ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


15.閃光のウインディ

 目次
 フリードは、そのまま糸が切れたからくり人形のように、ぐったりとしているアルフレッドに掛ける言葉が見つからない。
 ウインディの下方では、まだ狩りともいえる一方的な戦闘が続いている。アルフレッドは放心状態、ウインディには何の力もない。このまま旋回を続けていても良いのだろうかと、フリードが不安になってきた頃。
「……おい、フリード。男なら売られた喧嘩は買わなきゃなぁ」
 背後から、ぼそりと怨嗟の声が聞こえた。
「えええっ!」
 しばらく沈黙していたアルフレッドの無謀な宣言に、フリードが驚いた。
「お、叔父さん。落ち着いて下さい、相手は武装しているんですよ? はっきり言います、無茶です! 自殺行為です! すぐに軍隊に連絡した方が賢明です!」
「そんな悠長な事を言っていられるか! 軍が重い腰を上げてタラタラやって来る頃には、まんまと逃げられちまう。それによく見ろよ! 弱い者が追い詰められてるのに知らん顔が出来るか。そんな事じゃあ、領主様なんて務まらねぇ!」
「さっき、誉めてくれたじゃないですか!」
「前言撤回だ、この馬鹿たれ!」
 正義感というよりは、私怨じゃないかとフリードは思う。
 狭いコクピットで、二人がぎゃあぎゃあ言い合いをしているうちに、戦闘艇の機銃が輸送機の左翼を粉砕する。
「おいおいおいおい! ありゃあ、墜ちるぞ。乗り移られたらお終いだ……くそっ!」
 悔しそうに言葉を吐き出したアルフレッドは、がん!と握った固い拳で風防を殴りつけた。
「フリード、もう一度聞くぞ? やるのかやらねえのかっ!」
 ふらふらと、高度を落としていく輸送機。
 捕まれば乗員はただでは済むまい……そう思った瞬間、フリードの心が決まった。
「分かりました、やります! 行きます! 動力炉全開で最大加速! このまま急降下して突っ込みます!」
 フリードは操縦桿とスロットルレバーを固く握りしめて、ほとんどやけくそ気味に叫んだ。
「おう、やる気になったか、それでこそブロウニングの血筋だ! 壊れたらちゃんと直してやるから、思いっきりいけ」
 満足げなアルフレッド。
(……命も直せるんですよね?)
 フリードはそう思わないでも無かったが、いらぬ事を考えていればそれこそ命に関わる。
 上空を飛行していたウインディが一度翼を大きく振って、機体を捻り急降下に移った。
 戦闘艇を目掛けて、一直線に加速する。
「わあああっ!」
 叫びまくるフリード、無謀とはまさにこの事だ。
 爆音に尾を引かせ、水面すれすれで水平飛行に移ったウィンディは、水飛沫を盛大に吹き上がらせながら、その速度を緩めることなく輸送機と戦闘艇の間を突っ切った。
 銀の翼の先端は鋭いナイフのようだ、水面を切り裂くように低空で右に旋回すると再び上昇に移る。
 機体強度と高出力を誇るウインディ。
 見てくれだけの貧弱な軽量機に、こんな芸当は絶対に出来ない。
「へへ、こっちに気付きやがった!」
 この光景を目撃されたのだ、何としても口封じをしようとするだろう。
 戦闘艇がいきなり輸送機から離れ回頭を始めた、機体側面から突き出した銃座がゆっくりと可動している。
「フリード、気を付けろ、撃ってくるぞ!」
 アルフレッドが、鋭い叫び声を上げる。
 ――どくん。
 危険を感じたフリードの心臓が大きく跳ね、両の瞳が虹色に輝き始めた。
 戦闘艇の銃座……ウインディを狙う砲身の先端が瞬く。
(あっ……)
 フリードには、ウインディへ向かってくる機銃弾の火線、その軌跡がはっきりと見えた。その瞬間、フリードは翼を立てて機体を左に振る。
 殺到する機銃弾が、ウインディが突然姿を消した空間を虚しく裂いた。
(何だ? 何で見えるんだ?)
 目を擦ってみる、攻撃を避けたフリード自身が驚いていた。
 戦闘艇が発砲する直前に、機銃弾が飛来する軌跡がはっきりと目に見えたのだ。
(どうして……)
「フリード! お前、いい勘をしてるじゃねぇか」
「勘? 僕にも何が何だか……」
「おい! ぼけっとするな、フリード!」
 アルフレッドの声に、フリードは慌てて戦闘艇に意識を戻す。
 操縦桿とスロットルレバーを強く握りしめ、両足を乗せたペダルの位置を確認した。恐ろしいのは機銃の弾丸ではない、その弾を放つ相手の敵意や殺意だ。
 その殺意を察するのか、虹色に輝くフリードの瞳は機銃弾の軌跡を見極められる。
(左にっ!)
