ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


20.牙を剥く狂気

 目次
 操舵室のハッチが開き、身軽なアリオスが先頭を切って背面の装甲を走る。
 テリオスはエレミアを抱き上げ、滑らないよう足下に注意しながら走り、姉に続いて操舵室へ飛び込んだ。
 戦闘用の小型ウインドシップは通常、操舵手と砲手の二名が必要となる。
 クイーン・サーシェスには、操舵手のアリオス、砲手のテリオス。そしてもう一人、機体と周囲の情報を総合的に把握する役目を担う、クララという少女が搭乗している。
 背中の上の大破した車を、大河へと振り落とすクイーン・サーシェス。クララのおかげで、動力炉は最大出力を発揮出来るほどに暖められていた。
「姫様、大丈夫ですか?」
「は、はい……」
 アリオスはベルトで体を固定しながら、エレミアを気遣う。
 エレミアの声は震えているものの、かすり傷ひとつ負わせずに済んだようだ。
 ……いや、まだすべてが終わった訳ではない。
『三時方向、上方よりウインドシップ三機が急速接近。タイプはF……ファイター。火器管制起動、迎撃準備に入ります』
 危機を告げるクララは機首下部に設置された、幾つものモニターに囲まれた空間に身を置いている。
 冷静に、的確に現状の情報のみを伝える少女。
 モニターが発するおぼろな光を浴びるクララ、その声には微かな感情も込められてはいない。
「……まずいな、クララ。トリガーを俺に回してくれ、下手に発砲は出来ない」
『了解』
 エレミアを膝の上に乗せたテリオスが、火器の制御を行うパネルを体の両脇に引き出す。
「なり振り構わないみたいだね、まったく安眠妨害だよっ!」
 自分達の事をすっかり棚上げにした、アリオスの声には余裕がある。まさか、街中での発砲はしないと高をくくっていたのだが。
 クララが危険を告げてから、数瞬後だった。
 轟音を伴い飛来した、力強く夜の冷たい大気を切り裂く小型の空戦用……Fタイプウインド・シップが散開し、クイーン・サーシェスへと襲いかかる。
 後部から排出されるのは、闇に舞う禍々しい赤い燐光。深く暗いガンブルーに染められた機体、曲線を多用して構成されているその姿は不気味な印象だ。
「街の上空で戦闘かよ、こいつら正気か!?」
「己の保身が第一なのさ。姫様を、あたし達ごと葬る気だね」
 敵機の攻撃に、素早く反応したアリオスが機体を捻る。後方から迫る敵機を突き放そうと、動力炉の出力を引き上げた。
「姉さん、早く国境を越えよう。ティファナ国の制空圏に入れば、奴らも手が出せないだろう!」
「簡単にはっ、逃がしてくれないようだね。見た事が無い機体だけど……ええい、ちょろちょろとうるさいっ!」
 クイーン・サーシェスは、たちまちFタイプに追いつかれた。
 後方から凄まじい勢いで発射される機銃。
 上方を抑えられているので高度も上げられず、機体を振ろうにも進行方向を封じる予測射撃が壁を作る。
「クララっ! 敵機の情報をくれ!」
『動力炉からの排出光より、ボーウェン社製の機体と推測されますが、新型機です……私は詳細なデータを取得していません』
「そりゃあ、ちょっとつらいねっ!」
 相手の旋回能力、加速能力は、クイーン・サーシェスよりも高い。
 どうしても、進路を先読みされ阻まれる。アリオスの操縦技術をもってしても僅かな隙を突くことが出来ず、包囲を突破することが出来ない。
「くそっ、嫌な色だ。悪役っぽい機体だよな、こいつ等。ボーウェン社か……商売熱心も、ほどほどにしろってんだよ!」
 テリオスは視線を巡らせて舌打ちし、エレミアを守るように強く抱く。
「クイーン・サーシェス」も旧式とはいえ、以前は軍用のウインドシップとして使用されていた、ブロウニング・カンパニー社製の機体だ。
 アリオスの希望を取り入れて行われた、度重なる改造により原型の面影はまったく無い。
 持続性を追求した加速が可能な動力炉、航続距離も長いが軽量化を図った欠点として装甲が脆弱だ。
 アリオスは大きく機体を振りながら、クイーン・サーシェスを巧みに操り敵機、Fタイプの機銃弾を回避する。
 機体性能を熟知しているアリオスが舵を取ってこそ、クイーン・サーシェスはその性能の真価を発揮する。
「ああっ、もうっ! 街の上じゃ装甲板一枚だって、落下させられないのに!」
 苛立つアリオス。それでもクイーン・サーシェスは、まったく機銃弾を浴びていない。街の上空で繰り広げられる空中戦に、夜中にも関わらず街の人々が姿を見せ始めた。
 夜中に車で駆け抜けたメインストリートに、人波が出来つつある。
「あああ、野次馬がわらわらと。まったく、こっちは気を使ってるってのにさ! やられっぱなしじゃ、みっともないったら!」
「姉さん、下を見るなっ! 体裁なんか気にしている場合じゃないだろうが!」
 散発的に機銃を放つFタイプは、クイーン・サーシェスをその空域に釘付けにするかのようだ。
 その正確な予測射撃に、さすがのテリオスも舌を巻く。
「こいつ等の動きは……なんだ?」
 クイーン・サーシェスを取り囲むFタイプの動きを、注意深く観察していたテリオスが首を傾げた。
