ヴィゼンディアワールド・ストーリー 虹の翼のシルフィード 73.ウェンリー・ホーク(1) |
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空高く舞う二機のウィンドシップは、激しく競い合う。 光を弾く蒼い翼。鋭い加速を始めたシルフィードだが、一向にミスティ・ミラージュとの距離を詰められぬ。 『おいおいフリード。遅い、遅いぜ! 何だよ、怯えちまったのか?』 再び操舵室内へと響くウェンリーの声。フリードを挑発する、からかうような口調に緊張感などまったく無い。 「僕が怯えているですって、冗談じゃありません!」 『なら来いよ、俺が相手になってやる!』 「言われなくても!」 ウェンリーの挑発に乗ったフリードは、シルフィードをさらに加速させる。美しい機体の内部で、動力炉がさらなる轟音を発し始めた。輝く蒼色の翼が冷たい風を切り裂き、シルフィードはやっとの思いでミスティ・ミラージュの後方へとつけた。 「ヴァンデミエール、動力炉への負荷状況はどうだ?」 「何を心配しているのです。このくらいの加速など、負荷の内に入りません!」 ヴァンデミエールの鋭い口調は既に臨戦態勢だ。激しく振動する操舵室、急造りの補助シートに押し付けられて身動きが出来ないトールが喘いでいる。 「トール、君は大丈夫か!?」 「へっ、へへんだ。こっ、このくらいへっちゃらだよっ!」 途切れ途切れの強がりを聞けば、この加速は少年の体に大きな負担となっているのかもしれない。そんな考えが僅かに闘争心にへ水をさしたのか。我知らず、フリードがスロットルレバーを握る手を緩めかけた。 「お、おい、フリードっ!。 ば、馬鹿にすんなよ、ここで減速したら、ぶっ飛ばしてやるからな!」 トールの鋭い叫び声に、フリードは慌ててスロットルレバーを握り直す。トールは、これから挑む戦いが大勝負であることを感じ取っているようだ。どうやら少年のプライドを傷付けてしまうところだったらしい。操縦桿を握るフリードは胸の中で少しばかり反省すると、琥珀色の瞳にさらなる闘志を漲らせてミスティ・ミラージュを、その操舵室のウェンリー・ホークの背を追う。最大稼働を開始した二機の動力炉が生み出す轟音が空に響き渡っている、どちらの機体の動力炉もよく自壊を起こさないものだ。ミスティ・ミラージュとシルフィードは、持てる力の全てを出し切るようにして競い合う。 『このまま、俺の背中を眺めているつもりか!』 「言わせておけば!」 挑発するウェンリーに激しく心を揺さぶられ、操縦桿を力いっぱいに握りしめる。 「フリード、後方を警戒して下さい」 「どうした、ヴァンデミエール!?」 操舵室内に響く轟音を押し退けて耳に届いたのは、ヴァンデミエールの切羽詰った声だ。 「後方から迫る、複数の機影を確認しました」 モニターを睨みながら、フリードに状況を伝えるヴァンデミエールが鋭く息を呑んだ。 「後方に位置する機体が発砲!」 「こんな時に!」 ヴァンデミエールの声が知らせるのは襲撃者だ、フリードは苛立ちに奥歯をきつく噛みしめる。ゴールするまでに、一体どれくらいこんな目にあえばすむのだろうか。 後方視認用の鏡が煌めいたかと思うと、眩い光弾が操舵室を掠め、鋭い光がフリードを照らした。 「十機ほどの編隊。機体形式を照合します……」 体の左右に広げたキーボードを両手で弾くヴァンデミエールの声が抑揚を失い、彼女の声は無機質な音として小さな唇から紡ぎ出される。翠色の瞳はガラス珠のようであり、ただ虚空を見つめているばかりだったが。見開かれていた瞳は、数回の瞬きとともに光を取り戻した。 「照合が終わりました。後方の機体名はヴェスペローパ、ボーウェン社の最新鋭機です」 「あの黒い機体か」 人の心の奥底から、恐怖の感情を喚び起こす黒い機体ヴェスペローパは、大陸各地で急速に配備されつつある。 険しい表情のフリードは歯噛みをする。レース序盤での事だ、ニーベルン湾を渡る際に襲われ、シルフィードを庇ったイルメリアの愛機レイピアを撃墜した機体と同型だ。 