The Story of Art Gallery Coffee shop Memories

31.Artist Brand (3) 
 目次
 その日は、朝から冷たい雨が降っていた。いや、正確には昨日の夜半過ぎ辺りからか。
 どうせならもっと凄い豪雨になって、街ごと流されてしまえばいいのに――。
 などと危険な考えをごろごろと胸の内で転がしながら、彩人は泣きべそをかいている空を見上げて溜息をついた。
 今日は智一に強制的にお休みを頂いた、いや無理矢理に押しつけられた。
 そのうえ、晴海には朝から数少ないよそ行きの服を物色され、髪型までいじくり回されて。
 まるで、子供が初めてお誕生会にでも招かれたほどに、あれこれ世話を焼かれてしまったのだ。
 これでは思いっきり気合いが入りまくっているように見えてしまう。
 ぐるんと首を後ろに回して、恨めしそうな顔で「Fairly tail」の店内を覗き込むと、晴海と目が合う。
 晴海は満面の笑顔を浮かべると、両手をぐっと握りしめた。
 唇が「がんばれー」と動いている。
 冗談じゃない、行くのはたかが「合コン」ですよ? しかも嫌々なのに、何を頑張るっていうんだか。よっこらしょと、彩人が安物の傘を開こうとした時だった。
 目の前を横切ると思われた大きな黒塗りの高級車が、ブレーキの音も立てずに彩人の前で停車した。
(……なんだよ)
 わざわざここで停まるのか。
 この空模様に、追い打ちを掛けるがごとく不快指数を上昇させてくれる、大きな態度の高級車を避けようとした時だった。
 その姿に相応しく、重々しい音が響いて後部席のドアが開いた。
 続いて上品な模様をした、色鮮やかな傘がぬっと現れる。雨が降る街、彩度が低い景色の中で美しい花のように傘が開いた。
 黒いヒールが行儀良く並んで濡れた地面を踏み、すっと車から女性が降り立った。
 鮮やかな傘を差し、グレーのスーツに身を包んだ女性は、縁なし眼鏡の奥から彩人へ鋭い視線を投げ放つ。
 整った顔の造りだが、浮かべている表情は怜悧そのもの。
 紅く彩られた薄い唇は、どこか拒絶さえ感じさせるほどに冷たいイメージだ。
 その不快感を感じさせる視線を、彩人は軽く道端へと捨て置いた。
 何処の誰かも分からぬ人の視線に射貫かれたくらいで、恐れおののく必要など無い。
 知らん顔で傘を広げ、歩き出そうとした時だった。
「……沢渡彩人さんですね?」
 雑踏の中でもよく通る声、女性に呼び止められた。
 彩人が訝しげな表情で振り返ると、女性はほんの気持ち程度の微笑を浮かべて見せた。
「お迎えに上がりました、どうぞお乗りになって下さい」
 彩人は思わず辺りを見回して女性に確かめる。たかが「合コン」で、まさかこんな高級車が迎えに来るはずがない。しかし彩人以外、辺りの人影は無い。
「あの、俺の事ですか?」
「はい」
 女性が抑揚のない声で答えた。
 合コンの場所は確か『フーケ』という名前をした、ちょっとした洋食レストラン。
 その店を貸し切っているはずだ。それが、こんな高級車でお出迎えだって?
 祐二の奴、いったい何を計画しているんだ?
 眉をひそめた彩人がちらりと女性を見る、薄い笑みを見せる女性に嗤われたような気がした。
「分かりました、ありがとうございます」
 どうにも気分が悪いが、仕方なく傘を畳んで車の後部座席へと乗り込む。
 車の運転席には白い手袋をはめ、きっちりと帽子を被った運転手が前方を見据えている。
 彩人が座席に腰を落ち着けると、女性が彩人の隣に乗り込みドアを閉めた。
「……いいわ、出して頂戴」
 運転手は黙って頷くと、サイドブレーキを解除して、シフトレバーを操作する。
 短くウィンカーを点灯させた後、車は滑るように走り出した。
 少し雨に当たった傘を持っているからなのか、車内の空気は湿っていて居心地が悪い。
「あの……」
 重苦しい空気に、いたたまれなくなった彩人が口を開くと、女性が小さく咳払いをした。
「初めてお目に掛かります。私は、龍崎貴子と申します」
「龍崎さん……ですか?」
「はい」
 龍崎と名乗った女性の硬質的な態度は、まったく親しみが感じられない。
 前を向いたままで、事務的に答える彼女は表情を変える事もなく、こちらを見ようともしない。
 彩人は彼女との話など、どうでもよくなった。
 祐二が何を計画しているのか聞いてみようかとも思ったが、会話が成り立ちそうにないので口を開くのをやめた。
 高級車は振動を感じさせる事もなく、車内はとても静かな空間だ。
 だから余計に空気が重く感じられてしまう。
「……すいません」
 車窓から見える風景に違和感を感じた彩人は、横に座っている龍崎に声を掛け
た。
「道が違うんじゃないですか? こっちは方向が違う」
「ご心配なく。道が混んでいるからです、迂回させています」
 前を向いたままで、龍崎が淡々と答える。
 まぁいいか。
 どうせ、目的地に着くまでの我慢だ――。
 課題作品も完成間近になっているので、出来れば早く仕上げて落ち着きたい。
 智一や晴海が、あれこれと気を使ってくれるからだ。優しい夫婦に感謝しなければならない。 
 彩人はそのままぼんやりと、考え事に没頭した。
 それからしばらく車は走り続け、渋滞に巻き込まれるといったトラブルに遭遇する事も無く、大きなビルのエントランスへと横付けされた。
