ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


52.
HAPPY BIRTHDAY(前編)

 目次
 心を和ませる豊かな自然。
 陽の光を受けるみずみずしい緑葉に目を奪われる。グランウェーバー国の辺境、小さな小さなアンディオーレ領は今日も穏やかだ。
 広大な農地と穏やかな街並。その街の様子を一望する事が出来る小高い丘に建つ、領主の館は豪奢な邸宅ではない。
 構えた屋敷の大きさで、領主の力量が決まるわけでもないだろう。
 アンディオーレ領を治めるセシル・クラム卿。民達の言葉に耳を傾けるその真摯な姿勢、何より人々の生活を第一に考える彼は、大人しそうなのだが芯が強い青年だ。領内の民達にとても慕われている。
「まったく、貴方はいつも突然なのですね」
 訪れた来客に、執務机に座るセシルは目を通していた書類の束を整えながら笑った。
 彼の目の前には、既に処理済みになっている書類の山が出来ている。そこへ
更に紙の束を重ね、とんとんと丁寧に手で整える。この量の書類を無造作に積み上げていれば雪崩を起こしかねない。
 のんびりしている田舎だからとて、人が暮らしていく上では様々な決まり事が必要になるものだ。
「型どおりの行動をしていたんじゃ、相手に先読みされたり裏をかかれたりされるんでな」
 ソファに腰を沈めているのはアルフレッドだ、領主を前にしてもまるで萎縮した様子などない。ネクタイを緩めて足を組み、思い切りリラックスをしている。
「相変わらず平穏とは無縁な生活なのですか? それでは気が休まる暇などないでしょう。もっとも、貴方にとっては充実している日々のようですが」
「ああ、ま、退屈はしてないな」
 アルフレッドは、手にしていた薬草茶のカップを静かにテーブルの上へと置いた。ひょいと肩を竦めてソファの背もたれに大きな背中を預ける、首をいっぱいに反らせて天井を睨んだ。
 退屈はしていないが、焦燥していることは事実だ。だが、それを口に出すことは決してない。口からその言葉、弱気がこぼれれば力を失ってしまう。それではいざという時に動くことが出来ない。
「それにこうしていないと、この世界が平穏ってヤツから遠ざかっちまうような気がするんだ」
「正義の味方も大変ですね」
「正義の味方だって? そんなご大層なものじゃねぇよ」
 俺自身のためさ……と、手をひらひらさせたアルフレッドに、労るような表情を向けたセシルはふと表情を改めた。
「エクスレーゼ様の行方は、まだ突き止められないのですか?」
 その問いに、ばりばりと髪を掻きむしったアルフレッドが首を横に振る。セシルが一番知りたい事なのだろうが、アルフレッドは良い答えを持参してはいない。
「ああ、依然行方不明のままさ。あのコーディの情報網にもまったく引っかからねぇ」
「そうですか……」
 行方知れずである皇女の身が心配なのだろう、やや肩を落としたセシルが深いため息をついた。
 無理もない。セシルとエクスレーゼは幼い頃の出会いから、手紙を通じて深い親交があったのだから。アルフレッドは情報屋コーディの腕を高く買っている、しかしそのコーディが数年を掛けて探し回っても、失踪した皇女エクスレーゼの手掛かりは何ひとつ掴めていないのだ。
「エクスレーゼの捜索は続いている。だが何らかの理由で、あのじゃじゃ馬が自分で姿を隠しているのだとしたら、どんなに探したって見つからねぇと思うぜ?」
 アルフレッドは体を起こし、大きな手を組むと表情を改めた。
「なんと言っても、あいつは鷹の剣姫だからな。大丈夫だ」
「信頼しているんですね」
 セシルは感心したように、また羨ましそうに言った。
 付け加えた一言は、アルフレッドが自身を安心させるための言葉に違いない。信頼してはいるが、皇女の話を始めればまた心配がつのってしまう。アルフレッドとセシルはどちらからともなく、その話題に触れる事を避けた。
「そうです。今日は、お話し出来ることがたくさんあるんです」
 セシルは執務机の引き出しの鍵を開けると、書類の束を取り出した。
 数年前に、このアンディオーレ領で魔術師が暗躍していた。セシル自身もその奸計にはまり、領民を苦しめてしまったのだ。
