ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 27.双子の盗賊と青い瞳の少女 |
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厚い雲が、空を覆っていた。 通りに人の姿は無く、静寂に包まれた街に降り続く霧雨、路面に立ちこめる白い靄。 ひとりの可愛らしい少女が、小さな教会の前のベンチに腰掛けて、本を開いている。 晴れの日ならば、ふわっとしているであろう金色の髪は濡れそぼり、前髪からはぽたりぽたりと雫が滴っている。 白いブラウス、フリルが多く付けられた黒いスカート。襟元の赤いリボンも、濡れてくすんでしまっている。綺麗な黒い靴も、びしょ濡れで悲しげだ。 しかし雨に濡れていることなど、気にもしていないのだろうか。少女の大きな青い瞳は瞬きすらせず、小さな手がゆっくりとページを繰る。 本の上で弾く、細かな雨粒。 少女の手に余っている、しっかりとしていて豪華な装丁の本のページは真っ白だ。少女には、そこに刻まれた文字でも見えているのだろうか? 小さな唇、可愛らしい顔には何の表情も浮かんではいない。少女はただひたすらに、真っ白なページを見つめてページを繰り続ける。 その時、不意に響いたのは、ぱたぱたと遠慮がちに雨が弾ける音。 そっと、差し掛けられた傘。その思いやりにも、少女は気付かない。 「その本……そんなに面白いか?」 耳朶に触れた優しい声に、少女は初めてぴくりと肩を震わせる。 少女は本からそっと顔を上げて、傘を差し掛けてくれたコート姿の青年が持つ、銀色に輝く希な色の瞳をじっと見つめた。 ☆★☆ 厨房に立ち込める湯気、じゅわっと油が弾ける音。漂ってくる料理の雑多な匂いは、決して高級感など無いが、大いに食欲をそそる。 日暮れ時の酒場は、大賑わいだ。 「はいよ、炒め物が上がったぜ!」 厨房に立ち、底が深いフライパンを振るテリオスが、湯気が立つ熱々の料理を皿へと移してカウンターへと置いた。 銀色の瞳がせわしなく動く、山のような注文伝票を確認したテリオスは、すぐに次の料理に取りかかる。 夕方に開店してから、どれくらいの注文を捌いたのか、もう覚えていない。 「鳥の焼き腿肉追加、三人前だよっ!」 「はいよ、姉さん。伝票をそこに置いといてくれ。親父さん、追加注文だ!」 ざわざわとした喧噪、たくさんのお客でごった返している店内。 エプロンをきりりと締め、ぱたぱたと飛び回るアリオス。料理を運び、注文をとって……と、忙しそうに立ち働いている。 グランウェーバー国の王都。 双子の盗賊……アリオスとテリオスは、決して盗賊家業を廃業したわけではない。 酒場などは、国の情勢、景気動向、地方領主、王族の噂……等々。 貴重な情報が、ごろごろしている。 王都に居着いたのだが、どうにも懐が寂しいアリオスとテリオスは、情報収集と生活資金調達のため、とりあえず王都の繁華街にある酒場で働いていた。 「さすが賢王と名高い、ハインリッヒ王が治める国だね。なんかこう……街や人に、どことなく知性や気品が感じられるよ」 引き上げてきた空の皿を積み重ね、カウンターへ置いたアリオスが、金色の瞳を客へ向けて感心したように言った。 「そうかぁ?」 銀色の瞳を細めたテリオスは疑わしげに、ふんと鼻を鳴らした。 「俺には、みんな同じ酔っぱらいに見えるけどな。酒が入れば皆同じ、心の本音がこんにちはだよ……」 まるで、悟りを開いたようにぼやくテリオスは、大きな鉄製の片手鍋の中で、とろみをつけた肉料理をぐるぐるとかき回した後、大きなお玉ですくって味見をして、ニヤリと笑った。 「よし、いい味だ。姉さん、いっちょ上がりっと!」 「はいよっ!」 テリオスが差し出した、肉料理を盛りつけた大皿を受け取ったアリオス。 木製の盆に注文の料理を乗せ、ひょいひょいとテーブルや客の間を縫って行く。 その途中で、そろりとアリオスの腰に客の手が伸びる。 しかし、微笑んだアリオスは素早く身を翻し、くるりと回って、ぱっちぃん! と不埒な客に平手打ちを見舞った。 「あらぁ、ごめんなさい、手が滑っちゃってぇ! ああ、いっそがしい、いっそがしい!」 輝く金色の瞳は、アリオスのチャームポイント。 邪気のない笑顔を向けられれば、誰も怒ったり出来ない。 「姉ちゃん、こっち、酒を頼むぜ!」 「おう!、こっちもだ!」 