ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 22.蒼い瞳の剣姫 |
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「サラ、帰ったぞぉ……」 社屋の扉を開けたアルフレッド。 その足取りはまるで千鳥足、端から見れば酔っぱらいの中年男だ。ここのところ工場に通い詰めになっているアルフレッドは、疲れ切った顔で力なく笑った。 「社長っ!」 驚いたサラが椅子から腰を浮かせたが、アルフレッドは大丈夫だと手を上げて、ひらひらと振ってみせた。 「いや、参った参った……」 扉にすがり天井を仰ぎ見たアルフレッドは、口の端を上げて笑った。 「お待ち下さい。今、コーヒーを淹れますわ」 「いや、要らねぇよ。……助かるだろ、経費」 「そんなこと……」 「ああ。すまない、言葉が悪かった。どうにも胃が受け付けねぇんだ」 そう言ってサラに詫び、軽く頭を振ったアルフレッドは、大きな拳でとんとんと肩を叩くと大きなため息をついた。あまり寝ていないから、頭がぼんやりとしている。 カージー工場長をはじめとする老練の技術者達は皆、疲れという事をまったく知らぬようだ。 技術者達は、どうしてあんなにも根を詰めて作業が出来るのだろうか。夜を徹してまるで何かに憑かれたように、目を輝かせ大声を張り上げて動き回る。生き生きとした彼らの姿だが、とても付き合っていられなかった。 大きなあくびが止められない。アルフレッドはふらふらと、心配そうな顔をしているサラの横を通り過ぎる。 「心配するな……少し寝る……後を頼む」 振り向きもせず切れ切れにそう言うと、夢遊病者のような足どりで社長室に入った。体を投げ出すように、どさりと黒い革張りの大きなソファに身を沈める。 「もう後戻りは出来ねぇ……まったく、とんでもないことになったな」 こめかみの辺りが、鈍く痛む。 「SILPHEED」そう名付けられた、一基の動力炉。その形は、たかがウインドシップの動力機関だが。 ……あいつは違う。 夢うつつに考えを巡らせていたが、とうとう意識を揺する睡魔に抗えなくなった。 考える事を放棄したアルフレッドは、大柄な身体をソファに横たえる。 「ああ、皇女様。そんなに大きな声で怒鳴らないでくれよ。頭がずきずきと痛ぇんだ」 幻聴なのか耳に響いて来るのは、聞き覚えがある凛とした声。 目を閉じると混濁した意識の中、ある景色が色鮮やかに浮かび上がる。 天空にぎらつく陽の光、真っ青な空に浮かんだ白い雲、長い滑走路に吹く強い風、熱く焼けたその匂い……。 すうっと眠りに誘われた、アルフレッドの呼吸が深くなる。 「エクスレーゼ……」 乾いた唇でそうつぶやいたアルフレッドは眠りに落ちていった。 ☆★☆ ――グランウェーバー国。 王都の軍中枢部、王立軍本部基地を訪れた、若き実業家のアルフレッド。 王立軍で運用されている、軍用のウインドシップ。その機体の消耗交換部品の問い合わせを受け、こうして出向いて来たのだ。 「部品の納入日時は、こちらのリストに明記されています」 丁寧な口調で、社名が入った大きな封筒から持参した納品リストの分厚いファイルを取り出す。 「ブロウニング・カンパニー」は、まだ設立間もない会社だ。 会社を起ち上げたといっても、世話になっていた技術屋から工場と事務所、社員をまとめてそっくり引き継いだのだ。 腕利きで、軍用ウインドシップの整備などを任されていた、その技術屋の信用のおかげがあり。出来立てのほやほや、開業間もない会社「ブロウニング・カンパニー」でも軍関連の仕事にありつく事が出来 た。 アルフレッドは、自分の強運に身震いしたものだ。 その日は格納庫付近で整備責任者と二人、納入部品とそのリストを突き合わせて確認する検収作業をしていた。リストに挙げられた部品の数々、タイプと個数を丁寧に照らし合わせていく。 