 姫巫女トゥーリアの協力を得た、アルフレッドとエクスレーゼにより魔術師の企みは潰えた。しかし何の狙いがあったのかは未だに分からない。
 この事件を機に若き領主は、裏の世界で蠢く輩の不穏な動向を監視する為に情報を集めてくれている。
 アンディオーレという何もない田舎の領地は都会から隔絶されており、人の目が集中することがなくかえって動きやすいのだ。
 ソファから立ち上がったアルフレッドは、執務机に近寄るとセシルから書類を受け取って、ぱらぱらとめくってみる。
「なるほど、気になる事が幾つもあるな」
 資料に目を通したアルフレッドが眉をひそめた。
「そうですね。いまだに中堅国家が軍備増強へと動いています。それぞれの国が保有するバトルシップの数が跳ね上がっているんです」
「仕掛けているのは、ボーウェン社だろう?」
「はい」
 真剣な表情で頷いたセシルが、アルフレッドの意見を肯定する。
「新型が導入される勢いは止まりませんね」
 アルフレッドの危惧はそこにある、増強されたとしても使用されない兵器など何の意味もないが。大陸の勢力図が変わりつつあるその様は不気味だ。些細な火種で、消す事も不可能な大火になりかねない。そうだ、兵器が持つ怪しい魔力は人心を狂わせる。
 資料を読むアルフレッドに捕捉的な説明をしながら、セシルは新たな書類を取り出した。
「新型機の資料を入手する事が出来ました、ご覧になりますか? あなたなら、機体性能を理解できるでしょう。何らかの意図が掴めるかもしれない」
「ああ、見せてくれ」
 セシルから、ずしりと重い新型機の資料を受け取る。
「俺の会社にも、ボーウェン社の常務が来たよ。何でも旧型のバトルシップの動力炉を制御する、画期的な部品ってのを売り込みに来たんだ」
「でも、ブロウニングカンパニーは軍需産業から撤退したのでしょう?」
「ああ。だが完全に手が切れた訳じゃねぇんだ、多少の義理があってな」
 セシルの指摘に苦笑いを返す。
「ボーウェン社の常務とやらが持ちかけてきた部品だが、王都防衛の要、飛竜に装着しないかっていう話だったんだ」
 封筒から資料を引っ張り出したアルフレッドは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「その部品を装着すれば、動力炉からのエナジー供給を効率的にコントロール出来るらしい。だがそれは、裏を返せば機体の制御情報を監視されるって事だ。極端な話をするなら、機体のコントロールをボーウェン社に握られる訳さ」
 アンディオーレという片田舎で、よくこれほどの詳細な資料を集められるものだ。アルフレッドはセシルに説明をしながら、資料に記載されている情報を丹念に読み頭の中で検証を続ける。
「それは……何の意図があってのことでしょうか」
「まだ分からねぇ、何にせよ高性能化って餌をちらつかせた胡散臭い話だ。ハナから聞く気はなかったし、まぁ、簡単に言えば突っぱねたんだがな」
「賢明ですね、それに貴方らしい」
 苦笑するセシル。
 目にとまった新型機の仕様書に記された数値に、アルフレッドが低く唸った。
「ヴェスペローパか、こいつは気を付けなきゃならねぇな」
 仕様書に添付されているのは、原生生物を思わせる不気味な機体の写真だ。
(するってぇと、アストレディアのロールアウトも間近か。間に合うのか? ヴァンデミエール……)
 書類の束を持つ手にじわりと汗が滲む。顎を撫でながら熟考していたアルフレッドは、急に鼻がむずむずし始めた。
「ぶわっくしょんっ!」
 大きなくしゃみに驚いて椅子から立ったセシルが、慌てて積み上げられた書類の山を押さえた。
「風邪ですか? 頑丈な貴方にとりつくなんて、質が悪そうな風邪ですね。領内の人々に、注意喚起をしなければいけません」
「おいおい、人を化け物みたいにいうなよ」
 気の毒そうな表情でも冗談混じりなセシルの言葉に、アルフレッドがハンカチで鼻を押さえながら答える。
(風邪とは少し違う、何処かで誰かが俺の噂をしていやがる)
 アルフレッドは顎を撫でた、思い当たる節と相手が多過ぎて分からない。
「おっと、フリードはどうしているだろうな? 多分、そろそろ腰を抜かす頃だぞ……」
 鼻をすすったアルフレッドは、ふと、真面目な顔でつぶやいた。

