ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 62.水の都の狂想曲(2) |
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ヴァンデミエールの名を呼びながらいきなり駆け出したフリードの姿は、あっという間に雑踏の中に紛れてしまった。訳も分からずひとり取り残されて、しばらくぽかんと口を開けていたトールはやっと我に返った。 「ど、どうしよう」 おろおろとするがフリードの姿は見えず、もうどうしようもない。 ヴァンデミエールの名を呼ぶフリードの声は切羽詰まっていた。少女の身に何が起こったというのだろう。ここに居ろと言われても、落ち着いていられる訳がない。 だが、自分には何も出来ない。 トールはこんな時、力の無さが悔しくて仕方がない。『早く大人になりたい』その強くて大きな想いは、その小さな体に余っている。 何者かに両親の命と、父親が開発に心血を注いでいた新しい動力炉を奪われた。その動力炉を取り戻したい。トールは強い想いを胸に秘めている。 だがそれは、砂漠の真ん中で無くした宝石を探し出す事に等しい。働いていた整備工場の親方であるバウムと彼の妻のミソラが心配するように、年頃に相応しい過ごし方もあるはずだ、今という大切な時間は過ぎ去ってしまえば戻ることはないのだから。 トールはそんな自分自身の目的と、ヴァンデミエールの思い悩むような表情を両天秤に掛けている。日ごとにその天秤棒は大きく軋み、ぐらぐらと傾きを変えてしまうのだ。すべての想いに答えを出すまで、少年の心は立ち止まることを許さない。シルフィードは奇跡的に掴んだ手掛かりに違いないのだ。 フリードを追いかけようと決めたトールは、ふと何かを感じて街角の露店を見やった。 鼻をくすぐる甘い匂いに気が付く。 その店先を眺めていると、たくさんの人が買い求めているのはお菓子のようだ。 焼けた鉄板に溶いた生地を薄く広げて焼く、生地が皮状に固まったところで、果物や生クリームを乗せてくるりと巻けば出来上がり。 紙で出来た筒状の入れ物に、ちょんと挿された可愛らしいお菓子を受け取る客の笑顔がほころんでいる。 いや、トールはお菓子に気が向いたのではない。 露店から少し離れたところに立っている人影が気になった。低い背丈を見れば、まだ子供なのかもしれない。特徴がそれしか分からないのは、オリーブグリーンの外套を羽織り、目深に被ったフードが表情を隠しているからだ。 トールの黒い瞳が、じっとその外套の子を追う。 外套の子は、きょろきょろと首を動かしている。 革のブーツを履いた脚が、すねのあたりまで見えている。外套の中から現れた細い腕、人差し指を小さな口へと当てた。人々が買い求めるお菓子が気になるのか、それともお腹が空いているのか。 しばらくその姿を眺めていたトールは、はっと我に返った。見てはいけないものを見たように、バツの悪さに身震いした後、踵を返して駆け出そうとした。 フリードの後を追わなければならない。 ……だが。 何となく立ち去りがたい、足を前に踏み出すことが出来ないのだ。 その時、かすかな悲鳴が聞こえたような気がして振り返ると、小さな外套の子が道端にぺたんと尻餅をついている。誰かとぶつかったのだろうか、それとも突き飛ばされたのだろうか。地面に手をつき、俯いて細い両肩を震わせている。しかし、道行く人々は誰も気遣って立ち止まる様子はない。 突然。ぎゅーっと眉を寄せたトールは、口をへの字に曲げた難しい顔で視線をあちこちに飛ばしていたが、いきなり空をふり仰いだ。そのままの姿勢でポケットに手を突っ込むと、ポケットの中をごそごそとまさぐってみる。 玩具の人形のように、ぎこちない首の動きで正面を見据えたトールは、憤怒の形相のままこれまたぎこちなく足を踏み出した。 肩をいからせてずんずんと歩き、露店の真正面で立ち止まる。 「おや、いらっしゃい」 声を掛けた店の主人に頷いたトールは、道端でうずくまったままの外套の子をちらりと見遣る。