国から購買の依頼を受けて納める品である。万が一にも間違いがあってはならない。熱心に作業をしていると、アルフレッドの耳に大きな声が聞こえてきた。 「何だ?」 怪訝な表情で、声の方へ目を向ける。 「白い花?」 ふわり……。熱く焼けた滑走路に、光を弾く白いドレスの裾が翻った。 場違いな光景だがひと目見た瞬間、気高く美しいその姿は真っ白な一輪の花に見えた。 いや、アルフレッドはその姿を例える花の名前など、全く思いつかなかったが。 (綺麗だな) ふと、興味が涌いた。 アルフレッドは、目を凝らしてよく観察する。まだ少女に見えるが、美しいという言葉以外は当てはまらない顔立ち、長身でしなやかなその肢体。 陽の光に輝く長い金髪が、滑走路に吹く熱い風になびく。豪奢な白いドレスを身に纏い、ずんずんと力強く滑走路を歩いている。 (まるで、花嫁みたいだ) 結婚式から、逃げ出して来た花嫁……。 そんな舞台劇を思い出した。 だがアルフレッドは、すぐに違和感に気付く。美しい花嫁が手にしているのは、鞘に収められた一振りの長剣だったのだ。 そして、彼女が引きずっている男の姿にぎょっとした。 「さ、宰相殿……?」 彼女の腕を両手で掴み引きずられながら、何やら大声で叫んでいるのは新郎ではない。グランウェーバー国、宰相という要職に就いているルーセント卿だ。 老齢の宰相が何やら喚きながら、必死の形相で白髪を振り乱しているその姿に、ただならぬものを感じる。 アルフレッドがふと隣の整備責任者を見やると、彼はだらだらと冷や汗を流し、コチコチに固まっていた。 「どうしたんです?」 怪訝な顔で問うと整備責任者は震える声で、白いドレスを身に纏う彼女の名を呼んだ。 「エ、エクスレーゼ様……」 (エクスレーゼだって? あれが? 皇女様!?) アルフレッドは驚いて、初めて間近でみる姫君、その姿を凝視した。 エクスレーゼ……グランウェーバー国の姫君である。 随分と大人びて見えるが、今年十六歳になったばかりのはずだ。 「ええい、その手を放せっ!」 突然、振り向いたエクスレーゼが放った鋭い声に、アルフレッドはびくりと首を竦めた。 苛立ちを隠そうともしない様子のエクスレーゼは、手にした長剣を滑走路へ放り出すといきなり宰相の腕を掴み返した。そしてルーセントが着ている上着の襟首を掴むと、ぐいっと体を引いてバランスを崩す。 その瞬間、体の向きを変えたエクスレーゼが低く腰を落とした。 「ふわわわっ!」 慌てるルーセントの体を腰に乗せ、鋭く跳ね上げるように背負い投げる。 ……どすん。 滑走路に背中から落ちたルーセントが、口を半開きにしてぴくぴくと痙攣している。 「年端もいかぬ小娘に、いとも簡単に投げられるとは情けない。身体が鈍りきっている証拠ではないか、まだ老け込む歳でもあるまいっ!」 大の字になって、ひくついている宰相。腰に手を当てて、ルーセントを見下ろしたエクスレーゼは、ふん! とそっぽを向いた後、滑走路に投げ出していた長剣を拾い上げた。 (お、おっかねぇ姫様だな) 見てはいけないものを、見てしまったようだ。 アルフレッドは居心地の悪さと、嫌な予感を感じて早々に立ち去ろうとしたのだが……。 運悪く。いや、それとも運命だったのか。 アルフレッドは突然、皇女の鋭い眼光に射抜かれた。それはまるで、鷹に襲われる小動物が感じる恐怖。 石化の魔法をかけられたように、動けなくなったアルフレッドを真っ直ぐに見据えて、急に進路変更したエクスレーゼが近づいて来る。 ずんずんと。 真っ直ぐな姿勢。十六歳の少女とは、とても思えない、自信に満ちたその表情。 引き結ばれた、薄桃色の唇。 ……そして、強い光を放つ蒼い瞳。 「お前は、風に乗れるか?」 アルフレッドの眼前に立った、エクスレーゼの大きな存在感に驚く。そしてその唇が発した言葉は、どこか面映ゆい響きを持っていた。 ウインドシップに乗れるのかと、皇女は問うたのだ。 その一言が気に入った。