ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


26.翼が産まれた日

 目次
 二人も抱えていては、全力疾走も長くは続けられない。
 だからといって気絶している領主を放り出せぬ。エクスレーゼを放せば、この突貫皇女は無謀な反撃に転じかねない。
 ただ無言で追いすがってくる紅色の騎士達。
 このままでは屋敷を脱出する前に追いつかれる、限界を感じたアルフレッドは手近な部屋へと飛び込んだ。
 急いで扉を閉ざし、領主の青年とエクスレーゼを放り出すと力任せにテーブルを蹴り倒してバリケードにした。
 少しだけでも、時間が稼げるだろう。アルフレッドはずるずると、その場にへたり込み、ぜえぜえと全身を使って呼吸を繰り返す。
「部屋に立て籠もっても、事態は変わらぬ。そこをどけ、アルフレッド!」
「馬鹿言うんじゃねぇよ、死にたいのか?」
 正義感の塊のような皇女様は、人の苦労を何とも思っていないのか。
 ようように答えるアルフレッドを睨み付け、エクスレーゼが声を荒げた。
「異形の騎士に臆したのか、戦ってみなければ分からぬだろう!?」
「へっ、俺はあんな奴ら見慣れてるよ……いいか? 無謀と勇気は別物だぜ、皇女様」
 はっとしたように、口を噤んだエクスレーゼ。
 少し顔をしかめたアルフレッドは右手でネクタイを解き、首から提げている草の葉を模したペンダントを取り出した。
 濃い緑色をしたその飾りは、摘まれたばかりのみずみずしい葉を模っている。
「何をしようというのだ?」
「確かに、このままじゃ埒があかねぇ。ちょっとした交渉さ、まぁ見てろよ」
 油断無く短剣を構え、扉の外を窺うエクスレーゼ。 
 アルフレッドはペンダントを人差し指と中指で挟み、息を整えるとそっと額にあてた。眉根を寄せるエクスレーゼだが、アルフレッドの頭には不機嫌そうな声がしっかりと響いていた。
『……呼んだか? アルフレッド』
『ああ、呼んだ』
『何か用か? まさか、またくだらぬ用件ではあるまいな』
『ちょっとトラブルに巻き込まれていてな、実はかなり危ない状況なんだよ』
『ほう、お前も大変そうだな。それで、我に用とは何だ?』
『おいおい、相変わらず冷たいよなぁ、お前。手を貸して……いや、助けてくれるとありがたいんだが……あはは』
『へらへらと笑うな、この馬鹿者が、いい加減にしろ! なぜ我が、何度も何度も貴様等人間のくだらん争いに加わらねばならぬのだ! 自分で後始末も出来ぬ厄介事に、首を突っ込んだお前が悪い!』
『まぁ、そりゃお前の言うとおりだけどな。やむにやまれぬ理由ってのもあるんだよ。それにな』
『なんだ?』
『赤ん坊の話、聞きたくないか?』
『う』
『可愛いぞぉ!』
『……』
『くりくりした瞳でな!』
『……』
『名前はな……』
『……は、早く教えろ』
『助けてくれ、トゥーリア』
『貴様……』
 しばらく沈黙が続いていたが、どうやら切り札を持っているアルフレッドが勝ったらしい。
『いまいましい奴だ! すぐに行く、待っていろ!』
「へへ、交渉成立だ」
 ペンダントを懐にしまったアルフレッドが、満足げにニヤリと笑った。
「ぶつぶつと気持ち悪い独り言だったが、いったい何をしていたのだ?」
「やれやれ。思った事をそのまま口に出す皇女様だな。そのうち、失言皇女って呼ばれるぞ」
 アルフレッドが、かくんと両肩を落としたその時、頭の上にぽとりと何かが落ちてきた。
「何だ?」
 頭へと手をやり、乗っているものをひょいと掴むと、
「ええい、放せ! この無礼者がっ!」
 聞き慣れた怒声が耳を打った。
「おおっ!」
「こ、これはっ!」
 アルフレッドとエクスレーゼが揃って驚く。アルフレッドが摘みあげたのは、小さなトゥーリアが着ている短衣の襟首だった。
 小鳥ほどの大きさ、大きな頭で何やらユルい等身の姿。
 アルフレッドの大きな手にぶら下げられ、短い手足でじたばたともがいている様が、何とも可愛らしい。
「ええい、放さぬかっ!」
 腰に吊った剣帯から、縫い針のような細剣を抜いたトゥーリアが、ちくりとアルフレッドの手を刺した。
「痛てっ!」