 再びウインディを撃墜しようとする火線が伸びてくるが、先に分かってしまえば回避することは容易い。
 幾度の攻撃を易々と回避し、素早い旋回を続けるウインディ。
 機銃が掠りもしない事に業を煮やしたのか、戦闘艇が追っていた輸送機から大きく離れた。どうやら目標をウインディに切り替えたらしい。
 闇雲に乱射される機銃を、ウインディは踊るようにかいくぐる。
 攻撃対象の進行方向を阻む射撃をしなければならないのだろうが、どうやら賊は頭に血が上っているようだ。だが、弾を避けているだけでは相手に勝つ事は出来ない。当然の事だがウインディには、機銃どころか豆鉄砲すら搭載されていないのだ。
「このままじゃ駄目です、どうするんですか!?」
「へへっ、正義の味方はな、知恵と勇気で戦うんだよ」
「僕には、どちらも量が無いんです!」
「馬鹿野郎! 男なら普段からせっせと貯めとけよ、俺なんかこんなに漲ってるんだぜ?」
 この状況で、どうしてこんなに余裕を見せていられるのか分からない。
 にやりと笑い冗談を言うアルフレッドに、フリードは苛立った。
「叔父さんに漲ってるのは、恨み辛みでしょう!」
「行動力の燃料に、違いはねぇ」
 厳しい表情だが、アルフレッドの自信ありげな瞳が戦闘艇を鋭く射貫いた。
「フリード、銃は持ってるな?」
「え?」
「おら、早く銃を寄越せ!」
「知恵と勇気じゃないんですか? だいたい僕の銃なんかで、何をするんです!」
「うだうだ言ってないで早く寄越せ、もうあまり時間がねぇ!」
 後ろ頭を踏みつけられた。
 フリードが顔を上げると、湾内に着水し傾いた輸送機が微かに黒煙を噴き上げている。
 しかし、乗員が脱出する気配が一向に無い。
「まさか、輸送機の動力炉が……」
「過負荷寸前だな、下手すりゃ暴走するぞ?」
 アルフレッドの声に、はじめて焦りの色が見えた。
 フリードは急いで左脇から銀色の銃を抜いて、叔父へと手渡す。
「あの戦闘艇、腹の下は薄っぺらな装甲だ。この口径なら、何とかなるかもな」
 アルフレッドは、拳銃でウインド・シップを撃墜するつもりのようだ。回転式の弾倉を開けると、一発目の空砲を摘み出して、ぽいと投げ捨てた。
「一発目が空砲とはお優しい事だな、カーネリアの領主様は。他の土地じゃあこうはいかねぇ……。まったく、兄貴らしい」
 大きな手でがしっとフリードの頭を鷲掴みにし、肩口から顔を突き出す。
「いいか? フリード。戦闘艇をよく見ろ、両舷側に突き出している銃座は側面と後方警戒用だ。あの機体は、あまり高々度の飛行は想定していない。奴の真下に潜り込んで離れるな、あの銃座は直下に向けての射撃が出来ねぇ!」
「上から潰されますよ!」
「そんな度胸はありゃしねぇさ。軽量機のウインディなら水面すれすれを飛べる、潜り込んだらくっついて離れるなよ? 真下で撃ったら天井を崩すのと同じだ、それこそこっちも危ねぇ。痺れを切らした奴が機体を傾けて銃座を下に向けようとしたら、その反対方向から急上昇だ」
 アルフレッドは大きな手で、銃の握り具合を確かめる。
「任せとけ! 魚みたいに生まっちろい腹に、鉛弾をくれてやるよ。あのタイプの動力炉の位置は知っている、仕留めてみせるさ!」
 片目を瞑ってにやりと笑ったアルフレッドが体を固定していたベルトを外し、不用意に風防を後方に滑らせた瞬間、
「うわおおっ!」
 叫び声と共に、コクピットからいきなり吸い出された。
「お、叔父さんっ!」
 間一髪。
 フリードが膝で操縦桿を挟み、咄嗟に体を捻ってアルフレッドの足にしがみつく。
「ふーりーいーどーぉ! ズーボーンーをーつーかーむーなぁっ!」
 掠れる声に気が付けば、機外でもがいているアルフレッドのズボンのベルトが緩み始めている。
 このままではズボンだけ残して、中身が飛んで行ってしまう。
「ふんぬわぁっ!」
