ミネルバの翼 「1.出会い」
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純白の光に灼かれた目が刺すように痛い。体のすぐ脇を熱く焼けた無数の弾丸が掠め、足元の土をえぐる。恐怖に首をすくめる事すら叶わず、僕は朽ち果てた廃墟の中をただひたすらに走り続ける。 何処までも続くのは、覆い被さるような瓦礫と化した廃墟。 暖かさも華やかさも、人々の笑い声も雑踏もなく、ただ静寂が支配する無機質な死の街。 どうやって逃げ出したのかまったく覚えていないが、生きているのが不思議なくらいだ。 用心はしていたのだが、失敗だった……最悪の結果だ。 夕日を背に追いすがってくるのは、白銀の鎧に身を包んだ機械人形達。 皆一様に銃を構え、同じ足取りで確実に僕を追いつめてくる。 機人兵と呼ばれる彼らは、身体を作る肉、駆けめぐる血を持たず、腕も足も固い鋼鉄製。 心など、あろうはずもない。 走り続けて息は上がり、乾いた埃っぽい空気を吸い込む肺が焼け付くようだ。背負ったリュックが弾む、煤だらけの作業服はだぶだぶで走りにくい。 ぎりぎりと締め付けられる心臓はもう破裂寸前、身体のあちこちが悲鳴を上げている。 よく調べてみれば酷い怪我をしているのかも知れないが、体が動くのなら今は走るしかない。僕の胸元で揺れている銀のペンダントが大きく弾んだ。 「うわっ!」 慌ててペンダントを服の下にしまおうとした僕は、とうとう足をもつれさせて派手に瓦礫の中へと転んだ。 その拍子に額を思い切り地面に打ち付ける。 動くことを放棄したがる身体を、無理矢理起こして後ろを振り返った。 眼前に立ち並ぶ、無数の機人兵達……僕にとっては、血を求める狂気の殺戮者だ。 ついに追い詰められた、無慈悲な彼らが寸分違わぬ動作で僕に銃口を向ける。 僕を見据えるのは不気味に光る紅い瞳、相手が機械なのは分かっている。血のように赤い光点を睨み付け、僕はひび割れた唇をきつく噛む。彼らが人間ならば、命乞いのひとつも試してみるのだが。 「……え?」 その時、にわかに辺りが暗くなった。 全身を揺さぶる衝撃と突き上げる地響き、巻き起こる突風に煽られる僕は、吹き飛ばされまいと必死で瓦礫にしがみつく。 半壊したビルの残骸を揺らしながら、僕の目の前に着地したのは一機の装甲兵だった。 少しバランスを崩して上体をかがめた装甲兵の頭部、人間で言えば目にあたるメインカメラがいきなり瞬いた。 「ひっ!」 その様子にある種の予感が脳裏をよぎった僕は、とっさに頭を抱えてうずくまる。 次の瞬間、装甲兵はいきなり両肩に搭載されたバルカン砲を地上へ向かって斉射した。 「わーっ!」 耳をつんざく轟音と弾ける瓦礫、弾を受けている機人兵達が吹っ飛ぶ音。 僕は大きな悲鳴を上げた。土塊やら石ころの大きいのや小さいのが、もうこれでもかと体に降りかかる。 ややあって、轟音は止んだ。 恐る恐る身を起こし、きょろきょろと辺りを見てほっと胸をなで下ろすと、立ち上がろうとして力が入らず尻餅をついた。 どうやら腰が抜けたらしい。 もうもうと土煙が立ち上っている目の前には、原型も留めぬ程に破壊された、機人兵達の残骸が散らばっている。 そして腰が抜けて動けない僕へと、装甲兵の巨大な顔が動いた。外部スピーカーからくぐもった声が聞こえてきたが、僕が知らない言葉だ。 話の内容が、ぜんぜん解らない。答えられなくて黙っていると、駐機姿勢をとった装甲兵の目にあたるメインカメラの灯が消える。ゆっくりとコクピットのハッチが開いて、パイロットが姿を現した。 「え?」 僕は、夕日を浴びるそのシルエットを、ぽかんと口を開けて見た。 パイロットスーツに包まれた、柔らかな曲線の肢体。 「お、女の人?」 ハッチから伸びる、機体への乗降用ウインチを使って地上に降りたパイロットは、尻餅をついたままという情けない格好の僕の前まで歩いてくるとヘルメットを脱いだ。 僕は思わず息を呑む。 肩から流れ落ちる美しい黒髪、赤い唇にちょっときつめの眼差し。 二十歳半ばくらいだろう、とても綺麗な人だ。 「ええと。あなた、この言葉なら理解出来る?」 彼女はそう言って、顔の半分にかかる長い黒髪を掻き上げた。 「あ、ああ……はい!」 