ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 18.盗賊と義賊の境界 |
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姉はいったい何処から、こんな情報を得たのだろう? それに、黙っていたのはどういう事だ? (民を欺く、偽りの国葬だったって訳か) たちまち半眼になる銀色の瞳、のろのろと顔を上げたテリオスは心の中でぼやいた。 「あの、もし……?」 「……あ、はい。俺は新しい牢の番人でさ」 少し不安そうに揺れたエレミアの声に、テリオスはとっさにでまかせを言った。 「……そう…ですか」 固く閉ざされた瞳……盲目の美姫、エレミア。この世に生まれ出た時より、彼女は光を知らない。 聡明なエレミア王女は、父王に似て贅を好まず清貧を尊ぶ。いつも質素で着飾る事などなく、華美な装飾品を身に付けたりもしない。 そんな王女の深い慈愛は、街の路地裏で暮らす貧しい子供達を優しく包んでいた。エレミアは孤児院などの施設へ運営資金を用立てたり、食料の配給を行うなど積極的な支援を続けていたのだ。 自分自身は光を知らなくとも、子供達に暖かい光を与え続けていたエレミア。この心優しい王女の死を、どれほどの人が悼んだ事だろう。 テリオスも、その一人だったのだ。 しかし慈悲深きエレミア王女を失い、ランティーナ国の貧しい子供達は捨て置かれた。 血も涙もない政策転換により、孤児院など施設への支援はすぐに撤廃されてしまったからだ。子供達を食べさせるため、どの施設も難儀している状態がずっと続いている。 それが、テリオスには我慢ならなかった。 国がその気なら、神秘の力と噂される『王家の宝剣』を盗み出して売り払い、手に入れた多くの金貨をそれぞれの施設へ分け与えよう。テリオスはそう考えていたのだ。 「……くそっ、くだらねぇ」 鋭く舌打ちしたテリオス。 忙しなく働き始めたテリオスの頭に、エレミア王女の国葬でべらべらと演説をしていた、ウォルフという執政官の姿が思い浮かんだ。 大きな国葬が執り行われたにもかかわらず、エレミア王女が生きているという事実。これは執政官ウォルフと、ルヴィナ王妃の謀略に違いない。 国王亡き今、国政の全権を手に入れた執政官ウォルフのどす黒い権力欲。老齢であり、清貧を重んずるメルベッツィア王に嫌気がさしたルヴィナ王妃は、ウォルフと利害が一致し結託したのだ。 二人は王の急逝を好機とばかりに行動を起こし、エレミア王女をこの牢へと監禁し、国の実権を握った。 メルベッツィア王、そしてエレミアの逝去――。 喪に服す期間も過ぎぬというのに、ルヴィナ王妃は慌ただしく自分の娘、ロマリアをカエサル王子に嫁がせるため、隣国ティファナに使者を送っている。 それは隣国王家との関係を強化し、己の地位と権力を盤石なものとする狙いがあるのだろう。 テリオスは胸が悪くなる思いに、秀麗な顔をしかめた。 しかし、エレミアはなぜこの牢に囚われているだろうか、早めに口を封じてしまった方が安全なのだろうに。 (やっぱり、宝剣と関係があるのか?) 答を得られぬ疑問が転がっているが、目の前の事実へ目を向ける事が先だ。エレミアが生きているとなれば、国を揺るがす大騒動になるだろう。 牢の中でも尚、背筋を伸ばしてきちんと座っている気高く美しいエレミアの姿。 テリオスは鋭い銀色の眼差しをふっと和らげ、ひとつため息を付いてその場に座り込み、鉄格子に背を預ける。 「なぁ姫様……国葬に参列した民達は、みんな大泣きだったんだぜ」 驚かせぬようにそっと話し掛けたが、エレミアは細い体をこわばらせた。 「俺はよく知っているよ、心優しい姫様。暗くて寂しい牢屋なんかに閉じ込められてさ、姫様はこんな扱いを受けるような謂われはないはずだ」 「……あの、あなたは」 「俺の事なんか、どうでもいいさ」 テリオスは錆びた鉄格子に、こつんと後頭部をぶつけた。エレミアとの間を隔てる鉄格子を、今すぐにでもバラバラに切断してやりたい。 