 歯を食い縛り真っ赤に顔を紅潮させたフリードは、激しくはためくアルフレッドの上着の裾を手繰り寄せて掴み直し、大きな体をコクピットへと力任せに引きずり込んだ。
「ぶはぁ!」
「おお、すまねぇ、助かったぜ」
 両腕が抜けるところだった。大量の冷や汗を掻き、全身で肺の呼吸を助けるフリード、しかしアルフレッドは、まったく動じていない。
 命拾いをした二人の意識が、戦闘艇逸れた瞬間だった。 凄まじい破裂音と共に、ウインディに機銃弾が着弾する。
 「「うひゃああっ!」」
 ウインディの外装に無数の穴が穿たれる。激しい火花と飛び散る塗膜、悲鳴を上げる二人は揃って首を竦めた。
「やりやがったな、畜生め!」
 銃を握ったアルフレッドは、肩を震わせているフリードに気が付いた。 
「おい、フリード。びびってる場合じゃねぇぞ!」
「……びびってなんか、いません。行きますよ、叔父さん。……準備は、いいですか?」
「お、おいおい」
 コクピット内に響いた仄暗い声に、嫌な予感を覚えたアルフレッドが僅かに身を引く。
 顔を上げたフリードの目が、完全に据わっていた。
 青白い炎がゆらゆらと、その全身を覆っている。
「こんのクソ野郎が、ウインディに穴なんか開けやがって! これじゃあニーナを乗せられないだろうがっ!」
「お前の怒りのツボは、やっぱりそこかぁっ!」
 普段なら絶対に使わない言葉で罵るフリードの怒りが乗り移ったように、ウインディは通常の三割ほど上乗せした加速で、戦闘艇を目掛けて突進する。
 刻々と七色に光を変える、フリードの瞳が輝きを増す。上空から、獲物を狙う鷹のように舞い降りるウインディ。
 銃座を操作する射手を翻弄するように、フリードは激しく機体を回転させる。浴びせ掛けられる機銃弾のすべてをかいくぐり、首尾良く戦闘艇の直下へと潜り込んだ。
 戦闘艇はウインディを振り切ろうと速度を上げるが、まだまだウインディには余裕がある。水面と戦闘艇に挟まれる視覚的な恐怖、心に襲ってくる閉塞感に耐える。頭上に見える戦闘艇の動きを注視しながら、フリードは水面すれすれの低空飛行でウインディを操る。
 しばらく膠着状態が続き、戦闘艇が湾を出ようとするかのように旋回を始めた。
「逃げる振りか? そんな誘い方で騙されるかよ。フリード、来るぞ!」
 手負いの獲物が積んだお宝を前にして、逃げ出すはずはない。
 アルフレッドの予想は当たっていた。
 旋回して湾の外へ出ようとしていた戦闘艇が、大きく翼を振って右翼を下げたのだ。右側面の銃座が回頭し、ウインディのコクピットに砲口が向けられた。
「やられるものかっ!」
 叫ぶフリード、ウインディは戦闘艇の左舷方向から抜け出し急上昇に転じる。
「狙い通りだ、喰らいやがれっ!」
 そして、アルフレッドが両手で構えた銀色の銃が、擦れ違い様に戦闘艇の底面を目掛けて火を噴いた。
 発射された銃弾が脆弱な装甲を貫き、狙い違わず文字どおりウインド・シップの心臓、動力炉へと達する。
 機体を右に傾けたままの戦闘艇が、機体を立て直す事もままならず急激に失速し、右舷から水面に激突した。水面に叩き付けられた機首が砕け、翼が折れて回転しながら宙を舞う。 
 急速上昇するウインディの後方で爆発が起こり、黒煙と共に巨大な水柱が上がった。
「叔父さん!」
 爆風から逃れるウインディ。
 安堵しているフリードの後ろ頭を、アルフレッドが足で蹴った。
「くつろぐな! 早く着水しろ、輸送機の動力炉がヤバい事になってる!」
 フリードは慌てて輸送機を視界に捉え、被弾してぼろぼろになったウインディの機首を向け、高度を下げていく。
「急げよ、フリード!」
「分かってます!」
 ウインディを着水させて、黒煙を噴き上げ続ける輸送機に近づく。ほぼ横付けに近い状態までウインディの機体を寄せると、フリードは風防を全開にして上着を脱ぎながら機体に足を掛けて身を乗り出す。。
「おい、フリード! 待て、お前が行くなっ!」
 アルフレッドの制止も聞かず、フリードは水へと飛び込んだ。