見とれていた僕は、慌ててもたもたと立ち上がると、 「あ、有り難うございます、助かりました!」 身体をばたぱたとはたいて身繕いをし、やっとの思いでそう言ったのだが。 そんなこと、彼女にはどうでもよかったらしい。 こちらへ了解を示すように、ひらひらと手を振っただけだった。 「私は連合軍ミネルバ隊所属、李 美鈴少尉、あなたは?」 「え? あ、あはははは。えとえと。そ、そう! 僕はリスティ! リスティ・マフィンといいますっ! こ、この辺りは、もう宝の山ですからね。何か掘り出し物がないかと思いまして」 冷や汗をかきながら、あたふたと言い訳を並べる僕。 しかし彼女……李少尉は、横目で僕を胡散くさげに一睨みすると呆れたように肩をすくめ、ふん! と鼻を一つ鳴らした。 助けてもらっておいてなんだけど、この態度には腹が立つ。 「ああ、ジャンク屋ね。それにしても、こんな場所でパーツ漁りだなんて見境が無いのね、馬鹿じゃないの?」 「はい?」 「助かって良かったわね。フライト・ユニットが咳き込んで、失速して不時着したところに、たまたまあなたが居合わせたのよ」 彼女が投げつけた刺々しい言葉は、腹の中で悪態をついている僕の額にめり込んだ。 ☆★☆ 何とか日が暮れてしまう前に、運良く見つけた軍施設の整備工場跡へ、少尉の機体を運び込むことが出来た。 とは言っても、廃棄された工場は半壊している上に電力の供給はストップしている。 エンジン式の旧型発電器は生きていたので簡単な修理くらいは可能だ。 僕は機体をハンガーへ固定すると、ゆっくりと装甲兵を見上げる。 白を基調とした塗装に、ありふれたデザイン。 「VX−4F型」全長十五メートル弱の、個有機体名も貰えない典型的な量産機だ。 機体にマーキングされた識別名は「MINERVA 02」 部隊固有のエンブレムなのだろう「剣を携えた女神」の姿が、左肩の装甲と左腕に装備されたシールドに描かれている。 少尉はそこいらに転がっているドラム缶に腰掛けると、ひとつため息をつい た。 「屈辱よ、まさかこの私が不時着するなんて!」 僕は少尉に失速時の状況を聞いた。 いたくプライドを傷つけられたのか、どうやら少し苛々している様子だ。 リフトに乗って機体に近づくほどに、その痛み具合が目に付く。そんなにも激しい戦闘だったのだろうか。 「少尉。宜しければ僕が、機体各部のチェックをしますよ?」 「大きなお世話よ、あちこち触らないで。飛べるようになればそれでいいわ」 僕は善意で申し出たのに、思いっきり突っぱねられたぞ、なんだよ失礼な。 しかしあちこち触るなと言われても、各部への制御を統括しているコクピットを見ないわけにはいかない。 でなければ、機体にどんな異変が起こったのかも分からない。 「コクピット内を拝見します、いいですかー?」 「仕方ないわね」 リフトの上から大声で問うと、いかにも渋々といった声で少尉から答えが返って来た。 場合によっては修理しなきゃならないのに、仕方ないってのはどういうことさ。 少尉から許可を得た僕は、コクピットへと滑り込むとメイン電源を入れ、メンテナンスモードでシステムコンピュータを起動する。 「へえ……」 僕は思わず感嘆の声を上げた。 女性パイロットだし、なんて思っていたがなかなかどうして。 操縦桿に変な癖はついておらず、動作は滑らかで良好。腕に変な力が入り過ぎていない証拠だ。 姿勢制御プログラムのメモリー内ほとんどクリアな状態で、深刻な問題等は記録されていない。機体の姿勢制御をマニュアルとまではいかなくても、コンピュータ任せにしていないことが一目で分かった。 メインコンピュータに、フライトユニットの深刻な機能障害やメインメモりーの破損は確認されない。 コクピットから出た僕は肩の装甲を伝って、「F型」の装甲兵のほとんどが装備している高機動支援装備「フライト・ユニット」によじ登る。 フライト・ユニットの各部のメンテナンスハッチを開けてみたが、飛行に障害が出るような故障は何処にも見られない。 戦闘で装備の許容限界を超えた使用による、一時的な機能喪失が推測された。 「問題はありませんよ!」 ひょいと下を覗いてそう声を掛けると、少尉は食事でも取ろうというのか、何やら広げてごそごそやっている。 