The Story of Art Gallery Coffee shop Memories

22
Shine Red
 目次
 薄い暗闇が染み込んでゆく夕暮れ。
 様々な明かりが踊り、賑わう駅前の大通りには、足早に家路を急ぐ人々の姿。
 その人波から取り残されたように、華やかなショーウィンドウ脇の壁に背を預けている慎吾は、ゆっくりと星が瞬き始めた夜空を見上げた。
 黒い皮のロングコートを羽織り、襟元にはグレーのマフラー。 
 珍しく無精ひげは綺麗に剃ってあり、整えられた黒髪が風に揺れている。
 とても絵になりそうな雰囲気だが、気配を断つように物憂げな表情の慎吾を気にとめるものは誰もいない。
 ポケットから煙草を取り出して、一本くわえようとした慎吾はふと手を止めて、まだ封を開けていない煙草のボックスをポケットに入れた。
 そういえば、瞳子と出会ってから煙草をあまり吸わなくなった。
 何となく、いつも気が引けてしまうのだ。
 ぼんやりと、人の流れを眺めているうちに陽が暮れてしまった。それでも身じろぎひとつする事のない慎吾を、突然に目映い車のヘッドライトが照らし出す。
 鮮烈な赤い色のクーペ、路肩に一台のBMWが停車した。
 ゆっくりと、運転席のウィンドウが下りる。
「待たせたみたいね、早く乗りなさい」
 落ち着きのある女性の声。
 慎吾は助手席側に回ると、ドアを開けて乗り込む。
「いつもの場所でいいかしら?」
 異論はないので慎吾は黙したままだ。
 女性は慎吾の沈黙を同意としたらしい、慎吾がシートベルトを締めるとアクセルを踏み込んだ。
 赤いBMWは滑るように走り出し、駅前通りの車列に合流する。
 ひんやりとしている車内の空気。
 サイドウィンドウに流れゆく夜の景色と、軽快なジャズのリズム。
 ステアリングを握るのは、慎吾よりもずいぶんと年上の女性だ。
 長い指を飾るのは綺麗に手入れされた爪、仕立ての良い上品なスーツ、胸元で輝くネックレス。
 紅いルージュをひいた唇が笑みの形を作り、BMWはバイパスの高架をくぐり抜け、古い国道を直進する。
 すれ違い過ぎゆく、目映い対向車のヘッドライト。
 無造作にアクセルを踏む女性に抗議する事もなく、赤いBMWはスムーズに加速していく。
「時間はたっぷりあるわ、たまにはドライブも良いものよ」
 女性がそう言って笑う、これはいつものコースだ。
 国道を一時間ほど走り、海沿いに建つレストランの駐車場へと赤いBMWは滑り込んだ。
 暗闇に煌々たる照明を受けて浮かび上がる、レストラン「CARUSO」〈カルーソ〉の白い建物。大きめに切り出された石が綺麗に敷き詰められ、スポットライトに照らし出された幻想的なエントランス。
 女性はBMWを降りると、襟と袖のファーが豪奢な皮のコートをさっと羽織る。ハンドバッグを片手にドアを閉めると、ろくに施錠も確認せずに歩き出す。
 車から降りた慎吾の黒髪を不意に乱したのは、暗闇から吹き付けた強い海風。
 (分かっている、俺は焦ってなどいない)
 心の中でそう「風」に答え、覆い被さるような闇をひと睨みした慎吾は、ゆっくりと女性のすらりとした後ろ姿を追った。
「いらっしゃいませ」
 扉を開くとウェイターの若い青年が、無表情のまま丁寧に会釈をした。
 女性が二人連れであることを告げると、
「お客様。お煙草は……」
 青年の抑揚のない声での問い掛けに、女性が慎吾へと視線を送る。慎吾が無言で首を横に振ると女性は「最近は吸わないそうよ」と、短く答えた。
「では、こちらへどうぞ」
 無表情なウェイターは手で先を指し示し、自らが先頭に立った。
 顔なじみの筈だが目が合っても青年はにこりともしない、慎吾自身も普段はあまり表情を表に出さないので、人の事は言えないが。
 広い店内に満ちている、落ち着いた照明の光。
