ミネルバの翼 「13.廃墟を護る聖女 (後編)」
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『地下通路のゲートを開きます、誘導灯に沿ってゆっくりと進入して下さい』 地下への入り口である扉が、大きく迫り上がり砂塵が舞う。メノアさんの指示によって、ジュエル号は巨大なゲートからゆっくりと進入した。 薄暗く巨大な地下通路をしばらく進むと、途端に視界が開けて明るい空間に出る。 広い空間は天井が高く、結構な明るさだ。 大型船のジュエル号よりも、遙に小さな船体の砂上船が二隻駐められていた。 砂上船に並ぶようにして、静かに停船したジュエル号は、その巨体の唸りを止める。 外界から上手く太陽光を取り入れられているからだろう。 暗い通路に目が慣れていた僕は、眩しさに思わず目を細めた。 次第に目が慣れてくると、まばらに立ち並ぶ小さな家の屋根がぼんやりと視界に入ってくる。 そこには、小さな集落が存在していた。 いつの間にこんな集落が出来たのだろう、僕は感心しながら辺りを見回して頷いた。 工夫がなされたことにより幾分明るくなっているので、以前とは雰囲気が異なっている。 そうだ、僕はこの場所をよく知っている。 もっともその頃、ここは試作部品の研究施設だった。巨大な発電装置が設置されていて、外界からの関わりを完全に遮断することが出来るこの場所は、安全な居住空間になり得るのかも知れない。 僕にはひと目で、この集落がそれを有効に利用している事が分かった。 「メノア!」 船を降りた僕達を迎えてくれた女性……メノアさんの姿を見て、美鈴さんは彼女へと駆け寄った。 そして小さな体を強く抱きすくめると、銀色の長い髪を優しく撫でる。 「メノア、良かった……メノア!」 「少尉こそ、よくご無事で」 「こりゃあ、感動の再会だな」 後から追いついたガディさんの声に、美鈴さんが腕に込めた力を緩めた。 抱擁を解かれたメノアさんは、ガディさんへ深々とお辞儀をした。 「私はこの集落の責任者、メノア・リグレイと申します。この集落を狙う盗賊かと思い、警戒させていたのですが……。こちらの非礼をお詫びいたします、本当に申し訳ありませんでした」 「いや、まぁ、実害っても外装がちょっと焦げたくらいだしな、そんなにかしこまらないでくれよ」 丁寧に頭を下げるメノアさんへそう言って笑ったガディさんは、ちらりと美鈴さんの方を見た。 「こっちこそすまねえが、出来ればここで船を少し休ませてやりたいんだよ。辺境の集落じゃあ物資の調達も大変だろう? 食料や生活物資を格安で卸すが、この条件でどうだい?」 「ありがとうございます、とても助かります。このような場所ですが、ご遠慮なくお休み下さい」 知性的で整った顔立ちに、輝く碧い瞳と長い銀色の髪。ブリッジ内の全てのクルーが、ぽかんと口を開けて見とれている。ふとジュエル号を振り仰げば、美しいメノアさんをひと目見ようと、舷側にたくさんのクルーが群がっていた。 まったく、船がひっくり返っても知りませんよ? ☆★☆ ガディさんは、美鈴さんとメノアさんがゆっくりと話せる時間を作りたかったのだろう。それが分かった僕は、並んで歩き出した二人の後を追わずその場に残った。 それにしても小さな集落だが、きちんと生活様式が確立されている。粗末な造りの家が並ぶが、大人達や走り回って遊ぶ子供達の表情はとても穏やかで明るい。 どうやらこの集落で暮らす人々はジャンク屋のように、地上に散らばるスクラップなどから回収した電子部品を修理して調整を施し、その品を砂上船に載せて居住コアを巡っているようだ。様々な街でその品を売ることで利益を得て、食料など生活に必要な品を買い求めているのだろう。 厳しい環境で暮らすのは食料や物資も不足して大変だ。 しかし、それが必ずしも不幸という訳ではない。小さな幸せを少しずつ分け合い大きくしていく喜びを、この集落の人々は知っているのかもしれない。 巨大な地下施設なんだけど、まるで森の中の日だまりの暖かさを感じる。 