ミネルバの翼 「20.闇に浮かぶ魔城」
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絶え間なく明滅する光の群。暗闇の中に浮かび上がる海上都市、ヴィラノーヴァ。 中央にそびえ立つ美しい尖塔は、まるで魔王でも住んでいるかのような禍々しさを感じる。ついこの間までは、人々の希望の象徴になるはずだったのに。 僕はついに、この魔城となってしまった海上都市へと帰って来た。 「……う」 美鈴さんの肩越しにモニターの映像を見つめていた僕は、身体に震えを感じて思わず声を漏らした。 「どうしたの? リスティ」 僕の様子を案じてくれているのか、美鈴さんが優しい声を掛けてくれる。 ブレイバーはヴィラノーヴァへと向かって、暗い夜の海上を低空飛行していた。波をたてないように、微妙に高度を調整する。僕はコンパス片手に、地図でもう一度進入路を確認した。 「進路、このままね」 「はい。もう少し、時間があります」 ヴィラノーヴァを守る、綿密に組まれたセラフィムの警備ルートを僕は知り尽くしている。地図と時間を照らし合わせると、僅かながら警備ルートの空白が浮かび上がるのだ。 ブレイバーは警戒するセラフィムとは遭遇することも無く、海上都市へと辿り着いた。 様々な光が乱舞する、華やかな海上都市において、ここはどうしようもなくさびれている。それもその筈、この区画は海上都市建設の足がかりとなった場所で、今では全く必要のない部分だ。 放置されたままの建設用重機を集めた倉庫の陰に入ると、美鈴さんはブレイバーに出来るだけ低く駐機姿勢を取らせて、コクピットのハッチを開いた。 「さて、何の用があるのか知らないけど。準備はいいの?」 「ちょっと、待って下さい!」 ヘルメットを脱いで、ライフルを肩に掛ける美鈴さんの腕を、僕は慌てて掴んだ。 「何よ、まさか腰が抜けたなんて言うんじゃないでしょうね」 ジト目の美鈴さんに睨まれた僕は、ぶんぶんと首を横に振った。 「何だっていうのよ?」 「美鈴さんは、ここに残って下さい」 「何ですって!」 美鈴さんは細腕とは思えない力で、僕の胸ぐらを掴み上げた。 「素人が何を馬鹿な事を言っているの? あんたみたいな、ぼ〜っとした奴がほてほてうろついていたら、すぐに殺されちゃうのよ!」 「は、話を聞いて下さいよ!」 美鈴さん、その言い種はあんまりです。 吊されたままの僕は、揺さぶられながらも声を絞り出した。美鈴さんが手を離し、どさりとシートへ落ちる。 「二時間もあれば帰ってきますから、美鈴さんは退路を確保して置いて下さい」 「退路って言っても、あなたが生きて帰ってこなかったら、意味が無いでしょう」 「必ず帰りますよ。どうしても、手に入れなければならない物があるんです!」 強い口調で言うと、僕の顔を睨み付けていた美鈴さんは、渋々だが頷いてくれた。 「お願いします」 僕はリュックを背負うとサブマシンガンを肩に掛け、ベルトに予備のマガジンを二本ねじ込んだ。後は肩に吊ったショルダーホルスターへ、銀色の自動拳銃を一丁。 自分の貧弱な体力を考えると、これが限界の装備だった。 「リスティ……」 機体乗降用ウインチを使おうとすると、美鈴さんに呼び止められた。 暗くてよく分からなかったが、美鈴さんの顔色がいやに青白く見える。 「気を付けてね。そうでないと、私……」 胸元で手を組み合わせる、潤んだ黒曜石の瞳。 美鈴さん、僕を心配してくれてるんだ。 「タダ働きになっちゃうから」 はいはい、そうですよね。 揺れ動いた気持ちをしっかりと固定して、僕はとっととウィンチを使いブレイバーを降りた。 ☆★☆ 「二時間で戻れるかな?」 建物の陰に隠れて機人兵をやり過ごした僕は、茂みの中で壁に背を預けると、ため息をひとつついた。サブマシンガンのグリップを握る掌に、じっとりと汗が滲んでいる。暗視用ゴーグルのベルトが、顔にくい込んで痛い。 最重要施設のブロックへ侵入するまで、かなりの時間がかかってしまった。 僕の目的は、あるプログラムが書き込まれた一枚のデータディスクだ。 