 思わず手を緩めると、低等身のトゥーリアはアルフレッドの顔を蹴って、大きくジャンプした。
 空中で体を丸め、クルリと回転した瞬間。
 ぽんっ! と、弾ける音と共に、等身大のトゥーリアが床へと降り立った。
「め、面妖なっ!」
 蒼い瞳を瞬かせていたエクスレーゼが、はっと我に返った。
「あ、貴女様はもしや……」
「ん?」
「ひ、姫巫女様ではっ!」
「いかにも」
 姫巫女トゥーリアが偉そうに、むん! と薄い胸を張って答えた。
「ああ、なんと、なんとっ!」
 幼い姿で、尊大な態度のトゥーリア。
 だがエクスレーゼはすぐに膝を折り、短剣を背に隠すと頭を垂れた。
「私はグランウェーバー国、ハインリッヒ王が娘、エクスレーゼにございます。叶うならば姫巫女様に、ぜひ一度お目に掛かりたいと思っておりました、このような場所で、口惜しいのですが……いえ、まことに光栄でございます」
 気持ちが高ぶっているのか、顔を幾分紅潮させたエクスレーゼが、淀みない口調でトゥーリアに口上を述べる。
「ほう、そなたが皇女エクスレーゼか。ハインリッヒ王は真、良い子を授かったようだな。皇女と呼ぶにふさわしい立ち居振る舞いだ、礼儀を知らぬどこぞの馬鹿猿など、我の目には霞んで見えぬ」
 アルフレッドを、ちらりと横目で見たトゥーリアが、意味ありげな笑みを浮かべた。
「ああ……分かった分かった。二人とも、挨拶は後にしろよ」
 嫌みたっぷりなトゥーリアの視線をかわし、アルフレッドは肩を竦めた。
 アルフレッドをやり込めてやや気分が晴れたのか、トゥーリアは紅い瞳で部屋の扉を睨んだ。
「む、気に入らん。扉の外へ嫌な気が満ちている……これは魔術師の気配か。まったく、自分の力量を見極めてから厄介事に首を突っ込め。我が手を貸すのは、これで最後だ」
 なんだかんだで結局、姫巫女は力を貸してくれる。
 これが何回目の最後だろうなと、アルフレッドは思ったが、知らん顔で黙っておいた。
 とにかく、今は危機の最中だ。
 扉の外では突入の頃合いを計るワイズが、紅色の騎士を配しているのだろう。
 トゥーリアには扉越しにでも、その様子が分かるらしい。
「さて、エクスレーゼよ。この窮地を脱する為に、一振りの剣を授ける。受け取るがいい」
 トゥーリアが右手を振ると、虹色の煌めきと共に若草色の鞘に収められた一振りの長剣が現れた。
「は、はい!」
 緊張した面持ちとぎこちない仕草、両手で捧げ持つように、その長剣を受け取るエクスレーゼ。
「おい、いいのかよ? 方々でほいほい大層な刃物を渡したりしてよ」
「うるさい! 考え無しに授けたりはせぬ、我はこの皇女が気に入ったのだ。そう言うお前も、我と同じであろう?」
「やれやれ、珍しく意見が合ったなぁ」
「ふん」
 肩を竦めたアルフレッド、鼻で笑ったトゥーリアは、すっと右手を掲げる。
 その手に再び満たされていく、虹色の光。
「さて戦いに於いて、我は先手を打つのが好みでな……二人共、用意は良いな?」
 身構えるアルフレッドとエクスレーゼを交互に見やり、幼い顔に物騒な笑みを浮かべた姫巫女が、腕に蓄えた目映い光を扉へと無造作に叩き付けた。
 轟音と共に、大きな部屋の扉がテーブルごと吹き飛ぶ。
 その衝撃波は廊下へと突き抜け、屋敷全体が激震に揺れる。虹色の衝撃波、その直撃を受けた数体の騎士が、バラバラになって灰燼へと帰した。
 体の前に防御壁を張り、トゥーリアの先制攻撃を逃れたワイズが、ぱっと身を翻して駆け出す。
「逃げ足の速い奴だ。魔術師をこのまま放って置くわけにはいかぬ。お前達には荷が重い、奴は我に任せるがいい」
 トゥーリアは苛立たしげに言うと、ワイズを追うために部屋の窓枠に手を掛ける。
「気を付けろ、トゥーリアっ!」
「馬鹿者が、私の心配など無用だ! お前は自分の事を心配していろっ!」
 肩越しにそう叫んだトゥーリアが、長い髪を踊らせて窓の外、暗闇へと消える。
「へへっ、違いねぇ」
 次々に部屋へと雪崩れ込んで来る紅色の騎士達を相手に、エクスレーゼが姫巫女に授かったばかりの長剣を鞘走らせる。
 トゥーリアの背を見送り、苦笑したアルフレッドはモップの柄を握り直し、気を失っているセシルを背に庇うと、眼前に立ちはだかる紅色の騎士達を睨みつけた。

