ミネルバの翼 「24.終焉の序曲」
 苛烈な太陽を覆い隠す、暗雲が支配する空。海を渡る冷たい風が僕の髪を撫でてゆき、波は不気味な静けさに凪いでいる。この海域は幾度も大きな戦争が繰り返された場所であり、打ち棄てられた艦船の残骸が多い。激突でもすれば危険だが、身を隠すには都合が良い。
 僕と美鈴さんは放棄されていた装甲兵の格納デッキを持つ大型の軍船を改造し、幽霊船のような残骸を隠れ蓑に、海上都市ヴィラノーヴァの近海で様子を窺ってい
た。
「全てのチェックは終わりました」
 僕は、機体搭乗用リフトの手摺に背を預けている美鈴さんに告げた。
 四肢を固定されて静かに目覚めの時を待つのは、僕が心血を注いだ一機の装甲兵。美鈴さんが着ている、パイロットスーツの色と同じ純白の機体だ。耐熱樹脂塗料に種類がなかった為なのだが、僕はとてもよく似合っていると思う。

 今日は、この星からすべての人間が姿を消す日……。

 漆黒の鎧を纏う裁きの神エスペランゼは完成し、海上都市ヴィラノーヴァから全ての居住コアへと、人類の完全なる抹殺が宣言された。
 折しも完成した僕の機体はチェックが終わったばかり、何とか間に合ったようだ。
 僕は逃げ場もない各地の居住コアでパニックが起こることを危惧していたが、予想に反してパニックが起こるどころか、子供、女性、年老いた人達を守るように人々は冷静に避難を始めているらしい。 
 その最中、最後の戦いを挑むためにヴィラノーヴァへと向け、ひとつの船団が出発していた。
 五隻ほどの急作りの艦隊だったが、一隻また一隻と仲間に加わり、今では百隻以上の大艦隊になっている。艦隊を束ねる旗艦の役割を担っているのが、軍船に改造された超巨大船ジュエル号。
 五百機あまりの装甲兵の先頭に立つのが、蒼い稲妻……ロアンの「VX−5F型」だという情報を僕は掴んでいた。 
 ヴィラノーヴァノ中央制御システムは、真っ先に艦隊を殲滅せよと命令を出すだろ
う。
 美鈴さんが機体に馴れるまで出撃させたくはなかったのだが、どうやらそういう訳にもいかなくなったようだ。
「すべてを懸けた決戦ね」
 美鈴さんは、手にした思考制御システムの専用ヘルメットの調子を見ながらつぶやいた。
「僕達にとっても同じです。でも、何百という戦艦、何万という装甲兵を集めたところでエスペランゼに勝てる訳が無いんです。無駄に人を死なせるような事は出来ません」
「この馬鹿、なに自信満々で言ってるのよ」
 美鈴さんは呆れたようにいうと、僕を睨んだ。
「それにしても綺麗な機体ね。あの黒い奴もそうだけど、なかなか良いセンスしてるじゃない」
「センス……ですか」
 僕は、純白の装甲にそっと手を触れた。
「機体のデザインを考えた訳じゃありません。僕はただ、幾重にも強度計算を張り巡らせただけ。その計算結果が形作るラインです」
 多分、初めてだろう。
 僕はしっかりと美鈴さんを見つめた。
「……美鈴さんに、帰って来て欲しいから」
 美鈴さんは数回瞬きしたあと、いきなり右手を伸ばして僕の額をこづいた。
「この子は、何て言う名前なの?」
「名前ですか?」
 ずきずきと痛む額を撫でながら僕は口ごもり、美鈴さんと一緒に機体を見上げる。
「名前なんか付けて、可愛がっていてやれないんです。最初で最後の、過酷な戦いに送り出すことになるでしょうから」