「国籍不明機です、機体記号の登録が確認できません」 「畜生、こんなところで盗賊かよっ!」 「あなたは黙っていなさい! 十機もの新鋭機を持った盗賊などありえません。フリード、発砲の許可を下さい。このままにしておけば後々の障害となります」 癇癪を起こして手足をじたばたさせて喚くトールを叱り飛ばし、ヴァンデミエールが火器管制を起ち上げる。シルフィードは、これまでのレース行程で幾度と無く襲撃を受けている。その度に襲撃者を退け、運営委員会へと被害報告をしているのだが。未だに運営委員会は対処をしてはくれない。 「レースの妨害を企む者がいるとでもいうのか。……それとも」 シルフィードの製造元である、ブロウニングカンパニーに対する何らかの怨恨だろうか。ヴァンデミエールが言う通り、大陸の各国に配備され始めた新型機を差し向けて来るのだ。ある程度の大きな組織であるのかもしれない。様々な利権が絡むウインドシップレースだ、謀を企む輩はいるのだろう。 どんな理由で襲われたのだとしても、簡単に反撃することなど出来はしない。だが、ヴァンデミエールはフリードの問い掛けを黙殺した。 「レースも最終行程、ゴールが迫っているのです。邪魔をさせる訳にはいきません。こうなれば、殺られる前に殺るだけです」 背筋が凍るような少女の声音、ヴァンデミエールの瞳がギラリと底光りをする。フリードが反撃の許可をすれば、少女は後方から追い縋ってくる黒い機体に対して容赦をしないだろう。 果たしてそれが最善の方法なのか。しかし、運営委員会に助けを求めたとて、もう救援など間に合いはすまい。 シルフィードを掠め続ける悪意の光に灼かれてしまう訳にはいかないが、十機もの編隊を組む黒い機体の群れを退ける事など可能なのだろうか。シルフィードも新型とはいえ、この状況では多勢に無勢だ。ヴェスペローパは大陸の国家に、その性能を認められた機体なのである。 ヴァンデミエールへの指示を躊躇うフリードを呼ぶように、通信機が突然大きなノイズを響かせた。 『聞こえるか、フリード!』 「ウェンリーさん!」 シルフィードの前方を飛ぶミスティ・ミラージュは、流れ弾の光弾をさして気にした風もなく踊るように掻い潜っている。排出光が煌き、美しい弧を描く。 『男同士の勝負に、ケチをつけるような奴等なんぞ相手にするなっ。このまま置き去りにしてやればいいさ。ぶっちぎるぞ、俺について来い!』 その言葉とともに、ミスティ・ミラージュが眩い光を発してさらに加速をする。砲撃を避けつつ加速を始めるなど、ウェンリーの卓越した操舵技術にフリードは舌を巻く。やはり、ウェンリーには敵わないのだろうか。 『何だよ、こんなひょろ弾が怖いのか? おらどうした! 甥っ子がそんな情けない事じゃあ、お前をレースに送り出したアルフレッドのヤツが、がっかりするぜ!』 シルフィードの動力炉が発する轟音に打ち消されることもなく、耳の奥から脳を、そして心を強く刺激する声。ウェンリーは貪欲に、さらに強烈な刺激を求めているのだ。 フリードは、ただひたすらに前を見つめ、磨り減っていく忍耐力を奮い立たせて操縦桿へしがみつく。 『お前は、愛機からそれっぽっちの力しか引き出せないのか? まだだ、まだ足りねぇ! もっとだ、もっと俺を追い詰めてみせろ!』 歯を食い縛るフリードを揺さぶる声。 額に浮かぶ玉の汗、視界が徐々に狭まって来る、息苦しさに焼け付くような肺が喘ぐ。後方から追われる恐怖、そしてウェンリーを追う興奮、もう心臓が破裂してしまいそうだ。このまま正気を保っていられるのだろうか。 シルフィードがこれだけの加速を続けても、ミスティ・ミラージュへと並び、追い抜くことが出来ない。驚きと苛立ちが、焦りが、諦めの感情が徐々にフリードを追い詰め始めた。 『ここまでの旅路で何を見たんだ、お前の魂を揺さぶったのは何だ!?』 ウェンリーの声が、フリードの意識を鷲掴みにして力任せに引き摺る。 もう何も考えられない。 空の青さも雲の白さも感じられぬ視界は、フリードが愛する空と同じだと思えない。