 ☆★☆

「待て、待たぬかっ!」
 トゥーリアの叫び声に、漆黒の闇の中で屋敷の屋根を走るワイズがぴたりと足を止め、ゆっくりとした動作で振り返った。
 ワイズと対峙したトゥーリアは、威嚇するように細剣を勢いよく一振りする。距離は離れているが、トゥーリアの能力ならば一瞬で懐へ飛び込む事が出来るだろう。
「忌まわしき魔術師め、何を企んでいた!?」
 幼い少女の姿をしていてもトゥーリアが放つ怒気は凄まじい。
 長い髪、薄桃色の毛先から輝く燐光が漏れ出ている。
「フェンリルの牙……過去、貴様等が荷担した戦で、この大地がどれほどの痛手を受けたと思っている。力の脈はようやく、穏やかさを取り戻したのだぞ!」
 燃え上がるような紅い瞳を輝かせ、怒りを露わにするトゥーリアが細剣の切っ先をワイズへと向けた。
「そんなに、怒らないでくれないかな」
 ワイズは、困ったような顔をした。
 夜風に揺れる銀髪、魔術師の手の動きと力を生むその言葉に、細心の注意を払わなければならない。
 しかし体の力を抜いたワイズは、のんびりとトゥーリアを見ている。
「カーネリアを離れるとは驚きだね、姫巫女トゥーリア」
「我の名を口にするな、汚れる」
「これは失礼、僕は何も企んではいないよ」
「ならば闇の住人たる貴様等が、いかなる理由で光の当たる場所へ出て来たと言うのだ」
「やれやれ、僕等も別に暗がりが好きな訳じゃない。まったく、皇女様も姫巫女様も、血気盛んだね」
 膨れ上がるトゥーリアの敵意を涼しい顔で受け止め、口元に笑みを浮かべたワイズの銀髪が、ざわりと揺れた。
 だが、その彷徨う瞳はトゥーリアを見つめていない。
「……捜し物が見つからないんだ。だから、こうして大陸を歩き回っている」
「捜し物だと?」
「そう、優しい旋律を奏でる柔らかな唇……心を魅了する美しい歌声。麗しき、風に護られし美姫さ。その紅の瞳で、世界を静かに見つめる姫巫女様。彼女は何処に居るのだろうね?」
 青年は困ったような表情で、トゥーリアに謎を掛ける。
 そのすがるような視線を紅の瞳でねじ伏せ、トゥーリアが探るように低い声を出す。
「貴様、その風の美姫とやらを探し出して、どうするつもりだ?」
 狂気の源を生み出す元凶……すぐにでもその胸を刺し貫き、大地に与えた苦悶を味あわせてやらなければならない。
 烈火のような激情を持つトゥーリアにしては、随分と己を抑え律している。それは、目の前の危険な魔術師の真意と、彼らが蠢く背景を探るためだ。
「この大陸、人の意識の変革さ。そして、その新たに構築された世界を狂おしいほどに欲する魂が現れるのは、すでに予見されている。でも、うん、そうだ……まだ、その時ではないのだろう」
 青年の周囲に、青白く輝く燐光がぽつりぽつりと浮かび上がる。
 ほのかな青い光が渦を巻き、中心は目映く輝く。漲っているのは解放を待つ、荒ぶる破壊衝動だ。
「時の流れっていうのは曖昧なものでね。さすがに僕でもそれがどの時間軸かって事は、特定しにくいんだ。ちょっとした横槍で、世界は大きく変化してしまうものだからね」
「ええい、訳が分からぬ、はっきりと申せっ!」
 トゥーリアが、細剣を構え直した瞬間だった。
「駄目だよ、これ以上は教えてあげない。仕方がないね、ここはじっくりと時を待つだけだ。トゥエイユハーゲンの騎士共の目からも、逃れなきゃならない」
 その宿敵の名を口にする魔術師の口元が、憎しみに大きく歪んだ。
 ワイズが破壊を許可するように軽く右手を振ると、彼の周囲に浮かんでいた無数の光球が、トゥーリアに向かって殺到する。
「小賢しい術だ、私も見くびられたものだなっ!」 
 剣を逆手に持って、素早く身を引いたトゥーリアが左手を真横に振ると、彼女の周囲に虹色の閃光が瞬いた。
 虹色の光を幾筋も操る、鞭のようにしなやかな腕。
 破壊をもたらす光球をすべて薙払った、トゥーリアの長い髪がふわりと闇に舞う。
「覚悟しろっ!」
 細剣を構え、姿勢を落としたトゥーリアが体に溜めた力を解放するように、大きく踏み出す。
 ワイズの胸で鼓動を続ける心臓、そのただ一点をめがけて突き出された細剣の鋭い切っ先は、その胸を確かに貫き通した。
 しかし細剣の柄を握りしめた手に、感じる手応えはない。
「……貴様、空間を渡れるのか?」
「残念だったね、姫巫女様。空間転移は、もはや君だけの特技ではない。まだこの術は試験段階だけど、僕くらいの小さな質量ならば可能なんだ」
 魔術師の青年は、ほぅと小さく息を付いた。
「しばらく、静かに眠るとするよ。また会う事になると思うけど、覚えていてくれると嬉しいな」
 そう言ったワイズは、柔らかな笑みを見せる。
 しかし、その笑顔には温かみなど少しも感じない。
 ぞくりと背筋を這い上がるような悪意だけを残して、魔術師の青年は姿を消した。
「逃しただと? いまいましい……。森の外では手加減をせねばならん、まったく不自由な事だ」
 苛立たしそうに細剣を鞘に納めたトゥーリアは、乱れた髪を手櫛でさっと梳いた。トゥーリアが力の加減を誤れば、大陸の三分の一くらいは軽く消し飛んでしまうだろう。
「それにしても、奴らは何を企んでいる?」
 姫巫女にも見通せぬほどの、歪んだ未来だというのか。
 トゥーリアは、紅の瞳を細めて呟いた。