 美鈴さんに、こんな事を言うのは心苦しい。僕が視線を床に落としていると、美鈴さんが微かに息を吸うのが分かった。
「聞いて、リスティ。この子は確かに存在しているのよ、私達に力を貸してくれるために。だからこの子のために、その存在の証を記してやりたいの」
 美鈴さんは、そっと白い装甲に手を触れた。
「私に、この子の名前を付けさせてくれないかしら?」
 顔を上げて、美鈴さんの真剣な瞳を見返した僕には、何となく彼女が付けようとしている名前が分かった。
「お願いします」
 美鈴さんは頷いて、そっと瞳を閉じた。
「あなたの名前は、ミネルバよ……」
 透き通る声が告げたそれは、この機体にふさわしい名前。
 白き翼を背に広げ、空を覆い尽くす暗雲を光剣で吹き払う希望の女神。
「ありがとうございます」
 僕は、深々と頭を下げる。
 その時、突然その場に激しく電子音が響いた。
「リスティ!」
「はい!」
 船に装備されている受信機が、何かの通信を傍受したらしい。
 美鈴さんに緊張した声で答えると、ブリッジへと急いだ。
 僕はスピーカーの雑音に顔をしかめながら、マニュアルで受信状態を調整する。
『我々……は、ここに宣言……する』
「これは……」
 美鈴さんが眉をひそめた。
『不滅の……意志を胸に集いし、我らが同胞達よ……これは聖戦である!』
「艦隊の決起宣言だ!」
 僕はきつく唇を噛んだ。
 全てを懸けた、最後の戦いが始まろうとしている。
『我らは……ここに……在るのだ……そして……』
 僕は最大望遠にしたカメラが映したヴィラノーヴァの映像に、思わず息を飲む。
「始まった!」
 それは衝撃的な映像だった。まるで絵画のように、心を奪われてしまう光景。
 暗雲が厚く垂れ込める空。ヴィラノーヴァに聳える、尖塔の直上に姿を現したエスペランゼ。黒き鎧を身に纏い、人々へ死の宣告を与えんとする漆黒の破壊神。
 そして、そのさらに上空で輪を描いて旋回するのは数百機の従者たるセラフィム、破壊神の下僕として死と破壊、恐怖を撒き散らし続けた堕天使達。
 粛正を始めるための儀式に、僕は両肩をきつく抱いて身震いした。
 美鈴さんも息を飲み、食い入るようにモニターを見つめている。
 心の奥底にある恐怖を呼び起こすかのように響く、エスペランゼの咆哮が心を砕きそうになる。
 僕は心を奮い立たせ、急いでレーダーを操作すると艦隊の位置を探した。
「まずい! 予想以上に艦隊の足が速い。もう数時間もすれば、戦闘が開始されてしまいます!」
 僕が叫ぶと、美鈴さんがさっと長い黒髪を束ねた。
「出るわよ、リスティ!」
「はい!」
『繰り……返す。これは……聖戦であるっ!』
 僕はスピーカーから流れる、聞き取りづらい艦隊の決起宣言を置き去りにして、ヘルメットを小脇に抱えた美鈴さんの後を追った。

 ☆★☆

「美鈴さん」
 ミネルバのコクピットへと続くリフトで、僕と美鈴さんは向かい合っていた。
 美しき女神と共に、戦いに赴く戦乙女。
 真剣な黒曜石の瞳に見つめられ、僕は彼女の名をつぶやいただけで、後に続けるつもりの言葉をぐっと飲み込んだ。
 ……ああ、やっぱり情けない。
「じゃ、行って来るから」
 まるで散歩にでも行くように、軽い口調でそう言って背を向けた美鈴さん。
 僕にはもう、彼女を見送る事しか出来ない。
 彼女を、行かせたくない。その気持ちをねじ伏せるために、僕は全ての神経を集中していた。

