ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 45.竜騎士の憂鬱(後編) |
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グランウェーバーの空、王立軍基地の上空に描かれた紅の航跡が徐々に霞み消えゆく――。 「まるで血のような色だ」 空に舞う不気味な紅い燐光を睨み付けてそう吐き捨てたリヴルは、肩を怒らせたままで格納庫へと入った。滞留する熱が籠もった薄暗い庫内で、五頭の竜は静かに鎮座している。十分な整備をしてやれないの事が歯がゆくてしょうがない。 「少々疲れているのかもしれん」 そんな独り言を漏らしたリヴルは、自らの命を預ける愛機に手を触れた。そして、ふと一番機の隣に駐機されている二番機を見遣り、眉根を寄せる。 「お前も寂しいだろう……」 飛竜の二番機を任されていた騎士は除隊し、現在は不在となっている。 王立軍の権威にも関わるため、竜騎士隊を空位があるままにしておくわけにはいかない。在任する士官、及び士官候補生から後任の選抜が行われてはいるが、未だリヴルの目に留まる者はいない。 かつて二番機を駆っていた彼女に匹敵する人材など、簡単に見つかるはずもないだろう。 「ええい、くそっ!」 そんな事を考えていると苛々が募ってくる。格納庫の柱を力任せに殴り付けたリヴルは、気分が収まらず今度は足で柱を蹴り付けた。 「うおっ!」 どうやら力加減を誤ったらしい、ひきつったリヴルの顔がたちまち青くなった。爪先がじんじんと痛む、うめき声さえ出せずに、肩を震わせ足を抱えて耐える耐える。 痛みが引くまでの間、悶絶していたリヴルはうっすらと涙が滲んだ目尻を拭った。大きく肺に息を吸い込んで思い切りため息を吐き出すと、やせ我慢しているのがよく分かる表情で腰を伸ばした。 「足の指が折れたかと思った……ん?」 口をへの時に結ぶリヴルの瞳に、ふと小さな人影が映る。遠くに見える兵舎の陰を横切ったその人影を、はっきりと認識した瞬間にリヴルの肌が粟立った。 「何のつもりだ、あのクソ野郎がっ!」 目を細め小さく舌打ちをしたリヴルは、腰のホルスターを確認すると勢いよく床を蹴る。暗い格納庫から飛び出すと強い日差しが眩しい。しかしそんなことに構ってなどいられず、兵舎へと向かって駆け出した。 全速力で走ったために少々息が乱れた。しかし日々の鍛錬を怠らぬ体だ、気になるほどではない。銃の引き金を引くことに影響はないだろう。 リヴルは息を整えた後、開かれた兵舎の正面からそっと滑り込んだ。昼間の兵舎は人影もなく静まり返っている。煤けた壁に背を当てて、腰のホルスターに収められている拳銃を抜いた。 素早く弾倉を確認すると、音を立てないようにスライドを引いて初弾を薬室内に装填する。ベルトのポーチに入っている、予備弾の確認も怠らない。 「ワイズめ……」 リヴルが呟いたのは魔術師の名だ、全神経を集中して身構える。銃のグリップの握りを確かめると、腰を落としてそろりそろりと通用路を進む。 何故魔術師がここに居るのか、そんな理由など考えてはいられない。思索のために集中力を割いたりすれば死に直結するからだ。 警報を鳴らすことも考えたが、かえって危険が増す可能性がある。魔術師がもたらす凄まじい破壊、その被害を食い止めるためには一撃で倒すしか方法はない。 兵舎の通路はそれほど広くない、曲がり角の先に人の気配感じて、立ち止まったリヴルは大きく深呼吸をした。両手で銃を握りしめ、タイミングを計り大きく息を吸って飛び出す。 銃を構えた腕を振り上げ、引き金に指を掛けた瞬間。 「きゃあああっ!」 「お、お前はっ!」 リヴルの視界、そこにいたのは王の側用を努める侍女だ。いきなり銃口を向けられて驚いたフェルメーレが大きな悲鳴を上げる。 「くっ!」 