ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


第二章 17.銀の月、金の太陽

 目次
 瑠璃色をした糸巻きから解き放たれる、たくさんの見えざる細い糸。
 それは、天空を駆ける蒼き翼が放つ、燐光へと導かれる運命の糸。
 その幾つかの物語……。

 ―「虹の翼のシルフィード」―  第二部

 ☆★☆

 天空から人々を見守り、暖め続けた陽は今日の役目を終えたようだ。
 筋を引いて流れる雲を、朱に染めながら足早に沈みゆく。そして次第にその広さを増す薄墨色に押しやられ、朱色の空は瞬く間に浸食されて地平へと消え去った。
 星が瞬く夜空、訪れた宵闇の中には一人の青年の姿がある。
 ここはヴィゼンディア大陸中央部にほど近いランティーナ国。
 国と共に歴史を重ねてきた巨大な石造りの古城、その威風堂々とした佇まい。高く堅牢な城壁の上で夜風に吹かれる青年は恐れることもなく、立てた片膝を抱いて座っている。
 城壁の上から見下ろせば、長槍を掲げ直立不動の門番が被っている兜のてっぺんが見えた。
『いい頃合いになったね……テリオス、聞こえている?』
「ああ。聞こえてるよ、姉さん」
 闇に溶け込む黒装束に身を包んだ青年……。テリオスは、姉のアリオスに気楽な調子で答えた。 
 しかし彼の傍らに、アリオスの姿は無い。双子の姉弟、姉アリオスと弟テリオスはどんなに遠くに離れていても、心を伝え合い会話が出来る。双子の間にある見えざる力、その強い絆によるものだ。
『あのね、テリオス』
「何だよ」
『何度も言うけど、「姉さん」はやめなさい。仕事の時は「姐さん」って呼べと言っているでしょう!』
「だから何度も言うけど、呼び方なんかどうでもいいじゃないか」
『よくないんだよ。あんたが姉さんって呼ぶと、姉弟だっていうのが周りに分かってしまうでしょう! 姉弟揃って仲良く裏家業なんて、みっともないんだからね!』
「はいはい」
『"はい"は、一回だよ!』
「はいよ、あ・ね・さ・ん」
 俺は子供じゃないんだからな。
 それに、ご近所の手前を気にする訳でもあるまいに……。無くさないで欲しい大切な感覚だが、姉の妙なこだわりにテリオスは苦笑する。
『いいかい? 首尾良く頼むよ、テリオス。狙うは王家のお宝なんだ』
「了解、了解、分かってるって。でも貴重な王家のお宝なんだ、普通は城の一番奥みたいな場所に、厳重に保管されているんじゃないのか?」
『テリオス……あんたは、あたしの集めた情報が信用出来ないって言うのかい!?』
 急に険を帯びたアリオスの声が、氷の冷たさを伴って響いて来る。
「いえいえ、心より信頼しております。見目麗しく、聡明な姉上様」
 ひとつ肩を竦めたテリオスは、姉に適当な返事をして、さっと心を閉ざした。
 姉のうるさい小言を聞くのが、面倒になったのだ。姉のアリオス、そして弟のテリオスは、盗賊と呼ばれる裏家業を生業としている。
 姉のアリオスは金色の瞳、弟のテリオスは銀色の瞳を持っている。まるで太陽と月のようだ。
 整った顔形は相似。「瓜ふたつ」そんな言葉が、姉弟にはぴったりと当てはまる。双子は母の胎内で魂を分けあったのだ、それは当然の事なのかもしれない。
「さぁてと、お宝、お宝っ! 夜も更けた事だし、王家のち伝わる宝剣とやらを頂戴しますか」
 暗闇でも深く輝く、銀色の瞳をすうっと細くしたテリオスが、口の端を上げて笑った。
 今回の獲物は、ランティーナ国の王家に代々伝わるという宝剣。今は失われてしまった、魔術の光を鍛えて造られたといわれる剣だ。それはランティーナ国が興った頃より存在していると、情報を集めた姉が喜々として話していた。
 すべてが言い伝えに過ぎないので、真偽のほどは分からないが、テリオスにとってそんな事はどうでもいい。
 闇市で売りに出せば、金貨一万枚もの大金になるらしい。それほどの金貨があれば、双子の目的も果たせるだろう。
