ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 14.銀色の翼 |
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「ああ、お帰りなさいフリード様! ご苦労様です、領内の様子はどうでした?」 トラックから降りたフリードを、肩にタオルを掛けて忙しく立ち働くトムが迎えた。 「ただいま、トム。心配は無いね、川の方も大丈夫。少々雨で水かさが増えても平気さ」 領内の見回りはフリードにとって、もう大切な日課だ。屋敷に戻ると今度は畑へと出掛けて行き、子供達の相手をしたり農作業を手伝ったりと、忙しい毎日を送っている。 領内に、心配事はまったくない。誰にどれほど労って欲しい訳では無いのだが、フリードはトムからの「お帰りなさい」だけでは、ちょっと物足りない。 フリードはもうひとつの「お帰りなさい」を、期待していたのだが。 いつも出迎えてくれる、ニーナの姿が見えない。心ここにあらず、フリードの視線がふらふらしている事に気付き、タオルで汗を拭うトムがにやにやと笑った。 「フリード様。ニーナ様はカリナやミレーヌと一緒に、街へ買い出しですよ」 「あ、ああ! そうか……」 心なしか肩を落としたフリードの背中を、トムがぽんっ!と叩いた。 「ニーナ様の事になると、坊ちゃんに逆戻りじゃあ、格好付きませんな?」 「あ、ああ、そうだね……トム」 フリードは苦笑いしながら、道具箱を荷台から下ろす。 トムやカナックのおかげで、様々な道具も随分とうまく扱えるようになった。今では、釘ではなく自分の指をハンマーで打ったり、鋸の刃をぽっきりと折ったりすることもない。 よく日に焼けて、フリードは精悍に見える。 (少し休んでから、畑に行ってみようかな) 握った拳で肩をとんとんと叩くフリードが、そんな事を考えていると。 「おお、ちょっと見ないうちに、すっかり逞しくなったじゃねぇか」 大きな声が聞こえて、フリードが振り返る。ちょっと驚いたトムが、軽く会釈をした。 「叔父さん!」 「おう! 久しぶりだな、フリード」 軽く手をあげたアルフレッドの姿に、フリードの声が弾んだ。 「おいおい、この間は頑張ったそうだな! へへ、ニーナが惚れ直してるんじゃねぇのか? これでカーネリアも安泰ってやつだぜ、次期領主様よ!」 大股でフリードに近づいたアルフレッドが、大きな手で遠慮無くばんばんとフリードの背中を叩く。そのまま首を抱え込まれ、ぐりぐりと頭を乱暴に撫でられるが、フリードは首を竦めたまま逃げる事もなく、されるがままになっている。 「先に屋敷へ行ったんだが、兄貴の姿もカリナの姿も見えねぇ。なぁトムよ、このままフリードを俺の別荘へ連れて行くが、構わねぇよな?」 「叔父さん?」 茶色の髪をくしゃくしゃにされたフリードが、不思議そうな顔で叔父を見上げる。 「はい、お気を付けて。私がそう伝えておきますよ」 「すまねぇな、トム。おお、今度一杯やろうぜ!」 「そりゃ良いですねぇ、楽しみでさぁ」 「ふっふっふっ」 「へっへっへっ」 不気味な笑い声を上げる、中年と老人の飲んべぇ同士。 「おお、そうだ!」 抱えていたフリードを放したアルフレッドが、懐から取り出した物をフリードの目の前にぶら下げた。 「お、叔父さん……これは!」 アルフレッドは「ウインディ」の起動キーを、フリードに差し出した。渡された起動キーを大切そうに両手に乗せたフリードは、アルフレッドの顔と忙しなく見比べる。 手の平で輝いている鍵は、空への想いに焦がれるフリードが心から欲する大切な翼、その命を呼び覚ます。 「もう俺が預かる理由はねぇよ、これからはお前が持っていろ。無くすんじゃねぇぞ?」 「は、はい!」 大切なキーをぎゅっと握りしめ、フリードは大きく頷いた。 ☆★☆ しばらくぶりに訪れたアルフレッドの別荘。 ……と、いっても特別な屋敷ではなく、こぢんまりとしている。 隣接する大きな格納庫のおまけ、ただの休憩所のようにも見える。 ――今日は快晴。 抜けるような青空、遙天上に存在する天使達の楽園を見つけられるようだ。扉を全開にした薄暗い格納庫へ、強い光が差し込んでいる。 ツバメのような姿をした最軽量機、銀色のウインディは隣に並ぶアルフレッドが所有する優雅なシルエットのロゼッタと比べると、随分と小さい。 しかし、そこは最盛期のブロウニング・カンパニー社製、最高出力と旋回性能は折り紙付きだ。同クラスの機体で性能を比較した場合、ウインディと肩を並べられる機体はまず存在しない。 メインシートへ座ったフリードは、前方を見据え大きく深呼吸する。 随分と久しぶりなので、姿勢が落ち着かない。緊張で微かに震えている手で、コントロールパネルの右脇に起動キーを差し込んだ。 パチッと、弾けるような音がして、パネルに配置された各種計器に明かりが灯る。 「へへへ、一緒に乗るのが、ニーナじゃなくて悪かったな」 「叔父さん……それを言わないで下さい」 緊張を感じていたフリードの気持ちが、大きな音を立ててがらがらと崩れた。後ろのシートでふんぞり返っている意地が悪いアルフレッドに、フリードは半眼で答える。 ニーナと一緒だったなら、それこそ世界の果てへでも飛んで行けるだろう。 フリードがそれをどんなに夢見ているか、よく知っているのだろうに。深く沈み込んでしまった気持ちを、苦労して引きずり上げたフリードは機体のチェックを全て完了した。 さあ……いよいよだ。 ウインディの前方に広がる湾内、静かな水面を大きく揺らし、格納庫から二本の太く長いレールがゆっくりと伸びてゆく。 緩やかな弧を描く長いレールは、一度下るように傾斜が付けられており、弧の最下端を過ぎると今度は、一直線に空へと向かっている。 軽量で高出力のウインディは、非常に短い滑走距離で離陸することが出来る。 それに対しアルフレッドのロゼッタは、一度水の上にその機体を浮かべなければならない。 「……行きます」 慎重なフリードの声が合図となって翼のフラップを下げ、じわりと動いたウインディがレールに沿って滑走を始める。 翼が風を受ける音が耳に響き、機体は次第にスピードを上げてゆく。 その加速感に高揚していく心。凄まじい勢いで滑走するウインディが、レールの突端に達しようとした瞬間。 「あがれぇっ!」 叫んだフリードが、操縦桿を力任せに引く。 既にスロットルは全開、臨界に達しているウインディの動力炉が唸りを上げた。 強い陽光に煌めく銀色の翼が大きくしなり、翼下にぐっと抱え込む大気。衝撃波を伴う爆音と共に、水面へ二本の大きな水柱を吹き上げて、ウインディが大空へと舞い上がった。 弾ける水飛沫がきらきらと陽の光を受けて、幾つものプリズムを作る。天空に輝く陽を目指し、翼を広げて駆け上った神の子を想像させるその姿。輝く光の飛沫を置き去りにしたウィンディは機首を上げ、銀色の閃光となってさらなる加速に移る。 「相変わらず激しい奴だな……。そんなに力まなくても、簡単に飛ぶっていつも言ってるだろうが!」 いちいちフリードの高揚感に水を差すアルフレッド。 「分かってますっ!」 自分の声が上擦っているのが分かる。フリードの眼前に広がる、澄み渡る大空。 草の上に寝転がり、痺れるほどに腕を伸ばした。 ……この空をどれほどに求めただろう、どれほどに焦がれただろう。 上昇しながら機体を捻る。フリードの意のままに、銀色の翼を持つウインディは空を駆ける。 胸の中に押し込めていた想い、歓喜に打ち震える魂の求めるままにフリードはウインディを操る。スライスターンで下降し、旋回を繰り返す。再び上昇に移り背面飛行からターン。 