 ……その時。

 ひとつにまとめた彼女の、艶のある長い黒髪が風に踊った。
「え?」
 振り向いた彼女。
 黒曜石の瞳が優しく微笑む。
 そして僕は抱きすくめられ……。
 美鈴さんの唇が、僕の唇に触れていた。
 柔らかで、そして暖かなその感触。
 一瞬で麻痺した僕の意識がやっと自我を取り戻した頃に、もう美鈴さんはコクピットに滑り込んでいた。
「……あ」
 頭の中が混乱している。僕が声を出すと同時に、コクピットのハッチが閉じた。機体から搭乗用のリフトが離れ、固定具が次々と外れていく。
「美鈴さーん!」
 次第に唸りを上げていくジェネレーターの轟音、もう僕の声は届かないだろう。
 船の後部に設置された、ドーム状のハッチがゆっくりと開いていく。ミネルバが暗雲立ちこめる空を見据える、封印を解かれた白き女神が目を醒ました。
 ゆっくりと、そして静かに広げられる美しい純白の翼。
 力を溜めるように、少し姿勢を低くしたミネルバの機体が震えた瞬間。
 轟音に尾を引かせ、白き女神は天空へと羽ばたいた。

 人という愚かなる生き物を救うことに、どれほどの意味があるのか?
 そう問われ、僕は答える事が出来なかった。
 心と心を繋ぐ温かな絆を信じたい、いや僕は強く信じているんだ。
 信じられなければ、命を賭けてミネルバを造ったりしないのだから。

