ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 4.ブロウニング・カンパニー |
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多くの人々が道を行き交い、華やかに賑わうカーネリアの中心街。 メインストリートから大きく離れた、様々な会社の社屋が集まっている通りの……これまたずっと端っこ。 歩道から見上げれば、『ブロウニングカンパニー』と社名が書かれている、少々控えめな看板が目に入る。 ブロウニングカンパニーは、主にウィンドシップの建造と販売を手掛ける会社だ。 事務所を開いている社屋、茶色のビルは長い年数を経て、周囲の景観に溶け込むように程良くくたびれている。 創業時のように、栄華を誇っていた時期はすでに時の彼方へ過ぎ去ってしまい。今では何となく時代の流れに置いて行かれ、世間では零細企業という評価に甘んじていた。 「し、しゃちょうーっ!」 ブロウニング・カンパニーの名物である社長秘書、サラの甲高い悲鳴が今日も社長室に響き渡った。 赤いスーツに映える豪奢な長い金髪。濃いブルーの瞳に少々きついイメージを感じるが、間違いなく掛け値無しの美女だ。 サラが発する悲鳴はいつもいつもあまりに大きな声なので、そのうち古い社屋が倒壊するのではないかと、隣近所の会社では冗談交じりに囁き合っている。 「あーっ、うるさいうるさいっ!」 大きな手で耳を塞いでやれやれと首を振るのは、黒い革張りのソファーに身を沈めている大柄な中年男。 白いスーツ、派手な柄物のシャツをはだけて厚い胸板を晒している。その胸元に見え隠れする金色のネックレス。 この会社の社長アルフレッド・ブロウニングは、眺めていた大量の図面の束をばさばさとテーブルへ投げ出した。 美味い酒と美女に仕事……そして、ウィンド・シップが大好きで。 夢を語るその瞳は、輝く少年の瞳。 しかし少年なのはあくまで瞳の印象だけ、その他と中身は飢えた狼だ。 サラは残業中に、月に数回は事務所でアルフレッドに迫られる。 「俺は一人の女性のモノになるわけにゃいかねぇが、今宵は君だけを心から愛すよ……どうだい?」 壁際にサラを追い詰め、そう気障ったらしくのたまうアルフレッド。 しかしサラは誘惑される事もなく、拳を固めて力任せに殴り倒す。何回殴り倒してもアルフレッドは懲りないようだが、サラはその気などこれっぽっちもない。 「いくらお前が悲鳴を上げたって、これじゃ駄目なんだよ……ダメよダメダメ!」 宙を舞った大量の図面がひらひらと舞い降り、社長室の床を覆い隠してしまう。 「あ、あ、あ〜っ! 何て事をなさるんですかっ!」 その様子に、困り果てて両手で頭を抱えるサラの黒縁の眼鏡がずれ、金髪が乱れている。床に撒き散らされた大量の図面を見て、情けない表情で肩を落とす姿がいじらしい。 「もうっ! バラバラになった図面がみんな混ざってしまって、どれがどれだか分からないじゃないですかっ!」 サラは床に散らばった設計図や仕様書を、しゃがんで一枚一枚丁寧に集め始める。 図面がばらばらになってしまったので取りあえずひとつにまとめておく、後で番号通りに整理しなくてはならない。 設計室の社員から、文句を言われるのはサラなのだ。 これでは、今日も残業だろう……。 (まぁいいわ。残業代を水増しして、ふんだくってやるんだから) 小声でぶつぶつとこぼすサラは、ひっそりと心の中でほくそ笑む。しかしそんなサラの思惑に、アルフレッドが気付く様子はまったくない。 「これだけ優秀な機体の図面なのに、一体何が気に入らないんですの?」 