そのうちに、鼻の奥をくすぐるいい匂いが漂ってきた。 ぐぅ……。 匂いにつられ、お腹が大きく鳴った。そう言えば、食べ物を口にしたのはいつだったっけ? 「フライト・ユニットなんてみんな同じ構造ですし、量産機は整備も簡単なんですよ、やってしまいましょうか?」 僕にも少し分けて貰えるのかな?そんな淡い期待を抱きながら、少尉の気を引こうと声を掛けると、 ぶんっ! 労いや了解の言葉の代わりに、もの凄い勢いでスパナが飛んできた。 「わーっ!」 間一髪。一直線に僕へと向かって飛んできたスパナは、甲高い音を立ててリフトの手摺に当たり、跳ね返って下へと落ちる。 「ちっ」 微かな舌打ちが聞こえた。 「な、な、なんて事をするんですか!」 人に仕事をさせておいて、随分な事をするじゃないか。 リフトから身を乗り出して大声で抗議すると、少尉はきつい眼差しで僕を睨み付けた。 「私の機体を、量産機呼ばわりしないで!」 「え?」 僕は怪訝な顔で、もう一度背後に立つ装甲兵の顔をよく見た。間違いない、いや、どうやっても間違えようがない。 目の前の機体は、形式名「VX−F型」シリーズの最終型。 僕が知る限りこの機体以降は、装甲兵の新型機が生産されていない。 「でもこれって、VX−4F型ですよね? その辺にごろごろしている、量産機じゃ……」 ごん! 「いってーっ!」 後ろ頭に缶詰をぶつけられた。目の前に星が見えたぞ、何だって言うんだまったく。 「私の機体には、ブレイバーっていう名前があるわ、そこいらの量産機と一緒にしないで!」 僕は後頭部をさすりながら、足元の缶詰を拾い上げた。 ブレイバーって、お前量産機のくせに名前負けしていないか? いまいち納得がいかないが、パイロットが言うのだから仕方がない。 「そうか、お前はブレイバーっていうのか、ごめんな」 リフトから降り、足の部分の装甲をこつんと叩いて詫びを入れる。 少尉へと向き直ると、コーヒーを入れた金属製のマグカップが差し出された。 「ご苦労だったわね」 深みのある色合いの黒曜石、きつめの眼差しが少しだけ微笑んだ。 「少尉。この機体は、きちんと整備されているんですか?」 誰がどこから見たって、この機体はかなりくたびれている。 軍所属の機体とはとても思えない、疑問に思って少尉に聞くと。 「だから、大きなお世話だっていうのよ」 少尉に半眼で睨まれて、僕は黙り込むしかなかった。 転がっている空き缶の山。 シチューにハンバーグ、青豆を煮た物。野菜が無いのが寂しいが、そんな贅沢など言えない。味はまぁまぁ。パンは柔らかく料理は缶の匂いもしない。軍の携帯食って、案外上品なんだ。 「哨戒任務中に原因不明の高エネルギー反応を捉えたところで、敵機と遭遇戦に突入していたのよ。セラフィムを追おうとしたら、いきなり光が視界一杯に広がって……信じられないほどの高出力の衝撃波が襲ってきた。機体の機能は麻痺するし、僚機と連絡は取れないし」 少尉はスプーンでシチューをかき混ぜながら、何度目かのため息をついた。 (高エネルギー反応と、衝撃波だって?) 一瞬びくりと身体が硬直するのを感じた。 そう……僕だって、その純白の光に灼かれるところだったのだ。 僕はとりあえず、パンを乾いた喉の奥に押し込み、少尉の話を聞いていた。 ことり。 冷めたアルミ皿を置いた少尉は、沈んだ表情をしていた。 「いくら呼びかけても応答は無し、識別信号は消えたまま。みんなは、もう駄目かもね」 少尉が少しうつむき、さらさらとした黒髪が流れて彼女の表情を隠す。 「少佐、メノア、トゥリープ……」 同じ部隊の人かな?少尉の口から何人かの名前が漏れた。 少尉の様子に、僕は食べ続けるわけにもいかず、かといって声も掛けられず困っていたのだが。 「う〜ん、はぁ」 少尉はいきなり大きく伸びをすると、一度目を閉じた。 「明日になれば、あの世で逢えるかも知れないわね」 立ち直ったと思ったら、しれっと怖いことを言い、少尉は僕にぽん! と寝袋を投げて寄越した。 「あの、少尉?」 「それ、使ってもいいわよ。私はブレイバーのコクピットで寝るから。ああ、気にしないで。その方が落ち着くの」 僕が何か言うよりも早く、少尉はそう一気にまくし立てると、するするとVX−4F型……もとい、ブレイバーのコクピットへ引っ込んでしまった。 