ミネルバの翼 「2.ブレイバー」

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 コンパスと地図を頼りに、果てしない地平線を睨む黒曜石の瞳。その輝きは切なく、でも、内に秘めた激しさを感じる。
「あの」
 僕は遠慮がちに、少尉……美鈴さんの後ろ姿へ機嫌を伺うように声を掛け
た。
 風に乱れる長い黒髪を左手で押さえ、振り返った彼女の表情は予想通り険悪だった。
「うるさいわね、何よ?」
「ずっと、仲間の捜索を続けるんですか?」
「当たり前の事を聞かないで。装甲板の破片でも見つけて持ち帰るわ」
 僕をひと睨みした美鈴さんの答えは、どこまでも刺々しくてそっけない。
 翌日、僕と美鈴さんは半壊した軍の整備工場を後にして、近隣に存在している連合軍の駐留基地……の跡地に居た。
「あの少佐までがなんて信じたくないけど。それに冗談じゃないわ、メノアはまだ二十歳にもなっていないのよ!」
 美鈴さんの唇から、幾度となくその名が漏れ出す。
 夜明け前からずいぶんと探し回ったのだが、美鈴さんの僚機達は残骸すら発見する事が出来なかった。
 何かの情報が入るのではないかと一縷の望みを掛け、情報端末に記録されている連合軍の駐留基地に向かったのだが。そこは基地どころか、廃墟も何もないただの荒野だったのだ。

 随分と前にセラフィムの攻撃を受けたのだろう。
 基地が存在していたと思われる地点は、とても地図とは照合出来ないほどに地形が変わっていた。
「美鈴さん。そろそろ、ここを離れましょう」
 僕はもう何回そう進言しただろう?
 そうしないと、おそらくとてもまずい事になる可能性が高い。
 いや、絶対にそうだ……間違いない。
「こんなになるまで、徹底的に破壊するなんて!」
 どうやら僕の声など耳に届かないらしい。それほどの怒りに打ち震えている美鈴さんは、荒れ果てた大地を厳しい表情で見回している。
 フレグランス・ウィスラーによって発せられた全人類の抹殺宣言を、セラフィムは忠実に実行している。連合軍の駐留基地やレジスタンスの活動拠点などは、最優先の排除目標として設定されているのだろう。
 一般の民間人が肩を寄せ合って暮らしている居住コアにも、散発的な攻撃が加えられている。まるで、罰でも与えるかのように。
 僕は地面に膝をついて、赤茶けた土を手ですくった。
 さらさらと手のひらからこぼれ落ちていく乾ききった土の中に、高い熱で炙られて変形している何かの固まりが残った。