心に「ことり」と、はまったのかもしれない。 アルフレッドは、大きく歳がはなれているであろうエクスレーゼへと、恭しく頭を垂れた。 「はい、すぐにでも飛べます。私めが所有しておりますウインドシップは……」 「それでよい! 私はグランウェーバー国、第一皇女エクスレーゼだ。すまぬが、私をアンディオーレ領まで、連れて行ってくれ」 (俺の愛機を、ソレ扱いかよ) 話の腰をぼっきりと折られ、正直良い気持ちはしないが、アルフレッドはアンディオーレ領と聞いて驚いた。 アンディオーレ領は、グランウェーバー国の辺境の地だ。 車で行けば幾日も掛かってしまう、確かにウインドシップがなければ、簡単に行けるような場所ではない。どうして皇女様が、そんな辺境の地へと行きたがるのか。 「ええと、なんでまたアンディオーレ領なんかに?」 「私は、どうしても行かねばならない」 イライラした様子のエクスレーゼは、兵士に介抱されている宰相をちらちらと見遣っている。 投げ飛ばしたルーセントの体を心配しているのか、それとも、口うるさい小言を連ねられるのが面倒なのか。 どっちだろうな? アルフレッドはそう思ったが、ま、宰相殿の体の心配だろうなと、結論付けていると。 「早く返事をしてくれ、ルーセントが目を覚ませばうるさい。心配は要らん、私は間違っても怪我をするような投げ方などしない!」 (おいおい) アルフレッドは、思わず苦笑をしてしまった。 「何をにやついている、行くのか行かないのかっ!」 アルフレッドの苦笑を見咎めたエクスレーゼが、不機嫌そうに眉を吊り上げた。 確かに、アンディオーレ領まで飛ぶ事は容易い。しかし宰相殿の様子を見ると、皇女の望みを叶えればこちらの首が飛びそうだ。 それに、仕事の件もある。 軌道に乗りかけた会社を、つまらない事でふいにはしたくないものだ。 アルフレッドが頭の中で計算していると、じーっとその表情を見つめていたエクスレーゼは、整備責任者とアルフレッドを交互に見比べると皮肉げな笑みを見せた。 「なるほど、何やら計算をしているようだな。よい、お前の仕事とその身は私が、このエクスレーゼが必ず保証する。時間がないのだ。すまないが、よろしく頼む」 (へぇ……偉ぶっている訳じゃないし、洞察力もある。ただ者じゃないな、このお姫様は) 気に入った、高貴なお姫様を乗せて飛ぶのも悪くない。 「この私めに、お任せください」 アルフレッドは胸に手を当てて一礼し、不敵な笑みを浮かべた。 軍基地の駐機スペースで、陽光を弾く銀色の翼を持つ機体……その名は「ウインディ」 アルフレッドが会社を起ち上げた際に売り出した、市場では初となる種類になる、ウインドシップとしては最軽量の小型機。 以前から開発を進められていた機体に、改良を加えたのだが……。 小さな機体に秘められた高出力、鋭敏過ぎる機体の反応など、習熟度が高い操舵手でなければ扱いきれないという、気難しい機体に仕上がってしまった。 市場に出回っている機体は、不本意ながらも性能を低く抑えてある。いくら高性能でも、搭乗者が自在に扱えなければ意味がないからだ。 「これが、ウインドシップか」 ウインディを見つめ、感嘆の声を上げたエクスレーゼ。 銀色の機体にそっと手を振れ、ほうっと息をつく。 「乗ったことがないんですか?」 「無い。もとより、私は自由な翼など求められぬ身だ」 桜色の唇から漏れ出たのは、おそらく自身を揶揄する言葉だろう、少し乾いた声だった。 しかし、自らを哀れんでいるような表情ではない、エクスレーゼは手にした長剣を揺すった。 「さあ、参るぞ。そう言えば、名は何というのだ?」 「ウインディって名前です、当社自慢の……」 「私が問うたのは、お前の名前だ」 ああ、そうですか。 「これは失礼しました、私の名はアルフレッドです」 へらりと笑ったアルフレッドは、エクスレーゼの蒼い瞳をちらりと見て控えめに名乗った。 気を取り直し、ウィンディの操舵室を覆う風防を、後方へとスライドさせて開く。 