 ☆★☆

 翻る純白のドレス、振るう長剣の刃から発せられるのは虹色の閃光。
 長剣が巻き起こす凄まじい旋風が、次々と紅色の騎士達を両断していく、エクスレーゼがその細腕から繰り出す斬撃の威力は計り知れない。
 左手に短剣、右手に姫巫女の長剣を握るエクスレーゼの姿は、まさに剣の姫だ。
 恐ろしい剣光を放つ白刃に囲まれ、激しく舞い踊る剣姫。
 モップの柄を振るい、エクスレーゼの背中を守るアルフレッドは、これほどに眩しい命の輝きを放つ女性に出会った事がない。
 気を張っていないと戦闘の真っ最中という事も忘れて、エクスレーゼの美しい姿に目を奪われてしまう。
「アルフレッド、私の剣風に巻き込まれぬとは見所があるぞ?」
「なるほどお前の斬撃は、激し過ぎて見境がねぇ。まったく、冷や汗もんだな!」
 軽口を叩き合いながら、アルフレッドとエクスレーゼは、次々と紅色の騎士を駆逐していく。
「これで最後だ!」
 突き出される長剣を短剣で跳ね上げ、下方から斜め上に閃かせたエクスレーゼの長剣が、紅色の騎士の胴を甲冑ごと両断した。
 塵となって霞み消えゆく、紅色の騎士を見つめる蒼い瞳。厳しい表情のエクスレーゼは討ち漏らしがないかと、注意深く視線を巡らせる。
「どうやら、始末が付いたようだな」
 構えを解いて痛んだ短剣を床に放り出し、蒼い瞳を緩めたエクスレーゼ。
 あれほどの立ち回り演じながら、皇女の息は少しも乱れてはいない。
「お疲れさん」
 アルフレッドが手にしたモップの柄も、もうぼろぼろだ。銃がなければ、まったく役に立たない自分に苦笑する。
「さて、娘達も助けなきゃならねぇし、のんびりもしていられねぇな」
 アルフレッドはぐったりとしているセシルの体をよっこらせと起こし、背中に周って気を入れた。
「う……ん」
「セシル、大丈夫か、セシルっ!」
 若草色の鞘へと剣を収め、エクスレーゼが呻き声を上げたセシルの元へと駆け寄った。肩を掴んで激しく揺さぶると、焦点の合わぬ茶色の瞳をぱちぱちさせて、ぼんやりとしていたセシルの瞳に輝きが灯る。
「あ? あ、ああっ、ええと、陳情だって、僕を訪ねて来た青年は……あれ? あなたは……あああっ! ひ、姫様? エ、エ、エクスレーゼ様? ど、どうしてここに? あれ、僕は……なんで?」
「まったく、心配をかけてくれる。どれほどの騒動があったと思っているのだ。早く目を覚ませ、この馬鹿者が」
 目を丸くして驚いているセシルと手を取り合う、これぞ本当の再会だ。
 安堵したエクスレーゼは、喜びながらも混乱しているセシルの頬を、軽く抓ってやった。
「ほう、生きておったか、アルフレッド」
「おい、そりゃあ、ご挨拶ってもんだろうが!」
