ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


47.双宮の姉妹

 目次
 やや低い高度で、巡航を続けるナイトクイーン。
 いや、双子の愛機であるクイーンサーシェスだ。装甲に手の込んだ偽装を施されているので、その正体は誰にも気付かれることはない。レースへ出場するにあ たり、アリオスが世話になっている機械屋の親父に事情を説明すると「お前達が参加するんじゃ、一騒ぎ起きるかもしれねぇな?」と、大口を開けて笑われた。
 なんと失礼極まりない親父の発言だが、アリオスはふとこれまでの事を考えると頬が引き吊ってくるのだ。甚だ遺憾ながら、親父の言うとおりなのである。
 その機械屋の親父が、双子の為に丁寧な仕事をしてくれた。
 偽名ではあるのだが『ナイトクイーン』……。夜の女王という名に相応しい深みがある紺色の機体、美しい曲線で構成された翼面が陽の光を反射する。
 低空での飛行は様々な危険を伴うのだが、操縦桿を握るアリオスに緊張した様子はない。アリオスにとって翼の先端は、己の指先に等しい感覚だ。
「クララ、航路の状況を検証して頂戴」
『はい。大気、地表の状況とも正常です。現在の高度、速度を維持してください』
 アリオスの問い掛けに、少しの間も置かずにクララが答える。機首下部に設置されたスペースは、クララ専用となっている。姿は幼い少女だがクララはとても優秀であり、火器管制ではテリオスを、機体制御の面でアリオスを的確にサポートしてくれる。
 クララは、クイーン・サーシェスの頭脳と言ってもいいだろう。
「新型の位置は測位出来てる?」
『シルフィードですね、捕捉しています……』
 淡々と情報を告げていたクララの声が、尻すぼみに小さくなった。その様子が気になったアリオスは、クララが機体制御室から送ってきた資料にざっと目を通すと、思わず絶句した。
「姉さん、クララは何て言ってる?」
 砲手席からテリオスが身を乗り出す。
 銀色の瞳を輝かせる弟は、シルフィードという名の新型機に興味を持っているらしい。確かに高性能の新型機だ、部品単位で切り売りしても相当な額での引き取り手があるだろう。
 もっとも、弟がそれを認めはしないだろうが。
「また戦闘をやらかしたようだね。まったく、これじゃあレースだか戦争だか分からないよ」
 アリオスはモニターに映る情報を読むテリオスの為に僅かに体をずらし、長い髪を手櫛で梳きながら呆れたような声を出した。
 表示されているのはシルフィードが行った戦闘の記録であり、すでに十数回にものぼっている。ウインドシップレースにおいてこれほどの戦闘が行われている とは。この事実を運営競技会の責任者達が知れば、腰を抜かしてしまうだろう。シルフィード側から仕掛けた戦闘は一度もない、蒼い翼を持つ新型機は、襲撃者 をすべて退けているのだ。
「ルーキー君は、良い腕をしているみたいね」
 左手を頬に当てたアリオスが、うっとりしたような表情で熱い吐息を吐いた。なにやら頭の周囲をほんのりと温かいハートマークが飛び交っている。
「おい、姉さん」
 胸の前で両手を握り合わせ、乙女心を全開にしている姉を見たテリオスが、げんなりとした表情になった。
「新型機の性能のおかげだよ」
 眉をひくひくさせながら、暴走を始めた姉の妄想を牽制する。
「あら、やきもち焼いているの?」
「馬鹿言うな、姉貴相手にやきもちなんぞ冗談じゃねえっ! 俺には惚れっぽいだの何だの、さんざんな事を言うくせによ」
「うふふ、何だか惹かれちゃうのさ。そうだね……でもボンクラ操舵手じゃあ、あの新型機を扱えないだろう?」