「おっと、雑念は禁物だ」
 ぶんぶんと首を振り、深呼吸したテリオスは、ゆらりと立ち上がった。
 長身痩躯、しなやかな筋肉を備えたその身体。髪に黒い布を巻き、顔を隠すように口元を同じ黒い布で覆った。
 風にさらされていた体を暖めるように揺すったテリオスは、身も竦むような高さの城壁に沿って疾風のように走り出す。右手に握るのは頑丈な手鉤を取り付けてある黒色に染められたロープだ。
 大きく城壁を回り込んだテリオスは腕をしならせて手鉤を投げる。城壁を目掛けて一直線に飛んだ手鉤は石にぶつかる音を立てて城壁に食い込んだ。繋がれたロープを引くと、ぐんと確かな手応えが返ってきた。鉤爪はしっかりと城壁に引っかかっているようだ、心配は無いだろう。
 テリオスは躊躇する事なく空中に身を躍らせた。
 城壁をとんとんと蹴りながら、壁面を伝い降りる。地上に音もなく着地したテリオスは、器用に外した手鉤を素早く引き寄せて、木々の幹へと身を潜めた。息を殺してじっと辺りを窺う、暗闇に覆われた目標の塔が見えた。
 先ほど、夜を徹して城を守る衛兵が行き過ぎたばかり。姉が調べた衛兵の動きを思い出す、しばらくは戻ってこない筈だ。
 テリオスは姉が描いた城内部の見取り図を頭に叩き込んでいる、詳細部分の記憶も鮮明だ。
 常人よりも夜目が利くテリオスにとって、闇は少しの障害にもならない。吸い込んだ空気を肺に溜め、低い姿勢のまま城の庭を吹き抜けてゆく風に紛れるように塔に近づく。
 王城に連なる塔の群、その最も奥に建っている塔へ侵入する。
 入念な下調べをしてはいるものの、実際には何が起こるかわからない。もしや屈強な番人でもいればと、テリオスは荒事も覚悟して身構えていたのだが、肝心の番人は小太りの冴えない衛兵だった。椅子に腰掛けて、口を開けて眠りこけている。
 あまりによく寝ているので、テリオスはひょいと番人の兜を脱がすと逆さまに被せてやった。
 難なく門を突破したテリオスは、地下へと続いている階段へと差し掛かかる。塔の上ではなく、地下というのも気になるところだが。テリオスは一度後ろを振り返り、足下に罠など無いか確かめてから慎重に足を踏み出した。
 螺旋状に、暗い地下へと続いている階段。用心深く見回す、ひんやりとした暗い回廊の所々に、ランプの明かりが灯されている。
 石造りの壁に長い影を映すテリオスは、少々拍子抜けしていた。
 あまりに警備が手薄なのだ。
 宝物を盗もうと企む、盗賊などの輩に対する警戒がなっていない。困ったもんだ……などと、しなくてもいい心配が頭を過ぎる。
 こまめな姉と違って、性格は大ざっぱ。
 おまけに生来楽天家のテリオスは、実は盗賊になど向いていない。姉、アリオスとの見事な連携のおかげで、この職業が成り立っているのだろう。
(まぁいいさ。盗賊様には好都合だ)
 石壁の所々に設けられた燭台で、頼りない炎が揺れている。心に芽生えた懸念を簡単に放り投げて、ゆらゆらと長く伸びる己の影を背負うテリオスは、そろりそろりと塔の最深部を目指して進んでいく。   
 どれほど階段を下りた事か、しかし一向に宝物に近づくような気がしない。
 それどころか、だんだん暗く寂しい雰囲気になってくる。
(ええと、階段を下るだけだし、侵入する塔を間違えたりしていないよな)
 一度元来た道を振り仰ぎ、忍耐強く石造りの階段を下り続けていると、不意に階段が終わりを告げ、奥へと向かう先が広くなっている。
(おっ、いよいよお宝にご対面か?)
 テリオスは、はやる気持ちを抑えてそろりと顔を覗かせ、視線を巡らせる……が、訝しい表情で銀色の瞳を瞬かせた。
 目の前に広がっているもの、それは地下に広がる牢獄だったのだ。
「何だ、ここは?」
 大きな箱からざくざくとこぼれ出る金銀財宝、その中で一際光り輝いている宝剣を思い描いていたテリオスは、首を傾げて口元を隠していた黒い布を外した。
