ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


43.ドッグファイト(後編)

 目次
 「補助動力炉点火確認。主動力炉、正常に出力上昇を始めました、推力への動力供給を開始します。フリード、以降の機体コントロール全権を委譲します」
 ヴァンデミエールの凛とした声が繰舵室に響き、フリードは右手でしっかりと操縦桿を握りしめると、スロットルレバーを捻った。
「了解。行くぞ、みんな」
「へへ、待ってましたっ!」
 勢いよく滑走を開始し、轟音を響かせるシルフィードが陽の光に向かって飛び立った。
 再び大気を捉えた蒼い翼が大きくしなり、音と空気の振動に驚いた小鳥達が、慌てて木々から飛び出した。キャンプ地の滑走路と建物が、見る間に小さくなってゆく。
 これからがレースの本番だ、緊張に震える体を叱咤したフリードは下腹にぐっと力を入れる。
 しばらく加速を続けていたシルフィードは航路を固定した後、巡航に移った。
「兄ちゃん、いいだろ、これ!」 
 操舵席のすぐ後ろ、ヴァンデミエールが座る一段高い位置にある砲手席の下のわずかなスペースに、シートを固定して陣取っているトールが満面の笑顔で得意そうに鼻の頭を擦る。
 トールは体を固定するベルトハーネスなどをいとも簡単に取り付けて、補助シートを自分専用にしてしまった。本人が主張するとおり、小さいながらも腕は確かなのかもしれない。
「わぁ、すっげーっ!」 
 先程から操舵室に響いているトールの歓声。急作りのシートに陣取った少年は、操舵手になったつもりでいるのだろう。上機嫌でシルフィードの繰舵室を見回してはしゃいでいる。
 やれやれといった表情のフリードは、ちらりとヴァンデミエールを見た。少女は不機嫌そうな表情でそっぽを向いている。なにやら火種を抱え込んでしまったようではある。
 それでも何とかなるだろうと、フリードは自分に言い聞かせていたが、耳に響くトールの声に混じる妙な音に気が付いた。
 同時に感じる微かな振動に、視線を上げると空の様子を見た。低い雨雲が覆い被さるように連なっているが、雨音ではないようだ。
「この音はなんだ?」
 フリードが首を傾げていると。
「後方からの攻撃、砲弾の着弾音です」
「何だって!」
 冷静に現在の状況を告げるヴァンデミエール。驚いたフリードとトールが、それぞれに琥珀色と黒い色の瞳を見開いた。
「何を落ち着いているんだ、ヴァンデミエール! どうして僕達が攻撃を受けなきゃならない!」
 慌てたフリードが、ヴァンデミエールへと首を捻って叫ぶ。
 後方視認用の鏡に映る数機のウインドシップ、機体の一部から炎の瞬きが見える度にシルフィードの装甲が砲弾に晒される。
「このままじゃ撃墜される、早く運営委員会に連絡して助けを求めるんだ!」
「に、兄ちゃんっ!」
 固く目を瞑ったトールが頭を抱えて身を縮めている。無理もないだろう、撃墜されれば逃げ場所など何処にも無い、空中で四散する機体と運命を共にしなければならないからだ。
「さっきの威勢はどうしたの? これしきの事で情けない」
 身を縮めているトールの姿を見て、ヴァンデミエールが馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ヴァンデミエール、こんな時に何を言っているんだっ!」
 フリードは思わず大声を出した。すると、はっと我に返った様子のヴァンデミエールが、微かに頬を染めて裏返った声を出した。
「あ、慌てる必要はありません。それに運営委員会に報告したとて無駄な事、多少の小競り合いは黙認される範疇です。それに」
 ヴァンデミエールが、自信ありげな笑みを浮かべた。
「機関砲とはいえ、あの程度の口径でシルフィードの装甲に傷を付ける事など不可能です」
「そ、装甲? そんな、バトルシップじゃあるまいし……」
「シルフィードは、間違いなくバトルシップとして設計されています」
 理解出来ないと頭を振ったフリードを、ヴァンデミエールは何を今更といった風に、少し上に位置するシートから見下ろす。それが本当ならば、彼女が座っているのは砲手席だ。
「シルフィードが、バトルシップだって?」
「……まさかとは思いますが、気付いていなかったのですか?」
 呆れたようなヴァンデミエールの口調に、フリードは口を半開きにして琥珀色の瞳をぱちぱちとさせる。