僕は駐機姿勢を取っている「MINERUBA 06」の機体を見上げた。以前のブレイバーと同じ白い機体は、あちこちに損傷が目立っている。何とか補修はされているようだが、腕などはスクラップからの代用品なのだろう、左右で形状が異なっている。 おそらく、この機体の性能は充分に発揮されていない。 白い耐熱樹脂塗料に残る焼け焦げたような痕に、僕の心は酷く疼いた。 「あ〜あ、やられちまった。あいつ、おっかねぇ女だな。もうちょっとでのされちまうところだったぜ!」 耳に響く甲高い声の方を見ると、腰に手を当ててぶつぶつと文句を言っている、パイロットスーツに身を包んだ女の子がいた。 長い金色の髪を、頭の両脇で縛っている。くるくるとよく動く碧い瞳、尖らせた桜色の唇はとても不機嫌そうだ。 「おっ!」 憤慨していた女の子は、僕の姿に気付いたらしい。ととっと、軽い足どりでやって来た。 さっきまで「MINERUBA 06」の脚の陰に隠れて、恐い顔でずっと美鈴さんを睨んでいた少女。どうやらこの少女が「MINERUBA 06」を操縦していたみたいだ。 「よお! お前、あの運搬船に乗ってんのか?」 可愛い顔に反して、言葉遣いはぞんざい。 ちょっと舌っ足らずな喋り方をする少女、多分十五歳に満たないだろう。 「あたしはリオネル! リオって呼んでくれていいよ」 リオネルと名乗った少女は、不機嫌そうな表情は何処へやら、人懐っこい笑顔を見せた。 「僕はリスティ、リスティ・マフィンって名前だよ、この船で整備士をしているんだ」 「へーなんか食い物の名前が混じってるけど。まぁいいや、よろしくな!」 リオネルは僕を見上げてぱんぱんと腕を叩くと、急に眉根を寄せて僕をじっと見つめる。 可愛らしい女の子の碧い瞳に見つめられて、僕は何となく照れてしまう。 「そうだ! お前、整備士ならあたしの『ライオネル』を整備してくれよ!」 リオネルは僕の存在を自分よりも下に見積もったのか、すでにお前呼ばわりだ。 「ラ、ライオネル?」 「へへ、格好いい名前だろ? あたしの愛機さ! ここにいる整備士は、みんな素人同然でさ。つぎはぎだらけだし、いくらいじって貰ってもしっくりこないんだよな」 リオネルは、メノアさんの「MINERUBA 06」に「ライオネル」という名前を付けているらしい。 あはは……美鈴さんみたいだ。 それに、何だかリオネルと名前が被っている。 損傷箇所が多数ある「ライオネル」は、整備の前に修理を行わなければならない。 ジュエル号には「VX−4F型」の余剰パーツがある、特殊なフレーム構造のブレイバーには使用出来ないノーマル仕様の部品だ。 それらを使えば「ライオネル」を元通りにしてやれるはず。僕はまずガディさんに許可を貰うため、ジュエル号に向かうことにした。 美鈴さんとメノアさんは、どんな話をしているんだろう? ふと気になった僕は、タラップを上りながら一度振り返ると、二人が歩いていった方向をじっと見つめた。 ☆★☆ 「聖女様!」 「あのっ、聖女様!」 言葉少なに二人で並んで歩いていると、メノアの周りに人々が集まってくる。 「皆さん。もう大丈夫ですから、心配しないで下さい。ジュエル号は一般の運搬船です」 彼らがメノアに向けるのは畏敬の眼差しだ、メノアの答えを聞いて集落の人々に安堵の表情が広がった。 「聖女様……か」 黒い長衣に身を包んだメノアの姿は、神にその身を捧げた修道女のように感じられる。 頭をもたげる嫌な予感に眉根を寄せた美鈴は、小さな声でつぶやいた。 「少尉。どうぞお入り下さい」 メノアに案内され、美鈴は小さな家の扉をくぐった。ここはメノアが住んでいる家らしい、広くはないが住み心地は悪くなさそうだ。 いくつかの家具が置かれただけの質素な部屋。床には絨毯が敷かれ、小さなベッドの脇には数冊の本が積まれている。薄いクッションを腰に当てた美鈴に、メノアは深々と頭を下げた。 「ご心配をおかけしました。申し訳ありません、安否について連絡を怠った事をお詫びいたします」 「もういいのよ。