「では皇女様、お手をどうぞ」 先にウインディに乗ったアルフレッドが、エクスレーゼに手を差し伸べる。 「助けなど要らぬ、私を甘く見るな」 そう言った皇女の、自信に満ちた蒼い瞳。 アルフレッドの手を借りず、機体に手を掛けるとしなやかな身のこなしでひらりと宙を舞い、すとんと後部席に収まった。 先ほどから驚かされっぱなし、やれやれ……これはとんだじゃじゃ馬姫だ。 差し出したままの手を、にぎにぎとさせたアルフレッドは、ふぅと息を吐く。 「じゃあ行きますか、皇女様」 起動キーを差し込み、機体の制御機構のロックを外す。人差し指で起動ボタンを押すと、ウインディが目を覚ました。 各種計器を確認しながら、ゆっくりと滑走路に進入する。次第に唸りを上げていく、ウインディの動力炉が臨界に達した。 「それじゃ、離陸しますよー」 最小限の滑走で離陸出来るウインディは轟音を発し、銀色の閃光となって青空へと駆け上がった。 ☆★☆ 銀色の翼で雲を裂くウインディ、後部座席に座るエクスレーゼは一言も口をきかない。 それにしても、なぜ長剣などと物騒なものを手に下げているのか。急かされて、ほいほいとウインディに乗せてしまったが、アルフレッドはその理由を知りたくなった。 「姫様、気分でも悪いのですか?」 「余計な気遣いは無用だ」 なにしろ巡航中は、真っ直ぐ飛ぶだけで暇なのだ。 アルフレッドが、会話の足掛かりを作ろうとして話し掛けると、エクスレーゼはただ一言だけ深いため息とともに答えた。 (まぁ仕方ない、行けば分かるんだしな。しかしアンディオーレ領か……。あの地は今、厄介事が持ち上がっているぞ?) 領主の名は「クラム卿」だ。アンディオーレ領は辺境の領地で、出身のカーネリアよりもさらに田舎町。 アルフレッドには思い当たる事が、気になる噂話があるのだ。 「どちらへおいでなのです?」 間が抜けた事に、大まかにアンディオーレ領としか聞いていなかった。 アルフレッドが行き先を訪ねると、 「お前に任せる。アンディオーレ領に着けばいい」 エクスレーゼの声は固い、それは何かの感情をぐっと抑えているようだった。 「分かりました、ええっと」 アルフレッドは地図を確認しながら、ウインディの機首を目的地へと向ける。 王都を後にし、幾つかの領地と山を越えた。 そうしてしばらく飛ぶと、賑やかな街の姿は見えなくなり、視界一杯に黄金色の麦畑が広がってくる。アンディオーレの街はまだ発展の途中だ、ウインドシップの駐機スペースなど整備されていない。 「ああ、分かっちゃいたが、ほんとに田舎だな。着陸出来る場所がない」 「降りられないのか? それは困るぞ」 「降りられますけどね、次に飛び立てない」 上空から見下ろしても、どうにも整備された場所が少ない。 「おっ! 都合が良いな、湖がある」 陽光の輝きを弾く水面のきらめきと、みずみずしい緑が目に入った。 アルフレッドは巧みにウインディを操り、少しずつ高度を落としてゆく。ウインディは水鳥のように湖へと着水し、湖面を滑るようにはすいっと水面を進む。 湖岸に差し掛かると、アルフレッドはウインディを停止させ、両腕に力を込めてよっこらせと風防を開いた。 「お待たせしました、到着ですよ」 「ご苦労。お前はここで待っていてくれ」 すくっと立ち上がったエクスレーゼは、長剣の具合を確かめると、ウインディの翼を伝って岸へと飛び降りた。 振り返る事もなく、ずんずんと湖畔を歩き始めたエクスレーゼの背中を、ぽかんと見つめていたアルフレッドは我に返って慌てた。 (ほっとけない……よな) 真っ直ぐに突き進むエクスレーゼの後ろ姿に、どうにも危なっかしさを感じる。 (ええい、ほっとけないっ) アルフレッドはもう一度心の中でつぶやき、外套をひっつかむと急いでエクスレーゼの後を追った。 |
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