リヴルは引き金から指を離し、慌てて銃口を下ろした。 「すまない、大事はないか?」 「はい、はい……」 リヴルが手を差し出すと、その場にへたりこんだフェルメーレが震える声で答えた。 もしや侍女の姿は幻影か? 魔術師の罠ではないかとリヴルは頭の中でとっさに判断を迫られたが、体を固くしているフェルメーレに手を差し出した。 「こちらに来い! 早くっ!」 フェルメーレがおずおずと手を伸ばす、リヴルは小さな手を握ってやや強引に侍女を立たせた。 「フェルメーレ。怪しい人間を見なかったか?」 「わ、私には分かりません」 頭を抱えて怯えきっているフェルメーレが、声を詰まらせながらようように答えた。 「くそっ、何処へ消えた!」 「あ、あの、大尉、な、何があったのですか?」 リヴルはフェルメーレを背に庇い、油断無く辺りを見回す。 「侵入者だ。フェルメーレ、どうしてお前が兵舎などにいるのだ?」 「あ、あの、それは……」 リヴルの詰問に、大きな瞳に涙を浮かべたフェルメーレがしゃくり上げ始める。 「分かったから泣くな。とにかく危険だ、私の後ろに隠れていろ」 フェルメーレに気を取られたリヴルの意識に、わずかな隙が生じた。 突然、リヴルの視界がぐにゃりと歪む。 「くっ! ええい、油断したか!」 気付いた時には、もう手遅れだった。眼前に広がり始めた幻影にあらがう事が出来ずに、意識はずるずると奈落の底へ引き込まれていく。 天井が垂れ下がり、壁はまるで飴のようだ。生き物の如く激しくうねり始める床の上で、平衡感覚を失い立っている事さえままならない。 「返事をしろ、フェルメーレっ!」 フェルメーレの安全だけは確保してやらなければならないが、もうリヴルにはそんな余裕が無い。 必死に現実の感覚にしがみつく、その傍らに居たフェルメーレの姿が消えていた。 「既に、奴の術中か……」 「もう少し、早くあきらめてくれないかな」 揺らめく空間に涼しい声が響いた。覚悟を決めたリヴルはついに現実に縋る事をやめて、己の精神力を集中させると仮想空間の感覚に身を委ねる。 これは何度体験しても、馴れるものではない。 「まったく。君の精神力には敬意を表するよ、リヴル・スティンゲート。術中に落とし込むのに多大な労力を要する、君と相対したときにはとても疲れるんだ」 リヴルの視界に、ふわりと浮かび上がる声の主が実体化する。銀髪の魔術師が、柔らかな髪を優雅な仕草で掻き上げた。 「こんにちは」 リヴルが素早く銃口を上げると、目の前に現れた魔術師の青年が挨拶とともに微笑んだ。 「やはり貴様か、ワイズ。破壊をもたらす忌まわしき魔術師め」 ……ぎしり。 両腕の筋肉を繋ぐ腱が軋み、トリガーを引くことが出来ない。 歯を食いしばったリヴルは、一見するとにこやかで友好的な笑みを浮かべたワイズを睨み付けた。 猛毒を塗り付けた刃を隠す偽りの笑み。魔術師がその双眸に、どんな野望を秘めているかしれたものではない。 「つれないな、数年ぶりだっていうのに」 顎に手を当てて、遠い目で過去の記憶を紐解くように語るワイズはとても楽しそうだ。その記憶は血文字で記されているに違いない。同じ記憶に対する認識の違いだ、リヴルの険しい表情は魔術師と対照的で厳しい。 「相変わらずだね。真っ直ぐな瞳に湛えられているのは任務遂行の為の熱意じゃない、純粋な殺意だ」 「よく分かっているな」 「あっさりと認めるんだね、君は」 肩を竦めて首を振る魔術師だが、リヴルは馴れ合うつもりもない。 「ここで何をしている。王都に堂々と潜入してくるとは、不意打ちが得意な魔術師にしては剛胆だな」 「褒めてくれるのかい? まぁ、僕にも仕事っていうものがあるのさ」 国に害を為す輩など、何があっても褒めたりなどしない。それを分かっているのだろうが、魔術師の人を喰った態度はいちいち勘にさわる。しかしリヴルは、言葉の端に気になる語句を聞きつけた。 