 そして、あたしは強い男が好きなんだよと、目を細めて楽しげに笑う。しかしアリオスは普段あまり見せることがない、柔らかな笑みをおさめた。
「あのルーキー君には、何かを感じる。でも……」
「姉さん?」
 訝しげに問うテリオスには答えず、アリオスは思案深げな金色の瞳を澄み切った空へと向ける。
(その『何か』って言うのは、危うさだよ。テリオス……あんたと同じなんだ)
 最後の言葉は口からこぼれることはなく、アリオスの胸に留まり渦巻いて微かな不安になる。それは弟の生き方に重なる危険な部分だと、アリオスは思うのだ。
☆★☆
 まるで毒蛇がのたうつような黒煙が空に立ち上り、憎悪をくべた紅蓮の炎が暗雲を焦がす勢いで燃え盛る。
 火花を散らす激しい剣戟、響く怒号に時折混ざる断末魔の絶叫。凄惨な戦場に異臭が漂う。ここではどんな良識者も、己の精神を正常に保つ事など出来ないであろう。
 白銀の鎧を灼く青白き魔術の炎。その凄惨な光景は、気が遠くなるような過去より続いている――。
「団長、報告です!」
「ドレイク、何事か!?」
 戦場の空気を震わせる大声を上げながら駆け寄ってくる部下を迎えたのは、行方知れずの継承者に代わり騎士団の指揮を取る、リラーク・バイツアー子爵だ。トゥエイユハーゲンを束ねる、年若き青年騎士である。
「ド、ドレイク、その姿は……」
 リラークは、瞳に映る部下の姿に不覚ながら身震いをしてしまった。
 目の前に立ったドレイクの姿は、それほどに酷いものだった。滅多なことでは傷など付かぬ白銀の甲冑には抉られたような痕があり、その鎧を纏うドレイクも額から血を滴らせている。
 魔術師達の奇襲が、トゥエイユハーゲンの本拠たる砦を襲ったのだ。
 人里を離れ険しい山中の奥深く、厳しい渓谷に構えられた堅牢な砦。まさか魔術師からの奇襲を受けるとは、誰にも予想する事が出来なかった。
「ここが破られれば、もう後がありませぬ。ここは我等にお任せ下さい」
「馬鹿を申すな! 我にはトゥエイユハーゲンの一員としての責がある! 憎き魔術師が目の前にいるのだ、我らの宿命を忘れたか? 奴等に背を向けて逃げる事など出来ぬ!」
「そこを曲げて、ここはお退き下さい! 行方知れずの後継者を探し出し、再び騎士団の体制を整え盤石とするのです」
 鬼気迫るドレイクの表情に、憤激するリラークは歯ぎしりをしながら激しく首を振った。
「この世界に仇をなす魔術師との長きに渡る戦い。その禍根、歴史に記された災禍に終止符を打たねばなりませぬ。団長、どうか、どうか聞き入れて下さいっ!」
「むうう……」
「アーディア、フィーディアっ!」
 手甲に固められた両手をぎりぎりと握りしめるリラークは、悔しげに唸り声を上げているままだ。憤激に猛り狂う騎士団長を説得することが出来たと、そう理解したドレイクが声を張り上げると、程なく白い鎧を纏う二人の少女が駆けつけた。
 幼さを残す整った顔立ちをした双子である二人の少女、その顔はまさに瓜二つだ。
「お呼びですか?」
 アーディア……戦場の風に長い黒髪をなびかせた、姉に当たる娘がリラークに問うた。
 右手には既に血塗られた長剣を握っている、アーディアの後ろに控える妹、肩までの黒髪を右手で払ったフィーディアは体に白い長弓を抱いて、乱戦の最中である主戦場を睨み付けている。
「この砦はもう落ちる。お前達は子爵をお守りし、共に退くのだ」
 ドレイクは険しい表情で、流れゆく戦雲の行方を読む。既に苦渋の決断をしなければならぬほどに、切迫している状態なのだ。
「決してトゥエイユハーゲンを絶やしてはならぬ。我らが壊滅すれば、魔術師の暴走を食い止める手段は潰える、世界は混沌の最中に叩き落とされるだろう」