僕が呆気にとられていると、遙か頭上から声が聞こえて来る。 「行きがかり上仕方がないわ。あなたの身柄は私が保護します。仲間の安否確認を最優先。それから手近な連合軍の駐留基地と、居住コアを探さなきゃならないわ。明日は早いから早く寝なさい。それから私の事は、美鈴で結構!」 少尉……美鈴さんは顔だけひょいと覗かせてそれだけ言うと、ぱたんとハッチを閉めてしまった。 仕方がないって言うのはあんまりだと思う。 それに、どうでも良いんですけど、用心深いんですね。 ちょっと寂しい、随分久しぶりの話し相手が居なくなってしまった。 僕は簡易コンロなど、後で使える物をまとめてひとつの荷物にした後、身体を少量の水で絞ったタオルで拭い、ランプの火を絞って寝袋に潜り込む。 目が暗闇へと慣れてきた。 胸元のペンダントを指で弄びながら、ぼんやりと工場に配置されている天井クレーンのレールを目で追ってみたりする。命拾いをしたばかりで興奮しているのか、とても眠れそうにもなかった。 この大地に人間がまともに住めなくなってから、一体どれくらいの年月が経つのだろう? なりふり構わぬ繁栄を続けた、人類の悪業による環境の悪化はこの星の寿命を大幅に縮めてしまった。 堰を切ったように多発した自然災害は、人間なんてちっぽけな存在では、とても抗うことが出来なかったのだ。 異常気象による水害、干ばつ、飢饉、疫病の流行……。 それだけではない。最終的に総人口を激減させてしまった、エネルギー資源の枯渇問題に端を発した、大規模な戦争。 人間はこの星の苦痛、そして怒りをその身に知ることになったのだ。 全ての国家が消え、国際的機関などはその役割を為さなくなった。人間は自らの手で紡いできた、貴重な文化や歴史等の遺産をも失ったのだ。 どれくらいの人間が死んでいったのかなど、分かろう筈もなかった。 今、人間達は各地に点在する、ほぼ街の残骸に等しい居住コアと呼ばれる場所で、ひっそりと生きている。 宇宙への移民……そんな方策も、今は夢物語でしかない。 なぜなら、失われた革新的技術を取り戻すには、かなりの時間を要することが予測されるからだ。 とにかく人間達は、生き延びるだけで手一杯なのだ。 だが、そんな無秩序な世界に、それは突如として現れた。 ヴィラノーヴァ。 それは一夜にして海上へと出現した、巨大な海上都市。 その海上都市、ヴィラノーヴァの代表者として姿を現した一人の男「フレグランス・ウィスラー」は、全世界の人類を統括するとの宣言を発した。 今こそ全ての人類が今こそ手を取り合い、再生への道を歩まねばならない。 我々は超高度な技術を有している。その技術をこの星の、そして生まれ変わる人類のために惜しみなく提供する。 未来への扉を開くために、海上都市ヴィラノーヴァは存在する、と。 しかし、果てない欲望と飢えにまみれた人の心は、荒廃していた。 旧体制から続く強い支配力を持つ者達は、差し出された救いの手をあっさりと払いのけたのだ。彼等の狭い見識と強欲は様々な思惑と結びつき、連合軍の残存部隊を取り込み巨大な軍組織を形成していった。 危機的な局面を打開しうる、ヴィラノーヴァの高い技術を我が物にするため に。 各地で頻発していた小さな小競り合いは、再び戦火へと拡大した。 そして、異変が起こった。 三年ほど前、ヴィラノーヴァは突然、各地の居住コアへの無差別攻撃を始めた。 ヴィラノーヴァが運用する装甲兵「セラフィム・タイプ」の性能は、現状の世界で運用されている全ての装甲兵を凌駕している。 破壊の限りを尽くす装甲兵セラフィム・タイプはその名に反し、殺戮と破壊という恐怖を世界中に撒き散らした。 あろうことか、フレグランス・ウィスラーは、全人類の抹殺を宣言したのだ。 ぼんやりと考えながら身震いする。 あの光の衝撃波、あれは間違いなく……と、そこまでで危険な考えを頭の中から追い出した。 (少尉は……美鈴さんはもう寝たのかな?) 僕はもう一度、寝袋を身体に馴染ませるように身じろぎした後、押し寄せる不安から身を守るように丸くなって眠った。 |
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