ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 64.武器商人 |
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指先で顎の先を摘むように撫でる。 切れ長の瞳の奥で燻るのは強い野心なのか。車の後部シートでふんぞり返り、大きく歪めたその口元に皮肉げな笑みを浮かべた男はホロウリックだ。 現在、ボーウェン社の専務という肩書きを持つ彼は、代表取締役社長である父親のファルサハ・ボーウェンが公言しているように、将来は会社を受け継ぐ二代目である。 本社工場の傘下へ身を寄せあうように連なる中小及び零細の下請け企業、部品供給会社との取引において冷酷な条件の要求を突きつけ、問答無用で押し通す事で恐れられている。支社を転々としていた頃に交渉術などの技能を身につけ磨きを掛けてきたのだろう。だが、自社本意の企業努力に骨惜しみをしないというあまりにも強引な仕事のやり方は問題を伴うものだ。 実際、本社勤務となったホロウリックが実質的に会社を取り仕切るようになると、ボーウェン社のシェアはウインドシップの市場で飛躍的な伸びを見せた。 その手腕は優れているといえる。しかし、彼の名が広く知られるようになったまさにその時期、それまで市場からの支持を得ていたブロウニングカンパニーが突然、軍需産業からの撤退を表明したのだ。 市場の独占的位置を虎視眈々と狙っていたボーウェン社にとって目の上の瘤、業界最大手の企業であったブロウニングカンパニーの失墜は大きな衝撃だった。競争相手があっさりと市場から消えた事で、ホロウリック自身の業界における評価は残念な事にやや響きが悪い。 彼が歩んだこれまでの足跡を見れば、商才はあれど運は彼に味方をしてくれないことが分かる。 港湾部に広がる工業地帯。複雑に入り組んだ工場の一角で、ホロウリックを乗せた黒塗りの大きな乗用車が止まった。 「おい、しばらくここで待っていろ」 運転手へと乱暴な言葉を投げつけ、磨き上げられた車から降り立ったホロウリックは面倒臭そうにドアを閉めて気怠げに首を回す。 「行くぞ、もたもたするな」 車から降りたのは彼だけではない、アーディアとフィーディアが無言で頷いた。 双子の姉妹を従え、背中に不遜な態度をにじませるホロウリックは革靴の硬質な音を響かせて冷たい階段を下りてゆく。階下から伝わってくる喧噪。ホロウリックは楽しげに目を細め、着崩したスーツのポケットから煙草を取り出そうとして、ふと立ち止まった。 彼が立ち止まった事で、後ろに付き従っている双子の姉妹、アーディアとフィーディアの足も自然と止まる。見目麗しい姉妹なのだが、二人はその生い立ちから魅力的な笑顔など持ち合わせていない。 ホロウリックの視線の先には大きな鋼鉄製の扉がある、その地下に建設されたプラントの入り口だ。 「イヌども、お前等はここまでだ」 ちらりと背後を睨んだホロウリックの表情に反応したフィーディアが、奥歯をきつく噛みしめると険しい表情を浮かべた。 「……貴様、調子に乗るなよ」 「やめなさい、フィーディア」 表情を変えず僅かに片腕を上げたアーディアが妹を制する。握りしめた拳を震わせるフィーディアは、不承不承だが姉に従った。 「そうだ。番犬は大人しくご主人様の言いつけを守っていればいいんだよ! はっ、フランシェスカってえ名前だったか? 少佐殿の命令だから仕方がないよなぁ」 ホロウリックは双子の姉妹を侮蔑するように、片方の眉を上げた憎らしげな表情で笑った。口を引き結び僅かに頷いた双子の姉妹が同意したことを確認し、両手を伸ばして重い扉を押し開く。 グランウェーバー国、カーネリア領にボーウェン社が管理している工場がある。その地下に建造された施設、巨大なプラントに足を踏み入れると、視線を巡らせてその内部を見渡した。 多数の機器が稼働状態にあるからなのか、プラント内の温度はやや高い。広いスペースへ、ところ構わず設置された金属製の巨大な筒が立ち並び、床や壁に幾筋もの太い配管が縦横無尽に走っている。 制御板を備えた設備が集中する一際高い場所、下から見上げるほど高い位置に鎮座するのは分厚いガラス製の円柱だ。集めらた配管が連結された円柱の中は中空になっており、内部に満たされた液体に沸き上がる気泡が、ゆらゆらと揺れている。 満足そうに頷いたホロウリックは、忙しなく行き交う作業員達に紛れて佇む一人の魔術師を見つけた。 「……ちっ」 舌打ちをしたホロウリックは、不機嫌な表情でスーツの埃を払う真似をする。 