ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


71.ライオネット(2)

 目次
「ライオネットの各部点検を急げ!」
 苦々しげな表情でパンドラを見送ったフランシェスカは、振り返ると整備兵へ大声で指示を出す。その指示に呪縛を解かれ、ライオネットへと集まる整備兵達の動きが慌ただしくなる。
「どうだ、ライオネットに大事はないか?」
 ライオネットが、ゆっくりと整備用の作業デッキへと移動を始める、フランシェスカは機体へと歩み寄る白衣姿の男へと声をかけた。
「これはまた……。パンドラが指摘した案件に間違いはないですねぇ。動力炉から大顎を開閉させるシリンダーへのエナジー供給量を見直しましょう。ふむ。場合によっては、もっと大型のシリンダーを用意しなければなりませんね」
 ライオネットを観察していた白衣姿の男は、節くれだった指で書類の束をめくる。痩せぎすで猫背のために実際の年齢よりも老けて見える。男の名はペールベント、ボーウェン社から派遣されている技師だ。ウインドシップに関する各種の力学、内部機関の構造等に精通しているらしい。
「機体に心配は無いでしょう、ただ飛ばすだけなら誰の操舵でも問題ありません。綱渡りではありますが、大事の前にライオネットの問題点を潰しておける。少佐も怒りを鎮めていただけますか?」
「分かっている……」
 そう返事をしたものの、フランシェスカは人を小馬鹿にしたようなペールベントの口調が気に入らない。
 だが己の職務であるならばやむを得まいと、自分に言い聞かせている。そして何より、ライオネットをキルウェイドから任されてもいるからだ。
「それよりも。この機体ならば、間違いなくシルフィードを捕らえられるのか?」
「断言など出来ません」
「何だと?」
 フランシェスカの表情が険しくなる。
 無責任な言葉を吐いたペールベントは、大袈裟に両肩をすくめてみせた。しかし、そんな事など気にもしていないように、白衣のポケットに両手を突っ込んだままで、うっとりとライオネットの機体を眺める。
「収集されたシルフィードのデータをじっくりと検証しましたが、蒼い翼は純粋な戦闘艇として完成されています。ただ現行のバトルシップよりも数世代……。ふん、私が見積もったところ、せいぜい一世代ほど先を行く性能でしょうか。これまでは、機体性能に見合った動力炉の開発が出来なかったのだと推察される」
 芝居がかった仕草と口調だ、意見を述べる己の姿に陶酔しているのだろうか。
「良くも悪くも、用途としては凡庸なバトルシップでしかない。少々火力が強くて、少々頑丈な装甲を持っている程度です」
 ペールベントの意見に、フランシェスカは腕を組んで丈夫な軍靴を履いた足を踏み鳴らした。
「その少々優れているに過ぎぬ機体に、我らは何度も煮え湯を飲まされているのだがな」
「なんと、これは耳が痛い」
 にやけたペールベントの表情は、吐いた言葉とは裏腹だ。
「蒼い翼は最新鋭の動力炉『SYLPHEED』を搭載しているのですから、相手が悪いのは確かです。従来の機体、つまり現在運用されている機体では、全く歯がたたないのは当たり前でしょう。それに、ヴェスペローパ本来の用途を考えて下されば、お分かりになるはず。追加装備を施せばそれだけ不安定さが増す、それは無理というものです。それよりも……」
 勿体をつけた後、ペールベントはまるでフランシェスカを見下すように、口元を大きく歪めてみせた。
「今は『ヴァンデミエール』と呼ばれているようですが。あなた方は、あの制御体『スプライト・ユニット』が動力炉『SYLPHEED』を奪って逃走を計った際に、それを阻止する事が出来ず。またご要望にお答えして、私共が用意して差し上げた機体の性能も発揮された様子が見られませんね」
「貴様、何が言いたい」
「まぁまぁ、お話の続きを聞いてください」
 低い声を出すフランシェスカを宥めるように、ペールベントはおどけてみせた。
 言動がいちいち癇に障る男だ、フランシェスカは胸中でぎらりと光る短剣の刃を研ぐ。
「『SYLPHEED』は、アルディア博士の非凡な才能がいかんなく発揮された結果です。矮小な私共がどんなに力を尽くしたとて、ライオネットに搭載されている『SIGNUM』は所詮、模造品でしかない。『SYLPHEED』の中に収められているものを考えて下さい。それはもう、どうしようもありません」
 ペールベントの瞳が、ほんの僅かな間だけ仄暗い炎を灯した。
「あの完成度を誇る動力炉を廃棄しようとするなど馬鹿げている、博士が愚行にはしる前に回収する事が出来てよかった」
 醜く歪んだ表情は、彼の心に巣食う嫉妬心にほかならない。後ろ暗い感情はいくら取り繕ったとしても表情へ滲み出るものだ。
「動力炉の性能差は如何ともし難いのですが、現状のライオネットは『対シルフィード』を目的に特化した機体だということです」
 ちらりと顔を出した本性を隠し、ペールベントは大きな身振り手振りで得意げにしゃべり続ける。
「加えてライオネットを制御するパンドラは、元々『ヴァンデミエール』のバックアップとして用意された個体ですが、私共の手によってきちんと調整されています。まぁ、上手く扱うことですね。敵に回せば厄介ですが、きちんと飼い慣らして道具にしてしまえば十分に使えます」
 同等の能力を持つ個体でも『パンドラ』は、その完成度において『ヴァンデミエール』を凌駕していると言いたいのだろう。確かに『ヴァンデミエール』は、このドックへの輸送途中に逃走を図った。最終的な調整は行われていないのだ。
 ……それにしても。
「貴様の物言いを聞いていると、反吐が出そうになる」
 命あるものの尊厳を、無惨に踏みにじる発言ではある。その思想は魔術師も然り、呼び名が違うだけで同じ類に属する者達ではないのだろうか。整った顔を歪めたフランシェスカが、嫌悪感を顕に吐き捨てた。
 人間の手に余る複雑な動力炉の制御を担う『スプライト・ユニット』とは、ボーウェン社の技師達が付けた呼び名だ。それは魔術師から提供された技術だが、魔術師の側ではまた違う認識であるという。