「そ、そんな事、夢にも思っていなかった!」
「カーネリアのような片田舎で育てば、のんびり屋になるのでしょうか」
 眉間に指を当てて、首を横に振るヴァンデミエール。
 フリードはシルフィードがバトルシップである事など、アルフレッドから一言も聞かされてはいない。確かに軽量機としては大型の部類で頑丈だなとは思っていたが。
 脳裏に浮かんだアルフレッドが舌を出した。フリードは叔父が企み事をしている際に見せる、心底楽しそうな顔を思い出して頭を抱える。
「僕に、バトルシップの性能試験でもさせる気なのか?」そうならば、叔父にまんまとハメられたことになる。アルフレッドの真意が掴めないフリードは、喉の奥で唸った。
「攻撃を仕掛けている者達は、己に自信を持てぬ臆病者です。レースの勝敗で優劣を決しようとは考えないのでしょう。シルフィードは業界内でも高名なブロウニングカンパニーが建造した機体です、撃墜すれば大きく株が上がるでしょう。またブロウニングカンパニーは軍需産業から身を引いて久しい、再び台頭する事を怖れたライバル企業の差し金かもしれません」
 実際の原因は、昨夜の出来事だ……。キャンプ地で恨みを買ったなどと、フリード自身も思い付くはずがない。
 ヴァンデミエールは深く息を吸い込んだ後、凍り付くように冷たい声でフリードに囁く。
「排除しますか?」
「は、排除すると言っても」
 フリードが判断しかねているその間にも、後方からの砲撃は止むことなく続いている。
「このまま逃げ仰せたとしても、あの愚か者達はこの先もまとわりつくでしょう。正義漢を気取れとは言いませんが、私はこんなやり方をする者達が許せません」
 少女の厳しい口調。
 ヴァンデミエールが燃やす憤激の炎は、あまりにも激しい。
 フリードは目を閉じて熟考するが、迷っている時間はなさそうだ。ぐっと唇を噛んで自分の心へ言い聞かせる。
「分かった。でも人命を優先する、いいかい?」
「フリード、相手は私達の命など尊重してはくれませんよ?」
「それは分かっている。でも、これだけは譲れない」
「お優しいのですね、貴方は……」
 ヴァンデミエールはやや不満そうに言ったが、フリードに許可を得られた事が満足らしい。
「了解しました。人命を優先し、その上で障害を排除します」
「トール、シートに体を固定するんだ!」
「う、うん!」
 神妙な顔で話を聞いていたトールが、慌ててシートから体全体を固定するためのベルトを引き出した。おぼつかない手付きで四苦八苦していたが、何とか小さな体をシートに固定する。
 その様子をじっと見ていたヴァンデミエールは、トールが体を固定した事を確認するように肯いた。
「シルフィードは戦闘行動を経験していません。今回は、私が機体のコントロールを引き受けます」
「え!?」
「シルフィードの実力を示す、いい機会です」
 両手を広げてふわりと黒髪を梳き、体の左右にキーボードを引き出したヴァンデミエールが氷のような微笑を浮かべた。
「繰舵室下降、装甲遮蔽。外部モニタ起動、同時に火器管制を開始します」
 突然始まった戦闘準備に、フリードが慌てる。
「ま、待ってくれ、ヴァンデミエール!」
 ヴァンデミエールの小さな両手が、素早く左右のキーボードの上で踊る。フリードが座る操舵席が、がくんと揺れた。同時に繰舵室全体が下方向へ移動を開始する。
「ま、ま、前が見えなくなるっ!」
 繰舵室の風防が外側から装甲に覆われていく、遮られる視界と暗くなる操舵室内にフリードは溺れるような恐怖を感じ、両手をばたつかせて慌てた。
「騒がないで下さい。今、外部モニターが起動します」
「が、外部モニター?」
 フリードが座る操舵席の前方と左右に取り付けられている透明な板状のパネルが青く輝き始め、しばらくすると青い空と流れゆく雲が映し出される。左右のモニターに目をやると、今も尚シルフィード浴びせられる砲撃の火線が見えた。
「補助動力炉全開。主動力炉、ヒトフタマル秒後に戦闘行動可能領域まで出力上昇。これよりシルフィードは、戦闘行動に移ります」
 どうしてだろう、砲手席に収まるヴァンデミエールの声が嬉しそうに聞こえる。フリードは、冷たい手に心臓を鷲掴みにされた感覚に身震いした。
「空対空砲レイディアント及び、ラジェーション広拡散砲の安全装置解除。収束率可変レンズ動作良好、照準の初期設定終了」
