走らせた、うまい具合にクレーンが空いている。
 僕はキャットウォークの手摺に掛かっていたワイヤーロープを一本外し、輪になっている両端のうち一方をフックに引っ掛けた。
 そしてもう一方の輪っかに足を引っ掛けると、ワイヤーロープをしっかりと握り、依然ぎくしゃくと動いているブレイバー目掛け、思い切ってキャットウォークの手摺を蹴って跳んだ。
 今だ! ワイヤーロープから手を放し大きくジャンプした僕は、ひしっとブレイバーの頭部へとへばりついた。
 でたらめに振り回されるマニュピレーターの動きに注意しながら、僕は胸部装甲に取り付けられている梯子を伝って、腹部のコクピット付近に辿り着く。
 小さなパネルを開け、非常時に外部からハッチの開閉を操作する手動コックを思い切り捻った。高圧エアの排出される音が響くと同時にブレイバーが緊急停止し、ハッチが勢いよく跳ね上がる。
「この盗人め、あちこち剥げちょろけになったじゃないか! 耐熱樹脂塗料だって安くないんだぞ!」
 大声で威嚇しながらコクピットの中を覗いた僕は、あんぐりと口を開けた。
「こっ、子供?」
 機体が緊急停止したときにシートから投げ出され、頭でも打ったらしい。コクピットの中では、一人の男の子が目を回して伸びていた。

 ブレイバーのコクピットで目を回していた少年と、デッキではしゃいでいた子供達は格納庫でひとかたまりに集められ、皆一様に神妙な顔でうつむいている。
どうやら荷物搬出の作業中に、クルー達の隙を見て格納庫に入り込んだようだ。
「子供は、これくらいの元気がねぇとな!」
 そう言って、ガディさんは機嫌良く、がははと笑った。
 小さな居住コアだが、『エディフィス』は大切なお得意先らしい。だからジュエル号からのきついお咎めは無しとしても、まぁそれなりのお叱りは覚悟して貰わなければならないだろう。
「ほら! ごめんなさいは?」
 子供達を仁王立ちで見下ろしている女性……ミーシャさんが、強い口調で言った。
 取り分けて美人と言うほどではないが、素朴で強さと優しさを感じる、そんな女性だ。
 そして彼女のこめかみには、きっちりと大きな怒りマークが浮いている。
「エアン!」
 十二歳くらいかな? ミーシャさんが、最年長らしい男の子の頭にゲンコツを落とした。
 うわ、痛そう。
 コクピットで目を回していた男の子でミーシャさんの弟、エアンは少し顔をしかめたが仏頂面で僕を見上げ、
「ごめんなさい」
 わりと素直に謝った。
「ごめんなさいぃ〜」
 男の子三人に、女の子二人のお子様達も情けない声を合わせる。
「本当にすみません。子供達がご迷惑をおかけしました」
「いや、ははは……まぁ、怪我もないようですし、剥げた塗装は塗り直せばいい事ですし」
 深々と何度も頭を下げるミーシャさんを宥めるように僕は答えたが、引きつった口元はどうしようもない。
 美鈴さんの看病で、船室と格納庫をひっきりなしに行き来していた僕は、ブレイバーをメンテナンスモードのまま放置していた。
 だから、僕にも間違いなく責任の一端がある。
 ああ、剥げた塗装を直さなきゃ。
「ほら、帰るのよ!」
 ミーシャさんの後をぞろぞろと、神妙な顔でお子様達がついて行く。
「はあ……」
 僕は、深いため息をつく。
 結局ブレイバーの整備と余分な補修作業は夕方近くまでかかり、その間僕は美鈴さんの世話もあるので、格納庫と船室をまた何度も往復しなければならなかった。
「ああ、大変な一日だった」
 ひと仕事もふた仕事も終えて、涼しい風に当たろうとデッキをに向かって歩いていた僕はぎょっとした。
 今日の疲労の原因を作ってくれた少年の姿が、目に映ったのだ。物陰から顔を覗かせて、勝ち気そうな瞳できょろきょろする度に黒髪が揺れる。涼しげな衣服から伸びているな手足は、よく日に焼けていて元気そうだ。
(ははぁん)
 少年の魂胆が頭に閃いた僕は、死角からそろりそろりと近づくと少年……確か名前はエアンだったかな? に、声を掛けた。
「おい、まだ懲りてないのか?」
「うわぁっ!」
 エアンは文字どおり飛び上がって驚くと、その場に尻餅をついた。
「残念だったな。いくら頑張ったところで、お前には動かせないよ」
 苦笑混じりに僕が言うと、恨めしそうに僕を見上げていたエアンは、ぶんぶんと首を横に振った。
「違うよ! 俺、人を捜していたんだ!」
「人捜しだって?一体誰を捜していたんだ?」
 疑わしい目つきで問うと、エアンは僕を指さした。
「兄ちゃん、整備士なんだろ!?」