 所々に配置された観葉植物の若々しい緑色が、無機質な店内の雰囲気を和らげている。
 案内されたのは一階の一番奥。
 大きな絵が飾られている壁際……いつもの席だ。
 女性はコートを預けたが、慎吾はロングコートを脱いで無造作に空いた椅子へと放った。
 この席は他の席から少し離れているので、あまり他人に聞かれたくない会話をするのに向いている。
 メニューを手に持った先ほどのウェイターの青年が現れ、食前酒を勧められたが女性は車だからと断った。
 これから仕事の話をしなければならないので、慎吾もアルコールを遠慮した。
 女性は伊勢海老、慎吾はローストビーフのコース料理を、それぞれにメニューから選ぶ。
 無表情なウェイターの青年は、必要最低限の案内だけを済ませると、さっさとメニューを持って席を離れた。
 料理を待つ間でも、女性と慎吾の間にまったく会話はない。
 興味深げな女性の視線を身に受けながら、慎吾は素知らぬ顔で壁に飾られた大きな絵を見つめている。
 この間店を訪れた時と、壁に飾られた絵が変わっている。
 同じモチーフを描いたとして、彩人ならどんな表現をするのだろう。慎吾はぼんやりと、そんな事を考えていた。
 早くもなく、かといって待たされもせず、注文した料理が運ばれて来た。
 前菜の皿を前に手を動かさない慎吾を見て、女性がくすりと笑った。
「どうしたの? 毒も媚薬も入っていないわよ?」
 そんな事は分かっている、慎吾は無言でフォークを手に取った。 
 ただ食欲を充たすだけのために、黙って食事を進める。
 食後に珈琲が運ばれてくると、やっと女性は本題を切り出した。ハンドバッグから数枚の写真を取り出して、テーブルの上へと広げる。
「今回の依頼はこの子よ。まだ幼さが残る容姿だけど間違いなく実力派の成長株。データも申し分ないわ。メディアも注目しはじめているの、どうすれば魅力を最大限に引き出せるか、データとサンプル画像を照らし合わせてよく考えておいて頂戴」
 思考が仕事へと切り替わったのだろう、女性の甘ったるい口調が変わった。
「私は特に、あなたでなくてもいいのだけれど? まぁ、麗香のご推薦だものね」
 『特に』という言葉へ力を入れるところに、女性の作為的な思いを感じる。
 腕が錆び付かないように、気を使ってやっているという事か。
 反感を悟られぬように、慎吾は静かに目を閉じた。
「それにね、私は麗香に期待しているの。実力を試される大事な時期に来ている、ここをどう乗り切るかによって、あの子の将来が決まると言っても過言じゃない」
 女性の語気が強くなる。
「麗香には、少し揺さぶりを掛ける事になると思うの。でも、決して甘やかしたりしないで。あの子にとって、あなたが唯一の逃げ場所だから」
 女性の鋭い視線を感じ、目を開いた慎吾はその視線をまともに受けた。
 言われなくても分かっている。
 慎吾の表情に同意を感じたのか、女性はふと頷いて相好を崩した。
 上品なカップの縁を撫でて、慎吾を見つめる。
「いつまでこんな田舎町に、引きこもっているつもりなの?」
 何を言い出すかと思えばくだらない。
 慎吾が黙っていると、女性はテーブルへと頬杖を突き意味深な笑みを浮かべた。
「一度あなたの喫茶店へお邪魔したけど、良い雰囲気のお店ね。それに髪が長くて黒いジャケット姿の彼女……可愛いわね、とても素直で。うん? 可愛いというよりも、もうしばらくしたら、綺麗ね……かしら?」
 紅いマニキュアで染めた爪、女性の指先が艶めかしく蠢く。
「ふふ、でも私から見たら、まだまだ可愛い子猫ちゃんに違いはないけど」
 話に興味が無い風を装った慎吾は、テーブルの上の写真を手に取って眺めた。
 しかし、女性はそんな慎吾の態度などお構いなしに話を続ける。
「そうそう。それからあなたの弟だけど、才能があるみたいね。私に任せてくれればそれなりの場所で、それなりの仕事が出来るようになるわよ? 安心しなさい、お世辞なんかじゃないわ。つまらない人間など、持ち上げている暇なんか無いから」
