ミネルバの翼 プロローグ」
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 操縦桿を通じて、フライトユニットの両翼が風を切る様子が、容易に想像出来る。
 編隊を組んで飛行するのは、「装甲兵」と呼ばれる人型の戦闘兵器。
 そのコクピット内は、
美鈴めいりんにとって心地良い空間だ。
 メインモニターに映し出されている、果てなく続く荒野の映像と、地図情報を照合する作業に神経を集中していた美鈴は、ふと明滅している赤いランプに気付いた。
「秘匿通信……?」
 微かに眉根を寄せる。
 後方を飛行している、メノアが搭乗している機体からの発信だった。
 回線を開くことに少し躊躇した美鈴だったが、ひとつ溜息をつくと通信回線を開くスイッチを入れた。
「メノア、何か問題でも発生したの?任務中よ、内緒話なんて感心しないわね」
『す、すみません……少尉』
 メノアの消え入るような声に、美鈴は受信音量を上げた。
 彼女は、部隊で最年少のパイロットだ。
 真面目で大人しい娘で、規律違反など犯したこともない。 
『少尉……この戦いは、いつまで続くのでしょうか』
 メノアの切実な問い掛けに、美鈴は彼女に返してやれる明確な答えを持ってはいない。
「信じなさい、終わりのない夜なんてないわ」
『でも』
 コクピット内で操縦桿を握っている小柄な少女は、不安という心を苛む感情と戦っている。
 それに比べて、自分の心はなんと麻痺していることか。
 少しの嫉妬を感じながらも、美鈴はメノアを突き放すことはない。
 黒曜石のように深く輝く瞳を、ふっと細める。
「……メノア」
『はい』
「あなた、トゥリープが好きなんでしょう?」
 美鈴は前方を飛行するトゥリープ機へと目をやりながら、少し悪戯っぽい口調で言った。
『しょ、少尉っっ!』
 いきなりうわずったメノアの声、思った通りだ。
 格納庫でもブリーフィングルームでも、メノアの
(あお)い瞳は、いつもトゥリープの姿を追っている。
 その様子を思い出し、美鈴は赤いルージュを引いた形の良い唇に、柔らかな笑みを浮かべた。
「冷やかしたんじゃないわ。大切な事よ、その気持ちを大切にしなさい」 
『少尉……』
 人としての大切な気持ちを忘れなければ、何があっても大丈夫だ。
 そう諭す美鈴だが、酷く空虚な己の心に胸が痛んだ。
 女の子にだらしない彼に注意するようにと、メノアに念を押しかけた時、コクピット内に突如接近警報が響いた。
『二時の方向に機影、データ照合します』
 通常回線へと切り替えた、索敵係であるメノアが悲鳴に近い声を上げた。
『データ照合終了。敵機接近!セラフィム十八機、一個大隊です!』
 セラフィム。
 天使の名を冠し、その背に純白の羽根を持つ装甲兵。
 しかし、それは名の通りの祝福された存在ではない、今の人類にとっては、まさに死の象徴なのだ。
『全機に告ぐ、発砲を許可。これより戦闘を開始する』
 隊長機からの命令に、美鈴は素早くヘルメットのバイザーを下ろした。
 また、戦いが始まる。
 美鈴はライフルのエネルギー残量と、シールドの強度を確認すると、
「行くわよ、ブレイバー」
 自らの命を預けた相棒たる機体へ小さく声を掛け、操縦桿を握る腕に力を込めた。


 未来永劫に続く繁栄など、決してあり得はしない。
 肥大化した傲慢で不遜な心は、永きに渡り小さな綻びを産み続けた。
 信じること、愛すること、育むこと。
 人として生きるために必要な想いは、次第に希薄になっていく。
 断ち切られた、心と心をつなぐ大切な連環。

 ……そして。
 栄華を誇った虚飾の砂城は、脆くも崩れ去ったのだ。


 ――広がる紺碧の海。
 その上空では、巨大な機械人形達が激しい戦いを繰り広げている。
 それは、まるで神々の戦いを彷彿させるほどに苛烈な光景だ。
「メノア!」
 モニターの左に見えた爆光に、美鈴は思わず叫び声を上げた。
 被弾して噴煙を上げたメノア機だが、機体の推力及び揚力であるフライトユニットへ誘爆する心配はなさそうだ。
『大丈夫です、少尉……』
 気丈に答えるメノアだが、無線から聞こえる微かな声は、かすれていた。
「こいつ、木偶人形の分際でっ!」
 僚機を傷つけられ激高した美鈴は、なおもメノア機へと迫るセラフィムを、シールドから引き抜いた接近戦用ブレードで、真っ二つに切断した。
 両断されたセラフィムが、煙を噴いて落下していく。
 美鈴は屠った敵機になど目もくれず、振動で白熱化したブレードを一振りして次の敵を求めながら通信回線を開く。
「トゥリープ、メノアが被弾した。フォローにまわって!」
『了解している!』
 トゥリープから、短く通信が入る。
 彼の機体はセラフィムの砲火をかいくぐりながら、ライフルごと右腕を失ったメノアの機体を支えた。
 ルガーとアレックスの二機が、トゥリープの援護に向かう。
「少佐!」
 隊長機に呼びかけながら、美鈴は敵装甲兵から目を離すことはない。
「あんな廃墟に、何があるって言うの?」
 セラフィムはこちらを牽制しながら、眼下に無惨な姿をさらす壊滅した都市へと向かっていく。
『美鈴』
「はい!」
 隊長機からの通信に、美鈴は自機の飛行速度を少し落として並んだ。
『間違いないな。奴らはあの廃墟に、興味をそそられる物があるらしい』
「もう地図でも照合できませんが、かなり大きな都市だったようですね」
 少佐の低い声を聞きながら、情報端末を操作していた美鈴は、何の手がかりも現れない画面にため息をついた。
『トゥリープ、メノア機の様子はどうだ?』
『大丈夫です、自分がフォローします』
『よし、セラフィムを追うぞ! ルガー、アレックスは私に続け。トゥリープ、メノア、無理はするな。美鈴、後方の警戒を頼む』
『了解!』
 五人の声が重なった。
 隊長機を先頭に、僚機が廃墟へと降下していく。
 最後尾で機体を降下させようとした美鈴は、いきなり背筋に強烈な殺気を感じた。
 明確に感じられる悪意が、ちりちりと肌を刺す。
「何……?」
 彼女が振り返った瞬間、突然純白の光りが視界に広がった。
 空を切り裂く光熱波。突き抜ける衝撃波。
「少佐、みんな!」
 視界を奪う光の奔流。
 美鈴は、それだけ叫ぶのが精一杯だった。


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