 命を育む海も母なる大地も、もはやその役割を放棄してしまった。
 いや、そうさせたのは人間に他ならない。
 それは、人間が犯したとても償う事の出来ない大きな罪だ。
 
 ぼんやりとそんな事を考えていた僕は、ふと荒れた大地に仁王立ちしている美鈴さんを見た。どうしたのだろう? 彼女の様子がおかしい、一段と険しい表情で空の一点を睨み付けている。
 荒れ果てた大地を吹き渡る熱い風。
 その優しさの欠片もない風が、長い黒髪をなびかせた瞬間。
「リスティ、走りなさい!」
 突然、美鈴さんが鋭く叫んだ。
「え?」
 何の事か分からない僕が棒立ちしていると、彼女にいきなり胸ぐらを掴まれた。
「ブレイバーに乗るのよ、走りなさい!早く!」
「は、はい!」
 もの凄い力で美鈴さんに引きずられ、瓦礫に足をもつれさせながらも駐機姿勢を取っているブレイバーへと必死に走る。
 やっとの思いで、機体乗降用ウィンチを使ってコクピットへと辿り着くと。
「もたもたしない!」
 美鈴さんにメインシートの後ろへと蹴り飛ばされた。
 僕はブレイバーのコクピット内、彼女のシートの後ろにロールケージを組み、大破していた複座機の小型シートをひっぺがして取り付けていた。
 何となく乳母車に乗っているように見えてしまうが、いつ敵機と交戦状態になるかもしれないので、まさか装甲兵の手に乗せて運んで貰うわけにもいかなかったのだ。
「どっ、どうしたんです?」
「敵が来たのよ!」
 怒鳴った美鈴さんは、ハッチを閉じるとブレイバーの起動に取り掛かった。
 右腕が操縦桿を引き起こし、左手が目にも留まらぬ早さで次々とスイッチを入れ、キーボードを打つ。
 よほどの緊急事態なのか、起動時の機体チェックの項目を全てキャンセルする。ヘルメットを被った彼女がバイザーを降ろすと同時に、メインモニターが灯りブレイバーが起動した。
 そして次の瞬間、コクピット内に接近警報が響き渡る。
「セラフィム・タイプが五機。こんな事をしていれば、見付かるのは時間の問題だとは思っていたけど」
 セラフィムだって?
 全身が震えに襲われる、やはり僕の存在を嗅ぎ付けてきたのだろうか。
「だ、大丈夫なんですか?」
「黙っていなさい!」
 シートから身を乗り出して美鈴さんに声を掛けると、また思い切り怒鳴られた。 
 コクピット内に響く警報、セラフィムがライフルを発砲したのだ。
 駐機するブレイバーのすぐ側に着弾し、高熱の爆炎が吹き上がる。巻き起こる膨大な土煙の中から、飛翔したブレイバーが飛び出した。
「スクラップにしてやりたいけど」
 地獄の底から響いてくるような、美鈴さん声が聞こえた。
 数発ライフルを発射したブレイバーが、セラフィムへ背を向けて加速した瞬
間。
「わーっ!」
「きゃああっ!」
 弾かれたような急加速に、コクピットに二種類の悲鳴が上がる。
 え、二種類?
「ちょっと美鈴さんっ!僕はともかく、何であなたが悲鳴を上げてるんですか
っ!」
 強烈な加速でシートへと押しつけられながら、僕は彼女に向かって叫んだ。
「僕はともかくですって?あんただって男のくせに!」
 美鈴さんは、ぜえぜえと肩を上下させながら操縦桿を握り直した。
「このとんでもない出力は何なの?」
「何って聞かれても、フライト・ユニットの潜在的性能ですよ」
 機体をあちこちいじるなと釘を刺されたので、僕はフライト・ユニットの点検と調整のみを行ったのだ。
「へ、へぇ……」
 いきなり黙り込んだ美鈴さんは、しばらく何か考えていたようだったが、
「殺るわよ」
 鋭い口調でそう言って、ブレイバーを反転させた。
 機体の右脇を、追撃してきたセラフィムが発射したエネルギー弾が掠める。
「わぁっ!」
 コクピット内が赤い光に照らされ、僕は思わず首をすくめた。
「うるさいわね、いちいち騒がないで!」
 おぼつかない手つきでシートへ身体を固定する僕を叱りとばし、美鈴さんは機体を回転させつつ回避行動に移る。
 逆さまの状態で、ライフルを二連射。
 伸びて行くエネルギー弾を、優雅な容姿を持つセラフィムは散開していとも簡単にやり過ごす。広げたそのしなやかな翼が、煌めく燐光を発する。
 次々と襲い来るエネルギー弾。
 ブレイバーに回避運動をさせていた美鈴さんは、向かってくる数十基のミサイルを左腕に装備されているシールドから引き抜いた接近戦用のブレードで、次々とその横っ腹を切断する。
 それはもう、見事な手並みだった。
 振動により白熱化しているブレードを一閃させ、爆煙を吹き散らかせた美鈴さんは、バルカン砲を連射して敵機から少し距離を取った。
「なるほどね」
「え?」
 その時僕は気付いた。なんだか美鈴さんの様子がおかしい。
「め、美鈴さん?」
「ジャンク屋にしては良い腕しているようね、これなら翼が武器になる」
 僕の問いかけに答えず、彼女はヘルメットの中で不気味な笑い声を立てている。
 美鈴さんが、舌なめずりしたような気がした。 
 獣のようなイメージで。
「リスティ」
「は、はい?」
「舌を噛むんじゃないわよ!」
「うびゃああ!」