 ドレイクは、愛弟子である双子の姉妹の顔を交互に見遣る。厳しい教えをその身に刻む姉妹に、魔を狩る者たる重責を背負わせばならぬ事が口惜しい。
 そんなドレイクの意を酌むことが出来なかったのだろうか、双子の姉であるアーディアが退屈だと言わんばかりに大きな溜息を付いた。
「残念ですが、私達はご命令に従う事は出来ません……」
「アーディア?」
「聞こえなかったの? この干涸らびた化石野郎」
 空気を凍てつかせる声が、アーディアの口から漏れ出た。そして、長弓を肩から降ろしたフィーディアが恍惚の表情を浮かべて、ぺろりと形の良い唇を舐める。その色は今もなお大地に撒き散らされる血の色だ。
「アーディア、フィーディア! どうしたというのだっ!」
 困惑するドレイクが僅かに足を踏み出す、不穏な空気に戦士の感が働いたのだろうか。
「このままでは、不毛な戦いに終わりなどありません」
 アーディアは微かな溜息をついて瞳をさ迷わせていたが、何かを振り切るようにドレイクの顔に視線を固定した。
「歴史は今、ひとつの答えを出そうとしているようです」
「アーディア、謎掛けなどしている場合ではないっ!」
「愚かな足掻きとは見苦しいですね、我が師よ」
 遙かな彼方を映し揺れていたアーディアは、ドレイクの焦りなど意に介していない。凍てつく瞳がリラークを見据えた。
「お覚悟をなさいませ」
 わずかに開いたアーディアの唇が、思わぬ死の宣告を発する。
「戦場で悪鬼にでも憑かれたのか? しっかりしろ、アーディア!」
 もう時間がない、魔術師すぐそこまで迫っているのだ。時間を無為に過ごす訳にはいかない。砦を包囲され、退路を断たれれば全てが終わりになってしまう。
「この期に及んで、まだお気付きではないのですか? 古の呪いに縛られた騎士団の命運は、ここで尽きるのです」
「な、何を言っているのだ……」
「あれぇ、姉様の言葉が聞こえていないのか?」
 リラークの表情が驚愕に凍り付く、輝く長剣を振り上げたアーディアの瞳が輝きを放ち、次の瞬間を期待するようにフィーディアが薄い笑みを浮かべた。
「団長っ!」
 とっさに剣を構え、リラークの前に立ちはだかるドレイク。
「身を挺して主を守るか……。見上げた精神ですね、我が師よ。ですが、それは運命の道筋に逆らう愚行に過ぎません」
 そう嘲るアーディアが白刃を閃かせた。
 苛烈な斬撃を受けたドレイクの剣が、半ばから切断されて血煙が舞う。断末魔の声さえ漏らさぬドレイクが、どうと倒れ伏した。
「ひゃははっ!」
 その光景に、ぶるるっと体を震わせたフィーディアが、背負った矢筒から抜いた矢を咥えて、ぱっと身を翻す。主戦場へと舞い戻り、嬌声を上げながら白い長弓に次々と矢をつがえて放ち始めた。
 風鳴りを生むその矢は、狙い違わず味方である白き鎧を纏う騎士達の首へと吸い込まれていく。
「アーディア、フィーディア、やめろ、もうやめろっ!」
 体から魂を引き剥がされるかのような、苦悶の声が戦場に渦巻く。古より受け継がれてきた、固い血の結束が崩壊してゆく様を眼前にし、剣を放り出して頭を抱えたリラークが地に両膝をついて叫ぶ。
「なぜだ、なぜこのような事をっ!」
「ご安心下さいませ、トゥエイユハーゲンは決して滅びませぬ」
「ア、アーディア」
 リラークの問い掛けには答えず、つぶやくアーディアの瞳に宿る深い憎しみの炎は、彼女が再び振り上げた白刃の上で揺らめいた。
「新たな役目を担う騎士団を築くため、私達が次代を継ぐ者となりましょう……」
 剣を握った両手に力を込め、アーディアは躊躇うことなく振り下ろした。