「はいはいっ! よろこんでぇ!」 気立ても器量も申し分なし、その上働き者なので、瞬く間に店の人気者になったアリオス。 次の料理に取り掛かりながら、テリオスは姉の姿をぼんやりと目で追っていた。 (盗賊なんかより、ずっと似合うよな……) 姉の幸せそうな、満ち足りた笑顔を見ているとテリオスの心が揺れる。 誰かが言っていた、盗賊家業の引き際に気付く瞬間が、必ず訪れると。 それに気付かねば、その機会に足を洗うことが出来なければ……もうその後は、ただ地獄へと墜ちていくしかないのだと。 義賊だ何だと粋がってみても、どんなに崇高な誓いを立てたとしても。 盗賊に違いはない。 「……俺達も、そろそろ潮時か?」 フライパンを持つ手を止めたテリオスは、ぽつりとそうつぶやいた。 広げた手のひらを、じっと眺める。 「おい、テリーよ。ぼんやりしてると焦げちまうぞっ!?」 「おおっと、いけねぇ!」 店主の親父に声を掛けられ、我に返ったテリオスは慌ててフライパンを振った。 ――雨露をしのぐため、ただ眠るために借りたような安部屋。 棒のようになった足を、引きずるようにして辿り着く。日々まっとうに働くカタギの人々に、心から敬意を表さねばならない。 「ああ、疲れた……クララ、帰ったよー」 アリオスは立て付けが悪い扉を開くなり、靴をぽぽんっと脱ぎ散らかして、部屋へと駆け込んだ。 アリオスの声に、ぺたんと床に座って本を読んでいたクララが振り返る。 ぱちぱちと瞬きした青い瞳、相変わらずの無表情だが、アリオスはそんな事を少しも気にしていない。 「くららぁ! 良い子にしてたぁー?」 声を上げながらぱたぱたと駆け寄り、背中からクララをぎゅーっと抱きしめる。 「おい、姉さん」 姉が脱ぎ散らかした靴を、足で隅に寄せようとしたテリオスは溜息を付くと、腰を屈めて姉の靴を揃えた後部屋へ上がった。 アリオスに抱き締められ、されるがままのクララ。その表情に変化は無いようだが、アリオスに抱きつかれて嬉しいのだろう。 テリオスには、クララが可愛らしい唇に浮かべている、微かな笑みが分かった。 少しほっとしたら、一日の疲れがどっと出て来る。テリオスは粗末なテーブルに近づくと椅子を引き、どっかりと腰を下ろした。 厨房では、ずっと立ち仕事なのでどうにも腰が痛い。 「さっ、クララ。湯浴みしてから、夕食にしようねぇ!」 クララがいつも持っている大きな本を閉じて置いておき、アリオスはクララを立たせ、手を引いて浴室へと向かう。 クララを連れて浴室に消えたが、顔をひょいと浴室の扉から覗かせたアリオス。 「夕食はあたしが作るから、あんたは休んでな。一日中厨房で、大変だっただろう?」 「俺は大丈夫だよ。店の中を飛び回っていたんだ、疲れているのは姉さんの方だろう」 「いいよ。あたしが作る、分かったね?」 「ああ……分かった。じゃ、そうさせて貰うよ」 姉は、こうと言い出したら絶対に譲らない。それがよく分かっているテリオスは、ひとつ肩をすくめて了解した。 アリオスが浴室へと消えると、テリオスは肌身離さず持ち歩いている、オートマチックの拳銃を懐から取り出した。乱雑に積み重ねている荷物から、整備用のキットと機械油を取り出すと、弾装を抜いて二丁の拳銃を素早く分解した。 スライドと機関部を布の上に置き、バレルを取り上げると、銃口から薬室を覗き込む。細長いブラシで、硝煙のカスを丁寧に取り除き、機関部を清掃した後で、少量の機械油を差す。 丁寧に掃除と整備をしてやりたいが、あまりゆっくりもしていられない。湯浴みを終えたクララが、浴室から出てくる前に作業を済ませたいからだ。 テリオスは出来るだけ、クララに銃を見せたくない。 自分の身を守るため、姉とクララを守るための銃だが、やはり人の命を奪う事が出来る、凶器に他ならないからだ。 浴室の扉が開く頃、テリオスは手早く銃を組み立てた。硬質な音を立てて動いたスライドが銃身を覆い隠す、銃の作動は良好だ。 同時にぱたんと扉が開き、ほこほこと顔を上気させたクララが、ゆったりとした服を着て姿を見せる。 テリオスは涼しい顔をして、さっと二丁の銃を懐へと入れた。 「はい、クララ。髪を乾かそうねー!」 大振りなタオルを手にして、これまたゆったりとした夜着のアリオスが浴室から出て来た。 「お先……悪いね、テリオス。あんたも疲れているのにさ」 「だから俺は平気だって。さて、俺もさっぱりするかな」 そう言って、小さな欠伸をしたテリオスが椅子を立つ。 