 ☆★☆

 オフロードバイクの後ろに、エアンを乗せて走る。エアンに腕を引っ張られるままに、僕は夕暮れの街へと出た。もちろん、船長であるガディさんに許可を取っての外出だ。
 ただあまり長居は出来ない、美鈴さんの具合が気懸かりだからだ。
「エアン、この方向でいいのか?」
「うん! へへへ」
 とにかく一緒に来てくれと言ったきり、エアンは何も話そうとはしない。
 何も分からない僕は仕方なく、慎重にバイクのアクセルを開けた。街はずれを抜け、薄暗くなってきた森の小道を疾走する。
 まさか、昼間の仕返しでもする気じゃあないんだろうな?
「ほら、兄ちゃん。あれだよ!」 
 どの位走っただろう?後ろから、エアンが前方を指差す。
 バイクのライトに照らし出された、その姿は。
 あれって、ああっ!
 驚いた僕は、思いきりブレーキをかけてしまった。バイクが横滑りを起こし、もうちょっとで転倒するところだった。
 驚いた、暗い森の中に一機の装甲兵が鎮座していたのだ。
 ライフルやシールドなど装備はそのまま、駐機姿勢ではなく脚を投げ出し、何かぐったりしたように頭を垂れている。僕はバイクから降りると、手にした大きめのマグライトを掲げた。
「へへ、格好良いだろ! イリューザーって名前を付けたんだ!」
 エアンは嬉しそうに鼻の頭をこすると得意げに、むん!と胸を張った。
「強そうな名前じゃないか」
 僕はそうエアンに答え、もう一度機体を見上げた。
 マグライトの光に照らし出された機体は、薄いグリーンを基調としたボディカラーだ。
 装甲兵の性能の進化は、それだけ戦争の激化を示している。これはブレイバーなどの『VX型』よりも、一世代前の機体。機体形式名は『VM−2型』だ。
「なぁエアン。これ、どうしたんだ?」
 僕の隣で同じように、機体を見上げているエアンに聞くと、
「半年くらい前に、兵隊が乗り捨てていったんだ」
 頭の後ろで腕を組んだエアンがそう答えた。
「降りてきたパイロットがやってられねぇとか、俺は死にたくないとかって、ぶつぶつ言ってたけど、さっさと歩いてどっかへ行っちゃったんだ」
 おそらくは脱走兵の類だろう。気持ちは分かる、まぁそう思うのも無理はない。
 僕はとりあえず破損部分が無いか観察しようと、機体へよじ登った。
「こいつは動くのか?」
「ううん、ぜんぜん動かないんだ……」
 下にいるエアンは口をへの字に引き結んで下を向き、悔しそうにつぶやいた。
「どうした、エアン?」
 その落胆ぶりが気になったので装甲兵の脚から降りて側へ行くと、エアンが勢いよく顔を上げた。
「兄ちゃん! 兄ちゃんなら、イリューザーを直せるだろう? こいつが動けば、盗賊達をやっつけられるんだ!」
「盗賊だって?」

 僕は眉根を寄せる、真っ直ぐに僕を見つめる少年の瞳は真剣だ。
 闇に閉ざされた深い森の中は危険がつきまとう、僕はエアンを連れてコクピットへと潜り込んだ。
「エアン、詳しく話してくれないか?」
 僕はそう言いながら、コクピット内の計器類をチェックを始めた。機体には破損個所もなく、程度は上々のようだ。
「もう、一年くらい前になるんだけど」
 狭いコクピットの中で膝を抱えていたエアンは、ぽつりぽつりと話し始めた。
 エアンの話では、街の北方にある山にならず者達の一団が居を構えたというのだ。ならず者達は時々エディフィスの街へとやって来ては、思うがままに暴れ回っているらしい。
 街の人達にも、大勢の怪我人が出ているようなのだ。
 強者が弱者を食い物にする、やるせない時代。
「あいつら、羽がある装甲兵を持っているんだ。敵うはずないよ」
 エアンは、きつく唇を噛んだ。
 羽のある機体、それはおそらく……。
 詳しくエアンの話を聞いてみると、カラーリングこそディープパープルになっているようだが、やはり間違いない『セラフィム・タイプ』だ。
 このご時世、あちこちにセラフィムや軍の装甲兵のスクラップが転がってい
る。部品を掻き集めれば、一体の装甲兵を組み上げることなど造作もないだろ
う。
 ましてや、何の力も持たない街の人々にとって、たとえ出来損ないでも装甲兵という兵器はとてつもない脅威となるのだ。