 いきなりの加速に、またもシートに身体が押しつけられた。息が詰まり、悲鳴の尾の部分はかすれて消える。
 ブレイバーは再び爆発的な加速で、セラフィムの編隊へと向かって突入していく。
 セラフィムがライフルを乱射してくるが、ブレイバーはまるで踊るように軽やかな動きで、十字砲火をかいくぐる。
 あぁ、挑発無限大。
 美鈴さんに借りた耐Gプロテクターを装着しているものの、僕は装甲兵で空中戦などした経験は全く無いのだ。
「めっ美鈴さんっ!しぬっ……死んじゃいますって!」
 加速Gに翻弄される僕は、なんとか意識を繋ぎ止めながら絶叫する。
「人聞きの悪いことを言わないで、あたしは味方機を墜とした事なんて一度もないわっ!」
 僕は乾いた笑いを口の端から漏らす。
 ああ、気が遠くなってきた。
「そうか、あたしの後ろに乗っていたのよね」
 やっと気が付いたのか、美鈴さんはつまらなそうに言った。
「もう少し、我慢しなさい」
 次の瞬間、ライフルを左腕へ固定すると、美鈴さんはブレイバーを一気に加速させた。
 またしても、敵機の真っ只中へと。
「美鈴さん。まえっ、前〜!」
 気を失っている場合などではない。
 美鈴さんは目を剥いて叫びまくる僕に答えることもなく、ブレイバーの加速を続ける。
 機体をかすめ続ける、信じられない数のエネルギー弾。その恐怖に僕は目を見開いたまま、ついに発する言葉を失った。
「……っ!」
 機体に振動が伝わる。
 しかし、ブレイバーが被弾したのではない。セラフィムと肉迫した瞬間、ブレイバーの接近戦用ブレードがその胴を真一文字に薙いでいたのだ。
「ひとつ!」
 叫び声と同時に急旋回。
 一瞬セラフィム二機がブレイバーの機体を見失った。信じられないほどの鋭角的な旋回をやってのけたブレイバーが、セラフィムの頭上から襲いかかる。
 動きを止めサーチ状態に入ったセラフィム二機の頭部を、ブレイバーがあっさりと切り飛ばした。コントロールを失ったセラフィム二機が、力なく荒れた大地へ落下していく。
 フライトユニットのバーニア、脚部スラスターを全開。まるで踊るように旋回し、再びブレイバーがセラフィムに迫る。
「残りふたつ!」
 ブレイバーを捕捉したセラフィムがミサイルを発射する、美鈴さんはそのミサイルの真っ正面へ機体を向けた。それは自殺行為としか思えないが、しかし。 
 僕には、機体が被弾するなどという恐怖が、ひどく馬鹿らしい事に思えた。
 そして、それは正しかった。ミサイルがモニターの真横、つまりメインカメラが搭載されている頭部の直近を通り過ぎたが、美鈴さんが慌てる様子はない。
 次の瞬間。
 ブレイバーが下方から切り上げたブレードによって、セラフィムの機体が縦一直線、真っ二つに割られていた。
「最後っ!」
 ブレイバーのライフルから、一筋の火線が伸びる。
 残った一機は、頭部コントロールユニットを打ち抜かれてあっさりと爆砕し、その爆光を浴びるブレイバーが接近戦用ブレードをシールドへと静かに収めた。
「やっていられないわよ。人も乗っていない、こんな木偶人形と命のやり取りで……」
 終息する爆光を見つめながらつぶやく、彼女の醒めきった口調を耳にしながら半ば放心状態の僕は、先程目の当たりにした彼女の手並みを反芻していた。
 凄い、とても人間技とは思えない。
 機体の扱い方は奔放で激しいが、乱暴なのではない。状況判断と兵装選択、そして回避運動などあらゆる行動が的確なのだ。
 彼女特有の勘なのか、それとも場数を踏んできた経験と自信なのか。
 どちらにしても、彼女が優秀なパイロットであることは間違いない。
「そうだ、この人なら」
 つぶやいた僕は、地上が近いことに気が付いた。
「美鈴さん。地形が悪そうですから、着陸には気を使って下さい」
「うるさいわね、大丈夫よ」
 不機嫌そうな美鈴さんは僕に言葉を投げつけ、無造作に操縦桿を操作する。
 その時、ブレイバーの左足が踏みしめた不安定な岩場が大きく崩れた。
 ぐらりと傾く機体、全面モニターが真っ赤になるほどの警告灯。
「え? 何?」
「めっ、美鈴さんっ!」
 何やら、嫌な振動が伝わってくる。
 崩れる岩場に足を取られ、ブレイバーはくるくると踊った後、背中から派手にひっくり返り、そのままずるずると岩場の斜面を滑り落ちた。
 地響き、もうもうと舞い上がる砂煙。
「このスケベ野郎っ! 何してるのよっ!」
 ゆりかごシートから投げ出された弾みで、僕は美鈴さんの胸の谷間に顔を埋める格好になっていた。
 ごっ!
 彼女の拳が思い切り顔を上げた僕の眉間に炸裂する。
 狭いコクピット内で慌てて跳ね起きて、今度は後頭部を思い切り操縦桿にぶっつけた。
「今度は、頭を叩き割るわよ?」
 美鈴さんが、牙をむき出すように恐ろしい形相で威嚇している。
「そんな、事故ですよぅ……」
 僕は目に涙を浮かべ頭を抱えて悶絶しながら(いったい……誰のせいなんだよ)と、心の中で彼女に抗議した。


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