ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 25.皇女が貫く正義(2) |
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椅子から立ち上がったエクスレーゼは、驚愕の表情で壁際に佇む青年執事を指差した。 「エ、エクスレーゼ様!?」 困惑の表情を浮かべた青年執事が、驚いたように身を竦めた。 エクスレーゼの強い光を放つ眼光は、藍色の瞳の奥を貫き通すかのようだ。 「いいか、よく聞け。私は十歳の誕生日以来、セシルに会ってはいない! アンディオーレ領は遠いからと、セシルは私にずっと手紙をくれていた。しかし幾通も届いていた手紙が、急に途絶えたのだ。セシルがその事を、忘れるはずがなかろう」 ワイズに向けて次第に強くなっていた、エクスレーゼの語気が少し弱まる。 「人の心は移ろいゆくものだ、それは仕方がないと思ってもいた」 一度、視線を床に落としたエクスレーゼの表情は、何処か安堵したようでもあった。 「私はアンディオーレ領の不穏な噂話を聞いて、自分の目と耳で確かめなければならないと思った。セシルが窮地にあるのなら、何を置いても助けねばと思ってここへ来た。しかし……」 エクスレーゼの、蒼い瞳が底光する。 「私自身が、その神隠しに会うとは思わなかったがな」 「はぁ……」 藍色の瞳を大きく目を見開き、肩を竦めた青年執事は大きなため息を付いてみせた。 「さすがはグランウェーバー国の皇女様、噂に違わず聡いお方だ。これは僕の失敗のようだ、貴女の記憶を完璧にトレースしたつもりだったけど。なるほど手間をケチりすぎたのかな、屋敷の雰囲気にも現実味が無かったね……ま、しょうがない。僕等も人手不足なんだ」 「貴様、何者だ?」 「薄々、感付いているのではないのですか? 皇女様」 ワイズはゆっくりと、まるで人形のようなセシルへと歩み寄る。緊張した表情のエクスレーゼをちらりと見ると、白い手袋を外してセシルの肩をぽんぽんと叩いた。 その瞬間、びくりと体を震わせたセシルが、体の力を失いテーブルに突っ伏した。 「セシルっ!」 「ああ、心配ないよ。もうお役後免なのでね、操っている必要もない。単に魔力の節約さ」 気色ばむエクスレーゼに、軽い口調で答えるワイズが口元に笑みを浮かべた。 どうやら青年執事の仮面は、白い手袋と共に脱ぎ捨てたようだ。 「貴様は……。やはり、魔術師か」 「ご明察。王族なんて、権力欲だけ肥大した阿呆ばかりなんだけどね」 楽しげに笑うワイズが細めた藍色の瞳は、エクスレーゼを嘲笑しているようだ。 「フェンリルの牙を、ご存じでしょう?」 「知らぬ訳がない。世界に破壊と恐怖を蒔き散らす、忌まわしい魔術師の集団だ」 エクスレーゼが、喉の奥で唸った。 『フェンリルの牙』その名を聞けば、赤子でも泣き出す。魔術師のみで構成された、恐ろしい組織の名だ。 「ああ、まったく嫌われたものだ。魔術師が世界の発展に貢献した史実だってあるのに」 ワイズは額に手を当てて、口惜しそうに首を振る。そんな事実も歴史書に記されているのは確かだが、人々の記憶に残るのは、幾多の大戦の陰で暗躍する彼らの姿だ。 エクスレーゼに目を向けたワイズは、すっと右腕を水平に上げた。 すると、豪奢な絨毯に幾筋もの光が走り、たちまち円を形作った。おぼろな光を吹き上げるその円の中心、床からゆっくりと湧き上がるように現れたのは。 紅色の甲冑を纏った騎士達の姿、数にして……十、いや十二体。 紅の鎧から吹き出すのは、異界の禍々しい気、ゆらゆらと不気味に揺れるその姿。顔面……兜の目に当たる部分に灯る紅い光が、エクスレーゼをまるで獲物のように睨め付けている。 「僕達は理由のない破壊など望みはしない。だけど、欲すれば躊躇なく手を伸ばす。それが未来への扉を開く近道なんだ」 「貪欲な貴様等の欲望を、尤もらしい言葉で飾るな」 姿を現した紅色の騎士達を前にしても、エクスレーゼは顔色ひとつ変えはしない。 民を想う皇女エクスレーゼと、己の探求心に忠実な魔術師。双方の意は、何処までも平行線を辿るのだろう。 「この街では、年端もいかぬ少女が姿を消すと聞く。もはや、貴様等の所業である事は明白だ、観念しろ!」 「あははは、威勢の良い皇女様だね。まぁ、落ち着いて聞いてくれないかな」 ひとしきり笑ったワイズは、前髪をくるりと指に巻いた。 「目的を達すれば、僕はすぐにここを立ち去るつもりだったんだ。いいかい? この半年……王都に噂が流れても、僕に手出しをしないところを見ると。容認、黙認がグランウェーバー国の方針って事さ」 魔術師が最大評価するのは、常に己の存在。 国の為政者など取るに足りないと、皇女を見下すワイズの口調。 「この街の娘達は皆外れだね、覚醒の兆候が認められない。しばらく観察していたんだけど無駄骨だった、まったくの期待外れさ。利用価値のない物に興味はない、娘達には掠り傷ひとつ負わせてはいないよ。