アリオスは、俯いて神妙に座っているクララの金髪に優しくタオルを当て、丁寧に湿り気を取っている。 まるで、仲の良い姉妹だ。 その微笑ましい様子に銀色の瞳を細め、テリオスは汗を流すために浴室の扉を開けた。 「ねぇ、テリオス」 「何だよ?」 姉の真剣な声音に、テリオスは何事かと振り返った。 「ほらほら、クララとお揃い!」 アリオスは嬉しそうに、クララを抱き寄せた。 二人が着ている、ゆったりとした夜着は色も柄もお揃いだ。 「はいはい。似合ってるよ、二人とも」 「えーそれだけぇ?」 不満そうなアリオスの声。 驚かせないで欲しい、盗賊の日常など日々緊張の連続なのだから。 そして、アリオスとテリオスの希な「金色の瞳」と「銀色の瞳」……。 双子は決して、その瞳から逃れられぬのだ。 ぽつりぽつりと、古より世界に残る謎や伝承。いったい、どれほどの事柄に真実が含まれているのだろう。 (やれやれ、姉妹というよりは、母と娘だな) くくっと笑ったテリオスは、タオルを肩に掛けて浴室の扉を開いた。 「う〜ん」 アリオスが腕を振るった夕食を食べ終え、双子はテーブルを挟んで座り顔を突き合わせて唸り声を上げていた。 クララはすでに、明かりを落とした隣の部屋で眠っている。 「ランティーナ国とは、物価が大違いだ。みんなよく暮らしてられるよな」 「そうだねぇ」 鉛筆をくわえたアリオスは、渋い表情で金色の瞳を細めた。 「やっぱり、サーシェスの駐機代が高いよ。でも、怪しい闇業者になんか、絶対に任せたくないしね」 双子の相棒、ウインドシップ「クイーン・サーシェス」は、王都が管理している駐機場へ預けている。 しっかりと装甲に偽装を施してあるので、よく見たところで、「金の太陽のアリオス」「銀の月のテリオス」の愛機だとは誰も気付くまい。 管理は行き届いているがその反面、代金は目が飛び出るほどの高額になる。 「また、河に沈めとくか?」 「馬鹿言ってるんじゃないよ、魚じゃあるまいし! この間、随分と無理させたからね……ゆっくり休ませてやりたいのさ」 アリオスが、クイーン・サーシェスに注ぐ深い愛情。 漆黒の夜空を華麗に舞う女王は、アリオスの分身といってもいい。 「そうなると、結構な金が要るよな」 紙に書き連ねた、支出の金額の大きさに頭痛がする。つぶやいたテリオスは、ふと姉の方を見た。 「姉さん?」 鉛筆をくわえたまま、頬杖を付いたアリオスはうつらうつらと居眠りをしている。 ついさっきまで、起きていたというのに。 「ほらみろ。無理しているのは、姉さんの方じゃないか」 テリオスは立ち上がると、アリオスの口から鉛筆を取り、そっと肩に上着を掛けた。 音を立てないように注意しながら、黒っぽい服に着替え革のコートを羽織ると、懐に忍ばせた二丁の銃を確かめる。 外に出ようとして、部屋の出入り口のノブへと手を掛けたテリオスの背中に、とんっと何かがぶつかった。 「……クララ」 目を覚ましたのか、ベッドから起き出したクララが、ぎゅっとテリオスにしがみついている。 腰に回された少女の細腕、その思いの外強い力に困り果てたテリオスは、ぽりぽりと頬を掻いた。 「なぁ、クララ。ちょっとだけ出掛けて来る、仕事の下調べしてくるだけだって」 テリオスを心配しているのだろう。 思い詰めたような表情で、テリオスを見上げるクララがふるふると首を横に振り、アリオスに手入れされたふわふわの金髪が揺れる。 「参ったな、姉さんと一緒に出掛けるならいいのかよ?」 ……こくん。 真剣な青い瞳、クララが大きく頷く。 自分の意見を、はっきりと示すなど珍しい。 (やれやれ、信用が無いんだな) 無理もないか。 脳裏によぎる、あの雨の日。 ぱっと振り返ったテリオスは、しゃがんでクララと視線の高さを合わせると、頭にぽんと手を置いた。 「心配するなよ、危ない事なんかしやしないさ。そこいらを散歩するだけだ。姉さんが疲れてるみたいだ、様子を見ていてやってくれ」 「はい……」 テリオスがそう言うと、クララはととっとアリオスの側に駆け寄り、疲労の色が濃い顔を心配そうに覗き込んだ。 「じゃな、クララ。後は頼んだぜ!」 「あっ」 小さな声を上げるクララ。 親指を、ぴっ! と立てて見せたテリオスは、さっと扉を開いて部屋を出た。 |
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