ディスクの検索は、ものの数分で終わるだろうが、それを考慮してもぎりぎりの時間だろう。ゆっくりと歩く機人兵達、血を連想させる赤いモニターレンズの光が暗闇に浮かび上がる。彼等は僕達にとって、頼もしい護衛だったのだ。 しかし今、彼等を統率している中央制御システムの警備プログラムは、僕達はおろかこの世界に生きている全ての人間を、排除すべき存在と認識している。 暑くもないのに頬を伝う汗。 サブマシンガンを連射したくなるような恐怖と戦いながら、僕は慎重に目的地を目指す。そして道へとへばりつき、機人兵と鉢合わせになりそうになったりしたが、なんとかヴィラノーヴァの研究本部棟の前へと辿り着いた。 見慣れた建物、感傷に流されている暇など無い。僕は辺りを窺い、カードを使って手早く解錠した。セキュリティシステムが変更されていたらどうしようかと一瞬肝を冷やしたが、それは杞憂だったようだ。 道順など知っていて当たり前。しかし僕は、この研究本部棟へ入るのが怖かった。 僕の脳裏に焼き付いた死体の山、通路を濡らす血の海…… 白衣を血に染めて、必死に走り続ける自分の姿。 しかし信じられぬ事だが足を踏み入れた研究所の内部に、惨劇の痕跡は全くなかった。 ともすれば萎えてしまう心を叱咤した僕は、手にしたサブマシンガンの重さを心の支えに、通路を進む。通路の緊急用隔壁とも呼べる厚い扉、セキュリティシステムのパスワードの順番は、道なりに記憶している。 何の障害もなく、僕はデータルームへと入った。 ……おかしい。 こんなに警備が手薄な筈はない、しかしあれこれ疑っている時間も無い。 とても危険な賭けだが、僥倖と見るしかないのだ。 暗がりの中、僕は保管ケースへと駆け寄った。 『リスティ・マフィン』……自分のネームが入ったディスクケースを解錠すると、そのままケースを引き抜いて、机の下へと身を隠す。 目的の物はすぐに見付かった、銀色の『マスターディスク』だ。 背中からリュックを降ろし、小型情報端末を起動する。震える手でディスクを挿入してパスワードを入力した。 ややあって端末の基本プログラムが起動する、くそっ! 数分でも惜しいっていうのに。 焦りで震えが止まらない手で、懸命にキーボードを叩く。 データの確認と照合……間違いない。 データが改ざんされた形跡もなかった、僕のマスターディスクだ。 ディスクをケースに収め、大事に懐へとしまう。 電源を落とした端末機をリュックへ投げ込み、急いで背負った僕は立ち上がる。 その時、僕は背後に人の気配を感じた。しかし、このヴィラノーヴァに人が居るなんて。 『……リスティ、君は心を繋ぐ絆を信じられるかい?』 「え?」 耳に響いたこの声は、間違いない。ヴィラノーヴァの統率『フレグランス・ウィスラー博士』! 「博士!」 瞬時に頭の中を駆けめぐる様々な思いに駆られ、僕は勢いよく振り向こうとした。 その瞬間。 殴られたような衝撃と共に、僕は真横へ吹っ飛んだ。 壁に激しく身体を叩きつけられ、息を詰まらせる。気が付くと、背負っていたリュックがずたずたになっている。小型情報端末など、リュックの中身は床にぶちまけられ、木っ端微塵になっていた。 ああ、そうだ……。 フレグランス博士は、既にこの世の人ではないのだ。 耳につく電子音、機人兵の間接部に使用されている小型精密モーターの駆動音だと気が付いた。 撃たれたのだ、発見された! 僕がその時とった行動は、自分でも信じられないほど鋭敏だった。 サブマシンガンを握った手だけ机の上に出し、扉へ向けて全弾を叩き込んだ。机上で暴れる銃。天井に当たって跳ね返る、焼けた空薬莢が床一面に散らばる。 機人兵へ着弾しているのか、金属の打撃音が激しく響いた。 がちり。 サブマシンガンのイジェクションポートが開いて止まった、マガジンの弾が無くなったのだ。同時に、重量物が固い床に打ち付けられる音が響く。 恐る恐る顔を出すと、特殊徹甲弾を全身に受けて半壊した機人兵が倒れていた。 助かった……そう思う間もなく、室内にけたたましく警報が鳴り響く。 早くここから逃げなくてはならない。 僕はサブマシンガンの弾倉を交換すると、機人兵の残骸をまたいで通路へと走り出た。 