 『スプライト・ユニット』は試験として何百体も生み出されたのだが、完成とされる域まで成長に至ったものは三体のみだ。研究結果としては報われぬ。一体目の所在は不明、二体目は『ヴァンデミエール』という名で稼働中だが、こちらの意には沿わぬ。三体目の『パンドラ』だけが、成果として手元に残っている状態だ。
 創世戦争期、大陸が戦火の最中にあった時代の事である。闇の女神グローヴィアは自らが構成した魔術により次々と魔物を生み出した……。グローヴィアを信奉する魔術師達は、その術を受け継ぎ更に練り込んだ。『スプライト・ユニット』もまた、謂わば魔物と同じ存在なのである。
 だが魔物を生成する術と同じ魔術を用いているとはいえ、外見は人間の少女と何ら変わりがない。
「おやおや、貴女がパンドラを睨む瞳の鋭さも相当のものですが?」
 下卑た笑いを顔に貼り付けたペールベントの声が大きくなった、興奮しているのか声がうわずっている。
「論点が違う……ですか。果たしてそうですか? この大陸を見つめるのは憂いを湛える紫水晶の瞳だ、その心を支え信頼を勝ち得るのは、さて、どちらなのですかねぇ……」
 目を細め口元を歪めたペールベントの探るような視線が、フランシェスカへと纏わり付く。
「貴様、そのよく動く舌を引きぬかれたいのか?」
 フランシェスカが右足を僅かに退いた。その気になれば、この枯れ枝のような男を始末するのに武器など要らぬ。抑揚の無い口調は次の瞬間、言う通りになるやもしれぬ、そんな危うさを纏っている。
 フランシェスカの全身から放出される殺気に気付いたのだろう、びくりと背筋を伸ばしたペールベントは愛想笑いを浮かべる。
「おっと。ただの技術屋にしては出すぎたことを申しました、これは失礼……。私はライオネットの調整に入りますので、それでは」
 慇懃な態度で一礼したペールベントは、白衣の裾を翻すとライオネットに向かって逃げるように歩き出す。胸中を探られたような嫌悪感に、フランシェスカは握った拳を震わせた。以前の彼女であったなら、ペールベントの命はとうにあるまい。
「少佐!」
 歩み去る技術屋の後ろ姿を睨み付けながら、フランシェスカへ走り寄ったのは若い青年将校だ。
「パンドラが墜とした機体と、操舵手の冒険者はどうした? ウインドシップレースへの参加者なのだろう? 大顎を使ったのならば、ライオネットの姿をはっきりと見られているのだ、放置しておけば面倒なことになるぞ」
 フランシェスカにいきなりそう問われ、若い将校は驚いたようだったが。表情をあらため踵を揃えると姿勢を正した。
「ご心配無く、既に回収しております。拘束した冒険者の二名も、特に外傷など負ってはおりません」
「ふん。あいつが言う通り、小娘の腕は確かだということか」
 ペールベントの貧相な背中をちらりと睨み、フランシェスカは皮肉気な表情で呟く。
「ところで少佐、お話があります」
「どうかしたのか?」
 小声でフランシェスカを呼ぶ青年将校は、どうやら思うところがあるらしい。
 皇太子キルウェイドの元へと集まった若者達は皆、新たに創出される世界を夢として胸に抱いている者ばかりだ。血気盛んであり、当然、士気も高い。裏切れぬなと、フランシェスカは常々考えている。気持ちを切り替えると軍服の襟と共に姿勢を正した。
「たかが機械屋風情が。あの男を、好きにさせすぎではありませんか? 自分には、奴が懐に何かを隠し持っている気がしてなりません」
 この青年将校も、ペールベントが気に入らないようだ。
 だがペールベントはボーウェン社から派遣されている。軍への協力者であるホロウリックの片腕といえる男だ。あの上役にこの部下かと、フランシェスカも腹に据えかねているのだが、キルウェイドの崇高なる目的の達成を考えると無下にも出来ぬ。
 苛立ちを持て余しながらも、同調するしかないのだ。
「殿下のご意向だ」
 そう答えるほか仕方ないフランシェスカの胸の中で、ペールベントはすでに数十回は死んでいる。
「ですが少佐。我等は、殿下が掲げられた大義の元に集っているのです。シルフィードなど、たかが一機のウインドシップが本当に必要なのでしょうか。最近では、整備兵も奴に言いくるめられ、得意げな与太話に傾注する始末です」
「言わせるな。シルフィードではない、動力炉『SYLPHEED』がどうしても必要なのだ」
 フランシェスカは溜息とともに短く答えた。
 傍らの青年将校に気付かれぬように気持ちを落ち着ける、暴風が吹き荒れていた胸中はなんとか凪いだようだ。
「奴が言う通り、シルフィードの捕獲をヴェスペローパに任せるには荷が重い。しかし新型機などとても用意する時間がない。そうなれば、やはりライオネットを使うしか方法が無い訳だ」
 フランシェスカにしてみれば、青年将校とまったく同じ意見である。『制御体』など、忌み嫌われた魔術師がもたらす技術を受け入れる事など反対であったのだが。
 キルウェイドが進もうとしている道の険しさを思うと、口にすることは憚られた。
 そして『蒼き翼』の捕獲についてだが、ペールベントの意見に一理があることは確かなようだ、それを理解できぬフランシェスカではない。
「私達は殿下を信じて従うだけだ」
 今は、組織内に無用な亀裂を作る訳にはいかぬ。計画の遂行には細心の注意を払わなけらばならない。事を成すためには人心を掌握し、士気を高く維持する事が重要なのだ。
「ですが少佐っ!」
「話は、この私が聞かせてもらう。だから今は堪えて、力を貸してくれないか」
 不満げな表情で、なおも食い下がる青年将校の肩に手を置き、真剣な表情で彼の瞳を覗き込んだ。
「今少し、少しの時間でこの大陸は大きく揺れるだろう。古来より命の源を生み出す、神秘の森を懐に抱く我がグランウェーバー国が、大陸を統べる。その為には、貴様達ひとりひとりの力が必要なのだ」
 青年将校に向けた言葉には、偽りが含まれている。しかし、フランシェスカが発した一言は魂の炉にくべる薪となる、言葉とは、常にそんな魔力を伴うものだ。