「おい魔術師。しばらく姿を見なかったが、こんなところで油を売っているんじゃねぇよ、いったい何の用だ?」 背後から低く威嚇するような声を投げつけると、髪を揺らした魔術師が面倒くさそうに振り返った。 「北部山脈のドックでは四神の建造が大詰めだと聞いた、プラントの建造行程はどうなのかと気になってね」 つまらなそうに、ホロウリックを一瞥したのはワイズだ。 「お前に言われる筋合いはねぇ。そんな所に突っ立っているとぶん殴られるぜ」 「それは邪魔をしたね。君に特別な用があるわけではないんだ、失礼するよ」 敵意をちらつかせるホロウリックに、短く答えたワイズが外套の裾を揺らした。 「おい、待てよ」 立ち去ろうとするワイズを、剣呑な瞳で睨み据えるホロウリックが呼び止めた。 「お前等の方はどうなんだ? 風の何たらって女が見つからなけりゃあ、計画は進まないんだろうが」 「そのことかい……」 踏み出した足を止めたワイズが口を開く前に、ホロウリックは人差し指を魔術師の眼前へと突きつけた。 「お前の顔を見ていると腹が立って仕方がねぇ! お前ら魔術師共が失敗を重ねたおかげで、こっちは大きな損害を被っているんだ。制御体の試作品を奪われ、完成した二体のうち一体は調教に失敗しやがっただろうが! そうでなけりゃあ、金食い虫『ライオネット』の建造を急がせずに済んだんだからな!」 感情の赴くままに高圧な態度をとるホロウリックだが、自分を高い位置に置いておくことを忘れない。 「その件に関してはこちらの落ち度だ、言い訳をするつもりもない」 ホロウリックが吐き出す言葉の勢いに押されたように、数歩だけ後ろに退いたワイズが眉を顰める。 新型の動力炉『SYLPHEED』を制御するための人形、その試作品を失い。またようやく完成の域に至った二体のうち一体が『SYLPHEED』を奪って逃走した。残った一体は軍に引き渡したものの、軍と魔術師の関係には微妙な空気のズレが生じてしまった。 これまでに魔術師を狩る騎士団、トゥエイユハーゲンとの死闘を繰り返してきたのだ。魔術師達も相当に疲弊をしている、組織における体勢の緩み……そのせいもあったのだろうが。 「まだだ。答えを聞いちゃいねぇ、捜し物の件はどうなっている」 「可能な限りの手を使って、捜索しているところだ」 「けっ! 口先だけじゃないだろうな、しくじればこのプラントの存在意義がなくなる。それだけじゃすまねぇんだ、覚えておけ」 ホロウリックは、苦々しげな表情で腕を組んだ。 「面白くねぇ、早く『SYLPHEED』を拝みたいもんだぜ」 「ここまで来たのなら四神の完成を待てばいいことだろう。ウインドシップレースも最終行程となるようだ、聖王国アリアレーテルを過ぎれば、蒼い翼も北部山脈に近づくのだからね。……以前にも釘を刺しておいたはずだよ、余計な手出しは迷惑なんだ」 憤るホロウリックの言葉を聞きとがめたワイズが、自らの気持ちを落ち着けるように深く息を吸い込んだ。 「ふざけるな! 遊びじゃねぇんだ、ちんたらのんびりとやってるられるか。俺が欲しいのは『SIGNUMU』じゃねぇ、あくまでも『SYLPHEED』だ。あの動力炉の開発に注ぎ込んだ資金は半端な額じゃないんだ! 分かっているんだろうが、このクソ魔術師がっ!」 興奮したホロウリックが怒鳴り散らす。 「くそっ! アルディア博士さえ大人しく言うことを聞いていりゃあ問題なかったんだ。畜生がっ!」 『SYLPHEED』という名を与えられ、次世代を見据えて設計された動力炉。 だが開発者であるアルディア博士は自らの研究対象へ幾重にも絡みつく思惑に危惧を覚え、完成した『SYLPHEED』を廃棄しようとしたのだ。 アルディア博士に研究開発費を支弁していたボーウェン社は、無理を推して巨額の投資を行っていたのだ。故にホロウリックは強攻策を採った。『SYLPHEED』をアルディア博士の研究所から強奪し、北部山脈の軍施設に搬入したのだ。 しかし『SYLPHEED』を制御体と共に自社工場へと輸送する際に起きた事件の末、あろうことかかつての商売敵であるブロウニングカンパニーの手に渡ってしまった。しかも『SYLPHEED』はブロウニングカンパニーが開発をしていた新型機に搭載されて、これ見よがしにウインドシップレースに出場している。 それを知ったホロウリックは、はらわたが煮えくり返る思いだった。 ブロウニングカンパニーの看板を背負い、搭載された動力炉と同じ名を持つ機体「シルフィード」でレースに参加しているのは、社長であるアルフレッド・ブロウニングの甥。