ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 46.譲れぬ願い |
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操舵席のすぐ脇を、砲弾が凄まじい衝撃波を引きずりながら通過していった。 操縦桿を握るフリードは、機体を殴り付けるような振動にも動じることはない。敵意を放出しながら高速で迫り来るバトルシップを睨む、琥珀色の瞳の中で瞳孔が狭まる。 「ヴァンデミエール!」 「了解しています」 落ち着いた声で答えるヴァンデミエールが、体の左右に配置されたキーボードへ手の平をかざした。花の上を舞う蝶のように指先が軽やかに踊る。この戦いの最中において、少女は激しくも美しい旋律を奏でるようだ。 「レイディアント空対空砲、発射準備完了」 外部モニター上の照準が前方の機体を捉える、唇を噛んだフリードが操縦桿のトリガーに掛けた指へ力を込めて引き絞った。繰舵室で青く輝く外部モニターに、一瞬だけエメラルドグリーンの閃光が映り込み、襲撃者の牙である機体の装甲板が砕けて飛び散る。 紙一重の間隔で擦れ違うと後方で爆発音が響いた。過ぎていった襲撃者の機体が黒煙を吹き上げ、高度を落としていく。 「戦闘行動を終了、戦闘形態を維持します。フリード、時間がありません。このままゲートを通過して下さい」 「分かっている!」 フリードは真剣な表情で、スロットルレバーに力を込める。蒼い翼を閉じたシルフィードが弾かれたように加速を始めた。 「兄ちゃん……時間がないよっ、早くっ!」 「これ以上は無理だっ!」 切羽詰まったトールの声が震えている。機体を激しく揺する抵抗は、シルフィードが無理矢理に切り裂く大気のうねりを伝えている。急激に狭まる視界の前方に、機体の通過を記録するゲートが見えてきた。 「間に合えっ!」 絞り出すようなフリードの叫びに応えたシルフィードが加速を続け、さらなる速度を上乗せしてゲートを通過する。 「ゲート通過確認の信号を受領しました」 見事にゲートを通過したシルフィードが、翼面積を狭めていた蒼い可変翼を大きく広げて減速した。 役目を終えた二門の空対空砲がゆっくりと後方へ折り畳まれて姿を隠し、繰舵室を覆っていた装甲が開くと目映い光が射し込んでくる。 「良かった……ぎりぎりだった」 フリードは襟元を緩めて額の汗を拭う。 「お、俺、間に合わないと思った」 ぐったりと、シートにもたれ掛かったトールにも覇気がない。 通過時間の記録の為に設けられたゲートは、不正防止の役割も備えている。通過には制限時間が決められており、その時間内にゲートを通過できなければ失格となる。 シルフィードはこのところ、失格寸前でゲートを通過する事態が増えていた。原因は頻繁に何者かの襲撃を受けるからだ、ウェンリーの忠告は的を得ていたのだ。 さすがに都市の付近で襲われることはないが、都市間の中間行程ではもっとも注意しなければならない。 シルフィードが撃墜した機体は、既に十機を越えている。撃墜した数の中にある見慣れぬ機体は、レースに参加していない輩からも狙われているという証拠だろう。しかし襲撃者にどんな意図があるのか、フリードにはまったく思い当たる節がない。 襲撃者を退けなければレースを続行する事が出来ない。ここまでは何とかやり過ごしているが、どうしても時間的なロスが発生してしまう。 「通過のチェックは済ませました、この先の都市は通過します」 「ええっ! またかよっ」 街でゆっくりと休めると思っていたのだろう、トールが情けない悲鳴を上げる。しかしヴァンデミエールの声はどこまでも冷静だ。 がっくりと両肩を落としたトールが、拗ねたように唇を尖らせる。 「仕方ないよ、トール。今は時間に余裕がないんだ」 フリードの声にも力がない。たて続けの戦闘行動で、肉体的にも精神的にも疲労がたまっているのだろう。 シルフィードを操るための操舵技術については向上が著しい。戦闘をこなす度に、フリードとシルフィードの感覚は重なり、繋がり合っていくようだ。 しかしその反面、繰り返される命のやりとりは正常な神経を痛めてしまう。命を奪わぬ峰打ちとはいえ、極度の緊張状態に晒されて、フリードの精神的抑圧という負担が増しているのだ。 憔悴した表情、瞳には澱んだ光。