だから、ここは貴女も退いてくれないかな?」 ワイズは紅色の騎士達の間を、縫うようにゆっくりと歩く。 「グランウェーバー国も、魔術師との全面戦争は避けたいだろう。果てしない消耗戦は必至だからね。双方、そんな愚は犯したくない筈だ。僕等も宿敵、トゥエイユハーゲンの騎士達との戦いで疲弊している、争いはごめんだ」 魔術師達の組織フェリンルの牙と、バルバロック伯爵が擁する、魔を狩る騎士団トゥエイユハーゲン。 双方の存亡を掛けたそれはまさに、血で血を洗う壮絶な戦いだ。 「貴女に危害は加えない。皇女様、ここは知らぬ顔で退いてくれないものかな?」 「どうやら魔術師の舌は複数あるようだな、まったく鬱陶しい事だ。貴様こそ、まず異形を鎧の中に封じた、その亡霊騎士を退かせろ。そのような木偶共など、私には脅しにもならぬ」 取引をほのめかすワイズ。 しかし魔術師を睨み付ける、エクスレーゼには寸分の油断も無い。 「貴女が手にしている力に比べたら、微々たるものだけどな。僕としては、一番平和的な方法を提示したつもりだ」 ワイズの笑みと静かな口調で紡がれる言葉が、エクスレーゼの心の隙を突こうとする。 「聡明なる皇女様。心より、お願いいたします」 胸に手を当てて、わざとらしく腰を折るワイズ。魔術師と相対する、エクスレーゼの金髪に怒りで紫電がまとわりついたようだ。 「笑わせるな、元より魔術師と交渉する気など無い。邪悪な思想に囚われた忌まわしき者よ、この私が成敗してくれる!」 貫き通すは、己が信ずる正義。 グランウェーバー国皇女、剣の姫エクスレーゼは、高らかに宣言した。 ☆★☆ 暗闇と蜘蛛の巣、走り回るネズミの一団に遭遇しながら、天井裏を進むアルフレッド。 「へへ、大当たりだ」 天井の板を僅かにずらして、部屋の様子を伺う。 普通の人間が魔術師と戦うのに、正攻法では勝ち目が無い。彼らの能力を上回る力でねじ伏せるか、奇をてらった戦法で攻めるしかない。だからアルフレッドは奇襲を狙って、天井を這いずり回っている。 天井裏の暗闇に辟易していたが、屋敷内に響いてきたエクスレーゼの怒声を頼りに、この部屋を見つけたのだ。 (ん〜テーブルの端で、ぐったりしている童顔が領主らしいな。で、手前が皇女様……と。おいおいおい、面倒な奴らを喚び出していやがるじゃねぇか) 紅色の騎士を見たアルフレッドが、思い切り顔をしかめる。 その時、エクスレーゼが勇ましい叫び声を上げた。 だんっ! とても、皇女様とは思えない。 テーブルの端へと左足を掛けた、エクスレーゼの真っ白なドレスの裾がふわりと翻る。舞い上がったドレスの裾が落ち着くと、エクスレーゼの右手には一振りの短剣が握られていた。 光を弾く短剣を手の平で回して、逆手に持ち替える。一部の隙もない構えを見せるエクスレーゼが、紅色の甲冑を纏う騎士達を睨み付けた。 「短剣まで隠してたのかよ! とんでもねぇ皇女様だなっ!」 もう、一刻の猶予もならない。 アルフレッドは己の足下、天井に張られた板を力任せに踏み抜いた。 天井裏から飛び降りて、懐の拳銃を抜く。 「下がってろっ!」 板切れと粉塵を大量に撒き散らし、長いテーブルの真ん中に着地したアルフレッドが叫ぶ。 「ア、アルフレッド! 貴様、今まで何処にっ!」 「お前の頭の上に居たんだよっ!」 短剣を構えたままで、驚きの声を上げるエクスレーゼ。 テーブルの上に片膝を付いたアルフレッドは拳銃を構え、全弾を紅色の騎士へ向けて発射した。鋼鉄の鎧から跳弾の火花が散り、ワイズを守るように前に出た紅色の騎士が弾丸を受けて怯む。 アルフレッドはそのまま長いテーブルの上を駆け出し、走りながら弾倉を開けてイジェクションロッドを押し込んだ。 足下に転がる排出された空の薬莢、クイックローダーに装着された弾丸を素早く装填すると、再び躊躇なく発砲する。至近距離から立て続けに大口径の弾丸を受け、後方に吹っ飛ぶ鎧を纏う異形の騎士達。 アルフレッドは弾切れの拳銃を投げ捨てて、手近に立っている騎士を思い切り蹴り飛ばすと、ぐったりとして気を失っているセシルを素早く抱え上げた。 「逃げるぞ、エクスレーゼっ!」 「馬鹿を言うな、この私が敵に背を向けて逃げられるかっ!」 「少しは周囲の状況を見極めろ! 空気を読めよ、このじゃじゃ馬皇女っ!」 「ええい、放せ、降ろさぬかっ!」 喚き散らして暴れるエクスレーゼを、無理矢理に捕まえて小脇に抱える。アルフレッドは二人を抱えたまま椅子を蹴り倒し、扉を開けると廊下へ飛び出した。 緩慢な動作で立ち上がり、ぎらつく長剣を構え、ぎちぎちと鎧を鳴らしながら迫り来る紅色の騎士。 「覚えておくよ。魔術師と王族に関わると、ロクな事がねぇ」 必死の形相で全力疾走するアルフレッドのぼやきは、屋敷の中に満たされた禍々しい気に飲み込まれた。 |
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