ばりばりと短い黒髪を掻きむしり、かくんと両肩を落としてもやもやを含んだ溜息を吐き出した。 店の前に掲げられている、メニューを書き連ねた看板を斜めに読み、腕を組んでじっと考える。 店の主人が怪訝な表情を浮かべ始めるほど考え込み、眉間に刻んだ皺を深くしたトールは、ポケットから出し銅貨を五枚ほど店先に置いた。 「ふたつ! 甘い果物を入れておくれよ!」 叫ぶように言ってそっぽを向く、その頬は赤く染まり何やら額には汗が吹き出ている。 「はいよ、ちょっと待ってね」 にっこりと笑った店主は、銅貨を吊り下げられた籠の中に入れると、生地を溶いたボウルを手に取った。 とろりと溶けた生地をささっとお玉で掬い焼けた鉄板に垂らすと、そのままお玉の腹で丸く伸ばしていく。薄く均一に伸ばされた生地は、程なく甘い香りを放ちながら固まった。 鼻歌交じりに焼き加減を見ていた店主は、使い込んだへらで焼けた生地を鉄板から剥がして裏返す。 次に大きな瓶の中から、切り分けられた黄色の果物を取り出し、手早く生地に乗せて生クリームをたっぷりと盛り付ける。 手にしたへらを使って、くるりと生地を器用に巻いた店主は満足そうに頷いた。 「はい、お待ちどう! クリームをたっぷりとおまけしておいたからね」 「あ、ありがとう」 ほこほこと温かい出来立てのお菓子を手渡され、トールは店先を離れた。そのまま真っ直ぐにうずくまっている外套の子へと近づくと「ほら!」と、片方の手に持っているお菓子を突き出した。 「……な、なに?」 いきなり声を掛けられて驚いたのか、微かに震えている声。トールが思った通り、ちらりと見えた外套の子の頬に涙の筋が付いている。 「ほ、ほら、持てよっ!」 涙の痕に気づかぬ風を装い、そう言ってなかば強引にお菓子を外套の子に持たせたトールは、もう片方の手を握って立ち上がらせた。そのまま手を引いて人の波を逃れ、街路樹の下に据えられたベンチに座らせる。 きょとんとした外套の子は、手に持ったお菓子とトールを代わる代わる見比べている。どうやら戸惑っているらしい。 「お、お前、こ、これが食べたかったんだろう? ぐ、偶然俺も食べたかったんだ。ま、間違ってふたつ買っちゃったから、片っぽはお前にやる。い、いいか。ま、間違えただけなんだからなっ! 絶対にそうだからなっ!」 押し流すような言葉の勢いで念を押したトールは、どっかりとベンチに体を投げ出すとお菓子にかぶりついた。べったりと鼻の頭に生クリームがくっついたが、構わずにがつがつと食べ続ける。 無言でお菓子を貪り食うトールを見つめていた外套の子は、ごくりと咽を鳴らすと手に持ったお菓子を口元へと運んだ。 そのままくんくんと匂いをかいで、一度きゅっと唇を引き結び。 「……あ、ありがとう」 消え入るような声で礼を置き、かぷっとお菓子を頬張る。 もぐもぐと口を動かしていた外套の子は「おいしい!」と声を上げた。 澄んだ高い声。ほんのりと赤くなったほっぺたを、むにゅっと手で押さえる。まるでほっぺたが落ちないようにしているようだ。 体をぶるぶるっと震わせた外套の子は、一生懸命にお菓子を食べ始めた。 ☆★☆ リヴァーナの上空で青い軽量機を追うウインディ、鋭い銀色の翼が冷たい風を裂く。 「ヴァンデミエールを返せっ!」 ウインディを青い軽量機の後方にぴったりとつけたフリードは、琥珀色の瞳を見開いて叫ぶ。相手が戦闘艇でもない限り、ウインディならば振り切られる事もないはずだ。 青い軽量機が加速しながら機体を急激に捻る、仮面の男は背後に迫るウインディに気づいたようだ。 「何処へ向かうんだ?」 ウインディは気心の知れた相棒だ、決して操舵を誤ったりはしない。青い軽量機の背を睨むフリードは、その航跡を辿るようにウインディを巧みに操る。 青い軽量機は速度を増しながら、建物が密集する市街地へと進路を取った。機体が巻き起こす轟音と突風に、路上を歩く人々が悲鳴を上げながら逃げまどう。 「こいつ、正気なのかっ!?」 