無用な争いを好んだりしないフリードの優しい心に、微細な傷が生じ始めている。 「トール、眠っていてもいいよ」 それでもフリードは、柔らかな笑みを見せてトールにそう言った。 「ば、馬鹿にするなよ。俺はなんともないって!」 「役に立たないのだから、大人しく寝ていなさい。その方が静かでいい……」 「なんだとぉ!」 トールは子供扱いされるのが大嫌いらしい。意地を張って見せるのだが、トールの背伸びした気持ちをヴァンデミエールがばっさりと斬り捨てた。 少年が気に入らないのか、ヴァンデミエールの言葉は蜂の一刺しのようだ。分かり易い皮肉という針で、ちくりとやられたトールは頭から湯気を上げて怒るのだが、ヴァンデミエールは少年に興味が無いようで全く相手にしない。 「トール、ヴァンデミエール……やめるんだ」 フリードは、険悪なトールとヴァンデミエールの仲裁役もこなさなければならない。水と油のような二人の様子に、意地の張り合いではない何かの危うさを感じるからだ。 だが、そんなフリードの気苦労も、少年と少女には伝わらない。 「ヴァンデミエール、シルフィードの現在の状況を教えてくれないか?」 「了解しました」 繰舵室内の雰囲気を変えようとするフリードの問いに、ヴァンデミエールが静かな声で答えた。 両脇に引き出していた火器管制用のキーボードをシートの後方へ押しやり、全面のパネルへ手のひらをそっと当てると、見開かれたままで瞬きもしない翠の瞳が僅かに揺れる。 「現在、予定している航路からの逸脱はありません。シルフィードの行程は、やはり遅れ気味です。トップに立つ機体は、一行程ほど先行していると予想されます」 「トップは、ウェンリー・ホークなのか?」 「いいえ。ウェンリー機を捕捉する事が出来ません、シルフィードからの測位範囲外です」 「そうか……」 前髪を掻き上げたフリードが、小さくつぶやく。決して負けられぬ勝負だが、あまりにも障害が多い。 そんなフリードを見つめていたヴァンデミエールがパネルから手を離し、喉の調子を整えるように小さく咳払いをした。 「フリード、あなたの操舵技術の向上には、目を見張るものがあります。これはセンスと表現されますが、あなたは天賦の才を持っているようですね」 「ありがとう。でも、くすぐったいな」 「私はあなたが身に備えた技能を、正確に評したまでです」 それっきり、ヴァンデミエールとの会話はぷっつりと途絶えた。 先ほどの戦闘を思い出すだけで、両肩にのしかかっているような疲労がその重さを増したように感じられる。体を投げ出して眠りたい、そんな欲求にあらがうフリードは、二、三度首を振って遠くなる意識を繋ぎ止める。 「兄ちゃん、大丈夫?」 「ん? ああ、大丈夫だ」 トールが後ろのシートから身を乗り出し、フリードの横顔を覗きこむ。 眠気にあらがうのも苦しいのだが、心配顔の少年に正直なところは話せない。乾いた笑いを見せるフリードの様子に、ヴァンデミエールは小さな唇をきゅっと噛んだ。 茜色に染まり始めた空。 シルフィードの蒼い翼が、濃紺に沈み始めた雲を易々と切り裂いてゆく。地上から見上げていると様々に形を変える雲もいざ手が届くところに来ると、ときめきなど感じないものだ。 靄のように漂う水蒸気を見ながらしばらく巡航を続けると、雲の下にはなだらかな平原が広がりはじめた。その先からは山際の裾に向かって森が見えている、傾き掛けた陽の光で長く伸びる木立の影。じっと地形の様子を観察していたヴァンデミエールが小さく肯いた。 「フリード、今日の行程はここまでにしましょう。すぐに機体を降下させて下さい」 「え? でも、それでは……」 「早くして下さい、機体を隠せる理想的な地形です。焦りに駆られて無理に急いでも効率は上がりません、シルフィードの性能ならば、先頭の集団を捉えることが充分可能です」 「分かった、了解したよ」 睡魔が襲ってくる間隔が短くなりつつある、フリード自身も体に限界が来ている事を感じていた。 このまま頻繁に襲撃を受ければ、予定に深刻な影響を及ぼしかねない。襲撃者を退けたタイミングで、少しでも距離と時間を稼いでおきたいのだが。 焦る気持ちは心を揺らす。そうだ、ヴァンデミエールの意見は正しい。 シルフィードはゆっくりと旋回をしながら高度を落としてゆき、静かに平原へと着陸した。 機体を茂みの付近へと移動させて、後部に増設された貨物室から暗い色のネットを取り出す。