 ひらりと窓から舞い戻ったトゥーリアを、アルフレッドが睨んだ。
「すまぬ、魔術師を取り逃がした」
「なぁに。領主様も無事だし、構わねぇさ。この街で面倒があってな、魔術師の奴らにさらわれた女の子達ってのが、別室に寝かされてるんだよ。魔術を施されているんだが、お前なら術から解放してやれるよな?」
「ん……ああ、任せておけ」
 再会を喜ぶエクスレーゼとセシルに目を向けて、トゥーリアがそっと微笑みを見せた。
「アルフレッド、あの赤子は元気か?」
「へへ、約束だからな、いくらでも話して聞かせるよ。あれからな……」
「いや、赤子が元気ならばそれでよい」
 憂いを含んだその声音。
 アルフレッドから、ついっと視線を逸らす姫巫女。
「名前はフリード……フリード・ブロウニングだ。安心しろよ、琥珀色の瞳だ。お前の血を分けて貰った事なんて、誰にも分かりゃしない」
「フリードか、良い名だ。すまぬ、安心した。我は少し後悔をしていたのだ、あの子に無用な力を与えてしまったのかもしれぬと」
「そんな事ねぇさ。お前のおかげで、ひとつの命が失われずにすんだ」
 アルフレッドは産着にくるまれた赤子、フリードをあやすぎこちない兄、ブレンディアの戸惑った様子を思い出しながら言った。 
「兄貴はセーラを、逝っちまった彼女を心から愛したんだ……だからあの子が助かって、本当に良かったんだ」
 自らを納得させるような独白。
 アルフレッドの言葉には、どこか苦いものが含まれていた。

 トゥーリアの神秘の力により、娘達は魔術師の束縛から解放された。
 そしてエクスレーゼは街の中心に自ら立ち、この度の一件を包み隠さず人々に報告したのだ。
 喜びや安堵に加え、驚きと憤り、不満など。辺境の地で民へと真剣に語る皇女の姿に、集まった人々は様々な反応を見せたが、多くの人々は、分かってくれたようだった。
 魔術師の奸計に囚われ、領民を苦しめる事になったセシル。彼が、失った領民の信頼を取り戻す事は長い時間が掛かる、それは容易な事では無いだろう。
 もちろん、エクスレーゼは助力を惜しまないつもりではあるが、セシル自身の頑張りに掛かっているのは確かだ。
 少々頼りないが、幼い頃と変わらぬ穏やかな表情を引き締めて、セシルはエクスレーゼに約束をしたのだ。
 どんな事があっても負けない、己の正義を貫き通すと。
 エクスレーゼは力んでいるセシルの姿に苦笑したが、決意に水を差す事も無かろうと黙っておいた。街を恐怖に陥れた騒ぎも過ぎ去り、人々は少しずつ穏やかな日々を取り戻す事だろう。
 数日をアンディオーレで過ごし、到着した王都の守備隊と入れ替わりに、エクスレーゼはこの地を離れる事にしていた。
 ウインディが浮かぶ湖で向かい合う、アルフレッドとエクスレーゼ。

