ミネルバの翼 「28.心に灯す光」
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僕は、どれくらい気を失っていたのだろう。 ゆっくりと体を起こして、胸元のペンダントを確かめながら辺りを見回す。ブリッジ内の惨状に息を飲んだ。凄まじい衝撃波に、窓の強化ガラスが一枚残らず割れている。怪我もなく、船も沈没しなかったのが不思議なくらいだ。 「……ミュルフラウゼ」 まだぼんやりとしている頭を振ると、歯を食い縛って立ち上がった。 世界が暗闇に閉ざされてしまう。その絶望を吹き払う可能性は、まだ残されているんだ。握りしめたペンダントを、彼女の想いをヴィラノーヴァへと届けなければならない。 僕はふらつく足取りで船のブリッジを後にした。通路の壁をつたって歩き、階段の手摺りにしがみつくようにして階下へと降りる。目に映るのは格納デッキに踞っている、大破したブレイバーの姿。 マニュピレーターが全壊している右腕はもう使えない。各部の内部機関は剥き出しで、装甲などこの状態では、少しの役にも立たないほどのダメージを受けている。 僕は傷だらけの機体に手を触れてそっと目を閉じた、ブレイバーに全てを託すしかない。ハッチが開いたままになっているブレイバーのコクピットへよじ登った。 ちらりとメインシートの後部座席へと目をやった後、美鈴さんが座っていたメインシートへと腰を下ろし、ベルトで体を固定する。 美鈴さんにブレイバーの整備を任されていた僕は、各機器の操作を全て熟知している。 起動スイッチを入れると、両腕に力を込めて操縦桿を引き起こす。起動時に行われる各部のチェックを強制的にキャンセルした。幸運な事にフライト・ユニットは生きている、まだ何とか飛べるだろう。 起動したブレイバーが唸りを上げる。操縦桿を握り、震えが収まらない機体を何とか励ますと、満身創痍のブレイバーが力なく立ち上がった。 ノイズでちらつくメインモニターを見つめ、フライト・ユニットへと点火する。 爪先を引きずるようにして格納庫からフライトデッキを滑空し、ブレイバーが暗雲に覆われた空へと飛び立つ。一度失速しかけて大波を被ったが、力強く羽ばたいたフライト・ユニットは、ブレイバーを大空へと飛翔させてくれた。 僕は食い入るようにメインモニターを睨み付ける、しかし画面には空と海しか映っていなかった。 セラフィムもエスペランゼも、ミネルバの機影さえも確認する事が出来ない。海上都市の周囲を、不気味な静寂が支配していた。 「そんな、美鈴さん……」 かすれた声が喉の奥から漏れ出す。 海上都市の尖塔から、黒い噴煙が上がっている事に気が付いた。 「……あ、あれは」 その時だった。 突如として、コクピット内に接近警報が響く。 僕はひび割れた唇をきつく噛んだ。 モニターへと映る一機の装甲兵は、間違いなくセラフィムだ。しかしミネルバの攻撃を受けたのか、右半身が大破して激しく噴煙を上げている。すでに失速し そうな痛々しい堕天使の姿。ブレイバーを捕捉して、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。僕の心に湧き上がるのは、恐怖よりも同情と憐れみ。 「お前達は堕天使じゃない、未来を守るために造られたんだ。もういいだろう。お願いだ……ここを通してくれ」 残されている時間はもうあと僅かだ、僕は願うように小さくつぶやいた。 セラフィムの背後に見えている海上都市。尖塔の基部から広がりつつある、目映い金色の光がこの星を包み込む時、世界を、人々を救う再生計画は灰燼に帰す。 僕はミュルフラウゼと約束したんだ。美しくも、終焉と絶望をもたらす光を止めるために、何としても尖塔へと辿り着かねばならない。 震える指先で、ブレイバーが装備している火器のデータを表示させる。でも、そんな事は無意味だって分かっていた。 もう、ブレイバーに戦う力なんて残っていない。 ……たったひとつだけ残されているのは、左腕に残された大型の接近戦用ブレードだ。 