 天空に向かって伸びる尾翼の付け根からゆっくりと二門の砲身が起き上がり、機体翼面上部で固定される。機体下部、両舷側の装甲が硬質な音を立てて開いた。
 フリードが座っている操舵席前面のパネルに、照準が浮かび上がり、猛禽類の瞳が獲物を求めるようにパネルの中で激しく動き回る。
 戦闘準備を整えたシルフィードが、本来の姿を現したのだ。
 迫り来るのは四機のバトルシップだ。その姿を確認するように、ヴァンデミエールは機体を左右に振る。その動きを回避行動だと思ったのだろう、機銃による攻撃が一層の激しさを増した。
「原型が分からぬほどに改造されているようですが、あれはブレスアウェイン社の『グラージ』……間違いありません。現行のバトルシップよりも一世代前の機体です。主に大陸南部で主力として運用されていました」
 ヴァンデミエールは鋭い口調で断言する、シルフィードを追い詰める四機をどうやって退けるつもりなのか。
「徒党を組まなければ何も出来ない輩など、恐るるに足りない。二人共、舌を噛まないように黙っていて下さい」
 ヴァンデミエールがそう告げた瞬間だった。
 動力炉が戦闘行動可能領域に達し、爆音を発したシルフィードが弾かれたように急加速して一気に最大戦速へと達する。厚い大気をその懐に抱き込み、持ち上げられた機首が天空を指した。
 喋るなと言われなくても、言葉を発する余裕など無い。フリードは視線を動かす事も出来ず、シートに押しつけられてただ喘ぐ事しか出来ない。
 後方から迫り来る四機のグラージを置き去りにしたシルフィードは、上昇と共に機体を急激に右へと捻った。急旋回をしてあっさりとグラージの後ろに回り込む、蒼い翼が大きくしなり大気の衝撃を力強く切断した。
 シルフィードに砲撃を浴びせていたグラージ達が、逃れようと緩慢な動作で旋回に移ろうとする。
「この卑怯者がっ!」
 まるで短剣の鋭い切っ先のような言葉を唇に踊らせ、ヴァンデミエールの翠色の瞳がモニター上で踊る照準を睨みつける。襲撃者に向けられた空対空砲が、照準を合わせようと僅かに動いた。
 そしてフリードの視界で瞬き広がった光。エメラルドグリーンに輝く目映い閃光が網膜に焼き付いた瞬間、照準に捉えられたグラージの装甲が大きく膨らんだ後、バラバラに弾け飛んだのだ。
 それは、まさに光の矢だ。
 両翼を撃ち抜かれ、黒煙を吹きながら高度を落としていく一機のグラージに目もくれず、ヴァンデミエールは次の敵を求める。シルフィードが放った砲撃の威力に恐れを為したのだろう、残りの三機は慌てたようにシルフィードから距離を取ろうとする。
 戒めから解放された蒼い翼は、思うがままに上空の大気を捉え羽ばたく。二機のグラージが速度を落とし、シルフィードの両側へと二手に分かれて逃れようとする。
 しかしシルフィードの両舷側で直列に並ぶ複数のレンズが、その動きを睨んでいた。再びエメラルドグリーンの光が放たれる、思わぬ角度からの射撃、拡散された幾筋もの光弾が一瞬にして二機の主翼を融解させた。
 二機のグラージは爆発音と共に厚い雲に激突し、飲み込まれて消える。
 残りの一機が、すべての力を振り絞るように急上昇を始めた。遙上空に見える灰色の厚い雲に身を隠そうというのだろう。その動きを視線で追うヴァンデミエールが瞳をすうっと細める。
「逃すものかっ!」
 ヴァンデミエールの叫びに同意するかの如く動力炉が唸り、翼を畳んだシルフィードが速度を上げて、逃げるグラージの後方から追いすがる。
 次の瞬間、蒼い翼が発したのは鼓膜を破るような音だ。白熱化を始め、鋭い刃と化したシルフィードの両翼に触れた大気中の水蒸気が瞬時に蒸発する。
 機体を縦に振るシルフィードの蒼い翼が再び広がり、逃げまどう憐れなグラージの翼に食い込んだ。
 迸る火花、まるで薄っぺらな紙でも切るようにあっさりと装甲板を切り裂かれ、片翼を失ったグラージが錐揉みしながら墜落していく。
「全ての障害を排除、戦闘行動終了。シルフィードは所定の航路に復帰し、巡航に移ります」 
 ほんの数瞬の出来事だった、シルフィードが受けた損害は皆無だ。
 何事もなかったかのように、操舵室を守っていた装甲がゆっくりと開き始め、操舵室が通常航行の位置へと上昇する。光の矢を放った空対空砲はその役目を終えて、機体後方へと静かに折り畳まれた。