 見えなくなってしまったミネルバの光跡を見送った後、僕はすぐに白衣をひったくると袖を通すのももどかしく、ブリッジへと駆け上がった。
 僕には、まだ仕事が残っている。
 ミネルバの後方支援、そして海上都市へと向かう艦隊の足を止める事だ。
 艦隊の旗艦がジュエル号ならば、ガディさん達が乗っているはずだ。大型無線機のスイッチを入れ、出力最大で全ての艦の通信に強引に割り込む。マイクを握りしめた僕は、腹を決め大きく息を吸った。
「ヴィラノーヴァへと向かう全艦艇に告ぐ、直ちに停船せよ!」
 一気にそう叫んだ後、すぐにチャンネルを絞り、ジュエル号の受信チャンネルへと向けて発信する。受信状態はよくないが、見覚えがある懐かしいブリッジの様子が、モニターへと映し出された。
「聞こえるか、ジュエル号! ガディ船長は健在か!」
 そう叫んだ僕は驚いた。ガディさんの指定席だったキャプテンシートには、艦長帽を目深に被ったいかにも軍人という風体をした初老の男が座っていたのだ。
「何だ、貴様は……」
 声から察するに、艦隊の決起宣言をしていた人物だろう。
 眼光鋭い一睨みだが怯んでいるわけにはいかない、僕は負けずに睨み返す。
「同じ事を二度説明する手間が惜しい。あなたが艦隊の総司令官とお見受けします。全艦艇の即時停船を指示して下さい!」
「私はこの艦の艦長、レイブネル・アルガスだ。何を馬鹿げた事を言っている? 本艦隊は作戦行動中である、貴様も決起宣言は聞いただろう」
 戦闘艦へと改造されたジュエル号の、レイブネル艦長がそこまで言ったとき。
「リィィィィィィィスティィィ!」
 突然、ぶわっと目から涙を溢れさせた、ガディさんのどアップが画面に映し出され
た。
「うわあああああっ!」
 心底驚いた僕は、思わずモニターから数歩後ずさる。
「生きてやがるぜ、この馬鹿野郎が! ちゃんと足はあるんだろうな!」
「あははは……はい」
 涙で顔をくしゃくしゃにしながらモニターへとしがみつき、ガディさんが悪口雑言をぶちまける。僕にはそれが無性に嬉しくて、言われるままになっていたのだが。
「畜生! てめぇなんざ、どうでもいいんだよ! お嬢はどうしたんだ、お嬢はよ!」
 ガディさんのどアップの後ろで、ブリッジに集まったジュエル号のクルー達が、「そうだそうだ」と連呼している。
 はいはい、どうせそうなんでしょうね。
 一度ジト目でガディさん達を睨んだ僕は、表情をあらためた。
「美鈴さんは、あの黒い装甲兵に勝負を挑むために、たった今出撃されました」
「何!? まさか、ブレイバーか!」
 一瞬で、ガディさん達の表情が凍り付いた。
「違います」
 僕はしっかりとした口調で言った。
「ミネルバという名前を美鈴さんから頂きました。僕がこの手で造った装甲兵です」
「そうか……」
 ゆっくりと、ガディさんの顔にあの不敵な笑みが浮かんでくる。
「貴様ら、いい加減にしないか! 作戦行動中だぞ!」
 ……あ。
 いきなりの怒鳴り声に僕は思い出した、ジュエル号は今や大艦隊の旗艦なのだ。
「ふふふふふふ……」
 しかしモニターの中のガディさんは、大きな肩を震わせながら笑い始めた。
「貴様、何のつもりだ?」
 ブレイブ艦長が、懐に手を入れた瞬間。ガディさんがレイブネル艦長の手首を掴むなり、筋肉が盛り上がるそのぶっとい腕で彼の頭を抱え込んで締め上げた。
「かっ艦長!」
 他の軍人達が助けに入ろうとするのを、ジュエル号のクルー達全員が阻止する。
「がっははははははははは!」
 久しぶりに聞いた、ガディさんの豪快な笑い声。
「へへっ、リスティよ。実は、お前とお嬢の弔い合戦のつもりだったんだけどよ、お前達が生きてるってんなら話は別だ!」
 ガディさんは、歯を剥き出した。
「おい野郎共! この軍人野郎と俺達のお嬢と、どっちを信じるよ?」
「んなこたぁ決まってるぜ!」
「ああ! もちろんだ!」
 ガディさんの大声に、力強く腕を振り上げるクルー達。
「……てな訳だ。すまねえな、軍人さんよ」
 レイブネル艦長の懐から拳銃を奪い取ったガディさんは、キャプテンシートから彼をぽいと投げ捨てた。どっかりとキャプテンシートへと腰を落ち着けたガディさんが、ごほんと大きく咳払いをする。
「いいか野郎ども! 艦内にいる軍人を、ひとり残らずふんじばって来いっ。それから後方に向けて二、三発ぶっ放した後に停船信号だ!」
「おおっ!」
 景気良い雄叫び。ブリッジを駆け出していくクルー達の姿を眺めて満足そうに頷いてから、ガディさんは僕へと向き直った。
「リスティ。それでお前は、今どこに居るんだ?」
「美鈴さんのすぐ側です。後方支援が必要ですからね」
「そうか……あのな、リスティ」
 ガディさんはふと何か言いかけて、口をつぐんだ。
「どうしたんですか?」
「なんでもねぇよ。ああ、艦隊のことは任せとけ!」
 ほんとに、どうしたんだろう? ガディさんはぶっきらぼうにそう言い捨てると、力強いこぶしをぐっと突き出し親指を立てて見せた。
「いいか、リスティ。みんな上手く片付いたら一杯やろうぜ! 男同士の約束だ、絶対に破るんじゃねぇぞ!」
 ぶつっ!
 僕が返事を返す間もなく、ガディさんはいきなり通信を切ってしまった。
「……はい」
 僕は何も映っていないモニターを見つめて大きく頷く。
 ぱんっ!
 両の頬を強く叩いて気持ちを切り替え、既に起動させてあるミネルバの支援用機器の具合を確かめる。
 ミネルバの状態は良好だ。
『必ず帰るわ』
 唇に感じた温もりは、彼女が僕へと残した約束。
「美鈴さん……」
 祈るような気持ちで、胸元で輝く銀のペンダントを握りしめる。
 その時不意に、背後に感じた気配。
「リスティ……」
「え?」

 この声は――。 
 僕はひとつの確信を持って振り返った。

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