 僅かに泳いで輸送機に取り付くと、後方の荷物搬入出用のハッチを操作する。緩慢な動きで開き始めたハッチに苛立ち、フリードは僅かな隙間が出来ると強引に体をねじ込んだ。
 煙が立ち込める、貨物室から操舵室へと繋がる扉を力任せに蹴り付ける。
 操舵室へと、足を踏み入れたフリードは驚いた。
 操縦席でぐったりとしている少女の姿。
「おい! 大丈夫か!?」
 フリードは慌てて駆け寄り、少女を抱き起こす。苦しげに荒い息を付く少女は、グランウェーバー王立軍の軍服を身に纏っていた。
「ど、どうして、こんな女の子が?」
 まだ幼さが残る少女だ、軍服がまったく似合っていない。
「しっかりしろ! 君が一人なのか!?」
 フリードが呼び掛けると、少女は薄く目を開けて、その翠の瞳にフリードの姿を映す。
 震える唇が、何かを伝えようと僅かに動いたが、少女はそこで気を失った。
「おい! 君っ!」
 気を失った少女を抱いたまま、その場で困惑するフリードは誰かに呼ばれたような気がして、他に乗員がいるのかと操舵室を見回す。
 しかし、狭い操舵室はひと目で見渡せる、少女以外に人影はない。
(きゅい! きゅい!)
「……何だ? 何の声だ?」
 気配はあるのに姿が見えない。
 鳥のような鳴き声だと、フリードは気が付いた。
「何か、生き物でも積んでいるのか?」
 耳にまとわりつく、いや頭の中に響いてくる甲高い声に、顔をしかめたフリードは口を押さえ貨物室へ行こうとしたが。
(きゅいーっ!)
「早く……逃げろだって?」
 切羽詰まった鳴き声が、そう言っているように聞こえた。
 その時突然、機内の温度が急上昇した。肌を炙る熱気に汗が噴き出し、意識が遠くなる。
「……いけない!」
 過負荷状態が続き、耐えられなくなった輸送機の動力炉が、ついに暴走を始めたようだ。
 少女を抱きかかえ、フリードは操舵室の乗降用ハッチを開けると、躊躇することなく水の中へと飛び込む。少女を強く抱きしめたまま急いで深く潜る。出来るだけ深く、遠く離れなければならない。
 水中に閃光が差し込んだ瞬間だった、輸送機の動力炉が自壊、爆発を起こした。
 押し寄せる凄まじい爆圧、少女を守るように体を丸めたフリードの背中に、水中へと弾けた幾つもの金属片が突き刺さる。
 それでも歯を食い縛り、荒れ狂う水に翻弄されるフリードは、少女を抱く腕に力を込めて耐え続けた。
「ぷあっ!」
 永遠とも感じられた時間を耐え抜き、水面へと顔を出して肺一杯に空気を吸い込む。
 どうやら逃れる事が出来たらしい。
 腕の中の少女を見ると、気を失っているが怪我などは無いようだ。しかし、早く水から上げてやらないと命に関わる。
「無事か、フリードっ!」
 アルフレッドの声に、フリードが振り返る。
 フリードからやや離れたところで、アルフレッドが水面へと浮かび上がっていた。
「叔父さん、怪我を!」
「この馬鹿野郎、心配させやがって! おい……。まさか乗員は、その女の子だけか!?」
「はい!」
 額から血を流すアルフレッドは、フリードが抱いている少女の姿に驚いてその体を支えた。
「俺は心配ねぇ。それよりお前だ。いいか、無理をするなよ?」
 神経が高ぶっているから痛みを感じないのだろう、フリードの体の様子を見たアルフレッドは、意識させないようにそれとなく注意をする。
 少女をアルフレッドに任せたフリードは、ウインディの姿を探して絶句した。傷ついた体から全ての力が抜けていく、魂へ水の冷たさが染み込んでいくようだ。
 輸送機の爆発に巻き込まれたウインディの銀色の機体は、見る影もなく焼け爛れている。
 呆然とするフリードの目の前で、激しい炎に舐め尽くされて骨組みだけになったウインディの翼が軋み、大きな音を立てて根本から折れた。
 
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