「仕事だと?」 「知りたい?」 口元に笑みを浮かべたワイズが猫のような瞳を細めた。ぺろりと下唇を嘗め、くくっと笑い声を漏らす。 「駄目だよ。教えてあげない」 「ふざけるな、こちらも頼んだりするものか」 リヴルはその殺意を込めた瞳で、魔術師を睨み付けたまま銃を握った両手に力を込めた。この距離だ、万が一にも狙いを外すことはない。 「おやおや。まったく、君にはいつも驚かされるよ」 「うるさい! ここで何をしていた! 吐け! 吐かねば、この場で仕留める」 「僕を殺せば、情報は引き出せなくなるんだよ?」 「その時は魔術師が一人、この世界から姿を消す。それで十分だ」 「またひどく憎まれたものだね。ところで……」 リヴルの額に玉のような汗が浮かんでいる。ワイズの術に強靱な精神力で抗うリヴルが、引き金に掛けた指に力を込めた。 そのタイミングを見計らったように、ワイズが右手を挙げる。魔術師の手の動きは危険だ、最大限の注意を払わねばならない。魔術師が己の体内で編み上げた術を発動させる、その初動であるからだ。 「動くなっ!」 リヴルの激しい制止の声にも、ワイズは眉ひとつ動かさず優雅に銀色の髪を掻き上げた。 「おや。君が連れていた、可愛い侍女さんの姿が見えないね」 「何っ!?」 「何処にいるのかな? もしかしたら姿が見えないだけで、僕の前に居るかもしれないよ?」 「き……貴様っ!」 卑劣な魔術師は、フェルメーレを盾にしているというのか。リヴルが噛みしめた歯が、ぎりっと音を立てて軋む。ワイズの言葉が真実ならフェルメーレの無事を確認できない以上、引き金を引くことなど出来ない。 「動かないでいてくれると助かるよ、僕もまだ無駄な力を使いたくないのでね」 ワイズはふと瞳を伏せて、大きく息を吸い込んだ。どうしたというのだろう、魔術師の姿が酷くやつれて見えた。しかし、ワイズが再び顔を上げたときには、その弱々しさは怜悧な表情に覆われていた。 「僕達が望む世界への道が開き始めたんだ、その様を見ているのはとても心地いいよ」 「貴様達が望む世界など、決して実現させる訳にはいかん。今、この世界で人々が享受する幸せこそが、掛け替えのないものだ!」 「……リヴル・スティンゲート、君は本当にそう思っているのかい?」 吹き出した冷や汗、リヴルは鋭く息をのんだ。冷たい光を湛えたワイズの瞳を、どうしても直視することが出来ない。心の何処かにそう信じきれぬ想いがあるのだろうか? いや、そのような事を断じて認めるわけにはいかない。 「くそっ!」 銃のトリガーに掛けた指へ力を込め、引き絞ろうとした瞬間だった。 『何をしている、この馬鹿者がっ!』 突然、リヴルの視界に金色の閃光が迸った、脳裏に響いたのは皇女エクスレーゼの激しい叱責だ。リヴルは蒼く澄んだ瞳を思い出した。 「姫様っ!」 リヴルが叫び声を上げた叫び声と共に、すうっと体が軽くなった。体を縛めていた魔術師の術が完全に霧散したのだ。 「鷹の剣姫か。皇女様に邪魔されたようだね、残念だな。ああ、怖い怖い……」 「待て、ワイズっ!」 「じゃあね、リヴル・スティンゲート」 肩越しに見せたワイズの笑みに、リヴルが激高する。その眼前で踵を返したワイズの姿がゆらりと霞んだかと思うと、跡形もなく消え去った。 「大尉、大尉っ!」 気が付くと、右腕にしがみついたフェルメーレが叫んでいる。よほど怖かったのか、錯乱している様子の侍女に声を掛けようとして、リヴルはその場に凍り付いた。 リヴルが魔術師へと向けていたはずの銃。しかしその銃口は、リヴル自身のこめかみに押しつけられていたのだ。 「……魔術師め」 リヴルの深い憎しみを込めた呪詛は、ワイズが消えた空間へと虚しく響いた。 |
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