「ありがちな陰謀だけどさ、悪党をこのまま許しておいていいのかい?」 静かな声で話すテリオスは、横目でエレミアの表情を観察する。 固く閉ざされたままの瞳。エレミアの心は動かないのか、その表情に変化はない。 「これが私の運命……ですから」 「はぁ、運命ねぇ」 テリオスは王女の光を見出せぬ答えに、大きなため息をついた。 「どうして悲観的な運命を、あっさりと受け入れるんだ? このままじゃ、ここで骨になるのは確実だ。それを運命と割り切って、諦められるのか?」 口を閉ざすエレミアは乾いてしまった小さな唇を、きゅっと噛んだ。 「黒幕は、執政官とルヴィナ王妃だろう? 好き勝手にさせていいのかよ。底がない私利私欲、肥やすのは腹黒い私腹だ、民の暮らしはとんでもない事になるんだぜ?」 「父様も母様も、私の手が届かないほど遠くへ逝かれてしまいました、私にはもう何の力もありません。この牢で、神の元へと召される……これも運命なのです」 俯いたエレミアの肩が震え、小さな手で煤けたドレスをぎゅっと握り締める。 ……駄目だ。 これでは、とても連れて逃げられない。 「それに、路地裏で懸命に生きている子供達を忘れたのかよ」 「いいえ! 決して忘れたりしていません! 忘れるはずなどありません」 眉根を寄せ、肩を震わせるエレミアが腰を浮かせた。 テリオスはそんなエレミアの様子を見ながら、王女の心を奮い立たせ、明かりを灯す言葉を探す。 「隣国の王子様にだって、会いたいんだろう。姫様と王子は心が通じた仲なんだ、婚約だって王家同士が勝手に決めた話じゃないよな」 「ああ、カエサル様!」 愛しい人の名を呼んだ切ない声音、エレミアの感情が大きく揺れ動いた。 (そうだよ、今は運命だからなんて、言ってる場合じゃないんだぜ?) 生気を取り戻したエレミアの表情と感情の変化に、テリオスが待ってましたとばかりに、にやりと笑った。 髪の中をまさぐり、細く短い針金を取り出す。 「そうだよ。みんなのために、精一杯生きようとしなきゃな!」 「ですが、運命に抗う事など……」 「運命なんてあやふやなもんさ。どうなるかなんて、誰にもわかりゃしない」 テリオスはきっぱりと言った。 「今の姫様に必要なのは信じる事、信じて諦めたりしない事さ。姫様が王子様に会いたいって心から願うなら、俺が力を貸してやるよ」 指で摘んだ、針金の具合を確かめる。 「ほら! 運命なんて、どう転ぶか分からないもんだろ?」 テリオスは出来るだけ明るい口調で、不安そうなエレミアに希望の光を投げ掛ける。 強い願いと心、気持ちがないと、この牢から連れ出せないからだ。 「あなたが……?」 「ああ、俺は牢の番人なんかじゃない『銀の月のテリオス』だ。ちょっとの間でいい、覚えておいてくれ」 テリオスは針金を錠前の鍵穴に差し込んでくるりと回す、金属をひっかくような音が数回した後、あっさりと鍵が開いた。 「さぁ、姫様。お手をどうぞ」 さっと牢内に入り、戸惑うエレミアの手を取って立ち上がらせる。 「ありがとう……ございます……テリオス殿」 「姫様、カエサル王子の元まで、この私めがお連れいたします」 ふらつくエレミアの体を支えて、力強く言った。 「ちょっと失礼」 「あ、あのっ!」 テリオスは慌てるエレミアを軽々と抱き上げて牢を出ると、石造りの階段をゆっくりと上る。 (……こんなに、痩せちまってさ) 薄汚れてしまっているが、間違いなくエレミアは生きている。その痩せた体を抱くテリオスの心に、怒りがふつふつと沸いてくる。 階段を登り切ったところで、テリオスはエレミアを下ろした。 眠りこけていた番人が、身動ぎしたのだ。 「よう、起きたのか?」 気さくに声を掛けるテリオス。 その声に驚いて目を覚ました番人は、逆さまに被せられた兜で前が見えず、無様に椅子から転げ落ちた。 「おいおい、しっかりしろよ」 番人の目の前で、ひらひらと片手を振るテリオス。 兜を手にしばらくぼんやりとしていた番人は、次第に顔が驚愕に歪みついには飛び上がった。 「あああ、エ、エレミア姫がっ!」 