 その時、街を挟むような小高い丘の稜線、ぼんやりとした夜空との境界線に何かが見えた。
 優れた砲手であるテリオスの銀色の瞳は、月明かりの下でも闇を見通す。
 まるで闇夜から湧き出るように、ゆっくりと姿を見せたのは、ランティーナ国のバトルシップ……巨大な戦闘艦だ。 
「せ、戦艦まで引っ張り出すのかよ、クララ! 熱源関知だ、急げっ!」
『二十五秒を要します』
 クララの答えを待つテリオスは、苛々と両脇の制御パネルを指先で弾いた。
 たかが数十秒だが、冷静に待ってなどいられない。
『……敵艦主砲に上昇中の熱源有り。照準、既に当機を捉えています。直撃による被害は予測不可能。周囲のFタイプを殲滅、速やかな回避行動を強く推奨します』
 返ってきたクララの声は冷静だが、戦艦クラスのウインドシップに搭載された砲の破壊力は凄まじい。
「照準されているっ!? 歯がゆいねぇ、こいつ等は足止めかいっ!」
「敵機を殲滅? こんなところで撃てっていうのか!?」
 混乱する、アリオスとテリオス。
 クイーン・サーシェスの主翼下基部、垂直翼両側、機首下に装備された主砲及び各砲門は、沈黙したままだ。
 クララの意見は正しいが、火器の制御パネルに乗せたまま、テリオスの手は動かない。
 街の上空で射撃戦など、とても出来ぬ。敵機を撃墜すれば、下の街にどれほどの被害が出るか分からないからだ。
 しかし、双子の相手は国軍。
 彼らには街の上空での戦闘も、不法侵入の所属不明機を撃墜するという防衛行動……免罪符がある。
 たとえクイーン・サーシェスに、エレミア王女が乗っていたとしても。
『戦艦より、当機に通信』
 テリオスが止める間もなく、クララが通信を繋いだ。
 声の主は間違いなく執政官ウォルフだ、勝ち誇った声がやや上擦っている。
『おやおや、追い詰められて手も足も出ないようだね。薄汚い盗人風情が、随分と手間を掛けさせてくれたではないか……今からエレミアと共に冥府へと送ってやる。覚悟したまえ、城での口汚い罵りの礼だよ』
「……ヘビっぽい奴だよね、あたしは苦手だよ」
「ムカつくぜ、あの野郎……わざわざ出向いてきやがった」
 憤怒を爆発させ、破壊神にでも何にでもなってやりたいところだ。
 顔をしかめたテリオスが、悔しそうにぎりぎりと歯をきしらせる。
「お待ちなさい、執政官!」
 一度ぎゅっと唇をかみ締めたエレミアが、叫び声を上げた。
「今からこの船を降ります。私はどうなってもかまいません、お好きになさい……ですが、この方達に手を出さないと約束して下さい!」
「ひ、姫様!」
「馬鹿な事を言うんじゃねぇよ!」
 閉じられたままの瞳に力を込めるエレミア、しかし、ウォルフはそんなエレミアの言葉を一笑に付した。
『ふふ、あはははは……本当にお優しい事だね、おめでたい姫君よ。盗人どものおかげでカエサル王子と、ティファナ国の腹積もりもよく分かった。君とその盗人を始末したらすぐに、ティファナ国へと侵攻を開始するよ。私は、宝剣よりも確実な力を手にしているのだからね』
「ティファナ国へ戦を仕掛けるなどと……あなたは正気ですかっ!」
 体を震わせたエレミアが、喉の奥から悲痛な声を絞り出す。
『こんな簡単なことに気付かないとはね。私にひれ伏さぬ者、逆らう者は皆消し去ればいいのだ。心配には及ばない、侵攻の理由は何とでもつけられる。エレミア、貴女はもう用済みなのですよ』
 ウォルフの冷淡な声音には、すでに権力欲などではなく凄まじい狂気を感じる。彼に取り憑いて離れぬ魔物は、底をつくことがない欲を喰らい続け、身も凍るような闇を広げていくのだろう。
『驚いただろう、ボーウェン社製の戦闘艇は性能も申し分無しだ。人間の潜在的な恐怖を引き出すよ、兵器とはこうあらねばならない……どうだい、素晴らしい機体じゃないか』
 圧倒的な力に対する執着と心酔が、ウォルフの声に満ちている。
 戦乱の口火を開くことに何の躊躇もすまい。その脳裏では無数の屍が横たわる大地が広がり、すべてを焼き尽くす業火が、天空を焦がし渦を巻いているに違いない。
「手前ぇ、ふざけるなよ、今すぐその減らず口を塞いでやる!」
「止めな、テリオス! 撃つんじゃないよ!」
「姉さん!」
「姐さんって呼びな! あんたは罪も無い人々に、涙を流させる気かい! それじゃあいつと同じになっちまう。あんたはあの日、あたしに誓っただろう!?」
 アリオスの鋭い叫び声。
「畜生っ!」
 血が滲むほどに唇を噛んだテリオスは、両脇のパネルに振り上げた両手を思い切り叩き付けた。
『どうやら観念したようだね……。こちらの準備も整ったようだ。さあ、消えて無くなるがいいっ!』
 ウォルフの狂気を放出する哄笑が、クイーン・サーシェスの操舵室へ響く。
『敵艦、発砲します』
 まるでこの先の運命を暗示するようだ。
 抑揚のないクララの声が操舵室に届く同時に、巨大な戦艦の砲口が瞬き、解き放たれた幾筋もの光の衝撃波が鋭く闇を切り裂いて伸びて来る。
 同時にFタイプのウインドシップが素早く反応し、クイーン・サーシェスから急速に離脱した。
 
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