あなたが無事だったから」 「ありがとうございます」 メノアはもう一度深く頭を下げる、真面目な彼女らしい仕草だ。 だが終わる事のない戦いの中でも、彼女が失う事がなかった少女の輝きは、すっかり失われている。 美鈴は、お茶の準備に取りかかったメノアへ声を掛けた。 「メノア、この集落の責任者って?」 「はい、話せば長くなりますけど。リオネルと共に、何度か盗賊の襲撃を退けた事があるのです。そんな理由で集落の皆さんにお願いされて」 メノアは簡素なキッチンで、カップを用意している。 「そうです、リオネルの……私の機体を操縦していた娘の非礼をお許し下さい。きちんと指示していたのですが、どうにもまだ子供で」 「あの子が、この集落の警備を?」 「彼女は卓越した操縦技術を持っています。もし襲撃者があっても、私が直接出て行く事は出来ませんから」 聖女と慕われ信頼されているメノアは、集落全体をまとめなければならないのだろう。 少し痩せたような、メノアの後ろ姿。 美鈴自身と、そしてメノアも触れる事を避けている話。美鈴は彼女のぎこちない手の動きを目で追いながら覚悟を決めて息を吸った。 「メノア、みんなの行方が分からないの。識別信号も反応無し、機体だって残骸すら発見出来ない、あなたは連絡が取れなかったの?」 美鈴の問いに、メノアは一度びくりと震えて動きを止め、 「私にも分かりません、そんな余裕はありませんでしたから」 お茶の葉の入れ物を手に持ったまま、沈痛な面持ちで美鈴の問いに答えた。 「そう。あれからもう、数ヶ月も経つのよね……」 メノアの答えを聞いて、うつむいた美鈴の黒髪が肩からこぼれる。 「そうよ! あの時トゥリープは、あなたの機体をフォローしていたはずよね、彼は!?」 美鈴は勢い良く顔を上げる。 望みを捨て切れない美鈴に、メノアは寂しそうな笑みを浮かべた。 「少尉、トゥリープの所へご案内しますね」 お茶を飲んで落ち着いている気分にもならず、美鈴とメノアは再び家の外へと出た。 ゆっくりと歩きながら、メノアはぽつりぽつりと話し始めた。 「あの時、私達の部隊を襲った光の衝撃波にのみ込まれて……気が付くと、私の機体はまだトゥリープが支えてくれていました。奇跡的に助かった私達は、運良くこの集落へと戻る砂上船に拾われたのです」 苦しそうに、瞳を伏せたメノア。 光の衝撃波を浴びた瞬間の恐怖は、彼女の心をどれほどに痛めつけたのだろう。 「凄まじい高温に炙られたコクピット内で、トゥリープが負った熱傷は酷い状態でした。彼が……彼が私の機体を庇ったくれたのです」 静かに話を続ける、メノアの表情が苦しげに歪む。 「治療の甲斐もなく、トゥリープは衰弱していきました。でも彼は無理に笑顔を浮かべて、私を励まし続けてくれて」 しばらく歩き続け、そして美鈴が案内された場所、それはいくつもの盛り土が並ぶ墓場だった。 彼女の小さな手が指し示した先には、土を盛り木の板を組んで作られた墓標が建てられている。やはりメノアが身に纏う黒い長衣は喪服なのだろう、美鈴は胸が締め付けられるような苦しさに襟元をきつく握った。 「ここに、トゥリープが眠っています……」 瞳からすうっと一筋の涙が頬に沿って流れ、うつむいたメノアはそっと手を組んで小さく祈りの言葉を紡ぎ出す。 青い瞳を持っていて、女の子にだらしがない色男。 気取って金髪を掻き上げる仕草が憎らしい、美鈴と同期の士官だった。 彼は最後まで、自分を慕ってくれるメノアの前で格好良く振る舞ったに違いない。 「よく、メノアを守ってくれたわね。まったく、あなたにしては上出来よ……トゥリープ」 静かに続く祈りの言葉を聞きながら、美鈴は涙が溢れる黒曜石の瞳をそっと伏せ、土の下で疲れを癒す仲間へと静かに黙祷を捧げた。 ☆★☆ ジュエル号の格納庫で、「ライオネル」の修理を始めて二日目の朝。 深夜まで続けた作業に疲れ果ててそのまま眠ってしまった僕は、周囲の明るさに目を覚ましてのろのろと顔を上げた。機体の足下では毛布にくるまったリオネルが、すうすうと気持ち良さそうに寝息を立てている。 