「分かってねぇよなぁ、お前も……何年この会社に勤めているんだ? よく見てみろよ。中身はともかく、どれもこれもとっぽいデザインじゃないか! 軽量型 ウィンド・シップの需要は、ここのところ高まってきている。今必要なのはバトルシップのような無骨な機体じゃない! もっとこう、スタ〜イリッシュな機体 なのさ!」 オールバックの髪をびしっと撫で付け、身振り手振りを加えながら力説するアルフレッド。 「例えば愛する俺のロゼッタのように、優雅で美しい流麗なボディ! うーん、惚れ惚れする姿だねぇ」 「何をおっしゃるんですかっ! 社長の趣味丸出しで、しかも製造コストを度外視したあんな特別製の機体なんて、売り出せる訳がありませんっ!」 「おいおい、俺の大切なロゼッタだぞ」 不満そうに口を尖らせたアルフレッド。大きな理想論を展開するのは、いつもの事なのだが。 「はぁ……」と、溜息を付いたサラが、うろんな目で舌好調のアルフレッドをひと睨みする。 「いやいや正直な話。ここいらで一発、馬鹿売れの機体を発売せにゃあ、うちの会社もヤバいのよ。会社の運転資金の調達も苦しいし……そのあたり、優秀な秘書の君なら分かっている事だろう?」 「……そうですわね、同業他社の姿は遙彼方に霞んでいますし。失礼ですが貴族様相手のご道楽、華美で豪華な軽量機……こほん。とにかくその需要だけでは、限りがあるんです……よ?」 アルフレッドを睨みつけるサラの視線が鋭くなり、だんだん下の方へと下がってくる。ぴくぴくと蠢いているサラのこめかみに、青筋がじんわりと姿を見せ始めた。 「ここのところ、昇給も賞与もまったく無いですしね、私もいい加減に呆れているところですの。この自らの美貌と高い能力を、思うがままに発揮できる職場を本気で探す必要がって……」 わなわなと、肩を小刻みに震わせるサラ。 その綺麗な指が揃った右手がさっと伸び、テーブルの上に置かれている重たい灰皿をむんずと掴んだ。 「私は考えていますのっ! 聞いてらっしゃるんですかっ! 社長っ!」 サラが掴んだ灰皿を、思い切り投げつける。 彼女の手を離れた灰皿は一直線に飛び、床にへばりついてサラのスカートの中を覗き込もうとしていた、アルフレッドの額を直撃した。鈍い音が聞こえ、額に当たった灰皿が、勢い良く跳ね返る。 「ぎゅげべっ!」 なんとも気味が悪い悲鳴を上げたアルフレッドが、額を押さえて床の上をごろごろと転げ回った。 「この、スケベオヤジが……」 ぜえぜえと荒い息をつき、呪いの言葉を吐いたサラが『きゅっ!』とスカートの裾を押さえる。 「おお、痛い……」 しばらく床の上でぴくりとも動かなかったアルフレッドが、にょっきりと床から生えるように体を起こした。 アルフレッドは大げさに額をさすっているが、出血どころかコブも出来ていないようだ。灰皿が額に当たる瞬間に、後ろへ仰け反って飛んでくる灰皿の勢いを殺したのだろう。 サラが渾身の力を込めて投げつけた灰皿をあえて避けないのは、彼女に怒りを収めてもらうためか、それとも趣味なのか分からないが。 「やれやれ、この会社の事務所は二人しか居ねぇのに、いつも賑やかだよなぁ」 開け放たれた社長室の扉に背を預け、手の甲でこんこんとノックをした男が、にやりと笑った。ぼさぼさの灰色頭、猫背でよれよれのコートを羽織ったみすぼらしい姿。 耳に届いた声の響きに嫌な予感を感じ、振り返ったサラが途端に綺麗な顔をしかめ、すすすっと逃げるように壁際へと移動した。 「おう、コーディ!」 「元気そうだな、アルフレッド。お待ちかねのブツが届いたぜ」 ふらふらとした足取りのコーディが、コートのポケットから掌に収まるほどの大きさをした、小さな金属製のケースを取り出す。 