 朝焼けが広がる空、陽の光がエクスレーゼの金色の髪を輝かせている。
 純白のドレスは少し汚れてしまったが、誇り高き皇女が放つ美しい命の輝きは、やはり眩しい。
「礼を言うぞ、アルフレッド。自由な翼など求められぬ私には叶わぬと、セシルを救う事を諦めてかけていたのだ」
 エクスレーゼは、そっとウインディの銀色の機体に手を触れた。
「私はお前が駆るこの翼が気に入った……その、これからも私の翼になってはくれないか」
 恥じらいを見せるエクスレーゼに、今は歳相応の初々しさを感じる。
「……はいよ。仰せのままに、皇女様」
 軽い調子で答えるアルフレッドを、ちらりと睨んだエクスレーゼは「む!」と、唸った。
「何を今更、お前は素直に我の名を呼べばよい」
「了解だ、エクスレーゼ。さ、お手をどうぞ……」
 少女の微笑みを見せたエクスレーゼは、アルフレッドが差し出した手に、本来は長剣など似合わぬ華奢な手を重ねた。
 蒼い瞳に輝く、真っ直ぐなエクスレーゼの心。
 アルフレッドは、その強さを決して忘れない。
 しかし「鷹の剣姫」皇女エクスレーゼの姿は、王都から消えて久しい――。

 ☆★☆

 幾分、頭がすっきりとした。
 目を開けて勢いよくソファから身を起こすと、しばらく身体をほぐしてから立ち上がる。
 アルフレッドは、ゆっくりと社長室を出た。
「社長。よろしいのですか?」
「ああ、なんとかな」
 サラを心配させぬように、不敵な笑みを浮かべて見せる。
「出来たぜ、サラ……完成だ」
「完成って、あの機体がですか!?」
「ああ、前に、コーディの奴が情報を持ってきたよな? あいつの情報は間違いなかった、あの動力炉はその証拠さ」
 ネクタイを緩め、乱れた髪を整えたアルフレッドは、無精ヒゲが目立つざらりとした顎を撫でた。
 目頭を指で強く押さえる。抜けきらぬ疲労が溜まっているのだろう、まだ目の奥に鈍い痛みを感じる。
 長い眠りから目覚めた少女が告げた言葉に、アルフレッドは驚愕した。
 少女はある条件を、アルフレッドに提示した。
 その条件を受け入れれば、見返りとして「SILPHEED」というコードネームを持つ動力炉について、知っている事をすべて語ると言ったのだ。
 あの歳で大人相手に交渉とは……アルフレッドは甘く見ていたが、少女の翠の瞳は真剣だった。
 そう、己の命を掛けるほどに。
「あれは、とんでもねぇ動力炉だよ。まだ不確定だが、おそらく凄まじいエネルギーを秘めている。あの一機で数百、いいや千機の戦闘艇でも相手に出来る」
 目を開けると表情を凍り付かせたままで、サラが棒立ちになっていた。
「サラ……すまねぇが、これを頼む」
 アルフレッドは「SILPHEED」と記された黒いファイルケースを、サラに差し出した。
「は、はい!」
 我に返ったサラが、慌ててファイルを受け取ると、ぎゅっと胸に抱いた。
 それこそ、不安から身を守る盾のように。
「国軍の全権を掌握している、あのおっかねぇお坊ちゃんが、何を考えているのか分からないが……こりゃあ、俺達も気を付けなきゃならねぇな」
 アルフレッドは厳しい表情で、拳を握りしめた。
「社長、少女が提示した条件とは何ですか?」
 低く押し殺したサラの声。
 それは、アルフレッドの答えを察していて、確認する為の問い掛けに他ならない。
「連盟から連絡が来ているだろう? 大会の開催は今年だ。そうさ、あの娘は選んだのさ」
 アルフレッドは苦悩の表情を浮かべ、吐息と共に言葉を吐き出した。
「……フリードをな」
(ひとつ間違えば、あれは世界を服従させられる力になる。エクスレーゼ、ちっぽけな俺には正気でいる自信がねぇ。お前のように、真っ直ぐな心で正義を貫き通す自信が無いんだ)
 アルフレッドの揺らいだ心は救いを求め、若き日の皇女エクスレーゼとの出会いを夢に見たのだろう。
 だが、アルフレッドは確信している。
 ただひたすらに青い空を愛するフリードは「シルフィード」と共に、世界を覆う暗雲を吹き払うだろう。
 そう、姫巫女トゥーリア。
 彼女の力をその身に秘めた、フリードならば……。
 
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