☆★☆

 あてがわれた粗末な部屋の中、パンドラはベッドの上で膝を抱えていた。
 乱れた長い黒髪はそのままに、小さな手はフランシェスカにぶたれて赤くなった頬を撫でている。しかし翠色の瞳からは、もう怒りを感じることはない。それどころか、今にも消えてしまいそうなほど少女の存在感は希薄だ。
 抱えた膝に顎を乗せ、パンドラはきゅっと唇を噛む。
 猛吹雪が牙を剥き、装甲板に喰らいつく恐ろしい音が室内に響いている。ぶるっと体を震わせた少女は、恐怖に抗うようにますます腕に力を込めて膝を抱く。
 乱暴な風の音を意識から遠ざけようとしたからなのか。ふと脳裏に閃いたのは、暖かな陽が降り注ぐ水の都の風景だ。優しく頬を撫でる微風を思い出せば、頬の痛みが薄れていくような気がした。
 そして記憶に残っているのは、無造作に目の前へ差し出された甘い食べ物の味だ。その食べ物を一緒に食べた、黒い髪をしている自分と同じ背丈の子の顔が思い出せない。
 舌はその食べ物の甘い味を覚えているのに、パンドラの記憶はあやふやでとりとめがつかない。
 自分の名を伝えたことは覚えている。何故なら『パンドラ』という名は、少女が自我を得る為の鍵として与えられた唯一のものであり、とても大切な宝物であるからだ。
 だから少女は、その宝物を与えてくれた紫水晶の瞳を持つ青年の為に、彼が喜ぶ事をしようと思う。それが唯一、彼女の望みであり、安らぎなのだ。
 だが、どうしたというのだろう。
 水の都を訪れた時から、少女の胸にはさざ波といえる波紋が広がることがある。
 その理由が分からなくて、パンドラは翠色の瞳を閉じて暗闇に意識を置く。胸の奥では、何かしら言いようのない不安と、だが決して不快ではない感情がぶつかり合い、激しく渦巻いている。
 パンドラは抱えていた膝から手を離した。ぱたりとベッドに倒れて横になると、長い黒髪がふわりとシーツの上へと広がる。体を伸ばして大きく息を吐く。
 どうしても理解出来ない感情を持て余した少女は、自分の存在を確かめるように両腕で自分の体を強く抱きしめた。
 
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