ウインディはフリードの操縦に、忠実に機敏に答えてくれる。フリードとウインディは、心が通じ合った恋人同士だ。 高い高度で水平飛行に戻ったフリードは、首を僅かにずらして眼下に見える地上を見つめた。 退屈な日常と、やるせない想いが滞留するだけだと思っていた。 求めるものなど何もないと思っていた。 ……心は空にばかり向いていた。 いや、フリードは逃げ道を探していたのかもしれない。 ここ数ヶ月で、フリードは己の心と真正面から向き合った。 そしてまた、たくさんの事を学んだ。それはニーナや屋敷のみんな、領内で暮らす人々のおかげだ。 ――大地を踏みしめて生きる術、人と人の温かな気持ちの繋がり。 畑を焼いて肥料とし、渾身の力を込めて耕す。 温もりを感じる土に、豊かな実りを期待して種を蒔く。 光に、水に、大地に……全てに深い感謝の気持ちを持って、大切に育てた作物を収穫するのだ。 そして大きな喜びを、皆で分かち合う。 巡る季節と共に繰り返す、その営みを人は古くからずっと続けてきた。 そう思うと、ウインディから見える眼下の景色が、今までとは違ったものに感じられる。フリードの心は、安らかに凪いでいる。あの憔悴していた気持ちが、今はとても気恥ずかしい。 ……しかし今は、この空に魂を解き放ちたい。 フリードが再び加速する為に、スロットルレバーを握り直した時だった。 「おい、フリード! 高度そのままだ!」 アルフレッドの緊迫した声に、フリードはウインディの高度を保ったまま、ゆっくりと旋回する。 「叔父さん、どうしたんです?」 「おい、下を見ろよ……こいつはまずいぞ」 アルフレッドに言われてフリードが見下ろすと、水面にほど近い低空を飛行する二機のウインド・シップが湾内に進入してくる。 しかし、様子がおかしい。 前方を飛行するウインド・シップは、後方から迫るウインド・シップに追われているようだ。 「……まさか、武装した盗賊!?」 嫌な予感に、フリードが目を見開いた。 「ああ、この昼日中から盗賊かよ。追われているのは輸送艇……いや、あの大きさなら輸送機だな」 輸送機を追う戦闘艇が、急に速度を上げた。 「お、叔父さん! は、発砲してます!」 「おいおいおい、人の別荘近くでドンパチなんぞ、やらかすんじゃねえよ!」 戦闘艇から、機銃が連続で発射されている。緩慢な動きの輸送機は回避しようとするも、ほとんどの攻撃をその身に受け大きく傾いだ。 そんな非日常の光景に、フリードが緊張する。機銃が発射される所など、今までに見た事がない。 しかし目の前で起こっているのは、確かに本物の戦闘なのだ。 「くそっ! 撃つのは機銃だけにしとけよ」 鬼気迫る表情のアルフレッドが身を乗り出した瞬間、その危惧が現実になった。 輸送機を追う戦闘艇の翼下に装備された砲身から、轟音と共に二発の火球が撃ち出されたのだ。 「ああっ! 撃ちやがったぁぁぁぁっ!」 その攻撃を予想していたのか、輸送機が後方から迫る火球をからくも躱した。 結果、目標を失った二つの火球はそのまま直進し、あろう事かアルフレッドの別荘と、隣接する格納庫へ吸い込まれたのだ。 ――その刹那。 別荘と格納庫から、オレンジ色の光が瞬き、二つの建物が膨張したように見えた。 続いて大気を震わせる轟音、屋根と壁を突き破り内部から爆炎が吹き上がった。空中に放り出された瓦礫が、次々と水面に落下してくる。立ち上る黒々とした煙、燃え盛る炎はすべてを焼き尽くす勢いだ。 格納庫の方はロゼッタの燃料に引火したのかもしれない、さらに高く伸びる炎が空を焦がす。 灼熱の炎、その熱がここまで伝わってくるようだ。 「ロ、ロゼッタぁーっ!」 ウインディのコクピット内に、アルフレッドの悲痛な絶叫が響き渡った。 |
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