The Story of Art Gallery Coffee shop Memories

14.小さな手をつないで
 目次
 秋風が色付いた街路樹の葉を散らします。
 黒髪を撫でるように吹きゆく微風は、まるで春風のように悪戯好きです。 
 踏みしめる落ち葉を敷き詰めた道。駅前の銀行へ用事を済ませるために出掛けた私は、長い赤信号に横断歩道の前で足止めされていました。
 目の前の大通りと交差する私が歩いてきた道は、中央通り商店街と画廊茶館へ続く道。振り向けば商店街の始まりを示す、大きなアーチが建っています。
 平日午後の駅前通りに、絶え間なく行き交う車の流れ。
 渡っては駄目と告げている赤い色を見つめながら、長く長く感じる時間に頭の中をよぎる色々な考え事。
 明日お店に置くケーキは何だったかしら、切らしていた品はなかったでしょうか。
 そんなとりとめのない考え事を、頭の中でぐるぐると回していると。
「……ママぁ」
 足元から微かな声が聞こえ、左手に感じたのは暖かく柔らかな感触。
「え?」
 驚いて足元へ視線をやると小さな女の子が私の手を握り、すがるような表情で私を見上げています。
 私を見つめている、大きな黒い瞳と視線が重なりました。
 ぷくぷくとした女の子の桜色のほっぺ、繊細な薄い茶色の髪。
 おめかしして貰って、ひらひらとした可愛らしいお洋服に靴もぴかぴかです。
 ふわりとしたつばの広い帽子が風で飛ばないように、丸いあごに細いゴムひもを掛けてあります。
「……ええと」
 私が困惑していると、不意に女の子の顔が不安そうに歪みました。
 きっと、私がお母さんではないことに気付いたのでしょう。
 これはまずいです。
 私はとっさにしゃがみ込み、そっと女の子の小さな両手を取りました。ぷくぷくした柔らかい手を、そっと握ります。
「ね、お姉ちゃんと、しりとりしよっか!」
 子供は大人の表情をよく見ているものです。
 私は、にっこり笑って女の子をみつめました。
 小さな子と遊ぶ事には、慣れっこなのです。
「しりとり?」
 女の子はきょとんとして、小首を傾げます。
「うん。お姉ちゃんと、しりとりしてくれるとうれしいな」
「うん、いいよ! え〜とね」
 女の子は、しりとりに興味を持ってくれたようです。
 私は、ほっと胸を撫で下ろしました。
「えっとね、ケーキ!」
 嬉しそうに声を上げる女の子、ケーキが好物なのでしょうか?
 思わず笑みが浮かびます。
(さぁ、き、き、き「き」ですよね)
「お姉ちゃんの番ね。き・り・ん」
「あ〜」
「あはは、お姉ちゃんのまけ〜」
 ちょっと負けるのが早過ぎたでしょうか。でも得意げにはしゃぐ女の子に、わたしはぺこりと頭を下げました。
 ふと気が付けば、横断歩道の信号がまた赤に変わっています。
「ここは危ないから、こっちに行こうね」
 女の子の手を引いて横断歩道から離れて商店街のアーチまで歩くと、私はもう一度女の子の側にしゃがみました。
「お姉ちゃん、あなたのお名前が聞きたいなぁ。あのね、お姉ちゃんは“とうこ”っていうの」
 女の子は、しばらく私の顔をじっと見た後、ぱっと小さなもみじのような手を上げました。
「ん〜とね、ゆいです!」
 元気の良い、はっきりとした声です。
「ありがとう。ゆいちゃんっていうの、可愛いお名前ね!」
 ゆいちゃんに答えた後、私は顔を上げて周囲を見渡しました。
 大通りを行き交う人々の流れは整然としていて、子供を捜しているような人の姿は見られません。
(おかしいですわね……)
 駅前まで行けば交番があります。
 すぐにでもお世話になるべきなのでしょうが、私は少しその場で待ってみることにしました。
「おねえちゃん、しりとりしよ!」
「あ、はい」
 ゆいちゃんが、小さな手で私の体を揺さぶります。
「ケーキ!」
 私が頷くと、ゆいちゃんはまた元気良くケーキと言いました。
 可笑しいです、よっぽど好きなのかもしれません。
 私の答えがまたキリンでは、ゆいちゃんが退屈してしまうでしょう。 
 私は人の流れに気を配りながら、「き・き・き」と考えます。
「キウイ」
「いぬー!」
 間髪を入れずに答えるゆいちゃんは、なかなか手強いです。
(ぬ・ぬ・ぬ・ぬぬぬ〜)
 ゆいちゃんが答えやすいようにと考えますが、簡単な単語がなかなか出てきません。