本来なら、機体を隠す必要などない。だが、これまでに幾度も襲撃を受けているシルフィードだ、警戒を怠るわけにはいかない。 しかしヴァンデミエールの見立て通り、僅かならば火を使っても目立ちはしない地形である事が分かった。 重く感じる体を引きずるように作業を始める、野営に必要な道具一式の準備も万端だ。訪れた先の都市で休むことが出来るのなら、何の問題もないのだが。 かまどにするために大きめの石を組み、携帯用の固形燃料に着火する。そこらに落ちている枝を、ただ拾い集めても湿っていては使い物にならない、固形燃料の火が安定したところで乾いた枝を火にくべる。 野宿の準備も手慣れたものだ、テントを張る手際も良くなった。大きなドラム缶を運び出して茂みの中に置き、タンクに積んでいた水を満たす。 「ヴァンデミエール、湯に浸かるといい。トール、僕達はこっちだよ」 体を浸せるほどの湯になると、フリードはヴァンデミエールにそう声を掛けてトールの背中を押した。 「待って下さいフリード! 私よりも、あなたが早く疲れを取るべきです」 「そういう訳にはいかないよ」 フリードは、背中越しにさらりと答える。暗闇の中で両手を胸に抱いたヴァンデミエールは、フリードの背中に声を掛けようとして思い留まった。 物言いたげな少女は、フリードの背中へ声を掛ける事も出来ずに見送る。 すべての命を暖めるように照らしていた、力強い炎の固まりである陽が稜線に隠れた。時が経つにつれて闇はその深さを増し、勢力を増す暗闇に負けまいと頼りないランプの灯りが揺れている。 「ゴールは、まだ遠い……」 揺れるランプの灯りに照らされながら航路図を見つめていたフリードが、携帯食料を地面に置いてずるずると横になる。ゆらゆらと宙を彷徨っていた琥珀色の瞳がついに閉じられて、フリードは寝息をたて始めた。 「兄ちゃん? 兄ちゃんっ!」 トールはそっとフリードの体を揺すってみる。しかし疲れ果てて、泥のような眠りに引きずり込まれたのだろう。フリードが目を覚ます気配はない。 身動ぎさえせずに眠るフリードの姿を見たトールは、困ったように頭を掻いていたが。ややあって、ぶんぶんと首を激しく横に振った。 むん! と口を引き結んで立ち上がると、衣擦れの音さえも気にしながらフリードの側を離れる。 抜き足差し足……。そろりそろりと足音を忍ばせてシルフィードに近寄ると、機体後部のネットをはぐった。 暗闇の中でも、不思議な輝きを放つ装甲。 トールはこれまでも、幾度となくシルフィードの動力炉を調べようとしたのだが。その度にヴァンデミエールからの妨害を受けて、その目的を果たすことが出来ずにいたのだ。 目の前で翼を休めている美しいその機体、シルフィードには父が設計した動力炉『SYLPHEED』が搭載されているように感じてならない。呼び名が同じであるからなのだろうか、しかしそれだけではないとトールは思っている。 ヴァンデミエールが湯に浸かっている、今度こそこのチャンスを逃せない。トールは携帯用のランプを掲げながら、腰のベルトにぶら下げている工具袋の中をまさぐった。 シルフィードの機体底面へと潜り込む、正確に組み合わされた堅牢な装甲。一見すると、外部から内部機関へ手を付ける事が出来ないように見える。しかしよ く観察すると、絶妙な位置にメンテナンス用のハッチが設けられている事が分かった。機体の高度な強度設計、構造が緻密に練り込まれている証拠だ。 念のため、きょろきょろと辺りの様子を窺ったトールが、苦労して発見していたメンテナンス・ハッチを開こうと手を伸ばしたときだった。 「そこまでよ」 「ひっ!」 夜風がヴァンデミエールの厳しい声を運び、トールの耳朶を打った。少年はびくりと痙攣して、シルフィードの機体下部から慌てて這い出した。体の土埃をばんばんと払い体裁を繕うと、ゆっくりと振り返る。 そこには、夜風に塗れ髪をさらしたままのヴァンデミエールが立っていた。 その険しい表情と、射竦められるような鋭い視線。 「まだ懲りないようね。私を出し抜こうとしても、無駄だということに気付かないの?」 「な、なんの事だよっ!」 ぶんぶんと握った両手を振るトールの声が、焦りで裏返っている。 言い訳をするトールを、じっと睨み付けているヴァンデミエール。今まではさりげなく牽制されたのだが、今回は様子が違う。 