グランウェーバー国カーネリア領を治める辺境伯ブロウニング家の嫡男であるらしい。 貴族のお坊ちゃんなど、赤子の手を捻るようなものだとホロウリックは高をくくっていた。ところがその予測は外れ、シルフィードは順調にレースの行程を進んでいる。レースのどさくさに紛れて刺客を送り込み『SYLPHEED』を奪い取ろうとしたが、差し向けた刺客達はことごとく返り討ちにあってしまった。 そうして手をこまねいているうちにシルフィードは着々と順位を上げ、現時点で上位に食い込んでいる。こうなってしまうと注目の視線を浴びるため、あからさまに目立つ工作を仕掛ける訳にはいかないのだ。 計画遂行の為に行ったのは新型機開発の前倒し、多額の資金と人員の投入だ。ここで転ければ口煩い出資者達が黙ってはいないだろう。 肝が細い父ファルサハをはじめ本社の老役員達は、暗い部屋に閉じ籠もって密談を重ねる毎日だ。内心では魔術師を恐れ、軍との連携ばかり気にしているようだが。 年寄り共は己の保身、その方法についてばかり話し合っているのだろう。多少のリスクに脅えているようでは、大きな利を得ることなど出来はしない。 あれこれと考えを巡らせていると、こめかみの辺りに鈍い痛みが溜まってくる。ホロウリックは考える事を中断した。 忌々しい頭痛の種は幾つもあり、彼が対処せねばならない事は山積みになっている。会社の周辺をあれこれと嗅ぎ回っている犬どもがいる。見え隠れするのは幾人かの情報屋の姿と「ウェンリー・ホーク」という名の冒険者だ。 ウェンリーは冒険者達の間で、神と呼ばれ崇拝されている。誰かに雇われでもしたのだろうか、何にしろ冒険者風情にちょろちょろされては鬱陶しい。 だが既に手は打ってある、後は朗報を待つだけだ。 「色褪せた看板を持ち出す亡霊会社と、あの小生意気な貴族の糞餓鬼め……。まぁいい、ヴェスペローパも本調子を出せる頃合いになったからな」 「聞き捨てならないね、まだシルフィードに手を出すと言うのか」 冷気を伴う声音、魔術師の瞳が底光りした。 「忠告が聞けないと言うなら、僕にも考えがある」 僅かな左腕の動きで、ワイズが外套を跳ね上げる。 「おっと、この前のようにはいかないぜ」 その時、アーディアとフィーディアがワイズの視線を遮るようにホロウリックの前に現れた。それぞれに手を懐に忍ばせた双子の姉妹と、左腕を構えたワイズが無言で睨み合う。 「トゥエイユハーゲン、魔を狩る者か。君達は……」 双子の姉妹が放つ視線に怯えたわけでも無いだろうが。 何かを言いかけたワイズは口を噤んで首を横に振ると、左腕を静かに下ろして外套の中にしまった。 「こいつらは、元々お前等の天敵だ。俺様の命令ひとつでお前の喉笛を切り裂くぜぇ」 両肩を震わせ、口元を歪ませたホロウリックが楽しげに笑う。 「各国に大量導入されたバトルシップの強化部品と、ヴェスペローパ……。大陸を揺るがす戦乱が巻き起これば、四神の胎内で脈動するアストレディアの初陣さ。そうなれば、激しい殲滅戦を見物出来る日も近いって訳だ!」 恍惚とした表情で顎を上げ、大きく両腕を広げたホロウリックは芝居じみた仕草を続ける。 「四神が圧倒的な力で大陸の空を席巻し、このプラントが稼働を開始すれば新しい世界ってのがお目見えするんだろう? いわば俺はその功労者って訳だ、国のひとつくらい貰ってもおかしくはねぇ。なるほど玉座か、馬鹿げた夢だが面白いじゃねぇか!」 手の甲にくっきりと浮き上がった筋が震え、力を込めた両腕を天に向けるホロウリックの瞳が血に飢えた獣のように爛々と輝いている。果てしない熱量を伴う欲望は悪意とひとつになり、その体内で荒れ狂っている事だろう。 「大きな勘違いをしているようだね、君は……」 「勘違いだと? この薄汚ねぇ魔術師風情が!」 牙を剥いたホロウリック、その鋭い視線がワイズを貫いた。 「ボーウェン社は創業当初から生粋の武器商なのさ、俺様にとって戦乱に怯える魂が歪む音は心地良いんだよ。アストレディアは翼を広げ、死を撒き散らす享楽の舞を見せつけるんだ!」 ホロウリックの哄笑を、双子の姉妹の肩越しに見つめていたワイズは嘆息し、ゆっくりと踵を返した。 「新たに創出される世界……。その理が成す大きな環は、君のような人間を受け入れはしないよ」 プラント内に満ち溢れる狂気を放つホロウリックは、ワイズが漏らした蔑み、その小さなつぶやきに気付かなかった。 |
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