The Story of Art Gallery Coffee shop Memories 目次 |
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16.和服姿のご婦人は |
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日暮れ時はとても肌寒いです。暖かそうな上着を羽織っている、道を行く多くの人々。 店内から外へ出ると、風の冷たさに思わず身震いをして。 今日もたくさんのお客様がいらっしゃいました。お客様と交わしたわずかな会話を思い出すと、自然に笑みがこぼれます。 営業時間を終え、メニューを乗せたイーゼルを店内に入れようとしていると、 「こんばんは……」 そう言って私に微笑みかけたのは、和服姿のご婦人でした。 その清楚な姿にしばらく見とれていた私は、慌てて挨拶を返します。 「あっ、こんばんは! 日が暮れると寒いですね」 「今日はもう、お店はお終いですか?」 イーゼルを抱えたままの私を見た、残念そうな表情のご婦人。どうやら茶館へいらしたお客様のようです。 私はイーゼルをお店の中へ置いて、扉を大きく開きました。 「いらっしゃいませ。画廊茶館へようこそ!」 「あら、ありがとう」 胸に手を当てて一礼する私に、和服姿のご婦人は楽しそうにくすくすと笑いました。 静かな店内で、火に掛けたポットだけが賑やかな音を立てています。 「ブレンドを、いただけますか?」 「かしこまりました、当店自慢の特製ブレンドです」 少し御髪に白いものが混じっていますが、とても若々しく上品な方です。 カウンター席に座ったご婦人の注文に、私は温めておいたサーバーにドリッパーを乗せて、フィルターを取り出しました。 コーヒーの粉を量ってフィルターへふんわりと移し、ゆっくりと丁寧にお湯を注いでいきます。 「さすが、手慣れていらっしゃいますね……」 「いえいえそんな。こんな事を言ってはお客様に失礼なのですが、私などまだまだですわ」 ご婦人に興味津々といった様子で見つめられ、私は緊張気味に答えます。 コーヒーの粉へと浸透してゆくお湯。フィルターの中の粉が膨らんだ頃、しばらく蒸らしてから再びお湯を注ぎます。 少しずつ、サーバーに溜まってゆく褐色のエキス。 「このお店は、いつもあなたがおひとりで?」 「今日は留守にしていますが、ちゃんとマスターがいます。とても背が高くて大きなマスターです」 私はカウンター奥にある慎吾さんの椅子へ、そっと目を向けます。 慎吾さんが茶館に居て下さるだけで、とても安心出来るのです。 「楽しそうですね」 「実はとっても楽しいんです! そう見えますか?」 「ええ、とても」 緩んでいる両の頬に手を当てて私が聞くと、ご婦人はそう答えて下さいました。 私はカップへと静かにコーヒーを注ぎ、ソーサーにスプーンを添えて丁寧にカウンターへと置きます。 「お待たせしました」 「いただきます、いい香りですね……」 ご婦人はカップを手にすると、目を閉じて香りを楽しんでいらっしゃいます。 しっとりとした和服姿、私はとても憧れます。 「和服が珍しいですか?」 「あっ! す、すみません。とんだ失礼を!」 どうしても見とれてしまいます、私は慌ててぺこりと頭を下げました。 「いいえ、そんな事ありませんよ。和服は着付けが大変だと遠慮される方も多いですけど、やっぱり慣れとコツです。良いものですよ」 ころころとまあるい微笑みのご婦人は、カップを置いて店内を見回します。 私もつられて、壁に飾られた絵を眺めます。 遙さんに手を引かれ、初めて茶館に入ったあの日に眺めたたくさんの絵。 そして今でも、私を包み込んで下さった遙さんの温かい優しさを忘れません。 『遙さんのような女性になりたい』 私が密かに心に持っている目標です。 飾る事のない、遙さんの心の在りよう……。 でもそれは、どんなに努力しても真似が出来ないものなのだと分かりました。 少しの間、そんな物思いに沈んでいました。 ふと気が付けば、ご婦人はじっと私を見つめています。 「この茶館は良い雰囲気のお店ですね。コーヒーも美味しい、何より貴女の笑顔を見ていると、とても楽しい気持ちになります」 「あ、あのあのあの、ええと、ありがとうございますっ!」 ぼっ! と、音を立てて、顔の温度が急上昇します。 湯気を立ちのぼらせて、私はうつむいてもじもじしてしまいました。 「あら、いけない。もうこんな時間」 ご婦人は壁の時計を見て、驚いたように口元へ手を当てました。 「おいくらですか?」 ご婦人は席を立ち、財布を取り出します。 「あ、はい。四百八十円です」 「ほんとうにありがとう、お店に入れて貰って助かりました。お昼過ぎから出掛けていたのだけど、思いの外帰りが遅くなってしまって。風が冷たいので、少し温まりたかったから」 「嬉しいです、お役に立てて良かったですわ。ありがとうございました」 お釣りを手渡して、笑顔でご挨拶です。 お店を閉めてしまう前で本当に良かった、一日の終わりに素敵なご婦人とお話が出来ました。 私はカウンターを出て、お店の扉を開けます。 「寒いですし、夜道には気を付けて下さいね」 「ええ、ありがとう。じゃあまたね、水無月 瞳子さん」 「え?」 私はぽかんとしたまま、和服姿の美しいご婦人を見送りました。 |
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