ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


53.HAPPY BIRTHDAY(後編)


 目次
 瞬時に操舵室から光が奪われる。
 機体がバラバラになっても不思議ではないほどの衝撃だったが、堅牢なシルフィードの装甲は耐え抜いてくれた。
 だが機体は無事でも操舵席の中は無事ではすまない。シートから投げ出される事はなかったが、体に加わる大きな力に激しく振り回される。
 無数の泡が薄闇の水中に湧き、明るい水面へと上ってゆく。一度深く水中に潜ったシルフィードはフロートを展開し、機体にまとわりつくその泡と共にゆっくりと湖面に浮上した。
「ぶ、無事みたいだ。湖の上で良かった……」
 操舵室に差し込む陽の光に安堵し、掠れた声を漏らすフリード。肩に食い込んだベルトが痛い、痣でも出来ているのでないだろうか。
「ヴァンデミエール、トール……。あ、あれ?」
 二人の無事を確認しようとベルトを緩めて体を捻る、顔をしかめて両肩をさするフリードの膝の上に、白い玉がちょこんと乗っていた。
「これは何だ?」
 これまでに、何度も操舵室で計器や操作レバーの点検を行っているが、こんな白い玉など見た事がない。
 手にとって確かめようと、フリードは両手で玉を持ち上げた、手触りはすべすべしていて何やらほんのりと温かい。不思議に思ったフリードが、白い玉を乗せた手にやや力を入れた瞬間だった。
「ぴい!」
 白い玉が大きな鳴き声を上げ、勢いよく跳ねた。
「うわわっ!」
 驚いたフリードは、わたわたと白い玉をお手玉にした。一度顔を引いてごくりと息を飲むと、あらためて不思議な物体に顔を近づけた。
 すると……。
 ばっ! と眼前に広がったのは小さな翼だ。ならば、ぴん! と立ったのはおそらく尾羽だろう。くるりと振り向いた夜空色をしたつぶらな瞳、オレンジ色の嘴が開いた。
「ぴい! ぴい!」
 狭い操舵室内で羽ばたいた真っ白な小鳥が、フリードに勢いよく飛びついた。
「お、おい、ちょっと、ちょっと待ってくれ!」
「ぴい! ぴいっ!」
 人の言葉が通じる訳もなく、白い小鳥は大はしゃぎでフリードにまとわりつく。だが、ばしばしと羽で顔を叩かれては堪らない。
「痛い、痛いよ!」
 慌てて両手をばたつかせるフリードの後ろ、砲手席で体を丸めていたヴァンデミエールがようように体を起こした。
「うん……。機体は、機体の状況は……」
 左右に揺れる黒髪、額に手を当てて頭を振る。少女の心配は、自分の体よりもシルフィードの方が優先順位が高いらしい。翠色の瞳をぱちぱちさせているヴァンデミエールに気付いた白い小鳥は、小さな翼を羽ばたかせて弾けるように少女を目掛けて飛んだ。
「ぴい! ぴい! ぴいっ!」
「あ、きゃあっ!」
 ヴァンデミエールの肩に留まった小鳥が、嘴を驚いている少女の頬へと擦り寄せる、まるでヴァンデミエールに甘えているようだ。
「な、何で小鳥が操舵室にいるんだ?」
 シルフィードの風防は閉じたままだ、小鳥が迷い込む隙間などありはしない。体を固定するベルトを外したフリードが首を傾げていると。
「いてて……」
 トールがボヤキながら体を起こして、ぴんぴんに立った黒髪を撫でる。
 その時、白い小鳥がくるりと振り向き夜空色の瞳で少年を睨み付けた。小さな翼を広げてヴァンデミエールの肩を離れ、猛然とトールに飛び掛かる。
「ぴぴぴいっ!」
「わああ、何だよ、コイツっ!」
 鋭い鳴き声を上げる白い小鳥は忙しなく羽ばたきながら、小さな嘴でトールの短い黒髪を咥えてぐいぐいと引っ張る。振り払おうとするトールの両手を巧みにかいくぐり、短い黒髪を踏んで得意げに頭の上に留まった。
「……う、動くなよ」
 思う存分に髪を引っ張られて痛かったのだろう、目にうっすらと涙をためたトールがそろりそろりと手を上げる。 狙いすまして悠然と頭の上に居る白い小鳥を捕まえようとしたが、そんなトールの思惑などお見通しだったのか、白い小鳥はぱっと身を翻した。
「あ、こんにゃろっ!」
 両腕を大きく空振っていきり立つトールを馬鹿にするように、白い小鳥は再びヴァンデミエールの肩に留まり、黒髪の中にさっと身を隠す。
「トール、操舵室で暴れないでくれ」