どうやら僕はリオネルに気に入られたらしく、彼女は機体の修理作業中もずっと僕にくっついて離れない。ごろごろと喉を鳴らす子猫のようなリオネルを邪険にする訳にもいかなくて、僕は彼女の好きにさせていた。 そう言えば夜遅く、ジュエル号へと戻って来た美鈴さんの目が赤く腫れているのを見て驚いた僕は、何があったのかと声を掛けたら……。 なぜか美鈴さんに思いっ切りぶん殴られた、そのおかげでまだ首の調子が悪い。 ライオネルの修理と、機体整備は完了した。 僕は痛みで動きにくい首を気遣いながら立ち上がった、毛布を畳んで脇へと寄せ眠っているリオネルの様子を見る。 彼女が口を開けば、その言葉遣いにげんなりするが、寝顔はとても可愛い。 あんまり気持ち良さそうなので、起こすのもどうかと思案していると、 「おはようございます」 背後から、鈴の音のような声が聞こえてくる。 「あ、メノアさん。おはようございます!」 僕は振り返り、この集落を束ねる美しい聖女様へ朝の挨拶をした。 「すみません、リオが無理なお願いをしてしまいました」 「いいえ、僕は傷んでいる機体を見ていられないんですよ。機体の状態は良好です、リオが上手く扱ってくれるでしょう」 毛布にくるまったまま、ころんと転がったリオネルを見ながら僕は答えた。 しかし疲労と寝不足で僕の頭は半分も動いていない、真剣な顔をしたリオネルが身振り手振りで語る武勇伝を、ずっと聞いていたせいだ。 「リオを迎えに来ました、そろそろきちんと寝かせないと」 メノアさんはリオネルの側へ寄ると、そっと小さな体を揺する。 「リオ、起きなさい。帰りますよ、リオネル!」 「む〜」 揺り起こされ、むっくりと体を起こしたリオネルはごしごしと目を擦る。まだ寝たりないのか酷く不機嫌な表情だ。 無理に起こさなくてもいいと思うんだけど、メノアさんの躾は厳しいのだろうか。 「リスティさん、リオネルに気に入られたようですね。それが何故か分かりますか?」 「え?」 「リスティ・マフィン……いえ、リィスティアード・セレスティ。私は、あなたを知っています」 メノアさんの唇が動いて零れ出た名前に、僕の心臓が一瞬跳ね上がった。 『リィスティアード・セレスティ』 聞いた事もないその名前。 それは、僕の名前なのか? 「私もリオネルも……そしてあなたも、同じ種類の人間だからです。あの子はそれを敏感に感じ取っているのでしょう」 同じ種類の人間だって? メノアさんの言葉に、僕の頭はさらに混乱した。 メノアさんとリオネルと僕に、いったいどのような共通点があるのだろうか。 「……メノアさん」 鍵が掛かっているような僕の記憶について、何かの手掛かりがあるのかも知れない。 「メノアさん、教えて下さい!」 僕は聖女に救いを求めるように、思い切って両手を広げて問い掛けた。 「僕には、過去の……過去の記憶の一部が無いんです。お願いです、何か知っているなら教えて下さい!」 過去を封じた扉を開ける鍵が手に入るのならば、僕はどんな事だってするだろう。 しかしメノアさんは、硬い表情のまま首を横に振った、その碧い瞳が湛えるのは悲しみの色。 「思い出せないのなら、それはあなたにとって幸運な事かもしれません」 救いを求める僕を、聖女と呼ばれる女性は素気なく突き放す。静まらぬ心臓の鼓動が、じんじんと耳の奥にこだましている。僕は彼女とは初対面の筈だ、どうしてメノアさんは僕を知っているのだろう? 『リィスティアード・セレスティ』それは本当に、僕の名前なのだろうか。 「あの、メノアさん!」 震える声で、なおもメノアさんへ問い掛けようとした時だった。 「おいリスティ、急いでブリッジへ上がれ! 外の様子ががとんでもない事になっているぞ!」 格納庫へ飛び込んできたのは、血相を変えているリュウジさん。 「リュウジさん!?」 いったい何が起こったというのだろう? 僕は仕方なく、渦巻いているすべての疑問を頭の隅に追いやった。 |
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