「気付くのが遅ぇんだよ、このボンクラ野郎が!」 「ひいいいいいいっ!」 テリオスがドスの利いた声で脅すと、番人は腰を抜かしたようにぺたんと座り込んだ。 「姫様のお通りだ、邪魔するなっ!」 「あ、ああ、牢抜けだ、姫が、姫が脱走だぁぁぁ!」 追い打ちを掛けるように歯を剥き出して威嚇すると、ずるずると後ずさっていた番人は慌てて立ち上がり、よたよたと情けない声を上げて喚きながら逃げ出した。 「あの、テリオス殿……」 「さ、行こうぜ、姫様。足下は石造りだから、つまづかないように気を付けな」 このまま抱き上げて運んでやりたいが、さすがに両手をふさぐ訳にはいかない。そっとエレミアの小さな手を繋ぎ、背中に庇うテリオスは気楽な調子で言ったが、その銀色の瞳は全く笑っていない。 固く口を引き結ぶテリオス、踏み付ける石造りの道は怒りでひびが入りそうだ。 中庭を横切る頃には小銃で武装しているたくさんの兵達が、わらわらと集まって来た。目は見えなくとも、ただならぬ気配を感じるのだろう、エレミアが不安そうにテリオスの腕にしがみつく。 「お前等、誰に銃口を向けようとしているのか、分かっているのか?」 テリオスが全身から発する怒気は、既に盗賊風情のものなどではなく、まさに剣士や闘士が体に纏う闘気に近い。 その凄まじい気の力に圧倒され、兵達は一定の距離を保ったまま近づこうとはしない。 王城の真正面の門へ向かって歩いていると、テリオスとエレミアを幾筋もの強烈な光が照らし出した。 「やれやれ、こんな夜更けに何の騒ぎかと思いましたが」 耳障りな声と共に、髪を手櫛で撫で付けながら正面のバルコニーへと姿を現した男……執政官のウォルフだ。 怜悧なその表情、切れ長の瞳に感じるのは心の酷薄さか。熟睡していたところへ報告を受けて、慌てて羽織ったのか執務衣の上着が乱れている。 仇敵の姿を捉えたように、バルコニーを見上げたテリオスの銀色の瞳が底光りした。 「おお。そのお姿はエレミア様、どうして迷われたのです!? 貴女は既に天へと召されたお方なのに、民も深く深く悲しんでおりました。ランティーナ国は、このウォルフにお任せ下さいませ。そして貴女様には再び安らかにお眠りあそばされる事を、私は切に願いまする……」 「寝ぼけるな、この下衆野郎。白々しい三文芝居なんぞ、見せるんじゃねぇ」 テリオスが投げ付けた棘だらけの言葉は、ウォルフの厚い面の皮に弾き返された。 「ふん、その黒装束……盗人か? また随分と汚い言葉を使うものだね。さて姫を連れ出して何とする? エレミアは、もう黄泉の国へと旅立ったのだよ」 ウォルフが薄く笑う、まるで道端の野良犬でも見るようなその目つき。 「へっ。盗賊の方が、性根まで腐っている下衆野郎よりはマシだと思うぜ? これから隣国ティファナに行くのさ。姫様の姿を見たら、カエサル王子が泣いて喜ぶはずさ。そうなると、お前はやばいよなぁ?」 無数の銃口を向けられているにもかかわらず、テリオスにまったく恐れる様子はない。 エレミアを背に庇い、城のバルコニーから見下ろしているウォルフを、鋭い銀色の瞳で射貫いた。 「よく聞いてくれ、姫様。俺達は四方八方から銃口を向けられている。わざと目立つように歩いてきたのはな、この城にまだ王家にとっての忠臣が残っていないかと期待したからさ。だがあんたの味方は、みんなこの不忠な輩に駆逐されちまったみたいだな」 淡々と語るテリオス、その静かな口調は激しい怒りを必死で抑えている。 「くだらねぇ策謀なんぞ巡らせやがって。姫様、つらいかもしれないが自分の事だけ考えてろ。こいつらの事は、後でなんとでもなる」 「馬鹿が、黙って聞いていれば笑わせるな! この包囲を突破して、城から逃げられるなどと思わない事だ。さぁ、大人しく投降したまえ。痛みが無いよう綺麗に首を撥ねて、荒野に晒してやろう!」 「やれるものなら、やってみやがれ! 俺が姫様を無事に逃がせば、晒されるのはお前の首だぜ!」 哄笑を上げるウォルフを切り裂くほどに鋭い、銀色の刃のようなテリオスの視線。 