美鈴さんを愛した彼が、美鈴さんが愛した彼が残した力だ。ブレイバーが左腕を振り下ろすと、シールドからその長大な刀身がスライドし、目映い白光を放ちながら振動を開始する。 操縦桿を両手で強く握りしめ、覚悟を決めた僕は大きく息を吸い込んで叫ぶ。 「聞こえているか? ブレイバー、絶対に尖塔へ行くぞっ!」 フライトユニットが咆吼を上げる。 ブレイバーの加速に反応したセラフィムが呼応するように、残っている左腕で接近戦用ブレードを抜いた。 「うおおおおおおおおっ!」 モニターに映るセラフィムを睨み付ける、語る事など何もない。体の奥底からありったけの力を使って声を絞り出し、獣のような雄叫びを上げた。この瞬間に命の灯火を激しく燃やす。回避する事も防御する事も考えていない、最初で最後に放つただ一度の斬撃にすべてを賭けた。 長大なブレードが、すれ違い様にセラフィムの機体を捉えた感触が操縦桿に伝わってくる。僕はその感覚を信じて、ブレイバーの左腕を思い切り振り抜いた。 同時に強い衝撃がブレイバーを襲い、コクピットの左部分が大きくひしゃげた。側面のモニターが粉々に弾け飛び、殴られるような衝撃を受けた体を突き抜ける激痛に息が止まる。 次の瞬間、爆風で大きくブレイバーが揺れ、後方でセラフィムが爆砕した事が分かった。 「や、やった……」 かすれた呟きに血が混じっていた。僕はべっとりと血に濡れた操縦桿を強く握りしめ、震え出す体を叱咤して海上都市の尖塔を視界に捉える。 海上都市ヴィラノーヴァの尖塔は、もう目前まで迫っていた。 黒い噴煙を上げる尖塔の頭頂部、中央制御システムのコントロールルームが存在する場所の外壁に、大きな穴が空いている。おぼつかない手捌きで何とかブレ イバーを操り、外壁の穴から尖塔へと侵入した。しかしまともに着陸させることが出来ず、前のめりになった機体の右側を擦り付けるようにして着陸する。 派手に床を削り、めり込むようにしてブレイバーが停止した。 軋みながら開くコクピットのハッチ、尖塔の内部へと降りた僕は声を失った。 僕の目の前で、機能を停止している二機の装甲兵。 白き女神ミネルバと、漆黒の破壊神エスペランゼの姿。 エスペランゼのビームランスがミネルバの左胸を貫き、ミネルバのマニュピレーターがエスペランゼの頭部を握り潰していた。 「……美鈴さん」 僕はミネルバへと駆け寄りたいという衝動を、全神経を使ってねじ伏せた。真っ赤に染まった白衣を脱ぎ捨て、左の脇腹を押さえながら中央制御システムのコントロールルームへと向かう。 脇腹に感じる激痛に意識が遠くなる、視界が霞み足元がふらついて何度も転んだ。その度に歯を食い縛って立ち上がる。左足を引きずりながらコントロールルームへ入ると、ペンダントを握りしめ力を込めて銀の鎖を引き千切った。 コントロールパネルに手を付いて、震える指先でキーボードを操作する。 大きな機械音が耳に響いてくる、僕は苦労して振り返った。床の中央からゆっくりと迫り上がってくるのは、両腕で抱えられそうな大きさの円柱。先端の半球状をしている、透明なドームが左右に割れた。 「……あ、あれか」 冷たい汗が頬を伝い、絞り出す声が喉に詰まる。もう全身を使わねば息が出来ない。 膝から力が抜けていく、床をきつく踏みしめるように足を踏み出した。 僕には世界を守るなんて、そんな大それた事は出来ない。 人を正しい道へと導く、心清らかな聖人でもない。 でも……そんなちっぽけな存在の僕に今、たったひとつだけ出来る事。 それは人の心に、小さな光を灯す事。 小さな小さな「希望」という名の光を。 その小さな光がたくさん集まり、大きな大きな光となって、未来を明るく優しく照らしてくれるように。 両手で包み込むように守ってきた、ただひとつの願い。 僕は体を預けるように円柱へしがみつくと、ペンダントを中央の窪みへとセットする。まるでこの時を待っていたかのように、ペンダントはぴったりと収まった。 その瞬間にドームが閉じ、円柱が次第に床へと沈み込んでゆく。 同時に大きな警報が鳴り始めた、退避を促すアナウンスが無人の海上都市に哀しく響き渡っている。 