ミネルバの翼 「エピローグ」
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海上都市ヴィラノーヴァの心臓部に設置された、惑星再生システムは稼働した。プロジェクトは動き始め、この星はゆっくりと癒されていくのだろう。 しかし、未だ劇的な環境の好転など望めるわけではない。そうだ、危機的状況が去ったわけではなく、その状況が緩和されただけという状態だ。 海上に姿を現した新たな都市は「ゆりかご」と呼ばれるようになり、惑星再生システムの根幹は「ヴィラノーヴァ」から「ゆりかご」へと受け継がれた。 存亡の危機を乗り越えた人間達は、居住コアを離れて「ゆりかご」への移住を始めた。 機能的に整備された美しい街の姿、優しい緑が心を和ませる。まるで理想郷――そんな夢のような場所だ。人々が落ち着くまでには、まだまだ時間が掛かることだろうが。民主的な方法で責任者が選出され、自治体ともいえる小さな生活集団も出来た。 醜い心を裁くために降臨した、エスペランゼという破壊神の姿は、人々の記憶に強く焼き付いているに違いない。そしてヴィラノーヴァと共に姿を消した、白き女神ミネルバの姿も。 誰もが……永遠に清廉潔白であり続けることは出来ない。 それでも、小さな優しさとささやかな思いやり、そんな温かい心で醜い感情を包み込むことが出来れば……。 それが、ミュルフラウゼが胸に抱いた希望……彼女の想いだ。 時はすべてを流し去るように、悠久に流れゆく……。 淡々と過ぎゆく、人々の日常。 喜びに心を弾ませ、悲しみに唇を噛み。 そんな想いを繰り返しながら、人々はひたすらに幸せを願い。 過ぎゆく時間の中で、今日も暮らしていく。 あの激しい決戦から、三年の月日が流れていた――。 ジュエル号は軍船としての任を終え、今は再び運搬船として各居住コアからの移住者を、海上都市「ゆりかご」へと移送する仕事に就いている。 ジュエル号が進むのは、何処までも広がる茶色の大地。 そこに、優しい緑が芽吹く日は来るのだろうか……。 「おう、リスティ。一杯やらねぇか?」 「まったく、昼間っからお酒ですか? 飲み過ぎたら、またテロップ船医に怒られますよ?」 「けっ、つまらねぇ事を言うんじゃねぇよ、馬鹿野郎」 太い眉を吊り上げたガディさんが威嚇するように歯をむき出した。僕は甲板の上で膝を抱えたまま、ガディさんが差し出すグラスを受け取る。グラスを揺すると琥珀色の液体に浮かぶ大きな氷が、からりと涼しげな音を立てた。 「ありがたく味わえ。エクスカリバーだ、こいつはいい酒だぜ」 ガディさんは僕の隣にどっかりと腰を下ろし、グラスの酒を飲み干して満足げに息をついた。照りつける太陽を一睨みすると、表情を和らげてふっと笑みを浮かべる。 「いい風だが、やっぱり暑いな。それでも、以前のように肌を焦がすような痛みは感じねぇ……」 ガディさんは強い光を湛える瞳で、流れる景色を満足げに眺めている。 「どうだ、リスティ。お前が信じた世界はよ?」 ガディさんの問い掛けに、僕はグラスの中で虹色に輝く氷を見つめたまま押し黙った。 「……そうか。何も変わらねぇように見えるか。ま、無理もねぇなぁ」 ガディさんは、大きな手をぽんと僕の頭に置いた。 「人間なんて、所詮そんなものかも知れねぇがな」 ――そう、今までと何も変わらない。 盗賊は出没するし、この先また戦争が起こるかもしれない。 冷たいグラス、唇に触れる氷。ひと口含むと、強い酒が喉にしみた。そして僕の記憶は、未だにこの世界のように相変わらず曖昧で、とりとめがつかない。 ガディさんは甲板へと置いたグラスへ、ゆっくりと酒を満たしていく。 「だがなぁリスティ。あの時、俺は思ったぜ。あの黒いヤツには酷く罵られたが、人は温かい心を絶対に無くしたりしねぇってな」 「……え?」 「フレグランス・ウィスラーも、それを信じたかったんだよ。絶望に押し潰されちまった自分の代わりに、お前に証明して欲しかったのさ」 ガディさんは、静かに杯を重ねる。 「お前もそれを確かめたんだろう? まぁいい、時間はあるしな、ゆっくりと考えろ……。俺達は、こうして生きているんだからよ」 グラスの酒を飲み干し、ガディさんは「がはは……」と、豪快に笑う。 僕の金髪を、それまでは感じる事が出来なかった、柔らかで優しい風が撫でていく。 考えがまとまらず、抱えた膝に力を込めた僕の耳に大きな泣き声が聞こえてきた。 まだ生まれたばかり、幼い『飛鈴』(フェイリン)の泣き声。 「将来は間違いなく美人になるよ」と、パメラおばさんから太鼓判を押された、僕と美鈴さんの娘だ。 大きな碧い瞳、そして力強い泣き声。 『ワタシハココニイル』 小さな小さな命が、広い広い世界で一生懸命に自分の存在を主張している。 人は命を繋ぎ……そして温かな心を、想いを伝えていく。 無限にも広がる、その優しくて力強い大切な絆を僕は信じたい。 「ええと……飛鈴、何で泣くの? おむつなの? お腹が空いたの? リスティ、手伝ってよ!」 美鈴さんの情けない声。装甲兵の操縦と、同じ訳にはいかないようだ。 「今行くよ!」 僕はすぐに返事をするとグラスを置いて立ち上がり、ガディさんに深く一礼する。 駆け出そうとした、その瞬間だった。 『だいじょうぶ……だよ』 突然、僕のすぐ側を駆け抜けた一陣の風の中、微かに響いたのは涼やかな少女の笑い声。 「……ミュルフラウゼ!?」 僕は思わず声を追う。 振り返った僕の視界に映ったのは、甲板に駐機されているブレイバー。 一瞬、その肩に微笑みながら腰掛けている、ミュルフラウゼの姿が見えたような気がした。 そして陽光を弾き真紅に輝くブレイバーの姿は、とても誇らしげに見えた。 |
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