 慎吾は厳しい表情で、写真をテーブルへと放った。
 まったく……気が抜けないな、瞳子や彩人の事まで知っているのか。
「余計な世話をしないでくれ。あいつには向いていない」
「あら、私の見立て違いって事かしら?」
 唇の端を上げた女性の笑い方が、いやに慎吾の癇に障った。
「違う、あんたのやり方だ!」
 思わず声を荒げた慎吾、女性と会ってからはじめてまともに口を開いた。
 女性は慎吾の激情に、わずかながらも驚いたようだった。
「オーケー、分かったわ。あなたの弟に近づいたりしない。約束する、誓ってもいいわよ」
 肩をすくめてみせた女性は慎吾を宥めるように、幾分柔らかな笑みを見せた。
「可愛いのね、あなた。怜悧な表情で無関心を装っていても、自分の大切な人達の話にはすぐに反応するもの」
 慎吾は鋭い視線を女性へと向けたが、女性には少しの動揺も与えられなかったらしい。
 軽く唇をなめた女性はくすりと笑うと伝票を手に取り、話は終わったとばかりに席を立った。
 カルーソを後にした赤いBMWは、迷う事無くバイパスの入り口へと向かった。
 ロードノイズも感じさせぬ、交わされる会話も無い静かな車内。インターを降りたBMWは程なく駅前通りへと到着し、路肩へと少し乱暴に停車した。
「また連絡するわ、麗香に“愛してる”って言わないの?」
 感情を窺わせぬ声が、慎吾を引き留める。
 その質問に答える義務はない。
 慎吾は女性の問いを黙殺し、車を降りるとドアを閉めた。慎吾の広い背中へそれ以上の質問を投げかけるでもなく、BMWは静かに走り出す。
 ふと振り返った慎吾の瞳に映るシャイン・レッドの車体が暗闇へと溶け込み消えていく。しばらくテールランプの光を見つめていた慎吾は、ゆっくりと夜更けの駅前通りを歩き出した。
 ポケットから取り出した煙草の封を開けて一本くわえると、くたびれたライターで火を点ける。
 マフラーを押さえて、冷気の中へ溜息と共に紫煙を吐いた。
「……仕事か、少し忙しくなるな」
 慎吾は小さくつぶやいて少し歩みを早め、寝静まる中央通り商店街の茶館へと続く道を辿る。
 こんなに腰を落ち着けて、この街で暮らした事があっただろうか。
 最近では、すっかりこの中央通り商店街の一員として認識されているようだ。緑色の屋根をした小さな画廊茶館を見て、ほっとする自分が可笑しくなった。
 二階には明かりが付いている、瞳子はまだ起きているかもしれない。
 疲れてうたた寝などしていなければいいが。
 慎吾は煙草を揉み消して、近所迷惑にならないように気を使いながら、離れの立て付けが悪い引き戸を開けた。

 ☆★☆

「あったかくて、気持ちいいわね……瞳子ちゃん」
 カーペットの上でころんと寝ころび、すっぽりとこたつにはまり込んだ遙が間延びした声を出した。
「そうですね、遙さん」
 同じくカーペットに転がった部屋着の瞳子も、こたつの温もりに気の抜けた返事をする。
 茶館の二階、温かな瞳子の部屋。
 小さなこたつの上には籠に盛ったみかんと、コーヒーのポットにマグカップ。
 空になったお皿と、小さなフォークが乗っている。
「今夜は、お泊まりしようかな〜」
「遙さん、お布団の用意をしましょうか?ちゃんとして寝ないと風邪をひきますよ」
 瞳子の頭も、すでに半分ほど眠っているようだ。
 それほどに、こたつの魔力は侮れない。
「あなたこそ……私は大・丈・夫よ〜意識が途絶えたら、多分消えちゃうから〜」
「あ〜そうなんですか〜」
 瞳子と遙は、ぽつりぽつりと間延びした会話を続ける。
 夢への入り口はもう、すぐそこなのだろう。
 
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