 罠か? いや。注意深く、辺りを見回しながら歩く。
 だが様子は変わらず、厚い石壁で小さく仕切られ、鉄格子がはめられた小部屋が続いているだけだ。
「これは……」
 立ち止まったテリオスは、難しい顔で両腕を組んで考え込んだ。
 どう考えても、ここは牢屋だ。
 ……ということは、この塔は王家の宝物庫などではない。
「どういうことだよ、姉さん……。おい、姉さんっ!?」
 姉の仕事を疑う訳ではないが、途方に暮れたテリオス。思わず出した大声が、冷たい石壁の牢屋へと響いた。
 その時。
「……どなたです?」
 奥の牢、暗がりから聞こえた女の声、凛としたその声は恐れる様子もなく、上品な清廉さを感じた。
 テリオスは声が聞こえた方向を銀色の瞳で睨み据え、注意深く足を踏み出す。牢屋のいちばん奥で足を止めたテリオスは、鉄格子の向こう側にいる人の姿を見て顎が外れんばかりに大口を開けて驚いた。
「お、おおっ!?」
 背筋に冷や汗が吹き出した。テリオスは、その場から二、三歩飛び退り、牢の中に居る人影を凝視する。
「ええと。ゆ、幽霊じゃないよな?」
 テリオスが驚くのも無理はない。冷たい鉄格子に阻まれた牢の中に居るのは、ランティーナ国、王女のエレミアだった。
 ――そうだ。
 ランティーナ国では、王家に度重なる不幸があったのだ。
 それは二年前のことである……。メルベッツィア王の妃、ライラが流行り病を患い他界してしまったのだ。
 その後、己の体面もあったのかそれとも寂しさに耐えられなかったのか。メルベッツィア王は側室のルヴィナを新たな王妃として迎えたのだ。メルベッツィア王には、先妻であったライラとの間にエレミア王女がいる。そして側室だったルヴィナとの間には、ロマリアという女の子をもうけていた。
 エレミア王女は腹違いである妹ロマリアにも優しく接し、王家は和やかな生活を送っていると思われていた。
 そしてちょうどその頃、エレミアと隣国ティファナ国のカエサル王子との婚姻が決まっていたのだ。
 だが、なんと今度はメルベッツィア王が流行り病で他界。
 ランティーナ国の悲劇の連鎖は断ち切られず。ついにはエレミア王女もその病に侵されてこの世を去り、数ヶ月前にエレミアを悼む国葬が盛大に執り行われたばかりだった。
 現在のランティーナ国は、王妃ルヴィナに全権を委譲された執政官ウォルフが国政の全てを担っている。
 相次ぐ不幸が王族に降り懸かり、指導者の血脈を失い著しく国力を低下させてしまったランティーナ国を立て直すため。執政官のウォルフはルヴィナ王妃の娘、王女となったロマリアと隣国ティファナのカエサル王子との婚姻の話を進めているらしい。
 エレミアを送った国葬を知っているテリオスは、やはり信じがたく、何度も目を擦ってみたのだが。
 牢の中に居るのはやはり、亡くなったはずのエレミア王女に間違いはない。
「そこに、どなたかいらっしゃるのですか?」
 不安そうな、エレミア王女の声が揺れた。
『姉さん! 何が王家の宝剣だ。生ものだ、生きてるぞ! どうなっているんだよ、死んだはずの王女様じゃないか。俺は何も聞いていないぞっ!』
 テリオスが何度呼び掛けても、アリオスは知らん顔だ。
『答えてくれよ、姉さん!』
 間違いなく聞こえているのだろうに。一向に答えぬアリオスはこの塔が牢屋であり、エレミア王女が囚われている事を知っていたに違いない。
 知らん顔を決め込んでいる姉が言わんとしている事は、ただひとつなのだろうが……。
 王家の宝剣という希少なお宝の話に心躍らせ、有頂天になっていたテリオスは己の馬鹿さ加減に呆れ、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
 
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