「父ちゃんや大人達はみんな、黙ってあいつらの言いなりになってるんだ。でも俺は嫌だよ、そんなの!」
エアンはぐっと拳を固めたあと何かに気付き、がっくりと肩を落とした。
そうか、それでブレイバーを動かそうと思ったのか。
 子供は大人達が考えているように、無邪気なだけの存在ではない。
 彼等なりの尺度や、視点で物事を捉えている。
 そして自分の出した結論が間違いなく正しい事なのに、その純粋な正義は上手く伝わらず、大人達には理解を示して貰えない。
 大人達にはまた複雑な事情もあるのだが、子供はまだ自分自身の力が足りないことに、焦ったり憤ったりもするのだ。
「兄ちゃん、お願いだよ!」
 少年の瞳は何処までも純粋で、汚れがない。
「エアン」
 僕がぽんと頭に手を乗せるとエアンは案の定、子供扱いされたと思ったのだろう。不服そうな顔をした。
「まだお前には、装甲兵の操縦は無理だよ」
 自分でもよく分かっていることなのだろうが、エアンは悔しそうに唇を噛んだ。
「諦めるなよ、ジュエル号にも装甲兵は積んである。盗賊退治は船長に掛け合ってみるさ」
 まだ細い肩を叩きながらそう言うと、エアンが顔を上げた。
「ほんとに!?」
「ああ、それからイリューザーは、僕がちゃんと直すよ」
 僕はコクピット内を見回し、少々動きの固い操縦桿を握りしめた。
「兄ちゃん!」
「そうだ、僕の名前はリスティっていうんだ」
「うん! リスティ兄ちゃん」
 瞳を輝かせているエアンに、僕は約束した。

 ☆★☆

「ああ、困った」
 エアンとの約束まで時間が無い、僕は美鈴さんの部屋の前でうろうろしていた。
 出掛ける前に事情を話しておこうと思ったのだが、あまりにも早い時間なので美鈴さんはまだ寝ているらしい。
 扉をノックをしても、返事がないのだ。
「大丈夫かな?」
 何か音でも聞こえないかと、扉に張り付いて耳を澄ませていると、何やらとんとんと肩を叩く者がいる。
 誰だよ、まったく。
「何やってんだい?」
「うひょおおおっ!」
 聞き覚えがある声、振り向いた僕の目の前十センチに、パメラおばちゃんの顔があった。その迫力に尻餅をついた僕は、脂汗を流しながら通路を後ずさ
る。
「なんだいまったく。人の顔を見るなり、失礼な子だね!」
 僕を一睨みするパメラおばちゃん。
 その手にはネコ柄のほんわかと膨らんだパジャマが載っている。どうやら美鈴さんに、着替えを持ってきてくれたらしい。
「リスティ、あたしゃあんたを見損なったよ。風邪で弱ってる女の子を襲おうなんて」
「いえ、そんな事は微塵も考えていませんから」
 にやにやと笑うおばちゃんに、僕はきっぱりと否定した。 
 ああ、そうだ!
 つまらなそうな顔のパメラおばちゃんに事の次第を話すと、おばちゃんは巨体を揺すりながら笑い「美鈴の世話なら任しておきな」と、言ってくれた。
「あたしとっちゃ、娘みたいなもんだからね。だけど風邪くらいで、あたしの娘達はこんなに手が掛からないけどね。ま、あんたに甘えているんだよ」
 そう言うパメラおばちゃんの笑顔は優しく、とても楽しそうだ。
「本当にすみません」
 僕は、深々と頭を下げ、おばちゃんに美鈴さんのことをくれぐれも頼むと、船長室へと向かった。
 そして気合い十分で船長室に直談判に赴き、ガディさんに事情を話して盗賊退治に協力して欲しいと相談したところ、見事に突っぱねられた。
「そいつは出来ねぇ相談だな、坊主」
「そんな! みんな装甲兵の扱いについてはベテランでしょう! 街の人々だって困っているんです。大切なお客様じゃないんですか?」
 脅しに近い僕の言葉に、ガディさんが険しい表情を見せた。
「大事な客に違いはねぇが、そこまでは俺達の仕事じゃあない。盗賊退治は専門のお嬢に頼みな!もっとも、お嬢もあの様子じゃあ、ブレイバーの操縦なんて出来ねぇだろうがな」
 ばん! 僕は力任せに船長室の机を叩いた。
「そんな言い方をしなくても!」
 信じられない。ガディさんなら、きっと協力してくれると思ったのに。
「なぁ、ちょっと落ち着けよ坊主」
 ガディさんはパイプをくわえ、椅子に深く背を預けた。大きくて黒い革張りの椅子が、巨体の重みでぎしりと軋む。ゆっくりと部屋に漂う紫煙。その向こうに見えるガディさんの顔は暗く、そしてひどく真面目な表情だった。
「そう言うしかねぇんだよ。こんな世の中じゃあな」
「え?」
「俺はな、ジュエル号の船長だ。この船のクルー達の命を預かっているんだよ」
 ガディさんは、よく使い込んだパイプをじっと見つめている。僕は、ガディさんの背負っている責任の大きさを知った。
 確かに盗賊退治など、運搬船ジュエル号の仕事ではない。
 万一のことも考えられる、故郷の街でジュエル号の帰りを待っているクルーの家族達の気持ちを考えれば、ガディさんの答えは船長として当然だろう。
「すみません、僕が軽率でした」
 ガディさんだって辛いのだ。
 あまりにも薄っぺらな正義感だった。僕は思慮の無さを思い知らされ、うつむいて拳を握った。
「すまねぇな、坊主。バギーを貸してやる、船から修理道具を持って行け」
 何かやりきれない様子のガディさんは話が終わったとばかりに、グラスに満たしたウイスキーを一息に飲み干すと大きく溜息をついた。

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