ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


44.竜騎士の憂鬱(前編)

 目次
 操舵席からの視界は良好だ。眼下に見えるのはグランウェーバー城、その雄々しい姿は城下に広がる街を、人々の幸せを見守っている。王都の上空を舞う『飛竜』一番機の操縦桿を握るリヴル・スティンゲート大尉は、しばし王都の様子に見とれた。
 皇女の懐刀である竜騎士隊。そして彼等が駆る飛竜は濃いブルーに染められた逞しい機体、竜という神秘的な存在の力を映したバトルシップだ。竜騎士達の頼もしい翼であり、敵を裂く鋭い鍵爪、敵を喰らう牙である。有事に備えて、常に万全の状態を保っていなければならない。
 そうだ、大陸が平和だからとてぼんやりとしてはいられない。リヴルは哨戒任務を兼ねて、愛機である飛竜の状態を確かめている。
「澄み渡った空は心地良い。暗雲が広がる澱んだ空は、人の心にも悪影響を与えれしまうからな」
 視線を巡らせたリヴルが満足そうに肯いていると、計器板に赤いランプが灯った。
『大尉、受信状態はいかがでしょうか』
「ああ、良好だ。何か?」
『定刻です。当該空域は以降、守備隊の哨戒飛行ルートとなっています』
「もうそんな時刻か……。それは了解している」
『はい。では、お気を付けて』
 抑揚の無い声で用件だけを伝えてきた通信は、あっさりと切れた。
「遠回しだな、邪魔をするなということか」
 リヴルは苦虫を噛み潰したような表情になる。
 皇女エクスレーゼの強い要望により創設された竜騎士隊は、王都防衛の要であり強力な最終防衛線だ。
 だが皇女の指揮直下に位置している竜騎士隊は、王立軍本隊と指揮系統が根本的に異なる。よって王立軍の中枢部といえども、竜騎士隊に命令を下す権限はない。
 皇女が行方不明の今、王立軍は竜騎士隊を扱いかねているのが現状であり、王立軍最強の部隊は宙に浮いた存在となっている。
「指揮権がどうのこうのと、言っている場合ではないのだが……」
 王都防衛が主な任務である竜騎士隊は、領空内といえども隅々まで自由に飛行する事は出来ない。だが城の上空だけを飛んでいても、グランウェーバー国を守る事など不可能だ。
 リヴルはそう考えているが、王立軍の複雑な内部事情を思うと暗澹たる気持ちに沈みそうになる。
 未だ快方へ向かうことがない、ハインリッヒ王の容態も気に掛かる。情報部も皇女の捜索に躍起になっているようだが、依然行方不明のままだ。
「リヴル・スティンゲート、これより帰投する」
 しかし、そんな諸々を自由な空へ置き去りには出来ぬ。ため息を飲み込んだリヴルは、もう一度城の上空を見渡すと、王立軍基地を目指して飛竜を反転させた。