コーディが品物として扱うのは情報である。 その姿格好はともかく、情報屋としては一流で信用出来る男だ。高額な報酬を要求するだけあって、得られる情報の信憑性は高い。アルフレッドは、彼に依頼して情報を収集する事が多いのだ。 コーディの手のひらに乗せられている、あちこちがへこんで傷み黒ずんだそのケースを見たとたんに、アルフレッドの顔つきが変わった。 「今回は、追加報酬をはずんでくれよな。結構苦労したらしいからよ」 「……分かった、報酬はいつもの口座でいいんだな?」 「おお、毎度ありぃ」 頬を緩めたコーディが満足げな顔で頷き、くるりと踵を返した。 「コーディ、茶でも飲んで行かないか?」 「馬鹿言うなよ、俺は酒以外に興味は無いぜ」 げらげらと下品な笑い声を上げて、アルフレッドの誘いを一蹴する。いつも長居はしない、依頼人との接触は最低限にとどめおくのが信条……それがお互いのためらしい。 よく見れば千鳥足だ、ととっとバランスを崩したコーディがコートのポケットからウイスキーの小瓶を取り出して、振って見せた。 「じゃあな、アルフレッド。振り込みを済ませるまで、死ぬんじゃないぜぇ」 ふらふらと歩くコーディは、壁に張り付いているサラへねっとりとした視線を絡ませる。嫌悪の表情を隠そうともしないサラに顔を近づけて酒臭い息を思う存分に嗅がせると、ウィスキーを入れた小瓶の蓋を開け、喉に流し込みながら出て行った。 コーディの姿が見えなくなると、サラが緊張していた全身の筋肉を弛緩させるように、「はーっ」と大きな溜息をつく。 アルフレッドは太い指に力を入れて小さなケースの蓋を開けた。 中に入っているのは、ロウに固められた筒状の物。金属のケースを丁寧にテーブルへ置くと、もどかしげにロウを剥ぎ取った。中から出てきた筒状に丸められている紙を開く。 紙に記されていた数行の走り書きを読むと、苦々しい表情で鋭い舌打ちと共にどっかりとソファに背を預けた。 「社長?」 手にしたメモ書きを睨み付けるアルフレッドの様子に、サラが不安げな顔で声を掛けた。 「お前も読んでみろよ」 アルフレッドが差し出した紙片に書かれている内容に、サラも驚き言葉を失った。 ごくりと喉を鳴らしたサラは目を凝らして、何度もその走り書きを読み返す。 「こっ、これは……?」 「へっ、とんでもねぇよな。これが実用化したら、まずい事になるなぁ。使いようによっては、向かうところ敵無しだぜ」 アルフレッドは、葉巻のケースを手に取ろうとしてそのまま動きを止めると、またソファに深く身体を預けた。 「……いや、甘い考えは危険かもな。ひょっとしたら、もう運用が始まっているかもしれねぇ」 苦々しげにつぶやく。 「社長、もっと正確な情報がご入り用ならば、私が出向きましょうか?」 そう言ったサラが、黒縁の眼鏡に右手を掛ける。 顔を出した悪い芽は、早めに摘み取ってしまわなければならない。 「おいおい、お前が今から出掛けて行ったって、もうどうにもならん。それにプラントは北部山脈にあるんだぜ? あんなところをうろうろしていたら、すぐに凍え死んじまうぞ」 顎を撫でるアルフレッド、それはまるで、自分自身に言い聞かせる独白のようだ。 爛々と輝く瞳からは、有無を言わせぬ説得力を感じる。 「でも!」 アルフレッドの瞳に臆すことなく、サラが尚も食い下がる。 確かに北部山脈は、あまりにも過酷な環境だ。雪と氷に閉ざされた世界、荒れた地表から天を目指すように突き出している、幾つもの刺のような岩。厳寒の地は脆弱な生き物である人間など、おいそれと寄せつけない。 アルフレッドは、真剣な眼差しをサラに向ける。 