「何言ってるんだ、俺は悪くないよっ!」
 顔を紅潮させて喚き散らすトール。
「この子は、人を見る目があるようです」
 少々、意地悪げな笑みを閃かせたヴァンデミエールがパネルを操作すると、ゆっくりと風防が開いていく。
 ヴァンデミエールの黒髪から顔だけ覗かせて、きょろきょろと辺りを伺っていた白い小鳥は、翼を精一杯に広げると操舵室から飛び出した。穏やかな青い空を満喫するように翼を思いきり羽ばたかせて飛び回る。
 薄い靄がかかる湖の真ん中に、シルフィードはぽつんと浮かんでいる。操舵室を出て機体の上に立ったフリードに気付いた小鳥は、すぐにフリードの肩へと舞い降りた。
 ぴょんぴょんと肩の上を跳び、羽繕いをしながら「ぴい!」と鳴く。
「君は何処から来たんだい?」
 フリードが右手をそっと差し出すと、白い小鳥は指を伝ってぴょんと手に乗り、夜空色の瞳でフリードをじっと見つめて首を傾げてみせる。
「ヴァンデミエール、君は何か知らないか?」
「さぁ、どうでしょう……」
 そう答えて、はにかんだ少女の柔らかに細められた翠の瞳。
 フリードはヴァンデミエールのこんな笑顔を見たのは初めてだろう。その笑顔を見ただけで、疑問などどうでもよくなってしまった。
「そうです。フリード、この子に名前を付けて下さい!」
「な、名前だって?」
「はい」
 ヴァンデミエールが砲手席から身を乗り出した。
 フリードは白い小鳥をしげしげと見つめる、琥珀色の瞳と夜空色の瞳、戸惑いと期待、双方の視線が交錯した。
 責任重大な役目に、しばし想いを巡らせる……が、迷う事などなかった。
「……シルフィ、君はシルフィだよ」
 ぽつりとつぶやいたその名が届いたのか、白い小鳥……シルフィが小さな翼を羽ばたかせてフリードに飛び付いた。
「ぴい! ぴいっ!」
「うわ、分かった、分かったよ」
 再び翼でばしばしと顔を叩かれて、フリードは思わず首を竦める。喜びを爆発させるようにフリードにまとわりついていたシルフィは、ヴァンデミエールの肩に飛んだ。
「よかったね。あなたはの名前はシルフィ、シルフィだよ」
 嬉しそうなヴァンデミエールが左右に大きく広げた両腕を伝い、シルフィがぴょんぴょんと跳ねる。そうして少女の腕を行ったり来たりしていたシルフィが、勢いよく空に舞い上がった。
 フリードは気持ち良さそうに空を飛び回るシルフィの姿を目で追いながら、シルフィードの現状を思い出して溜息をついた。
「それにしても、困ったな」
 腰に手を当てて首を捻る。何度も試してみたが、まるで眠り込んだように沈黙してしまったシルフィードは起動キーの信号に何の反応も示してくれない。
 トールは先程から動力伝達部に潜り込んでいる。だが、動力炉以外の機関に故障は見られないだろう。
 これまでにも何度か同じ状態に陥った事がある、その時はしばらく時間をおくと動力炉は再起動した。今回も同じならばいいのだが。
 高性能を誇る新鋭機だが、心配が尽きない機体だ。
「はあ……」
 琥珀色の瞳を閉じたフリードの前髪を、ふわりと微風が撫でていった。その優しい風に誘われるように顔を上げる。両肩の力を抜いて大きな湖へと目を向けた。
 力を蓄えるように一度体を屈めて大きく伸び上がる。精一杯に体を伸ばしてから力を抜くと、全身のこわばりが消えたような気がした。
 翼面に腰を下ろして片膝を抱え、静かに息を整えながら景色を眺める。
 まるで時間が止まったようだ。湖面を揺らす風の中に、透き通った風の妖精が舞っている姿を想像すると自然と笑みがこぼれる。
「フリード……」
 傍らに立ったヴァンデミエールのしなやかな体、少女が風に揺れる黒髪を手でそっと押さえていると、空を舞っていたシルフィが、その細い肩へふわりと舞い降りた。
「何を考えているのですか?」
「うん? こんなに遠くまで来たんだなって、思ったんだ」
「カーネリアが恋しいのですか?」
「違うよ」
 琥珀色の瞳を細めたフリードは、照れくさそうに微笑んだ。
 緩やかな時の流れの中にある故郷、カーネリアを飛び立ち広い広い世界へと羽ばたいた。緊張と不安に身震いした事が何度もあった。弱音を吐く事もなくここまで来る事が出来たのはニーナへの想いがあるからこそだ。そしてヴァンデミエールとトール、二人と一緒だったからだと思う。