 王立軍基地――。
 ゆらゆらと立ち上る陽炎。真っ直ぐに伸びる滑走路が炙られている、その熱気をさらに煽り立てるような怒気が滑走路に膨れ上がっている。
「ええい、またかっ! 冗談ではない!」
 脅える整備兵の胸ぐらを掴み上げたリヴルが、恐ろしい形相で牙を剥いた。運悪くリヴルに捕まえられた整備兵は身を竦め泣きそうな顔で、ぶんぶんと首を振っている。
「何故だ! 何故、一番機の交換部品だけ納入日時が遅れるんだっ!」
「じ、自分には分かりませんよう……」
「今回ばかりではない! 王都防衛をなんと心得ている。何のための竜騎士隊だ、飛竜は飾りではないのだぞ! それとも何か、私に喧嘩を売っているのかっ!」
 ならば買うぞと、犬歯を剥き出したリヴルが凄む。
 王都上空での哨戒任務を終えて基地に帰投し、整備兵に機体を預けたリヴルは数カ所の点検項目を提示したのだが。保管されている保安部品が底をついており、現状では整備が出来ないと告げられたのだ。
 交換部品の在庫が無い等とそんな理由は成立しない、怠慢が引き起こしたとしか言えぬ事態に、リヴルの血液が沸点を越えた。整備兵には気の毒だが、竜騎士隊の隊長を務めるリヴル・スティンゲート大尉の怒りは、当分おさまりそうもない。
 そんな騒がしい滑走路の端。
 立ち並ぶ格納庫の群が作る色濃い影の中に置かれた、丸テーブルの周囲に集まっている三人の軍人の姿。その内の二人は、カードに描かれている様々な絵柄を合わせていく、そんなゲームに興じている。
「へへっ、俺の勝ちだな」
 手持ちのカードをテーブルの上へと投げ出してニヤリと笑ったのは、竜騎士隊の三番機を預かるクライド・リンクス中尉だ。長身でぼさぼさの金髪に無精髭。秀麗な顔つきの色男だが、どこか遊び人風の雰囲気を持っている。
「ああ、またやられた。中尉、まさかインチキしていないでしょうね?」
 クライド中尉を恨めしげに睨んでいるのは、竜騎士隊の四番機に搭乗する小柄なウイッツ・ハードラント少尉。きちんと整えられた黒髪、真面目で知的な印象なのだが、どこか頼りなげな青年だ。
「おいおい。ウイッツ、負けが込んでいるからって言い掛かりかよ?」
「そ、そんなつもりはありませんけど」
 クライドが険悪な表情で顎を突き出す、眉をハの字にした情けない顔で身を引いたウイッツが不満げに唇を尖らせた。二人で小一時間もゲームをしていたのだが、ウイッツはまだ一度も勝っていない。
「今日は調子が良いぜ」
 クライドは脚を組んでふんぞり返ると、カードを集めている悔しげな顔のウイッツをちらりと見た。そして、おもむろに懐からイカサマ用のカードを取り出してテーブルに放る。
「ああっ! やっぱりインチキしていたんですねっ!」
 その種明かしに驚いて、バネ仕掛けで動く人形が弾けたように椅子から立ち上がったウイッツが、大きな叫び声を上げた。
「お坊っちゃん。バレなきゃイカサマとは言わねぇんだよ」
 わあわあと甲高い声で喚くウイッツの抗議を、人差し指で耳に栓をしてやり過ごしたクライドはテーブルに頬杖をついた。今も尚騒がしい滑走路へと目を向ける、カードゲームに飽きてしまったのだ。
「中尉、僕の負けは全部チャラですからね!」
「ちっ、面白くねぇ奴だなぁ。『これから取り返しますよ』くらい言えないのかよ」
 勢いを増すウイッツの抗議など、ほとんど耳に入っていないクライドが舌打ちをする。
「おい、ウチの隊長殿は何であんなに元気なんだ?」
「まぁ、しょげているより良いじゃないですか」
「うるさくてしょうがねぇ」
 だだっ広い滑走路の向こうから、ここまで響いてくる大きな怒鳴り声。苛々している時の隊長殿には近寄らないに限る。
(リヴルよ、整備兵に罪はないぜ? 隊長殿ともなればもっと鷹揚でないとな、だから二番機がいつまで経っても空席なんだ、まったく未練タラタラだな野郎だぜ)
 やれやれと首を横に振ったクライドは、こちらに背を向けている大男、竜騎士隊五番機を任されているリザルト准尉の大きな背中に目を向けた。
 鋼の如く鍛え抜かれた体、浅黒い肌に灰色の髪を短く刈り込んでいる。引き結ばれた口元と鋭い眼光は、盛りを過ぎた年齢を感じさせぬ迫力を持っている。
「どうです? 准尉も一勝負しませんか?」
「自分は遠慮します。中尉、カードゲームに興じる暇があったら、体でも鍛えたらどうです?」
「いや、俺はそんなの柄じゃねぇし。こちらも遠慮しますよ」
「そうですか」
 へらへらと笑う軟弱なクライドを、じろりと睨んだリザルトは何か言いたげだったが。ふんと鼻から息を吹き出して背を向けると、また両手に持った大きな鉄アレイを黙々と上下させ始める。
 肩を竦めたクライドの耳に、未だ聞き慣れぬ轟音が響いてきた。
「あ、守備隊が哨戒任務に向かうようですよ」
「ん? ああ、新型か……」
 眩しそうに目を細め、ウイッツとクライドが揃って空を見上げた。
 紅の燐光を排出しながら編隊飛行する守備隊。王立軍は現在、ボーウェン社により製造された『ヴェスペローパ』という名の機体を正式に採用している。漆黒の機体は敵に対しての視覚的圧力も考慮されているのだろうが、その原生生物を思わせる有機的な姿は不気味だ。
 以前に正式採用されていたブロウニングカンパニーの機体は航跡に青い燐光を発する。青と紅、双方はあまりにも対照的な色合いだ。 
「僕は、空に広がる青い燐光が好きだったんですけどね」
「そりゃあ、正義と自由を象徴する色だからなぁ」
「中尉も、そう思われますか?」
 ウイッツが嬉しそうに瞳を輝かせた。兵士とは思えぬ無邪気な笑顔だが、彼も竜騎士隊の一員だ。ウイッツの情報分析能力は、他の兵士の追随を許さぬほどに突出している。
「グランウェーバーの空に紅の燐光が輝くなど、自分は信じられません」
 相変わらず鉄アレイを上下させているリザルトが、抑揚のない中にも落胆を窺わせる声でぽつりと言った。
「珍しく、意見が合いましたねぇ准尉」
 クライドが同意をするも、むすっとした顔で黙り込んでいるリザルトからの返事は無い。鉄アレイを上下させる度に膨れ上がる筋肉が張る両腕を一瞥したクライドは、再び顎を上げて空に霞みゆく禍々しい光の残滓を睨み付けた。
 軍需産業からの撤退を表明したブロウニングカンパニーに変わり、ボーウェン社から新型の機体が納品され始めたのはごく最近の事だ。
 ボーウェン社は新興勢力として、絶大な力で市場を拡大しつつある。
 空戦隊のバトルシップだけではない、王立軍で運用されていた大型のバトルシップにもその動きが波及している。軍上層部の会議で旧型艦の廃艦が決定し、その通達を受けて多くの艦が瞬く間に基地から姿を消した。
 通常ならば建造費が嵩む大型のウインドシップは決められた耐用年数の期間を運用され、減価償却を確認したものから順次処分となる筈なのだが。
 最近の王立軍本部の動きは何処か浮き足立っている、そしてクライドはおかしな話を耳にしていた。
 皇女エクスレーゼが指揮を取る旗艦『ヴェルサネス』は、地下の巨大な格納庫で眠っている。しかし旗艦の副艦長であるランバート大佐の姿が、昼夜を問わず艦橋にあるという。
「戦でも近いのか……? いや、まさかな。大陸全土の情勢に、そんな気配は感じられねぇ」
 王立軍本隊の総指揮官である皇太子キルウェイドと、国王の親衛隊を総括する皇女エクスレーゼ。姉弟とはいえ二人の関係、その溝が深い事は周知の事実だ。
 軍本部と指揮系統が隔絶された竜騎士隊にすべての情報が降りてくる事はなく、状況がまったく掴めない。
 情報があまりにも少なく王立軍の現況を推察する事が出来ない、舌打ちしたクライドはぼさぼさの金髪を掻きむしった。
 ヴェスペローパが排出する紅の燐光を見ていると、クライドは何故か心がざわめくのだ。
 
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