 戦雲の最中を駆けるその姿は、まさに魔物だと言える。
 轟音と共に暗雲を突き抜けて急降下してきたバトルシップが、地上へ向かって主砲を斉射する。瑠璃色に輝く機体は死の旋風を纏い、我が物顔で戦場を駆け抜けてゆく。
 その名は『ディスアレーザ』翼が煌めく度に放たれる紅の閃光が、いともたやすく砦の防壁を撃ち砕く。爆光の中に消えゆく人影、激震に耐えられなくなった砦が崩れ始めた。
 無数に解き放たれる光の触手が、大地を打ち付け深く抉り取る。
 ディスアレーザによる容赦のない駆逐。魔を狩る騎士団トゥエイユハーゲンの全滅に、さほどの時間は掛からなかった。
 戦場となった場所に訪れた静けさ。
 瓦礫の山の中心に立つ魔術師ワイズは、周囲の惨状を見渡して、呆れたように肩をすくめてみせた。
「酷いものだ。相手は同じ血を引く仲間だっていうのに、ここまでやるのか」
 眉根を寄せるワイズは僅かに足を上げ、黒こげになっている白銀の甲冑を踏んでみる。ぱきりと頼りない音を立てて、堅固であった筈の鎧が簡単に割れた。
 血で血を洗う争いを続けていた宿敵とはいえ、仲間の裏切りにあい、無惨な屍を晒す姿を目の当たりにすれば。多少なりとも憐憫の情が浮かんでくる。
「まったく野蛮な方法だ。これでは古の大戦、創世戦争期と何も変わらない。人という種に魂の進化など期待する事は無理な話だ」
「……これは面白い。魔術師の口から、野蛮だなどという言葉を聞けるとは思わなかったよ」
 背中から浴びせられた冷ややかな声に、ワイズが顔をしかめた。振り返り、声の主へと視線を向ける。
「何度も言わせないで欲しいな。破壊神の眷族である軍人の貴女に、そんな皮肉を言われるんなんて心外だ」
「心外だと? 笑わせてくれる、この魔物が」
 魔術師ワイズの抗議を一笑に付したのは、黒い外套を身に纏う女性だ。両手を挙げて顔を隠すフードを脱ぐと、怜悧な表情を湛えた美しい顔が現れた。
 グランウェーバー国、皇太子キルウェイドの側近であるフランシェスカ少尉だ。
 戦場をさ迷う魂が苦悶の呻き声を上げ、その微かな声が風に乗ってフランシェスカの耳に届いた。累々と死体が横たわる凄惨な戦場にあっても、彼女は冷静さを失う事など無い。
「魔術師とは、知の探求者……だったか?」
「貴女もしつこいね。僕達の存在にどうしても定義が必要ならば、民衆と同じようにそう呼べばいいさ。所詮、魔術師が真に求めるものなど、到底理解する事は出来ないのだろうからね」
 フランシェスカが口にした世間一般に知られる魔術師の探求対象を聞いたワイズは、興味など無いといった表情で答えを放り投げた。
 ワイズにとって、知識など人間が産み出した些細な産物に過ぎない。どれほど歴史を遡ったとしても、せいぜい創世戦争期以前までが限度だろう。
 しかし、その源泉たる人の意識に含まれる『力』はどうだろうか? 目に見えずとも、この世界に溢れ湧き出し、人と人を無意識下で繋げている力だ。人が生き続ける限りカーネリアの森に集約されて、この大陸の隅々まで行き渡り影響を与える。
 だからこそ……。
「まったく。今回ばかりは他力本願という事だ、それにしても気分が悪い」
 自嘲気味につぶやいたワイズは、横目で部下へと指示を出し続けるフランシェスカを睨む、その視線に気付いたフランシェスカの黒髪が風に煽られた。
「トゥエイユハーゲンを滅ぼす片棒を担ぐために、あの双子へ虎の子のディスアレーザまで供与したのだからな。せいぜい励んで貰わなければ割に合わない」
「確かに邪魔をされたくなかった。しかし、あまりにも恩着せがましい態度は不快だよ。トゥエイユハーゲンの正統な継承者は行方不明なのだし。それに本来、あの動力炉を考案したのは僕達なんだ」
「ああ、いちいち言わずとも分かっている。ディスアレーザは元々、私の機体だったのだ。働いてもらわねば、その甲斐がないと言っているだけだ」
 ワイズの言葉に薄い笑みを浮かべたフランシェスカは、控えていた伝令兵に何事かを書き付けた書簡を渡した、皇太子キルウェイドに宛てたものだろう。
「ディスアレーザが虎の子だって? 『SYLPHEED』と対を成す、『SIGUNUM』を実装した『ライオネット』を温存しておいてよく言う。皇太子に寝首を掻かれるのはごめんだ」
 フランシェスカの背中を睨むワイズは、秀麗な顔に皮肉な笑みを浮かべて小さく毒づいた。
「何をぶつぶつ言っている? 早く魔術師の部隊を退かせろ。このまま非効率な殺戮を続けている暇はない。後の始末は軍が行う」
「積年の恨みつらみが堆積しているのさ、僕達は常に狩られる側だったからね」
「ふん」
 ワイズの言葉はフランシェスカに届いていたのだろうが、古より続けられてきた争いに少しの興味もないらしい。フランシェスカは焦げた瓦礫を軍靴で脇に寄せ、大きく一歩を踏み出した。 
「いいか、生存者を見逃すな!」
 漆黒の外套をはためかせる死神の下僕は、隣にいる魔術師など眼中には無いようだ。声を張り上げるフランシェスカの姿に顔をしかめたワイズは、吐息を漏らすと何事かを小さくつぶやく。
 その瞬間、彼の姿は揺らめいて消えた。
 
戻<   目次   >次

HOME

ヴィゼンディアワールド・ストーリー

 虹の翼のシルフィード