「今度は少しばかり相手が悪い。ひとつでも読み違えたら、こっちが縛り首になっちまう」 こつこつとソファの手摺りを指で叩き、頬杖をついたアルフレッドは眉根を寄せた。 「相手が悪いって……あっ!」 「それ以上言うなよ、サラ」 アルフレッドに睨まれて、慌てたサラが自分の口を手で押さえて、こくこくと頷いた。 憶測で口に出してよい名前ではない。 「まぁ、あの危ないお坊ちゃんが何を企んだところで、ハインリッヒ王には懐刀たる竜騎士達がいるからな、当面は心配無いだろうが」 アルフレッドは太い指で、こめかみの辺りをマッサージする。 まだまだ、状況を判断出来るほどの情報が集まっていない。そしてどうしても、平穏を望む思考は邪魔をするものだ。 そんな事があるはずはない……と。 「いいか? サラ。とにかく俺の指示無しに動く事は許さん。藪を突いたら、どんな大蛇が顔を出すか分かったものじゃないからな」 アルフレッドが珍しく真面目な表情で、大きなため息を付いた。もう一度、紙片の内容を確認して、テーブルの上に置かれたライターを手に取る。 「これを調べていた奴、生きていればいいがな……。仕事とはいえ頭が下がるよ。こういう奴がいるおかげで、何も知らねぇ大半の人間はのほほんと平和を享受していられるんだ」 紙片へとライターで火を付け、次第に燃え広がり灰になっていく様を見つめていたアルフレッドは、いまにも燃え尽きようとしている紙片を灰皿に投げ入れ た。 命の尊さを、その身に深く刻み込んでいるつもりだ。 しかし命を投げうってでも、為さねばならぬ事もある。ブロウニング・カンパニーは光が当たらぬ裏の舞台に、幾度も関わってきた。 「あの、社長……」 「分かっている。ここ最近、ハインリッヒ王が体調を崩したりと、王家に色々なゴタゴタが続いたからな。俺もお前も、少し神経質になっているだけかもしれん」 「そう……ですわね」 サラは小さな声で返事をした。 微かな不安は小さな固まりとして、サラの胸の中に居座ってしまった。それはこのまま大きくなるのか、しぼんで消えてしまうのかまだ分からない。ボスであるアルフレッドに、采配を任せるより他にないのだ。 「まぁ、そんなに心配するなって。今までだって、何とかしのいできたんだ。いつものように、上手くやってやるさ」 軽い口調で言ったアルフレッドは、ソファに深く身を沈めて足を組む。手にした葉巻の先端を食い千切り、にやりと笑った。 顔を上げたサラは、鋭い眼差しでアルフレッドの表情をじっと見た。 おどけた仕草は不安を紛らわせる為なのか、心の奥底に隠された本心を見透かす事が出来る男ではないと、サラはよく知っている。 しかし、あの日から今まで……この男は、嘘をついた事がない。 今のサラにとって、アルフレッドは最も信頼できる男だ。 「社長、コーヒーをお持ちします」 「ああ、頼むよ。目が覚めるような、濃いヤツをね」 「ええ、今日は特別ですわ」 アルフレッドには、まだまだたくさん考えることがあるのだろう。 頭の中で、激しく計算しているに違いない。 サラは顔を出しそうになる昔の自分を、苦労して体の中へと押し込んだ。自分はブロウニング・カンパニーの美人秘書だと、心の中で何度も繰り返す。 少し落ち着いた、黒縁の眼鏡をそっと指先で触れる……もう大丈夫だ。 「赤字続きの我が社は、たった一杯のコーヒーも気軽に飲めないけど……でも」 サラは小首を傾げる。 「どんなに無敵の勇者にも、憩のひとときは必要よね」 呟いた彼女の綺麗な金髪が一房、静かに肩から流れ落ちた。 |
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