はっきりと見えるのは、ミスティ・ミラージュの後ろ姿だけだ。機体から排出される光の粒子が、引き伸ばされるように尾を引いて後方へと流れ行く。 「お前が心を惹きつけられたのは何だ、広大な大陸の姿か、そこで暮らす人々の生き様かっ!」 フリードにはウェンリーの問に答えられる余裕など無く。既に上を向いているのか、下を向いているのかさえも分からない。 ただひとつ分かっているのは、自分自身が大きな存在……ウェンリー・ホークという偉大な冒険者の背中を追っているという事のみだ。 『魂に誓った願いを、叶えなきゃならないんだろうがっ!』 「叶えるさ、必ず!」 その問い掛けに、フリードは雄叫びで答えた。激しく揺さぶられる心。様々な感情が重なり合い混じり合う、シルフィードは沢山の人の想いを乗せている。カリナに屋敷の皆、そして父。アレリアーネ、アルフレッドやサラ、カージーと彼の仲間である老練の技術者達。 そして何より大切な、ニーナの想い。 今は戦いの真っ最中だ、感傷になど浸ってはいられない。だがフリードは、そんな想いに支えられているのは間違いないのだ。 突然、光の渦に視界を奪われた。視覚も聴覚も、体中の感覚が一瞬にして麻痺してしまったようだ。フリードは己の存在を見失わぬように叫んだ、闇雲に叫んだ。光の渦に揉まれ飲み込まれてしまわぬように。胸の奥で滾る、ただひとつの願いを剣のように掲げた。 「僕は絶対に勝つんだ!」 まるで獣のような咆哮を上げた途端、不意に体を痛め続けていた圧力が消え去った。 全身にのし掛かる大きな力が退くと固く閉じていた目を開く、操縦桿にしがみついていたフリードが恐る恐る顔を上げる。 「ぴい」 その眼の前で、前面パネルへととまっているシルフィが小さな羽を広げて、呑気にひと声鳴いた。 「シ、シルフィ?」 フリードを見つめている、くりくりとしたつぶらな瞳。 「きゅ」と、小首を傾げてみせる小鳥の姿に、安堵の表情を見せたフリードだったが、はっと我に返った。シルフィードは、いまの今までウェンリーが駆るミスティ・ミラージュと激しく競り合っていたはずだ。 「ミスティ・ミラージュは何処なんだ」 視線を巡らせてみるが、ミスティ・ミラージュの姿は何処にもない。気が付けばシルフィードは巡航速度で航行している。何もかもが幻……いや、夢でも見ていたのだろうか。フリードは、額に残るじっとりとした汗を拭った。 僅かに震えが残る汗ばんだ手を握りしめる、決して夢や幻ではない。 「ヴァンデミエール、状況の確認をしてくれ」 パートナーの名を呼んだ、だが少女は返事をしてくれない。 「トール、無事なのかっ!?」 シルフィードの加速に耐え続けていた少年は無事なのか。 「二人とも、返事をしてくれ」 いったい何が起こったのだろう。体を固定していたベルトのハーネスを外したフリードが振り向くと、それぞれ砲手席と補助席に座る二人は目を閉じている。どうやら気を失っているようだ。 自分が置かれている事態を把握することが出来ないが、今は二人の無事を確認したい。フリードが、ヴァンデミエールとトールを気にかけていると。ぱたぱたと羽ばたいたシルフィが、フリードの頭の上へととまった。薄茶色の髪の毛をくちばしでひと房咥えて、くいくいと引っ張る。 「痛い、シルフィ、痛いよ」 「ぴぴ、ぴいっ!」 小さな翼をいっぱいに広げ、ばたばたとフリードの頭の上で大騒ぎをしている白い小鳥は、何かを伝えたいのだろうか。髪の毛を引っ張られ、あまりの痛さに涙目になっているフリードが、操舵室から目の前の光景を見て表情を引き攣らせた。 「わ、わあああっ!」 瞬時に冷や汗が噴き出る。眼前に迫る緑色が、木々に生い茂る葉の色だと気付くのに、僅かな時間が掛かった。 「間に合えっ!」 慌てたフリードがスロットルレバーを捻り、歯を食いしばると力任せに操縦桿を引く。優秀な機体であるシルフィードは、直ぐにフリードの意に従ってくれた。 間一髪。素早く機体を翻したシルフィードが高度を上げた。僅かに機体を傾ければ、激突を免れた木々が遠ざかっていくのが見える。 「こ、ここは……?」 