建物を目眩ましにして、追尾するウインディを捲こうという魂胆なのか。フリードは街中での追跡に一瞬躊躇したが、まさか逃がしてしまう訳にはいかない。 もつれ合うように市街地へと突入してい二機。 フリードは腹をくくってスロットルレバーを捻る。加速を続けるウインディ、その鋭利な刃のような翼の先端が煉瓦造りの建物を掠めた。干されていた洗濯物が突風に巻き上げられて路上に散乱する、これではまた洗い直さねばならない。 「どうやって止めればいいんだ」 追いつけば離され、離されれば追いつきの繰り返し。 逃げる青い軽量機の動きを見ていれば分かる、仮面の男は高度な操舵技術を身に付けているようだ。このまま追い掛けているだけでは埒があかない、武器を搭載されたシルフィードならばとも思うが。 いや、馬鹿なことを考えるなとフリードは激しく頭を振った。こんなところで武器など使うわけにはいかない。 どうにもならない焦りがつのる、今はただ後を追うしかないのだ。 そんな思考が意識に割り込んでいたのだろう、前方の青い軽量機が不意に視界から掻き消えた。 突然、フリードの琥珀色の瞳に飛び込んできたのは、大きな時計の針と文字盤だ。 「うわっ!」 驚いたフリードが慌てて操縦桿を倒すと、素早く反応したウインディが即座に身を翻す。銀色の機体は街の中心に聳え立つ時計塔をぎりぎりで掠め過ぎた。時計塔への激突は免れたものの、進路を曲げた事により青い軽量機との距離が離れてしまった。 「頑張ってくれ、ウインディ!」 力任せに握る操縦桿が軋み、いまにも折れてしまいそうだ。 体に加わる大きな力にあらがう意識が遠くなる。堪えるように奥歯をきつく噛みしめ、険しい表情のフリードが首を捻り青い軽量機の姿を追う。 「ぴ、ぴいっ!」 フリードを応援するように、頭にしがみついたシルフィが鋭い鳴き声を上げる。ウインディはシルフィの鳴き声に応えるように、鋭角な旋回をやってのけた。小さな機体に搭載された動力炉が唸りを上げる、びりびりと振動する繰舵室。堅牢な装甲に守られたシルフィードとは、決定的に違う操舵感。翼が切り裂く風を間近に感じる、機体の外は自由で危険な大空だ。 ウインディは、その感覚をフリードの魂へと強烈に伝え寄越してくる。 そうだ、この危うさに惹かれたのかもしれない。この自由に憧れ、夢に見たのかもしれない。 それは領主の息子という己の立場、ニーナとの関係、無力な自分自身。どうにもならぬ現実からの逃避だったのだろうか。あの頃の自分を思うと、自戒が頭をもたげてくる。 否、今はそんな事を考えてはいられない。 ヴァンデミエールを救い出す事のみ考えるのだ。 「絶対に逃すかっ!」 街中を縫うように飛ぶ二機、青い軽量機を操る仮面の男は疲れを知らないのか。 朱色のカーテンを引く空、闇色にぽつぽつと光が灯り星が瞬き始めた。 どのくらいの間、追跡劇を繰り広げていたのだろう。青い軽量機を追い続けるウインディ、繰舵室のフリードは街の中心に続く運河に沿って飛んでいることに気が付いた。 徐々に高度を落としていく青い軽量機は、機体下部へ着水用のフロートを展開した。滑るように広い運河へと着水する。桟橋に寄って停止した青い軽量機の風防が開いた。 「どういうつもりだ?」 油断なくウインディを旋回させるフリードは、青い軽量機から降り立った仮面の男の動きを追う。 ヴァンデミエールの小さな体を肩に担いで桟橋を渡る。ゆっくりと岸を歩いて整備された遊歩道に上った仮面の男は、肩に担いでいた少女の体を下ろすと不意に空を見上げた。 仮面の奥から放たれる男の視線に捉えられた事を感じる。逃げることをやめたのか、いや、観念したわけではあるまい。 フリードはウインディを運河へと降ろした。機体を注意深く桟橋に寄せて風防を開き、動力炉を稼働状態にしたままで飛び降りる。 「シルフィ、ここで待っているんだ」 白い小鳥を操舵席に残し、フリードは琥珀色の瞳で仮面の男を睨み据えた。 |
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