「後は、後は頼んだよ……ミュルフラウゼ。この星に、君の想いを伝えてくれ」 ……これで、僕の仕事はすべて終わった。 コントロールルームからのろのろと歩み出ると、稼働を停止したままの二体の戦神を見上げる。 「美鈴……さん」 かすれる僕の視界でミネルバのメインカメラが蒼く輝き、胸部装甲が強制排除されて弾け飛ぶ。 ミネルバの頭部が微かに動いて僕を映し……そしてメインカメラの灯が消えて、ミネルバは動かなくなった。 僕は動く事を放棄したがる体を、無理矢理に引きずってミネルバへとよじ登り、祈るような気持ちでコクピットを覗き込んだ。 胸を鋭く刺し貫く激しい後悔。両腕を伸ばして、血まみれになった美鈴さんの体を大切に、しっかりと抱き上げた。 こんなに華奢で、こんなに軽かったんだ……。 美鈴さんを抱いて機体から滑り降り、振り返って白と黒の戦神を見つめる。 「ありがとう……ミネルバ。永遠の眠りを……エスペランゼ」 息切れと脇腹の痛みを堪えながら、僕は美鈴さんを抱いてブレイバーへと乗り込んだ。シートへ背を預け、脂汗が滲む額を袖で拭う。 「美鈴さん。早くジュエル号へ帰りましょう……きっと、みんな待っていますよ」 震えが止まらない身体。寒い、とても寒い。感覚が次第に麻痺してきた体は、もう自分の物ではないようだ。乾いた血がこびり付いた手でパネルを操作し、起動スイッチを入れる。 ハッチが閉じて、ヒビだらけのメインモニターが外の様子を映し出す。 しかし各機器のコントロールシステムが、フライト・ユニットを認識していない。 「こんな……時にっ……!」 あらゆる操作を試してみても、フライト・ユニットの表示は回復しないままだ。 「う……くっ!」 尖塔に襲い掛かる激震。 砕ける壁や、落下してくる巨大な鉄骨がメインモニターに映っている。海上都市の尖塔が、ついに崩壊を始めたのだ。 床が大きく傾き、姿勢を起こしたブレイバーが横滑りを起こす。僕はもはや応答しない背部のフライト・ユニットを切り離すと、ブレイバーの両肩と腰の両側に装備されている四基のアンカーを打ち出す。 一際大きな揺れが襲って来た。 床が抜けたのだろう、一瞬体が浮いた様な感覚。ブレイバーへと降りかかる大量の土砂と瓦礫、モニターの視界を奪う粉塵。響き渡るのは、海上都市が上げる 断末魔の絶叫なのか。固く目を閉じた僕は傷の痛みに喘ぎながら、美鈴さんを守るように力を込めてしっかりとその体を抱いた――。 突如起こった、尖塔の大規模な崩落。すべてが、すべてが無に帰そうとしていた。 連なる研究棟の群れが、まるで脆い砂城のように崩れ去る。隆起と陥没を繰り返す、整備されていた道路。海上都市を形作る幾つもの土台が互いの繋がりを失い崩壊する。機能を停止している機人兵が、次々に地面の裂け目へと飲み込まれていっ た。轟音と共に、世界を睥睨していたヴィラノーヴァの尖塔が崩れ落ち、海上都市が海中へと没していく。 吹き上がる巨大な水柱、そして大波。巻き起る巨大な渦は、すべてを巻き込んで海中へと奪い去る……。 ブレイバーは大量の瓦礫と粉塵に飲み込まれ、崩れゆく海上都市の残骸と共に深淵へと姿を消した。 ミュルフラウゼの想いは、少女の願いは届いたのだろうか……。 その時。 海上に湛えられた美しい黄金色の光が、勢い良く海面から暗い空へと吹き上がった。 大地を震撼させる轟音。 黄金色の光が刺し貫いた天空を覆う厚い雲が消え去り、海上に幾筋もの温かな光が降り注ぐ。 何かが、確かに海中で煌めいていた。 ゆっくりと姿を現したのは、大きな、大きな白色の環だ。 信じられないほど巨大な環と、その環を海中から支える幾本もの支柱が浮上してくる。 その環の中央部に姿を見せ始めた、巨大なドームの姿。 それは新たな海上都市……人々を守る巨大な都市の姿だ。 ミュルフラウゼの、少女の想いは届いた。 それは、人々が惑星再生計画を見守るための、新たなる大地の誕生だった――。 |
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