 乱れた黒髪を両手でふわりと落ち着かせて、ヴァンデミエールが満足そうに微笑む。
 ウェンリーが言ったハイエナとは、襲撃者の事だったのだろう。シルフィードは見事に敵を退けた。しかし……。
「ヴァンデミエール……」
 地獄の底から響いてくるような、フリードの苦悶に喘ぐ声。
「どうしたのです?」
「すまない、は、吐きそうだ」
「に、兄ちゃん、お、俺も、もう駄目だぁ」
 青い顔で口を押さえたフリードとトールが、揃って泣き言を漏らした。
 頭痛に耐えるように、こめかみの辺りを押さえるヴァンデミエールが操縦桿を素早く操作する。シルフィードは徐々に高度を落とし、着水時に浮力を得るためのフロートを出すと、眼下に見えた湖畔へと滑るように着水した。
 湖面を滑る機体がゆっくりと岸に寄ると、フリードとトールがのろのろと操舵室から這い出す。
「まったく! あなた達がダメージを受けていては、お話になりません。あの程度の空戦で根を上げていたのでは、先が思いやられます」
 ヴァンデミエールの小言は、二人の耳に届いていないだろう。胃の中の物を全て吐き出したフリードとトールが、ぐったりと仰向けに転がった。呻き声を上げながらぴくりとも動かない二人を、腰に手を当てたヴァンデミエールが睨んでいる。
 少女は眉根を寄せて、困ったような表情でフリードを見た。そして声を掛けようと手を伸ばしたが、思い留まるようにきゅっと唇を噛むと、伸ばした手を引き寄せて胸に抱いた。
(くるる)
 戦闘中とはうって変わり、頼りなげな姿のヴァンデミエールを気遣うような鳴き声が響く。
「ごめんね、シルフィード……」
 ヴァンデミエールはその鳴き声に答えるようにシルフィードの機体に頬を寄せ、小さな声でそっと詫びた。

 ☆★☆

 闇に包まれた街に温かな光が灯る、人々を優しく労う灯りを嫌う者達は尚暗き闇に集うものだ。
 人目をはばかるように、部屋の窓全てを覆うように引かれた厚いカーテン。光を遮られた暗い室内に灯る蝋燭の明かり、紫煙と共に澱んだ五つの悪意が滞留していた。
「報告を受けましたが、やれやれ……」
「ブロウニングカンパニーは、とんでもない機体を投入してきたものですな」
 室内で顔を突き合わせている初老の男達が五人。
 皆上品な身なりではあるが、心の醜さを浮かび上がらせるように、顔に刻まれた皺が作る醜悪な表情は隠しようもない。ひび割れた唇はその感情のまま憎々しげに歪められ、次々と毒を吐き続ける。
「あの機体の動力炉は、間違いなく『SYLPFEED』なのですかな?」
「私の見立てに間違いはありません。あの機体が使用したどちらの武装も、実際に稼働させるほどの高出力を発生させる動力炉が現存しないはず。オリジナル以外で実現が可能なのは、我がボーウェン社が建造したバトルシップ『ディスアレーザ』及び『ヴェスペローパ』に搭載されている『SYLPFEED』のコピーくらいです」
「ふん! 饒舌になりおって。講釈など聞きたくもない、問題は奴だ。アルフレッド・ブロウニングが、どこまで事の子細を掴んでいるかだ。嗅ぎつけられては面倒なことになるぞ」
「これは、迂闊な行動が取れませんな」
「なんといっても奴の秘書は、あの……」
「馬鹿な、何を怖れる事がある!」
「その通りだ。四神が眠る極寒の北部山脈へは、容易に近づく事ができぬ」
 声を発する男達の影がカーテンに映り、まるで魔物の影のようにゆらゆらと揺らめく。
「聞けばレースに参加しているのは奴の甥だと聞く。たかが貴族のお坊ちゃんだ、それほどの胆力など持ち合わせてはおらんよ」
「では?」
「当初の計画通りに事を運べばいいさ。フェンリルの牙は、魔術師達は失態続きだ。この期に軍の信頼を我等に向ける事が重要だ」
「うまくいけば、魔術師共が生み出したオリジナルの動力炉と、制御体が我等の手に入りますからな」
「おっと、カーネリアの森へは近付くなよ。姫巫女の処分、それは奴等の領分だからな」
「もちろんだ、悪戯に我等が被害を被る事はないでしょう」
「ふふ、そうだな……」
 男達の不気味な含み笑いは渦を巻き、じわりじわりと闇の中へ溶け込んでいく。邪悪な意志が染み込んだ闇は何を捉え、食らい付き、貪ろうというのだろうか……。
 
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