 車が静かに停車すると、一度身じろぎした龍崎がドアを開ける。
「お待たせいたしました」
「ちょっと待って下さい!」
 彩人は声を上げた。
 どう見たってここは、大きなオフィスビルだ。
「ここはどこなんですか!」
 彩人の疑問をさらりと受け流し、龍崎は「こちらです、私についていらして下さい」と丁寧に答え、先に立って歩き出す。
 答えるつもりなど、さらさら無いらしい。
 しかし彩人は、逃げる気にならなかった。龍崎の背中が嗤っているように見えて、悔しさの方が勝ったからだ。
 口を固く引き結び、彩人はビルの中へと足を踏み入れた。
 建物の中をぐるりと見回す、清潔感溢れる高い吹き抜けのロビーは清掃が行き届いている。
 磨き抜かれたガラスが光を存分に取り込み、とても明るい雰囲気だ。
 今までオフィスビルになど入った事がないが、来客への配慮と仕事場としての機能性が見て取れた。
 普段は受付嬢が立っているのだろうが、休日なので受け付けカウンターには人影がない。
 ちらりと目を走らせた受付カウンターの奥には、社名を掲げたプレートが見えた。
(本城グループ? 何の会社だろう……)
 彩人は、その会社名を知らない。
 ビルの奥へと続く通路には、二人の警備員が立っている。
 龍崎が近づくと、二人の警備員はきちっと姿勢を正して会釈をした。龍崎は彩人を手で指し示し、警備員と何やら話をしている。うんうんと頷いていた警備員が再び会釈をすると、龍崎は満足そうな笑顔を見せる。
 しかし、彩人へと向かって歩いてくる頃には、すでにその笑顔は消えていた。
「どうぞ、ご案内します」
 龍崎は氷点下の声で彩人を促す。
「ここは、合コンの場所じゃないみたいですね? 場所は高層ビルのレストランじゃなかったはずだ」
 お返しとばかりに、彩人が嫌みを混ぜた言葉を龍崎へと投げつけた。
 しかし彩人のささやかな嫌みなど全く通じないらしい、龍崎が薄い唇の端を上げる。
 二人の間の温度が、ぐっと低くなった。
「でしたらどうなさいます? 私も大切な主からあなたをお連れするようにと、申しつけられております。お願いですから、ここは私の顔をたてて下さいませんか?」
 お願いにしては、ひと言ひと言に鋭い刺が生えているのを感じる。
 彩人の答えを待たずに、通路を奥へと歩き始めた龍崎は、首を傾けて自分の肩越しにちらりと彩人を見た。
 まるで、後をついて来るのが当然だと言わんばかりの態度だ。
 返事こそしなかったが彩人は警備員の横を通り、龍崎の背中を睨み付けながら後を追った。
 身の危険は無いようだが、注意を払いながら歩く。 
 通路にあるどの扉も固く閉ざされ、銀色のノブの上方には電子錠が取り付けられている。
 通路の奥に見えるエレベーターの扉。
 彩人には異形が潜む異世界にでも通じているのではないかという、あり得ない疑念さえ浮かんでくる。
 エレベーターへ乗り込むと、龍崎は迷うことなく最上階のボタンを押した。
 扉が閉まり、静かに上昇を始めるエレベーター。
 龍崎も彩人も始終無言で、視線を合わせる事もない。
 壁に背を預ける彩人は、エレベーターの窓越しに景色を見ながら、自分の居る位置を把握した。
 柔らかな振動を感じさせて、エレベーターが最上階へと停止する。扉が開き、通路を左に折れて進む龍崎。そこで再び、彼女が歩きながら口を開いた。
「沢渡さん、あなたはご自分が幸運だと思うべきなのですよ? それとも、合コンだなどとくだらない集会に、それほど出席したかったのですか?」
幸運だって? あなたと一緒にいるよりは、合コンの方がいいかな……と、彩人は心の中で、大きく舌を出した。
 このままでは結局、すっぽかしてしまう事になるかもしれない。携帯電話など使っていない彩人には、連絡の取りようがないのだ。
 このビルの場所から、会場のレストランへは結構な距離がある。緑は出席出来ないと言っていたが、綾乃や楓が心配するかなと、彩人はそれが気に掛かる。
 それに。
『いーい? よくききなさい、あーちゃん。しらないひとについていっちゃだめよー』
 と幼い頃、母が何度もそう言っていたはずだが。
 今になって母の口調を思い出し、彩人は苦笑した。
「私の主にお声を掛けて頂いた事に、心より感謝する事ですわね」
 そんな彩人に構わず先を歩く、龍崎の嘲笑するようなその口振り。
 次第に饒舌になり、歩みが早くなってくる。
 こつこつと通路を踏む、ヒールが刻むリズム。
 突然、彼女の黒いヒールがきちんと揃えられ、ひとつの扉の前で止まった。
 振り返った彼女の顔は紅潮し、笑みすら浮かべている。
「あなたは、未来を手に入れられるのかしら?」
 未来とは何の喩えなのか、彩人には分からない。
 そして龍崎から投げかけられる口調に、明るい未来を祈る少しの気持ちも感じられない。
 灰色の扉の前に立つ龍崎が、扉を数回ノックした。
「龍崎です、沢渡様をお連れいたしました」
『龍崎さん? ご苦労様……』
 扉越しに答えが返ってきた。
 龍崎が懐から取り出したカードキーでロックを外す。
 閉ざされていた扉が、彩人の目の前で大きく開け放たれた――。
 
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