幻聴まで聞こえるなんて。自分の荒い息づかいが思い出と重なり、あのときの光景が甦る。 絶え間なく、建物中に響き渡る銃声。 逃げまどう研究所の所員、仲間達の絶叫。 そんな研究本部棟の混乱など、まったく意に介していない様子でウィスラー博士は僕の腕を掴んだ。 「こっちに来るんだ、リスティ!」 その言葉と同時に、博士は小型拳銃の銃口を僕へと向けた。 僕の乾ききった口は恐怖に引きつり、何も答えられなかった。 開いたエレベーターの中へと押し込まれ扉が閉まる瞬間、博士は寂しそうな笑みを浮かべて拳銃を自らのこめかみへと当てた。 「君は生きるんだ、そして……」 博士の言葉が、耳に届く。 降りていくエレベーター、銃声が遠くに轟いた。 博士の言葉を、覚えているのが不思議だった。 殺到する機人兵……。 僕は、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら、ひたすら逃げ続けた。 身体を掠める弾丸。 怖かった、とても怖かった。 「ちくしょう!」 心の中で無様に泣きじゃくっている、あの時の自分自身を蹴り飛ばし、僕は振り向いて追いすがる機人兵へとサブマシンガンを乱射する。 吹っ飛ぶ何体かの機人兵達、だがその数は増える一方だ。 弾が無くなり、無用になったサブマシンガンを投げ捨て、肩のホルスターから拳銃を抜く。 弾は七発。僕に残された武器はもう、これだけしかない。 目的のマスターディスクは回収した。もし、僕が命を落とすようなことになったとしても、ディスクを美鈴さんに渡して一言二言を告げるだけ口が動けばいい。 扉をくぐり抜け、パスワードを入力して扉を閉めると、キーボードを銃で撃ち抜く。バラバラに吹っ飛んだキーボードから、火花が散った。 システムを物理的に破壊したのでアクセスは不可能だ、これでしばらくは時間が稼げる。 そうやっていくつかの扉を通り抜け、僕は建物の外へ出ると、ほぼスクラップに見える一台の車を見つけた。 研究員が研究棟の連絡用に使っていた物だ。バッテリーは弱っていたが、モーターはなんとか動いてくれた。 背後からの銃撃に、いきなりサイドミラーが吹っ飛ぶ。 続けざまに無数の弾丸がボディに撃ち込まれる。僕は車内に伏せると、アクセルを力任せに踏み付けて車を急発進させる。 セラフィムのエネルギー弾に灼かれなかったのは、もう奇跡としか言いようがなかった。 ヴィラノーヴァの道路網を、僕は爆走していた。 流れてくる額の汗を拭ったつもりだったが、手の甲には血が付いた。フロントガラスは砕けて無くなっている。 どうやらその時の傷らしい。 セラフィムは、むやみにやたらとライフルのエネルギー弾を発射することが出来ない。ヴィラノーヴァの研究棟付近の地下には、重要な役割を担う様々なケーブルが埋まっているからだ。 激しく金属を打ち付ける音に首をすくめる。ボンネットに連続で着弾し、フロントガラスの残りが完全に粉砕した。 僕は断末魔の喘ぎを訴えるような車のモーター音に構わず、アクセルを踏み込んで車を加速させると、銃を撃ちながら立ちはだかる数体の機人兵を跳ね飛ばした。 あっと、思う間もなかった。 無茶をやり過ぎたらしい。 ハンドル操作を誤り、車はスピンを繰り返してガードレールに車体を擦り付けながら止まった。ドアを蹴破り、ふらつく頭を押さえて車外へと出る。ここまで走ってこれたのが不思議なくらい、車はぼろぼろになっていた。 もうろうとする意識の中で胸元を探ると、服の中にはしっかりと堅い感触がある。良かった、ディスクは無事だ。しかし安堵していられる状態ではなかった、僕を捉えているのは暗闇に浮かび上がる赤い光。 ここで諦めるわけにはいかない、僕は敵わないまでも無数の機人兵へと銀色の銃を構える。 その時……ふわりと風が舞った。 「え?」 ぼんやりとしている視界、僕は我が目を疑った。 風に揺れている、薄桃色の柔らかな長い髪……。 僕を守るように機人兵達に向かい、両手を広げている少女の背中が瞳に映った。 |
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