 ああでもない、こうでもないとぶつぶつ言っていると、待ちきれなくなったのか、ゆいちゃんが急に私の手を引っ張りました。
「おねえちゃん、こっちに行こ!」
「あ、ゆいちゃん。待って下さいっ!」
 私は、ゆいちゃんに手を引かれるままに立ち上がりました。
 とことこ走るゆいちゃんが転ばないかと心配で、もうひやひやです。
 そのうちに、私とゆいちゃんは中央通り商店街へと差し掛かりました。
 何か気になる物を見つけたのか、ゆいちゃんが急に立ち止まります。
「かばんやさん〜」
 小さな指の先にあるのは、「山口帽子・鞄店」です。紳士、婦人物の帽子や色々な用途の鞄が置かれています。
 ゆいちゃんは、また周りきょろきょろと見回すと。
「おとうふやさんとさかなやさん。おにくやさんに、おようふくのおみせ〜」
 ゆっくりと歩きながら、ゆいちゃんは楽しそうにお店を指さしています。
 「わぁ〜何のお店か分かるんだ。ゆいちゃん、えらいね!」
 次々と商店街のお店を指さすゆいちゃん。
 ひょっとして、よく買い物に連れて来てもらうのでしょうか。
「あれはね、しゃったー」
 ちょっと唇を尖らせた、ゆいちゃんの顔が曇ります。
 シャッターが閉まっているお店は、もう営業してはおらず。
 ずっと降ろされたままでペンキも剥げて錆が浮いているシャッターは、楽しい夢への道を冷たく閉ざす厚い壁でも想像させるのでしょうか。
 ゆいちゃんに引っ張られてここまで歩いてきましたが、このまま二人で散歩を続けているわけにもいきません。
 お母さんかお父さんか、どちらにせよ親御さんがとても心配なさっているでしょう。
「瞳子さん、こんにちは」
「あ、会長さん、こんにちは。お散歩ですか?」
「ええ。おやおや、可愛いお連れさんですねぇ」
 目尻を下げた商店会長さんが、腰を屈めてゆいちゃんの頭を撫でています。
「迷子らしいので、交番にお願いしようと思うのですが」
「それはかわいそうに、ん? そう言えば」
 商店会長さんは、ひとつ首を捻りました。
 何か心当たりがあるのでしょうか。
「先ほど恵子さんに、小さな女の子を見かけなかったかと、尋ねられましたよ」
「え!?」
 私が驚いていると、
「みっ、見つけた〜っ!」
 四つ辻からもの凄い勢いで飛び出して来た恵子さんが、急ブレーキを掛けて大声で叫びました。
「瞳子ちゃん、グッジョブ! ナイスフォロー!」
「は、はい?」
 汗だくの恵子さんは、そう連呼しながら私に抱き付きます。
「あの、恵子さん?」
 何が起こったのか見当も付かない私は、ただ目を白黒させるだけです。
 恵子さんは目にうっすら涙を浮かべながら、私の両手を握ってぶんぶんと振りました。
 ☆★☆
「ごめん、ごめんね結衣!」
 ゆいちゃんを抱き上げたお母さんは涙を滲ませた目を拭って、何度もぷくぷくのほっぺに頬ずりしています。
 くすぐったそうなゆいちゃんは、それでも嬉しそうにお母さんの首に手を回してしっかりと抱きついています。
「ほんとに助かったわ!彼女、知り合いなのよ。久しぶりだったから、つい夢中で話し込んじゃって。そしたら結衣ちゃんの姿が見えなくなってて……一瞬、心臓が止まったわ。警察に届けて、商店会総出で探して貰おうって思っていたの」
 あちこち走り回ったのでしょう。ハンカチで額を拭う恵子さん。
「ずっと手を繋いでいたつもりだったのですが、いつの間にか話に夢中になってしまって……。本当に、ありがとうございました!」
 お母さんは軽々と結衣ちゃんを抱いたままで、何度も何度も頭を下げます。
 ひょっとして結衣ちゃんは、たくさんのお店を夢中で見て回るうちに、あんなところまで歩いて行ってしまったのでしょうか。
「ゆいちゃんに、商店街を案内して貰ったんですよ」
「ね〜」
 私と結衣ちゃんは、顔を見合わせて笑いました。
 茶館の店内で交わされる、楽しい会話。
 恵子さんと、結衣ちゃんのお母さんが談笑しています。
 結衣ちゃんは口の周りにクリームを付けて、大好きなお母さんにぴったりと寄り添い、ホットミルクとイチゴのショートケーキを前にとても満足そうです。
「おねえちゃん、またしりとりしようね!」
「はい!」
 私は結衣ちゃんに微笑みます、すっかり仲良くなれました。
 そう言えば、忘れていました。
 銀行は、また明日にでも出掛けることにします。
 
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