☆★☆

 パルムナの森林地帯、その奥深くに抱かれている湖。
 白波が立つ湖面に姿を映し、向かい来る風を裂く蒼い翼が強い陽光を反射する。まるで鳥が滑空するように、シルフィードが大きな湖を渡る。
 この大陸には五大国と呼ばれる国家が存在する。五大国とは、リィフィート国、グリスパルム国、ルミニウス国、ファンデルマーレ国、そして大陸最大の国家である聖王国アリアレーテルだ。
 それぞれの国は長い歴史を歩む中で互いに弓を引き合った事もある、しかし悲しい心の擦れ違いを発端とした争いよりも、何倍も恐ろしい陰謀、激しい戦いを経験し……力を合わせてその災禍を退けたのだ。
 この史実は幾人もの歴史学者により編纂された、大陸史にも記されている。
 
 操舵室内で航路図を広げているヴァンデミエール。
 地図上に記されたレースの航路を辿って見れば、リィフィート国の北部を時間をかけて横断し、聖王国アリアレーテルの中央に聳える大聖堂と王宮を目安に進路を変えてさらに南下する。
 天空を貫くように険しい北部山脈を越えた後、グランウェーバー国と他国を隔てる大きな湾を渡り、カーネリアへと進路を取る格好になる。
「ヴァンデミエール、レースの経過について情報をくれないか?」
「はい」
 少女の翠色の瞳が細かな文字の羅列を追う、細い指がキーボードを叩く音が操舵室の中へと響く。ややあって、ヴァンデミエールは肩までの黒髪を手で梳いた。
「破損により棄権した機体が多数あります。これまでの行程で、機体に蓄積されたダメージが表面化してくる頃です。消耗部品は交換出来ますが、機体を構成する内部骨格への疲労は話が別。この先はひとつの山場となるでしょう」
 淡々としたその口調に変化はない。
 少女の感情の揺らぎを見逃す事がないようにと、フリードはいつも気に掛けている。短い間だが、これまで共に旅を続けてきたのだ、仲間としての意識が芽生えていると思いたい。
「焦る必要などありません。私達はこのままのペースで予定を消化していれば、自然と順位が上がるはずです、ただ……」
「ヴァンデミエール?」
 後方視認用の鏡に映るヴァンデミエールは、思案深げな表情で顎に手を当てた。
「ウェンリー・ホーク。彼の経歴ですが、その実力は私の予測範疇を超えています。彼はすべてにおいて規格外のようですね。数々の冒険を成功させたのは身体的、頭脳的な要素以外に、何か特別な力を感じます」
「何だよそれ、わっかりにくいなぁ」
「あなたに理解しろとは言わない、フリードに伝わればそれでいい」
「ちぇ、なんだよつまんねぇ……」
 例によって、ヴァンデミエールに軽くあしらわれたトールが唇を尖らせた。
 しかし、ヴァンデミエールは全く意に介する素振りはない。少年の不満を簡単に足下へと転がした。
「最大の敵は、ウェンリー・ホークってことかい?」
 交わした言葉は少ないものの、ウェンリー・ホークの大きな存在感、その印象は強く記憶に焼き付いている。人を惹き付ける笑顔。しかし、精悍な冒険者としての凛々しい表情が潜んでいるに違いない。
 フリードがウェンリーの事を考えていると、ヴァンデミエールの小さな咳払いが聞こえてきた。
「ヴァンデミエール?」
「フリード、あなたの意見を訂正させて下さい」
 開かれた少女の小さな唇が、強敵の名を口にした。
「最大の敵は、自分自身です」
「自分自身……」
 フリードが少女の言葉を反芻した時だった。
 突然、大きな振動が繰舵室に伝わり、シルフィードが急激に高度を落とす。
「主動力炉、出力低下!」
「ヴァンデミエール、補助動力炉の出力全開だ! 推力が足りない、このままでは墜ちるぞ!」
 近付く湖面に恐怖が湧き上がる。スロットルレバーを操作しても、主動力炉がまったく反応を返さない。フリードは可能な限り動力炉の出力を上昇させようと操作を試みる。
「主動力炉制御不能、完全停止です!」
 その甲斐もなく、ヴァンデミエールが動力炉『SYLPHEED』の沈黙を伝え寄越す。
「畜生! コイツ、またかよっ!」
「そのよく動く舌を噛まないように、黙っていなさい!」
 言い合いを始めたトールとヴァンデミエールだが、今はそれどころではない。
「二人共、掴まっていろっ!」
 眼前に迫る湖面、操縦桿を握りしめたフリードが大声で叫ぶ。
 推力は完全に失われた、せめて水面に激突する事だけは避けなければならない。湖面を目掛けて急降下するシルフィードは、そのまま水面に突き刺さるように水中へと没した。  
 
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