「ぴぴっ!」 胸をなでおろすフリードの呟きに、短く鳴いたシルフィが答えてくれたようであったが、人間であるフリードに小鳥の鳴き声の意味が分かるはずもない。 問うまでもなく、ここは空の真ん中である。ヴァンデミエールの的確な指示を受けていれば、航路を逸脱することなど有り得ない。だが琥珀色の瞳に映るのは、空の青、雲の白色だけではない。木々の緑と土の茶色。広大な大地が眼前に広がっていたのだ。 慌てて計器を確認しようにも、計器類はでたらめな数値を指し示している。しかし、どうやら失速する気配は無い。 「こんなに地表の近くを、雲が流れているなんて……」 フリードは首を巡らせ、ゆっくりと眼下の大地を注意深く眺めながら飛ぶ。少しずつ高度を下げていくと地形の様子がよく分かる。航路を逸脱してどこかの山脈付近にでも接近してしまったのかと考えたが、だとすればもうとうに墜落しているはずだ。 それに緑が豊かに芽吹くなだらかな丘陵の様子を見れば、険しい山岳地帯ではないと容易に想像がついた。 ヴァンデミエールに尋ねれば、少女はすぐに教えてくれたのだろうが。彼女が気を失っている今は、何の情報も得られない。状況を確認する為にしばらく低空飛行を続けていたフリードは、開けた場所で鏡のように輝く大きな湖を見つけ た。 「湖がある、あの大きさならなら降りられそうだ」 今はレースに参加している最中である。その最終行程でもあり、時間に余裕などないがそんな事を言ってはいられない、早く二人の様子を確かめなければならぬ。 目を凝らして湖の水面の色や岸の様子を観察する、大きさも深さも問題ないだろう。そう判断したフリードは、徐々に高度を下げながら機首を湖の方向へと向けた。 機体下部に展開されるのは、水上で浮力を得るためのフロートだ。愛機を操るフリードに、危うさは全く感じられない。シルフィードを湖へと着水させたフリードは風防を開く。水面に目を向けると、シルフィードの機体が穏やかな湖面を揺らし、小波が立つのが見えた。ウェンリーとの 激しい競り合いを思い出せば、湖面に浮かぶシルフィードが安堵に翼を休めているようにも感じられる。 外気へ身を晒してみると、汗ばんだ体にやや冷たい風がしみた。フライトジャケットを揺すって体温で暖められた空気を逃さぬように体へと馴染ませる。 ふと、左の脇へと手を触れる。フライトジャケットの下には銀色の拳銃が息を潜めているのだ。その硬い感触を確認した後、フリードは、ヴァンデミエールとトールの様子を見る為に操舵室から出た。 砲主席のヴァンデミエールと、補助席のトール。フリードは二人を無理に起こしたりせず、それぞれに手を握り頬にそっと触れてみる。シルフィードのスピードに耐えられなかったのだろうか、二人とも気を失っているだけのようだ。だが、このままレースへ復帰する訳にもいかない。 フリードは、ヴァンデミエールとトールの無事を確かめて安堵の吐息を漏らすと、体を起こして周囲を見渡した。 美しい水鳥が湖面を滑るように、ゆっくりと進むシルフィード。機体が岸辺へと充分に寄ったところで、フリードは機体の背面から翼を伝って降り立った。 「静かだ……」 微風が、薄茶色の髪をふわりと揺らす。 肺の中に、冷たく澄んだ空気を溜めるように深呼吸をすると、五感を研ぎ澄ませて辺りの様子を伺う。耳が痛い程の静寂に包まれた湖の周囲に、人はおろか鳥や虫などの気配も感じない。 ミスティ・ミラージュを見失い、自分が何処に居るのかも分からない。言いしれぬ不安が頭をもたげて落ち着かぬ、琥珀色の瞳に景色を映すフリードは幾度も視線を巡らせる。風の囁きと、大地の息吹が聞こえてきそうな程の静けさに耐え切れなくなったフリードは、不意に右両手をあげると思い切り自分の頬を平手で打った。 「痛いっ!」 「きゃあっ!」 耳に響いたのは明らかに自分の声ではない、しかも悲鳴だ。驚いたフリードは、痛みでじんじんとする両の頬をさすりながら振り返った。 |
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