 少女はまるで探るようにフリードの琥珀色の瞳を覗き込む、肩に留まるシルフィも同じように見えるのはどうしてだろう。
 視線を外したヴァンデミエールはフリードの傍らにちょこんと座り、腕に体を預け翠色の瞳を閉じた。
「……風が気持ちいいです」小さな唇を僅かに開けて、静かに呼吸している少女の黒髪が風にそよいでいる。
 フリードは微かな緊張と共に琥珀色の瞳を閉じて、暗闇の中で心臓の鼓動を聞く。腕から伝わってくるのは少女の命の鼓動だ、生を感じさせるそのリズムは、フリードの鼓動に応えるように重なり力強さを増してゆく。
 レースは未だ終わっていない、この先には何があるのだろう。ふと、そんな事を考えたが、先見の力など持たぬ者に未来を見通す事は出来ない。
 物思いに耽っている場合ではない。今は前に進むのみだ、胸の中にある大切な思いを遂げるただそれだけのために……。
「あれ?」
 どれくらいの間、黙想していたのだろうか。気が付くとシルフィの姿が見あたらない。
「シルフィ、どこにいるんだい?」
 フリードは方々に向けて名を呼んでみるものの、シルフィは姿を見せない。ここは大きな湖のほぼ中心だ、飛翔力の弱い小鳥がどれほどの距離を飛べるというのだろうか。
「どこかに隠れているのか? でも」
 フリードが困り果てていると、ヴァンデミエールがぱっちりと目を開けてフリードを見上げた。
「フリード、充分に英気を養う事が出来たでしょう。ひとときの休息は終わりです、そろそろ出発しましょう」
 そう言って立ち上がると、機体の上をとんとんと弾む足取りで歩く。今日の彼女はとても機嫌が良さそうだ。風の中で軽やかに身を翻した少女がくるりと振り返り、とんっとフリードの前で爪先を揃えた。
「ヴァンデミエール、シルフィの姿が見えないんだ。それに動力炉が起動しないだろう?」
「心配しないで、みんな大丈夫です!」
「え?」
「シルフィはちゃんといます」
 少女らしい微笑みを見せたヴァンデミエールは胸元をそっと押さえると、フライトジャケットの裾を踊らせて砲手席へと滑り込んだ。
 立ち上がったフリードは、首を捻りながらヴァンデミエールの後に続いて操舵席に座る。
 差しっぱなしになっている起動キーに手を掛けると、息を止めて右に捻った。指先に感じる微かな痛みは、起動キーが発した信号が動力炉に伝わった合図。操舵手がウインドシップを命在るものだと感じる瞬間だ。
「き、起動した!」
 驚いたフリードが、琥珀色の瞳を丸くする。
「トール、君なのか?」
「違うよ、俺は何もしてない。動力炉はバラせないからさ」
 フリードが声を上げると、貨物室と機関部に通じる扉から顔を覗かせたトールが唇を尖らせ、砲手席でツンとすましている少女をちらりと睨んだ。
「動いてよかったけど。俺、こんな気分屋の機体なんて見たことないよ」
 少年はぶつぶつ言いながらタオルで顔のオイルを拭き、小さな体を投げ出すようにどさりと補助席に収まった。
 操縦桿を握りスロットルレバーを操作したフリードは、これまでとは明らかに違う感触に息を飲む。感じるのは、重く体の奥底にまで伝わるほどの強く逞しい息吹だ。
「フリード……」
 戸惑うフリードの背中を、そっと押すような少女の囁き。
「いつでもいいよ!」
 不安など吹き飛ばしてしまうように響く、少年の元気な声。
「ヴァンデミエール、トール……。ああ、行こう!」
 フリードはしっかりと頷いて、動力炉の出力を上げていく。風防を閉じて静かに湖面を滑り始め、シルフィードは力強く波を蹴立てる。徐々に滑走する速度を上げると、操舵室の風防に映る景色があっという間に後方へと流れゆく。
「主動力炉、臨界点突破しました。離水タイミング、今です!」
 ヴァンデミエールの明るい声を合図に踏み切り、蒼い翼を大きくしならせたシルフィードが大空へと舞い上がった。
 湖で笑いさざめく風の精霊達に見送られ。五大国のひとつ、リィフィート国で待つ次のゲートを目指して……。


 虹の翼のシルフィード 第三章 【了】


 拙作にお付き合い頂き、心より感謝しています。
 第四章に続きます、ありがとうございました。
 
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