少女がその体から発する圧力のようなものが吹き付け、トールの短い黒髪がさらに逆立つ。 ヴァンデミエールは小さな唇を僅かに開いて息を吸い込んだ、トールから視線を外すことなく、その胸中でゆっくりと言葉を練り上げる。 「あなたが、どんな事情でシルフィードへ接触してきたのかは知らない。でも、ひとつだけ覚えておいて。フリードは富や名声を求めて、このレースに参加したのではない」 トールの背後、出来る限り灯りを絞ったランプの側で眠っているフリードへと、視線を移したヴァンデミエールが翠の瞳に力を込める。 「決して負けられないの、自らの命を懸けても」 微かに視線を彷徨わせるヴァンデミエールの姿は、どこか儚げに見える。 「ふ、ふん」 一瞬、その表情に見とれていたトールは、はっとして少女から視線を逸らす。 「シルフィードは大切な時、あなたに成長の邪魔をさせる訳にはいかない」 強い口調でそう言ったヴァンデミエールが、再びトールを見据えた。 少女が発した言葉の意味が解らない。そっぽを向いていたトールがヴァンデミエールと向き合い、二人はしばらく無言で睨み合った。 「ちぇ、分かったよ」 折れたのはトールの方だった。大きな溜息を吐き出し、ぶっきらぼうに言ったトールは自分の言葉を証明するように、手にしていた工具を腰の工具袋に収めた。 「でも、どうしてなんだよ?」 「え?」 「何だって、そんなにシルフィードを気にするんだ? そりゃ確かに強いけど、ただのウインドシップじゃないか」 虚を突かれたように、ヴァンデミエールが翠の瞳を数回瞬きさせた。 口を開こうとして肩を落とす、少し俯き加減に顔を伏せる少女は唇を噛んだ。力を込めて握りしめられた両の手が、微かに震えている。 ヴァンデミエールのそんな姿を目にしたトールは、かりかりと頭を掻いていたが、何やら納得したように肯くと人差し指で鼻の頭をひと擦りした。 「なんだか知らないけど……」 お前も無理すんなよと、言葉尻は口に出さず、もごもごと口の中だけで言った。 頭の後ろで手を組んだトールは背筋を伸ばして大きなあくびをした。目を擦りながらフリードの側まで歩いていくと、隣で体を投げ出し横になる。 『男の子は、女の子を守るものだぞ』 トールに言い聞かせる父は、研究をしているときよりも真剣な表情で熱っぽく語っていた。それを思い出したトールは、何か思い詰めたようなヴァンデミエールの表情を見てしまうと、落ち着かなくなった。 「じゃ、寝る」 トールはそれだけ言うと、静かに目を閉じる。 そからすぐに、少年は寝息を立て始めた。眠りの町へ向かう列車に乗った少年を、じっと見つめていたヴァンデミエールはゆっくりとシルフィードに歩み寄った。 砲手席に座ると小さな手を、そっと火器管制用のキーボードに当てる。 (くるる……) 消え入りそうな鳴き声が、ヴァンデミエールの胸に響いてくる。 「大丈夫、心配しないで……。私がずっと側にいるから」 そのままシートに体を預ける、閉じられた少女の翠の瞳から一筋の涙が流れた。 朝日が登る。 眠っていた精神を呼び覚まし、再び遙な天空へと登る膨大なエネルギーを蓄えた球体が燃え盛っている。 体を暖め始めた熱が隅々にまで行き渡る頃に人は目を覚まし、今日もまた動き出す。その営みは悠久に続く時の流れの中で繰り返されてきた。 ゆっくりと体を起こしたフリードは、顔を朱に染める陽の光に琥珀色の目を細めた。とても眩しい、だがしっかりと見据えていたい。 心の中に大切にしまってあるニーナへの想い、それは眼前の太陽に負けぬ熱を持っている。 高鳴る胸に手を当てて確かな心臓の鼓動を確かめたフリードは、ふと隣で寝袋にくるまっている少年を見遣る。 少年と共に行こうと思ったのは、トールの黒い瞳に揺れる真剣な想いを感じ取ったからだ。 ヴァンデミエール、トール、それからフリード自身も。 それぞれが胸の奥底へ抱いている、譲ることが出来ない想い。その純粋な願いは、目の前に立ちはだかるどんな障害や苦難も越えてしまうのではないだろうか。 「この旅の終わりに、みんなの願いが叶いますように」 ゴールはまだまだ見えないが、力強く前に進むのみだ。 さあ、新しい一日が始まる。蒼き翼にすべてを託し、再び空へと舞い上がるのだ。 |
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