「優しい姫様を、子供達を包む温かい光を失う訳にはいかねぇんだよ!」 それは決して、同情や憐れみなどではない。 まだ庇護がなければ生きていけない、貧しい子供達に手を差し伸べるのは、強くなって欲しいから。人の優しさや温かさを感じて欲しいから、未来を信じるという事を忘れないで欲しいから。 自分のような想いをさせたくない、自分のようになって欲しくない――。 これはテリオスの、ただひとつの願い。 単に王家に起こった策謀だったなら、テリオスもこれほどの怒りを覚える事などなかったのかもしれない。権力を手にした目の前の貪欲な為政者は、身を寄せあって暮らす貧しい子供達への優しさなど、微塵も持ち合わせていないのだ。 テリオスは、すっと右手を挙げた。 「そろそろ時間だ、姫様……悪いな」 ぶんっ! テリオスが勢い良く、右手を振り下ろした瞬間。 細い光の筋が煌めき、エレミアの長いドレスの裾が半分以上切り裂かれて下に落ち、綺麗な脚が露わになった。 その場にいる兵達が、一瞬ざわめく。 「あっ」 「畏れ多いぜ、姫様のおみ足だ。見るんじゃねぇよ!」 声を上げるエレミアの前に立ち塞がり、テリオスが四つの小さな白い玉を放り出す。 ころころと地面に転がった白い玉は、それぞれに破裂音を響かせて弾け、もうもうと真っ白な煙が噴き上がった。 テリオスとエレミアの姿を隠す、真っ白な煙。 「な、何だ! 煙幕か! ええい、ふざけおって! 何をしている、早く捕まえぬかっ!」 ウォルフの命令に従おうにも、煙に視界を塞がれ慌てふためいている兵達、聞こえている耳障りな金切り声。 「盗賊に光は邪魔だな」 呟いたテリオスの両手の中に、まるで魔法のように二丁の自動拳銃が現れた。 素早い手の動きで初弾を薬室に装填する。立ち込める白煙の中で躊躇する事もなく、テリオスは幾つもの光源を目掛け、引き金を引き絞った。 夜気を引き裂く銃声が響き、派手な音を立てて全ての光源が砕ける。突然の銃声に光を奪われ、兵達がいっそうの恐慌をきたす。 足下へ幾つもの空薬莢が転がると、辺りが漆黒の闇に包まれた。 ――その時。 『待たせたね、テリオス!』 銃を構えたテリオスの耳に響いたのは、表の大門の扉が開いた音と近づいて来る車のエンジン音。 そして、姉の声。 目映い光が闇を裂き、白煙を突っ切って現れた一台の車が、タイヤに悲鳴を上げさせながら停車する。 「早く乗りなっ!」 運転席でハンドルを握る、アリオスが大声で叫んだ。 「タイミングばっちりだ、姉さん!」 テリオスは、ひょいとエレミアを抱き上げて車に乗り込む。 「悪かったな、長い裾は邪魔なんでね。でも、綺麗な脚だぜ」 「は、はいぃ……」 顔を真っ赤にしたエレミアが、恥ずかしそうに身を竦める。 「馬鹿言ってるんじゃないよ、エレミア様は無事なんだね? 」 長い髪を揺らして振り返った『金の太陽』、輝くアリオスの金色の瞳。 「何確認してるんだよ、当たり前だろうが!」 「ふふ、怒らないの。じゃあ、ずらかるよっ! 隣国ティファナに向かうんだ!」 勢い良く叫んだアリオスの右手が、目にも止まらぬ早さでシフトレバーを操作する。乱暴にクラッチを繋がれて、石畳の上で激しく空転し白煙を上げるタイヤ。喝を入れられた車は城を飛び出し、弾丸のように高台から石畳の道を駆け下り始めた。 「姉さん、サーシェスは!?」 「手筈通りさ、ちゃんと待機させてる!」 二人の頼もしい相棒たるウインドシップの名は「クイーン・サーシェス」、急いで彼女の元へと向かうのだ。 「追っ手か、そりゃ来るよな」 エレミアを逃がせば、すべての謀略が明るみに出る事になる。 そう、奴らに待っているのは断頭台なのだ。 拳銃の弾倉を開け、残弾を確認したテリオスは鋭く後方を睨み付ける。追っ手とおぼしき数台の車が、銀色の瞳に映った。 「弾も残り少ない、厳しいか……」 テリオスの呟きは過ぎゆく強い風にさらわれ、エレミアの耳には届かなかった。 |
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